1958年8月、東京都立小松川高校の校内で16歳の女子高校生が殺害された。捜査の過程で逮捕されたのは当時18歳の李珍宇だった。
李は小松川高校事件だけでなく、同年4月に起きた23歳女性の殺害についても供述した。裁判では2件の殺人について有罪とされ死刑が確定し、1962年11月16日に執行された。一方、死刑確定後から後年にかけて、李の手紙や供述の信用性をめぐる議論が続いた。
事件の基本情報
| 主事件 | 1958年8月・東京都立小松川高校で女子高校生殺害 |
|---|---|
| 被告 | 李珍宇(犯行時18歳) |
| 別事件 | 1958年4月の23歳女性殺害も有罪認定 |
| 裁判 | 2件の殺人等で死刑 |
| 確定 | 死刑判決が確定 |
| 執行 | 1962年11月16日 |
| 後年 | 供述や有罪認定を再検討する著作、書簡集、評伝が刊行 |
小松川高校の校内で16歳の生徒が殺害された
事件は1958年8月17日に起きた。校内で女子高校生が殺害され、捜査は学校関係者や周辺人物へ広がった。
李は同年9月に逮捕された。当時18歳で、少年法上は少年だったが、死刑を科せない「犯行時18歳未満」には該当しなかった。
捜査の中で、4月の別事件を供述した
李は逮捕後、小松川高校の事件に加え、同年4月に23歳の女性を殺害したと供述した。刑事裁判ではこの別事件も審理対象となり、2件の殺人について有罪認定がなされた。
後年の議論では、この別事件の供述がどのように得られ、客観証拠とどこまで一致したのかが問題視されている。
少年事件でも死刑が可能だった理由
現在と同様、当時の少年法も一定年齢未満の者に死刑を科すことを制限していた。しかし李は犯行時18歳で、その年齢制限を超えていた。
李は犯行当時18歳で少年法の適用対象だったが、当時の少年法では18歳以上の少年について死刑を選択する余地があった。裁判所は2件の殺人について死刑を言い渡した。
刑事裁判では2件について死刑が選択された
一審・控訴審で死刑判決が言い渡され、最終的に死刑が確定した。李は在日朝鮮人としての生い立ちや社会的差別を語り、獄中から多数の手紙を書いた。
これらの手紙は後に刊行され、文学者や知識人の議論を呼んだ。ただし、社会背景や思想への評価と、刑事裁判が認定した犯罪事実は分けて扱う必要がある。
1962年11月16日、死刑執行
李の死刑は1962年11月16日に執行された。22歳だった。事件発生から約4年後である。
死刑執行により刑事手続は終了したが、その後も李の書簡や事件を検証する書籍が刊行され、裁判の妥当性や別事件の供述をめぐる議論が続いた。
死刑執行後も有罪認定を疑う著作が刊行された
国立国会図書館の書誌には、「無実!李珍宇」など有罪認定に疑義を呈する著作や、書簡集、評伝が複数収録されている。死刑執行後も、事件の事実認定や社会背景を再検討する出版物が刊行され続けた。
刑事裁判では2件の殺人について有罪・死刑判決が確定し、1962年11月16日に刑が執行された。その後の著作や研究では、確定判決の事実認定をめぐる疑義や批判も提示されている。
獄中書簡を通じて事件後の人物像が広がった
小松川事件は、犯罪そのものだけでなく、少年死刑、在日朝鮮人を取り巻く戦後社会、獄中書簡、冤罪論など複数の文脈で語られてきた。
死刑確定後、李は獄中から書簡を送り、その一部は後に書籍として刊行された。刑事裁判とは別に、書簡を通じた思想や社会背景への関心が事件後の議論を広げた。
国立国会図書館・大学図書館に関連資料が残る
国立国会図書館や大学図書館には、小松川事件と李珍宇を扱った書籍、書簡集、評伝が複数所蔵されている。1994年刊の『李珍宇ノオト』も、国立情報学研究所のCiNii Booksで所蔵情報を確認できる。
関連書籍には確定判決を前提に人物像を論じるものだけでなく、有罪認定そのものに疑義を呈するものもある。事件は死刑執行後も、書簡や評伝を通じて検討の対象となってきた。
参考資料・出典
関連事件
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