裕士ちゃん誘拐殺人事件|須田房雄が6歳男児を殺害・死刑確定と執行まで

公開日 2026年7月29日
最終更新 2026年7月31日

裕士ちゃん誘拐殺人事件は、1986年5月9日、東京都江東区で小学1年生の男児が身代金目的で誘拐され、富岡八幡宮の境内で殺害された事件である。1995年5月26日、須田房雄の死刑は東京拘置所で執行されている。現在も、有罪判決が再審によって取り消された事実はなく、刑事手続きは終結している。

POINT
この記事でわかること
  • 本間裕士ちゃんが下校後に誘拐された経緯
  • 須田房雄がカブトムシの幼虫を使って誘い出した手口
  • 誘拐直後に富岡八幡宮で殺害された状況
  • 殺害後に身代金2000万円を要求した流れ
  • 裕士ちゃんの母親と接触した須田が確保された経緯
  • 東京地裁が被害者1人の事件で死刑を選択した理由
  • 須田本人の控訴取り下げにより死刑が確定した経過
  • 1995年の死刑執行と現在の法的状況
項目内容
一般的な事件名裕士ちゃん誘拐殺人事件
別称本間裕士ちゃん誘拐殺人事件、江東区小1男児誘拐殺人事件
発生日1986年5月9日
誘拐場所東京都江東区深川付近の路上
殺害・遺体発見場所東京都江東区富岡の富岡八幡宮境内
被害者本間裕士ちゃん(当時6歳)
被害者の立場小学1年生
加害者須田房雄(事件当時45歳)
事件当時の職業元鉄筋工、無職
犯行動機転居費用や飲食店の開業資金を得るため
誘い出した方法カブトムシの幼虫を見せ、一緒に埋めようと誘った
身代金要求額2000万円
家族が準備した金額200万円
身代金の取得未遂。須田が母親へ接触したところを捜査員が確保
主な罪名身代金目的誘拐、未成年者略取、殺人
初公判1986年7月18日、起訴内容を全面的に認める
一審判決1986年12月22日、東京地裁が死刑
刑の確定1987年1月19日、須田本人が控訴を取り下げて死刑確定
死刑執行1995年5月26日、東京拘置所で執行
現在死刑執行済み。刑事手続きは終結

本間裕士ちゃんは小学校へ入学したばかりだった

本間裕士ちゃんは事件当時6歳で、東京都江東区内の小学校へ通う1年生だった。小学校へ入学してから、まだ約1カ月しかたっていない。家族は書店を営んでおり、裕士ちゃんは兄たちと暮らす三男だった。裕士ちゃんは昆虫が好きで、特にカブトムシなどに関心を持っていたと伝えられている。

須田房雄は、その子どもらしい好奇心を利用した。裕士ちゃんが不用意だったのではなく、大人が意図的に信じ込ませた事件である。身近な町で友人と遊び、家へ帰る途中だった小学1年生が、金銭目的の計画によって命を奪われた。

事件当日、裕士ちゃんは友人宅へ遊びに出かけた

1986年5月9日午後1時ごろ、裕士ちゃんは友人と遊ぶため、自宅を出た。友人宅で過ごした後、午後2時30分ごろ、一人で帰宅するため歩き始める。自宅までの道のりは、裕士ちゃんが普段から行き来する生活圏内だった。遠くへ出かけたわけでも、危険な遊びをしていたわけでもない。

ところが、江東区深川付近の高架道路下を歩いていたところで、面識のない須田から声をかけられる。

須田房雄はカブトムシの幼虫を見せて誘い出す

須田は、裕士ちゃんへカブトムシの幼虫を見せた。そして、幼虫を一緒に土へ埋めに行こうという趣旨の言葉をかけ、近くにある富岡八幡宮へ誘う。裕士ちゃんは昆虫に興味があり、須田が殺害と身代金要求を計画しているとは知りようがなかった。

須田は、力ずくで連れ去れば騒がれる危険があると考え、裕士ちゃんが自分からついて来るような口実を用いた。子どもの関心を調べたうえで特定の被害者を選んだのではなく、路上で見つけた幼い男児を、その場で言葉巧みに誘い出したとされている。

富岡八幡宮の境内へ連れて行く

須田は裕士ちゃんを、江東区富岡にある富岡八幡宮の境内へ連れて行った。富岡八幡宮は地域住民や参拝者が訪れる場所ですが、境内には外から見えにくい場所もあった。須田は、人目につきにくい場所へ裕士ちゃんを移動させ、幼虫を土へ埋めるよう促したとされている。

裕士ちゃんは遊びの続きだと思い、地面へ意識を向けていた。須田はその背後から襲いかかる。

誘拐直後に裕士ちゃんを殺害

須田は境内にあった石を使い、裕士ちゃんの頭部を繰り返し殴った。裕士ちゃんが動けない状態になると、さらに持っていたひもで首を絞めている。その後、裕士ちゃんを深さ約1メートルの排水溝状のくぼみへ落とし、丸太で顔付近を殴るなどして死亡させたと認定された。

身代金誘拐でありながら、須田は裕士ちゃんを人質として生かしておこうとはしなかった。家族へ身代金を要求する前に、裕士ちゃんの命はすでに奪われていた。

遺体を境内の排水溝へ隠す

須田は裕士ちゃんを殺害した後、その場から遺体を遠くへ運び出しなかった。境内にあった使われていない排水溝状の場所へ遺体を入れ、外から容易に見つからないようにする。須田の目的は、裕士ちゃんがまだ生きて拘束されていると家族に思わせ、身代金を受け取ることだった。

被害者を解放する意思がないまま家族へ金銭を要求した点は、後の裁判でも強く非難されている。

裕士ちゃんが帰宅せず、家族が捜し始める

夕方になっても裕士ちゃんが帰宅しなかったため、家族は友人宅や近隣を捜し始めた。友人宅を出たことは確認できましたが、その後の足取りが分からない。小学校へ入学したばかりの6歳児が一人で長時間帰らない状況から、家族は事件に巻き込まれた可能性を考える。

やがて自宅へ、裕士ちゃんを誘拐したとする男から電話が入った。

家族へ身代金2000万円を要求

須田は裕士ちゃんの家族へ電話をかけ、身代金として2000万円を要求した。家族は、裕士ちゃんが生きて犯人のもとにいると信じ、要求への対応を迫られる。須田は、金を準備できなければ裕士ちゃんの命が危険にさらされると思わせながら、電話を重ねた。

しかし、実際には最初の電話がかけられた時点で、裕士ちゃんはすでに殺害されている。家族の子どもを救いたいという思いを利用し、金を差し出させようとする行為だった。

家族は200万円を用意して犯人の指示に従う

急な要求だったため、家族が直ちに2000万円全額を準備することは困難だった。そこで、ひとまず用意できた現金約200万円を持ち、裕士ちゃんの母親が須田の指示した場所へ向かう。警視庁は、裕士ちゃんの安全を最優先にしながら、母親の周辺へ捜査員を配置した。

母親は、犯人を刺激すれば息子が危害を加えられるかもしれないという恐怖の中で、指示どおりに行動している。身代金誘拐では、被害者本人だけでなく、家族も犯人の言葉によって心理的に支配される。

指定場所に現れた須田房雄を捜査員が確保

5月9日午後10時すぎ、須田は指定した公園付近へ現れた。須田は現金を持った母親に声をかけ、移動するよう促する。周囲で警戒していた捜査員は、接触した男が誘拐事件に関与している可能性が高いと判断し、身柄を確保した。

須田は当初、直ちにすべてを認めたわけではない。警察は任意同行を求め、裕士ちゃんの所在を厳しく追及する。捜査員が最も優先したのは犯人の処罰ではなく、裕士ちゃんを生きたまま救出することだった。

取り調べで殺害を自供

5月10日午前2時ごろ、須田は裕士ちゃんをすでに殺害したことを認めた。さらに、遺体を富岡八幡宮の境内に隠したと供述する。裕士ちゃんが生きていると信じていた家族にとって、その説明は希望を断ち切るものだった。

警察は直ちに捜査員を現場へ派遣し、須田の供述した場所を捜索した。

5月10日未明、裕士ちゃんの遺体を発見

5月10日午前3時20分ごろ、富岡八幡宮境内の排水溝付近で裕士ちゃんが発見された。裕士ちゃんはすでに死亡しており、頭部などには激しい攻撃を受けた痕跡が残されていた。家族が身代金要求へ対応していた間も、裕士ちゃんは境内に置き去りにされていたことになる。

警視庁は、須田の供述と遺体の発見を受け、身代金目的誘拐と殺人の疑いで本格的な捜査を進めた。発生から半日ほどで被疑者は確保されましたが、裕士ちゃんの命を救うことはできなかった。

須田房雄は転居費用と店の開業資金を求めていた

須田房雄は事件当時45歳で、埼玉県越谷市に住んでいた。以前は鉄筋工として働いていましたが、事件当時は安定した仕事に就いていなかったとされている。住んでいた建物の事情から転居を迫られ、引っ越し先や資金の確保に困っていた。

須田は母親に対し、仕事をしている、新しい住居も見つかっているなどと事実と異なる説明をしていたと報じられている。やがて飲食店、特に立ち食いそば店を開こうと考え、開業資金を一度に手に入れる方法として身代金誘拐を計画した。

過去の誘拐事件などを参考に犯行を計画

須田は、事件当日に突然、身代金誘拐を思い付いたわけではない。過去に報道された誘拐事件や映画などから、子どもを連れ去り、家族へ金を要求する方法を考えていたとされている。資産があると思われる家庭を複数検討し、その中から書店を営む裕士ちゃんの家庭へ目を向けた。

ただし、裕士ちゃん本人を以前から詳しく調べていたのではなく、路上で一人になったところを見つけ、誘い出したとみられる。裁判所は、金銭を得る目的、誘い出すための道具、殺害方法、身代金要求までを含め、計画性の高い犯行と評価した。

なぜ誘拐後すぐに殺害したのか

通常の身代金誘拐では、被害者を生かしておくことが家族へ金を払わせる手段になる。それにもかかわらず、須田は裕士ちゃんを誘拐直後に殺害した。須田は、裕士ちゃんに自分の顔を見られ、解放すれば身元を特定されると考えたとされている。

そのうえで、家族には裕士ちゃんが生存していると信じさせれば、遺体を隠したまま身代金を受け取れると判断した。被害者の安全を交渉材料にするのではなく、最初から口封じのため命を奪い、その生存を偽って金を得ようとした犯行だった。

身代金目的誘拐・殺人などで起訴

警視庁は、須田の供述、裕士ちゃんの遺体、家族へかけられた電話、身代金受け渡し場所での行動などを調べた。東京地方検察庁は、身代金目的誘拐、未成年者略取、殺人などの罪で須田を東京地裁へ起訴する。犯人性を争う余地はほとんどなく、須田自身も捜査段階で犯行を認めていた。

裁判の中心は、有罪か無罪かではなく、須田に死刑を選択すべきかという量刑判断になる。

1986年7月、初公判で起訴内容を全面的に認める

1986年7月18日、東京地方裁判所で須田房雄の初公判が開かれた。須田は、身代金目的で裕士ちゃんを誘拐し、殺害したとする起訴内容を全面的に認めている。弁護側も事実関係を大きく争わず、須田が犯行を認めて反省していることなどを量刑上考慮するよう求めた。

須田は公判で、裕士ちゃんと家族へ謝罪する趣旨の言葉を述べている。しかし、犯行後に自ら出頭したのではなく、身代金を受け取ろうと母親へ接触したところで確保された事実もあった。

検察側は須田房雄に死刑を求刑

1986年11月13日、検察側は須田に死刑を求刑した。検察側は、6歳の子どもの昆虫への興味を利用して連れ去り、誘拐直後に命を奪った犯行の計画性を指摘する。さらに、裕士ちゃんを石や丸太で繰り返し殴り、首を絞めた殺害方法は極めて残酷だと主張した。

裕士ちゃんがすでに死亡していることを隠し、家族へ2000万円を要求した行為も重視されている。検察側は、動機が飲食店の開業資金などを得るためという身勝手なもので、死刑以外の刑は考えられないと論告した。

弁護側は死刑回避を求める

弁護側は、須田が犯行を認め、事件と向き合おうとしていることを強調した。死刑を執行するのではなく、生涯にわたって裕士ちゃんの冥福を祈らせるべきだとして、死刑より軽い刑を求めている。また、須田に重大な前科が確認されていないことも、有利な事情として主張された。

しかし、反省の言葉や前科の有無だけで、計画的な誘拐殺人の重大性が消えるわけではない。東京地裁は、被害者の年齢、殺害までの早さ、身代金要求、遺族の苦痛などを総合して刑を判断した。

1986年12月22日、東京地裁が死刑判決

1986年12月22日、東京地方裁判所は須田房雄へ求刑どおり死刑を言い渡した。判決は、転居や店の開業に必要な金を得るため、何の落ち度もない6歳児を身代金目的で誘拐した動機を身勝手と評価している。裕士ちゃんの信頼を得るため昆虫を使い、人目の少ない場所へ誘導した点にも高い計画性が認められた。

さらに、誘拐直後に裕士ちゃんを殺害し、その生存を装って家族へ大金を要求した行為は、冷酷で非人間的だと判断される。東京地裁は、須田が反省を述べていることなどを考慮しても、極刑を回避できないと結論付けた。

被害者1人の事件で死刑が選択された理由

裕士ちゃん誘拐殺人事件で殺害された被害者は1人である。死刑を選択する際、被害者数は重要な判断要素ですが、1人であれば死刑にならないという決まりはない。東京地裁は、次のような事情を総合した。

  • 飲食店の開業資金などを得るために誘拐を計画したこと
  • 小学1年生の裕士ちゃんを標的にしたこと
  • 昆虫への興味を利用して警戒心を解いたこと
  • 誘拐後、短時間で殺害したこと
  • 石、ひも、丸太を使って攻撃を重ねたこと
  • 遺体を隠し、生存しているように装ったこと
  • 家族へ身代金2000万円を要求したこと
  • 身代金を受け取るため、母親へ直接接触したこと
  • 遺族と社会へ深刻な影響を与えたこと

被害者の人数だけでなく、計画性、殺害方法、被害者の年齢、犯行後の行動が極めて重く評価された。

永山基準後、被害者1人で死刑が確定した重要事例

最高裁は1983年、永山則夫連続射殺事件の判決で、死刑選択に当たって検討すべき事情を示した。一般に「永山基準」と呼ばれ、犯行の性質、動機、計画性、残虐性、被害結果、遺族感情、社会的影響、被告人の年齢や前科、犯行後の情状などを総合する。裕士ちゃん誘拐殺人事件は、この基準が示された後、被害者1人の殺人事件で死刑が確定した最初の事例とされている。

ただし、本件の死刑判決そのものを最高裁が審査したわけではない。須田本人が控訴を取り下げたため、東京地裁の死刑判決がそのまま確定した。

弁護人が控訴するも須田本人が取り下げる

死刑判決後、須田の弁護人は東京高等裁判所へ控訴した。一審判決の量刑が重すぎないか、控訴審で改めて審理を受けるための手続きだった。しかし、須田本人は控訴を続けることを望まず、1987年1月19日に控訴を取り下げる。

須田は、自分には控訴する資格がないという趣旨の考えを示したと報じられた。控訴取り下げによって東京地裁の死刑判決が確定し、控訴審での事実認定や量刑判断は行われなかった。

最高裁判決を経ずに死刑が確定

日本の刑事裁判は、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所の三審制を基本としている。しかし、被告人が控訴や上告をしない場合、下級審の判決が確定することがある。須田の場合は、弁護人が控訴した後、本人がその手続きを取り下げた。

そのため、東京高裁や最高裁が死刑の妥当性を審査することなく、事件発生から約8カ月で死刑が確定している。死刑事件でも上級審の審理が自動的に行われるわけではないことを示す事例である。

死刑確定後、東京拘置所へ収容

死刑確定後、須田は東京拘置所へ収容された。確定から執行までの期間は、約8年4カ月である。須田が死刑確定後に再審請求を行ったことや、再審開始が決定されたことを示す確かな公表情報は確認されていない。

有罪認定や刑の重さを争う新たな裁判が始まらないまま、死刑判決は維持された。一方、死刑確定から執行までの具体的な日々や、須田が拘置所内でどのように事件と向き合っていたかについて、公表されている情報は限られている。

1995年5月26日、東京拘置所で死刑執行

1995年5月26日、法務省は須田房雄の死刑を東京拘置所で執行した。死刑判決の確定から約8年後、事件発生から約9年後の執行だった。須田の死刑執行によって、事件の刑事手続きは最終的に終結する。

再審によって死刑判決が取り消された事実も、無罪判決が出た事実もない。須田は死刑を執行された人物であり、現在も収容されている死刑囚ではない。

死刑執行で家族の被害が消えるわけではない

須田の死刑が執行されても、本間裕士ちゃんが家族のもとへ戻ることはない。家族は裕士ちゃんが生きていると信じ、短時間で200万円を準備し、犯人の指示へ従った。その後、身代金の電話が始まる前に裕士ちゃんが殺害されていたことを知らされる。

息子を救うための行動が最初から報われる可能性のないものだったという事実は、遺族へ深い苦痛を残した。刑事裁判や刑の執行が終わることと、被害者家族の悲しみが終わることは同じではない。

子どもの好奇心を利用した誘拐

須田が利用したのは、裕士ちゃんが昆虫を好きだという、ごく自然な子どもの好奇心だった。子どもは、興味のある物を見せられたり、大人から親しげに話しかけられたりすると、相手の悪意を正確に見抜けないことがある。その責任を子どもへ負わせることはできない。危険な人物が意図的に信頼させた場合、子どもだけの判断で防ぐには限界がある。

予定を家族に伝えること、帰宅時刻を決めること、知らない大人について行かないことを教えることに加え、地域の大人が子どもの移動を見守る必要がある。事件は、子どもの善意や好奇心を悪用する誘拐の危険を社会へ強く認識させた。

事件を「昆虫について行った子ども」の責任にしてはならない

裕士ちゃんがカブトムシの幼虫に興味を示し、須田について行ったことは事実である。しかし、それを「知らない人について行ったから」と被害者側の失敗として語るのは適切ではない。6歳の子どもと45歳の大人では、情報、判断力、力関係に大きな差がある。

須田はその差を理解したうえで、裕士ちゃんが警戒しない言葉と物を選んだ。責任があるのは、子どもの興味を利用して誘拐と殺害を計画した須田房雄である。

誘拐事件で早期通報と情報共有が重要な理由

子どもが予定時刻を過ぎても帰らず、普段の行動と明らかに異なる場合、早い段階で周辺を確認することが重要である。身代金を要求する電話があった場合は、犯人を刺激しないよう対応しながら、可能な限り早く警察へ通報する必要がある。電話番号、声の特徴、背景音、要求内容、指定場所などは、被害者救出と犯人特定の重要な手掛かりになる。

本件では捜査員が身代金受け渡しの現場を警戒し、須田を確保した。それでも、須田が誘拐直後に裕士ちゃんを殺害していたため、救出には間に合わなかった。

現在の状況|須田房雄は死刑執行済み

事件発生から刑執行までの主な経過は、次のとおりである。

  • 1986年5月9日午後:須田房雄が本間裕士ちゃんを昆虫で誘い、富岡八幡宮へ連れ去る
  • 同日:裕士ちゃんを殺害し、境内の排水溝付近へ遺体を隠す
  • 同日夕方以降:家族へ身代金2000万円を要求
  • 同日午後10時すぎ:200万円を持った母親へ接触した須田を捜査員が確保
  • 5月10日午前2時ごろ:須田が裕士ちゃんの殺害を自供
  • 同日午前3時20分ごろ:富岡八幡宮境内で裕士ちゃんを発見
  • 7月18日:東京地裁の初公判で須田が起訴内容を全面的に認める
  • 12月22日:東京地裁が須田へ死刑判決
  • 1987年1月19日:須田が控訴を取り下げ、死刑確定
  • 1995年5月26日:東京拘置所で死刑執行

現在も、須田房雄の死刑は執行済みである。控訴審や上告審は開かれておらず、東京地裁の死刑判決が本人の控訴取り下げによって確定した。再審によって有罪認定が取り消された事実や、無罪となった事実はない。

法的な結論は、身代金目的誘拐と殺人などで死刑が確定し、1995年に刑が執行されたというものだ。

裕士ちゃん誘拐殺人事件が残したもの

本間裕士ちゃんは、小学校へ入学したばかりの6歳だった。友人宅から自宅へ帰る途中、昆虫を見せてきた大人の言葉を信じ、富岡八幡宮へついて行った。須田房雄は、店を開く資金や転居費用を得るために裕士ちゃんを利用し、家族へ身代金を要求する前に命を奪っている。

裕士ちゃんの家族は、生きて戻ることを願いながら現金を準備し、犯人の指示へ従った。その希望もまた、金を得る手段として利用された。裁判では、被害者が1人であることを踏まえても、計画性、被害者の幼さ、殺害方法、身代金要求の冷酷さから死刑が選択されている。須田が控訴を取り下げたことで、死刑は最高裁の審理を経ずに確定し、約8年後に執行された。

事件の中心にいるのは、死刑制度や犯人の人物像ではなく、家へ帰ることができなかった6歳の本間裕士ちゃんである。子どもの好奇心を狙う誘拐への警戒、家族や地域による見守り、身代金事件における迅速な捜査という課題を、現在にも残している。

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