BOACスチュワーデス殺人事件は、1959年3月、英国海外航空の客室乗務員だった武川知子さん(当時27歳)が、東京都杉並区を流れる善福寺川で遺体となって発見された未解決事件である。犯人が特定されないまま、事件は1974年3月10日に公訴時効が成立。現在でも真相は明らかになっておらず、戦後を代表する未解決事件の一つとして語り継がれている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一般的な呼称 | BOACスチュワーデス殺人事件、スチュワーデス殺人事件 |
| 行方不明になった日 | 1959年3月8日 |
| 遺体発見日 | 1959年3月10日 |
| 遺体発見場所 | 東京都杉並区大宮町の善福寺川 |
| 被害者 | 武川知子さん(当時27歳) |
| 勤務先 | 英国海外航空(BOAC) |
| 死因 | 首を圧迫されたことによる窒息死と判断 |
| 重要参考人 | ベルギー人神父ルイス・ベルメルシュ |
| 逮捕・起訴 | 逮捕者、起訴された人物はいない |
| 公訴時効 | 1974年3月10日に成立 |
| 現在 | 犯人不明の未解決事件 |
武川知子さんは英国海外航空の客室乗務員だった
被害者の武川知子さんは、事件当時27歳。東京都世田谷区松原町の下宿で暮らし、英国海外航空の客室乗務員として働いていた。BOACは「British Overseas Airways Corporation」の略称で、当時のイギリスを代表する国営航空会社である。後にほかの航空会社と統合され、現在のブリティッシュ・エアウェイズへつながっている。
海外を行き来する客室乗務員は、1950年代の日本ではまだ珍しい職業だった。外国語を使い、国際線で働く武川さんの存在は、当時の社会から華やかなものとして見られていたようである。しかし、報道が職業や交友関係ばかりを強調したことで、被害者の私生活が過度に取り上げられた面もあった。事件を振り返る際には、武川さんが命を奪われた被害者であることを見失ってはならない。
1959年3月8日、親族の誕生日会へ向かう途中で消息を絶つ
1959年3月8日、武川さんは親族の誕生日を祝う集まりへ出席する予定だった。ところが、武川さんは約束の場所に現れなかった。下宿へ戻った形跡もなく、その日を境に連絡が途絶える。予定を変更した理由や、途中で誰かと会ったのかは分かっていない。下宿を出てから遺体が発見されるまでの足取りは、捜査の中心となった。
家族や関係者が不安を募らせるなか、武川さんは行方不明から2日後、思いもよらない場所で発見されることになる。
1959年3月10日午前7時40分ごろ、東京都杉並区大宮町を流れる善福寺川で、若い女性の遺体が見つかった。現場は宮下橋の下流にあたる場所で、遺体は浅い川の中にあった。その後、所持品などから、行方不明になっていた武川知子さんと確認される。着衣に大きな乱れがなく、現金なども残されていたため、金品を狙った強盗の可能性は低いとみられた。
一方、現場付近では武川さんのオーバーやマフラーなどが、遺体とは離れた場所から発見されたとされている。武川さんが自ら川へ入ったのか、それとも別の場所で殺害されて運ばれたのか。捜査は難しい判断を迫られた。
当初は自殺や事故とみられていた
遺体が発見された直後、警察は自殺や事故の可能性も考えていた。外見上、激しい抵抗や暴行を受けたことを示す傷が目立たず、川の中で発見されたためである。所持金も残されており、事件性をすぐに断定できる状況ではなかった。ところが、遺体を詳しく調べると、首周辺に不自然な痕跡が見つかる。
司法解剖では、喉の内部に出血があり、首の軟骨にも損傷が確認されたとされている。こうした所見から、武川さんは何者かに首を圧迫され、窒息死した可能性が高いと判断された。自殺や事故とみられていた事案は、一転して殺人事件として捜査されることになる。
遺体の状況や所持品が残されていたことから、捜査本部は金銭目的ではなく、武川さんを知る人物による犯行を視野に入れた。警察は友人や同僚、交際のあった人物など、武川さんの人間関係を調べる。その過程で名前が浮上したのが、カトリック教会の関係施設に勤務していたベルギー人神父だった。
神父は武川さんと面識があり、親しい関係にあったと報じられている。ただし、両者の関係については当時からさまざまな報道や推測が入り乱れ、確認できない話も少なくない。少なくとも公的に確認できるのは、神父が捜査上の重要参考人となり、警察から複数回の事情聴取を受けたという点である。
重要参考人となったルイス・ベルメルシュ神父
重要参考人となったのは、ベルギー出身のカトリック神父ルイス・ベルメルシュである。当時38歳前後で、東京都杉並区にあったカトリック関係施設や出版社で会計業務に携わっていたとされている。警察は、武川さんとの関係や事件当日の行動について神父から事情を聴いた。1959年5月には、弁護士やバチカン大使館関係者が立ち会うなかで、複数日にわたる聴取が行われている。
捜査員は供述内容や行動を慎重に調べましたが、殺人容疑で逮捕するために必要な証拠には届かなかった。重要参考人であることと、犯罪の容疑者として立件できることは同じではない。神父を犯人と決めつける確定的な証拠は、最後まで示されなかった。
事件をめぐっては、「警察が神父を疑っていたのに、なぜ逮捕しなかったのか」という疑問が残った。後に国会で法務当局が説明したところによると、ベルメルシュ神父が重要参考人であったことは事実だった。しかし、殺人容疑で逮捕できる段階まで証拠が集まっていなかったとされている。
逮捕には、単に疑わしいというだけでなく、犯罪に関与したと認める相当な理由が必要である。交友関係や曖昧なアリバイだけでは、身柄を拘束することはできない。警察にとっては、さらに事情を聴きたい重要人物だった。一方、法的には出国を強制的に止められる立場ではなかったのだ。
1959年6月、ベルギー人神父が日本を出国
1959年6月11日、ベルメルシュ神父は病気療養を理由に、日本を離れてベルギーへ帰国した。有効な旅券を持ち、正規の出国手続きを行っていたため、警察や入国管理当局には出国を阻止する法的な手段がなかったとされている。神父は逮捕されておらず、殺人容疑者として正式に立件されてもいなかった。そのため、捜査側が日本にとどまることを望んでも、強制することはできなかったのだ。
重要参考人が国外へ去ったことで、捜査は大きな壁にぶつかる。神父の突然の帰国は大きく報じられ、事件が迷宮入りした象徴として受け止められた。
ベルメルシュ神父の出国をめぐる問題は、事件の翌年、国会の法務委員会でも取り上げられた。議員からは、捜査中の重要参考人が国外へ出る可能性を把握していながら、なぜ止められなかったのかという趣旨の質問が出されている。これに対し法務当局は、神父はあくまで重要参考人であり、殺人の容疑者として逮捕できる証拠は得られていなかったと説明した。
適法な旅券を持つ外国人が正規の手続きを取って出国しようとした場合、それを強制的に止める方法は当時の法律上なかったとされている。この答弁は、警察が神父を犯人と認定していたわけではないことも示している。捜査上の疑問が残っていたとしても、それだけで身柄を拘束することは許されない。
帰国後の神父と事件への関与
ベルメルシュ神父は帰国後、ヨーロッパやカナダで生活していたと伝えられている。後年、日本のジャーナリストが神父の所在を追い、本人と面会したことも書籍で報告された。しかし、神父は事件への関与を認めず、真相につながる決定的な証言も得られていない。神父はその後に死亡したとされている。
インターネット上では、神父を犯人と断定する記述も見られる。しかし、逮捕、起訴、有罪判決のいずれもなく、犯人と確定した事実はない。警察が重要参考人として調べていた事実と、犯罪への関与が立証されたかどうかは、明確に分けて考える必要がある。
捜査は神父の帰国後も続きましたが、犯人の特定や逮捕には至らなかった。当時の刑法では、殺人罪にも公訴時効が設けられていた。事件発生から15年後となる1974年3月10日、公訴時効が成立する。現在の日本では、法改正により殺人など人を死亡させた罪の公訴時効は廃止されている。しかし、この事件は法改正よりはるか前に時効が成立しているため、犯人が判明したとしても殺人罪で起訴することはできない。
事件は法律上も捜査の区切りを迎え、犯人不明のまま未解決事件となった。
松本清張の小説『黒い福音』のモデルとなる
BOACスチュワーデス殺人事件は、作家松本清張の小説『黒い福音』の題材になったことでも知られている。作品では、外国人聖職者や宗教組織、捜査機関の壁を背景に、事件を思わせる物語が描かれた。ただし、『黒い福音』はあくまで小説である。登場人物や犯行の経緯は創作を含んでおり、作品内の結論を実際の事件の事実として扱うことはできない。
事件をモデルにした映画や書籍も数多く作られた。それだけ社会の関心が高く、解決されなかったことへの疑問が長く残った事件だったといえる。
事件当時、武川さんが外国の航空会社に勤める若い客室乗務員だったことから、新聞や週刊誌は大きく報じた。なかには、武川さんの交友関係や異性関係を詳しく取り上げ、事件の原因が被害者側にあったかのような印象を与える報道もあった。しかし、誰と親しくしていたかということと、殺害される責任があるかどうかは、まったく別の問題である。
武川さんは、何者かによって命を奪われた被害者である。事件の謎を追う際にも、被害者の尊厳とプライバシーに配慮する視点が欠かせない。
現在も、BOACスチュワーデス殺人事件の犯人は判明していない。
ベルメルシュ神父を疑う報道は数多く存在しますが、裁判で事実が検証されたことはない。神父が犯人だったと断定することも、無関係だったと言い切ることもできない状態である。確かな結論は、武川知子さんが殺害され、犯人が特定されないまま時効を迎えたということに限られる。
武川さんは、親族の集まりへ向かう途中で誰と会ったのでしょうか。どこで首を絞められ、なぜ善福寺川へ運ばれたのか。衣類や遺留品が離れた場所に残されていた理由も、完全には解明されていない。警察が重要参考人とした神父は事件に関与していたのか。それとも、交友関係や曖昧な状況から疑いを向けられただけだったのか。証拠が不足したまま神父が出国したため、疑問だけが残った。
公訴時効が成立してから半世紀以上が過ぎている。刑事事件として裁く道は閉ざされましたが、武川知子さんがなぜ殺害されたのかという問いは、今も解決していない。
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