富岡八幡宮殺人事件は、2017年12月7日夜、東京都江東区の富岡八幡宮周辺で、宮司の富岡長子さん(当時58歳)が、実弟で元宮司の富岡茂永容疑者(当時56歳)らに刃物で襲われ死亡した事件である。事件後には、茂永容疑者側が残した手紙から長子さんへの強い恨みが明らかになる。ただし、茂永容疑者と真里子容疑者はいずれも死亡したため刑事裁判は開かれず、2018年9月に東京地検が不起訴処分とした。
- 2017年12月7日に富岡八幡宮周辺で起きた殺傷事件の経緯
- 宮司・富岡長子さんと元宮司の弟・富岡茂永容疑者の関係 宮司職をめぐって長年続いた姉弟間の確執 事件後に見つかった手紙と妻・真里子容疑者の死亡経緯
- 容疑者死亡による書類送検と不起訴処分までの流れ
富岡八幡宮殺人事件の概要
| 事件名 | 富岡八幡宮殺人事件 |
|---|---|
| 発生日・期間 | 2017年12月7日 |
| 発生場所 | 東京都江東区富岡・富岡八幡宮周辺 |
| 被害 | 宮司・富岡長子さん(58歳)負傷者長子さんの男性運転手(当時33歳)主な容疑者実弟・富岡茂永容疑者(56歳)共に襲撃したとされた人物茂永容疑者の妻・富岡真里子容疑者(49歳)死者3人負傷者1人 |
| 現在の状況 | 富岡八幡宮殺人事件は、2017年12月7日夜、東京都江東区の富岡八幡宮周辺で、宮司の富岡長子さん(当時58歳)が、実弟で元宮司の富岡茂永容疑者(当時56歳)らに刃物で襲われ死亡した事件である。事件後には、茂永容疑者側が残した手紙から長子さんへの強い恨みが明らかになる。ただし、茂永容疑者と真里子容疑者はいずれも死亡したため刑事裁判は開かれず、2018年9月に東京地検が不起訴処分とした。 |
2017年12月7日に富岡八幡宮周辺で起きた殺傷事件の経緯
富岡八幡宮の宮司だった富岡長子さんは、男性運転手が運転する車で外出先から戻り、神社境内近くの自宅前へ到着した。そこで待ち受けていたとみられるのが、弟の茂永容疑者と、その妻の真里子容疑者だった。警視庁の捜査では、茂永容疑者側は日本刀などの刃物を準備していたとされる。長子さんは車を降りた後に襲われ、致命傷を負った。
現場は東京を代表する神社の一つである富岡八幡宮の周辺である。夜間とはいえ住宅や店舗もある地域で突然起きた襲撃に、周囲は騒然となった。午後8時25分ごろには「刃物を持った女がいる」といった趣旨の110番通報があり、駆けつけた警察官が境内や周辺で複数の男女を発見する。
長子さんの男性運転手も襲われ重傷
襲撃の標的となったのは、長子さんだけではなかった。車を運転していた33歳の男性運転手も刃物で襲われる。男性は負傷しながら現場から逃げ、助けを求めた。事件直後の現場周辺では、長子さんが襲われた付近から男性が逃げた方向へ、長い範囲にわたって血痕が残っていたと報じられている。
男性は重傷を負いましたが、一命を取り留めた。事件全体が「3人死亡」として報じられるため分かりにくいものの、死亡した3人は長子さん、茂永容疑者、真里子容疑者である。男性運転手は重傷を負った被害者であり、生存している。
襲撃後、茂永容疑者は妻を殺害し自ら命を絶ったとみられる
長子さんらへの襲撃後、事件はさらに異様な展開をたどった。警視庁は現場状況などから、茂永容疑者が妻の真里子容疑者を刃物で殺害し、その後、自ら命を絶ったとみている。後の捜査では、真里子容疑者が残したとされる2017年12月1日付の手紙も見つかった。
報道によれば、手紙には長子さんを殺害する意図や、自らも死亡する考えが記され、自分一人で実行できなかった場合には夫である茂永容疑者に手助けを頼む趣旨の記述があったとされている。このため警察は、長子さんらへの襲撃だけでなく、真里子容疑者の死亡についても捜査。茂永容疑者には嘱託殺人容疑も含めた刑事手続きが取られた。
ただし、夫婦双方が死亡しているため、手紙の背景や犯行計画が刑事裁判で詳しく検証されることはなかった。
殺害された富岡長子さんは富岡八幡宮の宮司だった
亡くなった富岡長子さんは、事件当時58歳。富岡八幡宮の宮司を務めていた。富岡八幡宮は「深川八幡」とも呼ばれ、江戸勧進相撲ゆかりの神社として知られている。深川八幡祭りでも有名で、地域社会との結びつきが強い神社である。長子さんは長年、神社運営の実務を担った。しかし、宮司就任までの経緯は複雑だった。
父親が宮司を退いた後、長子さんは2012年から宮司代務者を務めていたとされている。富岡八幡宮の責任役員会などは長子さんの正式な宮司就任を求めましたが、当時所属していた神社本庁側との間で調整が進まなかった。その後、富岡八幡宮は神社本庁から離脱。2017年9月、宗教法人としての規則変更が東京都に認証され、長子さんは正式に宮司となった。
その約2か月後に事件は起きている。
実弟・富岡茂永容疑者もかつて宮司を務めていた
長子さんを襲ったとされる茂永容疑者は、単に「宮司の弟」だったわけではない。茂永容疑者自身も、かつて富岡八幡宮の宮司を務めていた。ところが2001年5月、金銭問題などを背景に宮司を退任したと報じられている。その後は父親が再び宮司職を担った。
この宮司退任以降、姉弟間の関係は深刻に悪化したとみられている。事件直前に突然争いが始まったわけではないことである。報道では、16年以上にわたる確執があったと伝えられた。
2006年には姉への脅迫で逮捕されていた
姉弟間の対立は、家族内部だけの口論にとどまらなかった。2006年1月、茂永容疑者は長子さんに対し、強い敵意を示す内容のはがきなどを送ったとして、脅迫容疑で逮捕されている。報道された文面には、長子さんを「地獄へ送る」とする趣旨や、「積年の恨み」といった表現が含まれていた。
つまり2017年の殺害事件より約11年前の時点で、茂永容疑者から長子さんへ向けた深刻な脅迫行為が刑事事件になっていたことになる。この過去は、事件後に「姉弟間の対立はどれほど長く続いていたのか」を考えるうえで大きく注目された。一方、2006年の脅迫事件がそのまま2017年の殺害計画へ直結したと単純に断定することはできない。11年の間には、宮司人事、神社運営、経済的支援、神社本庁からの離脱など複数の出来事があった。
事件前には中傷行為をめぐる警告書も送られていた
対立は2017年に入ってからも続いていた。富岡八幡宮側の代理人弁護士によれば、同年6月から7月ごろ、氏子らに対して長子さんを中傷する電話があったとされている。そのため神社側は7月10日付の内容証明郵便で、茂永容疑者に警告書を送付した。
報道によれば、富岡家側は茂永容疑者が神社を離れた後も経済的支援を行っていましたが、迷惑行為を続ける場合は支援を打ち切る趣旨も警告に含まれていた。事件が起きたのは、その約5か月後である。警察は、宮司職をめぐる過去の対立だけでなく、事件直前まで続いた中傷や経済的関係も含めて背景を調べた。
神社本庁からの離脱と長子さんの宮司就任
事件背景を語る際、しばしば富岡八幡宮の神社本庁離脱が取り上げられる。長子さんは2012年から宮司代務者として神社を運営していた。責任役員会や氏子側は正式な宮司就任を求めたものの、神社本庁との間で長く決着しなかった。2017年、富岡八幡宮は神社本庁から離脱する手続きを進める。同年9月28日には規則変更が東京都から認証され、単立の宗教法人となった。
これにより長子さんは正式に宮司となる。事件がその直後に起きたため、捜査・報道では長子さんの正式就任と茂永容疑者の強い不満との関係が注目された。ただし、「神社本庁から離脱したこと自体が殺人の直接原因だった」とまで断定することはできない。姉弟間の対立は2001年の宮司退任後から長く続いており、複数の事情が積み重なっていた。
事件後に見つかった長文の手紙
事件後、茂永容疑者側が関係者や報道機関へ送ったとされる手紙が大きく報じられた。そこには長子さんや神社関係者への強い不満が記され、「怨霊」「祟り」といった言葉まで使われていた。この手紙は、事件が突発的な口論の末に起きたものではなく、茂永容疑者側が長期間にわたって恨みを募らせていた可能性を示す資料として注目される。
一方、手紙に書かれた主張はあくまで茂永容疑者側の認識である。そこに記された神社内部の問題や他者への批判を、すべて客観的事実として扱うことはできない。確認できるのは、強い敵意を示す文書が残され、実際に長子さんが襲撃されたという点である。
容疑者死亡のまま書類送検、2018年に不起訴
事件では茂永容疑者と真里子容疑者も死亡したため、通常の殺人事件とは異なる刑事手続きとなった。警視庁は捜査を継続し、現場状況、防犯カメラ、遺留品、手紙などを調べたうえで、容疑者死亡のまま書類送検した。茂永容疑者については、長子さんに対する殺人、男性運転手に対する殺人未遂などに加え、妻・真里子容疑者の死亡をめぐる嘱託殺人容疑も問題となった。
2018年9月28日、東京地検は茂永容疑者と真里子容疑者を不起訴処分とした。2人がすでに死亡していたことによるものだ。このため、法廷で証人尋問や被告人質問が行われることはなく、刑事裁判による有罪判決も存在しない。事件は警察捜査によって一定の構図が示された一方、被告人が法廷で動機や計画を語る機会がないまま終結した。
富岡八幡宮殺人事件の現在
現在で、本件は未解決事件ではない。警視庁は、茂永容疑者と真里子容疑者が長子さんらを襲撃し、その後、茂永容疑者が妻を殺害して自ら命を絶ったとみて捜査した。一方、主要な容疑者が死亡したため刑事裁判は開かれず、2018年に不起訴処分となっている。そのため、裁判所による有罪認定や量刑判断はない。
事件後、富岡八幡宮は新たな運営体制へ移行した。長子さんの死後も神社としての祭事や参拝受け入れは続いている。この事件が社会に残したのは、有名神社で日本刀を用いた殺傷事件が起きたという衝撃だけではない。元宮司だった弟と現職宮司だった姉の確執が十数年続き、過去の脅迫事件や警告書送付を経ても最悪の結果を防げなかった。家族関係、宗教法人の人事、経済的利害が複雑に絡んだ末に起きた事件として、現在も記憶されている。
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