市川一家4人殺害事件|19歳の関光彦に死刑、2001年確定から2017年執行まで

公開日 2026年2月16日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1992年
都道府県
千葉県
事件分類
大量殺人事件 / 性犯罪
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1992年3月5日から6日にかけ、千葉県市川市のマンションで一家4人が殺害された。犯行に及んだ関光彦は当時19歳。以前に性的暴行を加えていた15歳の少女の自宅へ金品目的で入り、祖母、母、父、4歳の妹を次々に殺害し、少女自身にも再び重大な性被害と傷害を負わせた。

千葉地裁は1994年に死刑、東京高裁も1996年にこれを維持。最高裁は2001年12月3日、「犯行当時18歳から19歳だったことなどを考慮しても死刑はやむを得ない」として上告を棄却した。関は死刑確定から約16年後の2017年12月19日、東京拘置所で刑を執行された。犯行時少年だった死刑確定者の執行は、永山則夫元死刑囚以来20年ぶりとなった。

発生1992年3月5日~6日
場所千葉県市川市
被告人関光彦
犯行時年齢19歳
死亡一家4人
死亡した家族83歳祖母、36歳母、42歳父、4歳妹
生存した被害者15歳長女
一審1994年8月8日・千葉地裁、死刑
控訴審1996年7月2日・東京高裁、控訴棄却
最高裁2001年12月3日・上告棄却
死刑執行2017年12月19日・東京拘置所

事件は一家殺害の前から始まっていた

最高裁判決は、関が一家の長女Bさん(当時15歳)を以前に強姦し、負傷させていたと認定している。2人は恋人同士ではなく、Bさんにとって関は過去に自分へ性暴力を加えた人物だった。

関はこの以前の犯罪を通じ、Bさんや家族の生活につながる情報を知った。後に金を必要とした際、その自宅を侵入先として選んだ。

暴力団関係者から要求された金を工面する目的

最高裁判決によると、関は市川市内の店から女性従業員を無断で連れ出したことをめぐり、暴力団関係者から金銭を要求されていた。

その金を工面するため、以前に襲ったBさん宅へ向かった。当初は窃盗目的だったが、家の中で住人と対面すると強盗へ転じたと認定されている。

窃盗目的で入った後、住人と対面して強盗へ変わった

最高裁判決が認定した出発点は、当初から一家全員を殺害するための侵入ではなく、金品を盗む目的でBさん宅へ入ったというものだった。ところが祖母に気付かれたことで、金品を奪うため暴力を使う強盗へ犯行が変化した。

刑法上、他人の財物をひそかに奪う窃盗と、暴行・脅迫を用いて財物を奪う強盗は異なる。関は住人と対面した後、犯行発覚を防ぎながら金品を得るため殺害を重ねたと認定され、一家殺害の中心部分は強盗殺人として評価された。

最初に83歳の祖母を電気コードで殺害

関が侵入した時、自宅にはBさんの83歳の祖母がいた。最高裁判決は、関が祖母の頸部を電気コードで絞め付けて殺害したと認定している。

ここで侵入窃盗だった犯罪は、人命を奪う強盗殺人へ変わった。その後、家族が順次帰宅したことで被害はさらに拡大した。

帰宅した36歳の母と42歳の父を包丁で刺殺

関は、その後帰宅したBさんの母(36歳)と父(42歳)を順に柳刃包丁で刺して殺害した。

家の中には複数の遺体があり、Bさん自身も拘束される状況となった。関は現金や預金通帳などを奪ったと認定されている。

犯行発覚を恐れ、4歳の妹まで殺害

最高裁判決は、関が犯行の発覚を恐れ、Bさんの4歳の妹も柳刃包丁で刺して殺害したとする。

4歳児が金品取得の妨げになる存在だったわけではない。既に行った犯罪を隠すため、幼い家族まで生命を奪ったことは、死刑量刑で特に重く評価された事情の一つになった。

唯一生存した15歳長女にも再度の性暴力と傷害

関は一家4人を殺害した最中、Bさんにも強盗強姦などの犯罪を行った。Bさんは家族4人を失っただけでなく、自らも重大な犯罪被害を受けた。

被害者が未成年で性犯罪被害者でもあるため、実名や現在の生活を追跡する必要はない。最高裁判決でも被害者は記号で匿名化されている。

一家4人だけではなく、複数の犯罪が同時に審理された

最高裁の事件名には、傷害、強姦、強姦致傷、強盗殺人、殺人、強盗強姦、恐喝、窃盗が並ぶ。

一家4人の殺害だけを切り取った事件ではなく、それ以前の性暴力や傷害、金銭目的の犯罪を含む一連の罪について関の刑事責任が問われた。最高裁も、こうした余罪の犯行態様と結果が悪質である点を量刑事情に挙げた。

最高裁判決が関の年齢を「18歳から19歳」と表現しているのは、一家4人殺害だけでなく、それ以前にBさんへ行った強姦・傷害など複数の犯罪を一括して審理していたためである。

一家4人が殺害された1992年3月時点では関は19歳だった。判決文の「18歳から19歳」を見て、家族殺害時の年齢が18歳だったとするのは正確ではない。

犯行時19歳――少年法上は「少年」だった

1992年当時、20歳未満は少年法上の少年だった。関は19歳だったため、成人と同じ意味で最初から通常刑事裁判へ送られたわけではなく、少年事件としての手続を経て刑事処分へ進んだ。

一方、少年法が死刑を禁止していたのは犯行時18歳未満の者である。19歳だった関は、少年法の保護理念を考慮される一方、法律上は死刑を科すことが可能な年齢だった。

「少年だから死刑にできない」事件ではなかった

少年法上の少年に対しても、犯行時18歳以上であれば死刑を選択すること自体は禁止されていなかった。したがって裁判所が検討したのは形式的な年齢要件ではなく、19歳という若さをどの程度有利な量刑事情として評価するかだった。

更生可能性が高いとみれば無期懲役を選ぶ余地はある一方、死亡者数、殺害の経緯、生存被害者への性犯罪、犯行後の行動などが極めて重大であれば死刑も選択できる。関の裁判は、この比較衡量が正面から行われた少年事件だった。

裁判で重要だったのは、死刑が法律上可能かどうかだけではない。19歳という若さ、生育環境、更生可能性を、4人死亡という結果や犯行態様より重く評価して死刑を回避すべきかが争われた。

弁護側は、幼少期の家庭環境や精神面、年齢を死刑回避の事情として主張した。最高裁はそれらを考慮した上でも、罪責の重大さが勝ると判断した。

1994年、千葉地裁が死刑

千葉地裁は1994年8月8日、検察の求刑どおり死刑を言い渡した。

一審は、4人の生命を奪ったこと、Bさんへの重大な被害、金銭目的と犯行発覚防止という動機、殺害方法などを総合し、19歳という年齢を考慮しても死刑を回避できないとした。

1996年、東京高裁も死刑を維持

関は一審判決を不服として控訴したが、東京高裁は1996年7月2日に控訴を棄却した。

控訴審でも、犯行時の年齢や成育歴は量刑事情として検討された。しかし、一家4人殺害と生存被害者への犯罪の重大性を覆すまでの事情とは評価されなかった。

最高裁は「4人の生命を奪った結果は極めて重大」と判断

2001年12月3日、最高裁第二小法廷は上告を棄却した。判決は、暴力団関係者から要求された金銭を工面するための犯行で動機に酌量の余地がないと指摘した。

さらに、犯行態様を冷酷、執拗かつ残虐と評価し、家族を一度に失い自身も重大な犯罪被害を受けたBさんの被害感情、社会的影響、他の犯罪歴も考慮した。

死刑判断は「4人死亡」だけで決まったわけではない

最高裁は死亡者が4人であることを極めて重く見たが、人数だけで機械的に死刑としたわけではない。金銭目的、住人が帰宅するたびに殺害対象を増やした経過、4歳児まで口封じのため殺害したこと、生存したBさんへの重大な被害を総合した。

一方で、犯行時年齢や成育歴など死刑を回避する方向の事情も検討した。それらを含めても一、二審の死刑判断は不当ではないという結論であり、最高裁自身が年齢を量刑判断の外へ置いたわけではない。

18歳から19歳という年齢を考慮しても死刑を是認

最高裁は、関が一連の犯行当時18歳から19歳だったことを明記した。その若さを無視して死刑を選んだのではない。

判決は「犯行当時、被告人が18歳から19歳であったことなどの事情を考慮しても」、一、二審の死刑はやむを得ないと結論付けた。少年被告人に対する死刑判断として、年齢を具体的に比較衡量した。

2001年12月、死刑が確定

最高裁の上告棄却によって、関に対する死刑判決は確定した。犯行から約9年9か月後だった。

犯行時少年の死刑確定は、連続ピストル射殺事件の永山則夫元死刑囚以来と報じられ、その後の少年事件で死刑を選択する際にも参照される事例の一つになった。

死刑確定後、再審請求を繰り返した

死刑確定後、関は再審を請求した。2017年の死刑執行時には再審請求中であったことが、参議院の質問主意書や人権団体の声明で確認できる。

再審請求をしていること自体に刑の執行を自動停止する効力はない。法務省は当時、再審請求中だから執行しないという考え方は取っていないと説明した。

参議院の質問主意書などでは、関が執行時に第3次再審請求中だったことが問題として取り上げられた。再審請求は確定判決を争う特別な手続だが、請求が出された時点で死刑判決の効力そのものが失われる制度ではない。

法務大臣は2017年12月19日の会見で、個別事件について再審請求の有無や内容へ踏み込む回答を控えつつ、確定判決を慎重に検討した上で執行を命令したと説明した。

2017年12月19日、東京拘置所で死刑執行

法務省は2017年12月19日、関光彦と別事件の松井喜代司の2人について死刑を執行したと発表した。関は44歳だった。

上川陽子法務大臣は記者会見で、関が犯行時少年だったことを認めた上で、個別の執行判断については回答を控えた。確定した裁判の執行として慎重に検討したとの説明を行った。

犯行時少年の死刑執行は20年ぶり

犯行時20歳未満だった死刑確定者への執行は、1997年の永山則夫元死刑囚以来20年ぶりだった。

事件の刑事裁判は2001年に確定し、2017年の執行によって刑の執行も終了した。2026年現在、確定死刑判決が再審で取り消された事実はない。

一家の中で唯一生存したBさんは、事件当時15歳の性犯罪被害者でもある。最高裁判決は実名ではなく記号で扱っており、その後の生活や現在の氏名を追うことは事件の司法経過を理解するために必要ではない。

関の実名と死刑判決は公的な裁判資料に残る一方、生存被害者については匿名性を維持したまま、受けた被害の重大さを量刑判断の範囲で記録することができる。

この事件で分けて考えるべき「少年」と「死刑年齢」

関は少年法上の少年だったが、犯行時19歳だったため死刑禁止年齢には該当しなかった。この二つを混同すると、「少年なのに違法に死刑が科された」という誤った理解になる。

実際の争点は、法律上可能な死刑を、19歳という年齢や更生可能性を踏まえても選ぶべきかだった。最高裁はそれらを明示的に考慮し、それでも死刑を維持した。

参考資料・出典

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