岐阜一家3人殺人事件|交際女性の家族を監禁し3人を殺害

公開日 2026年8月13日
最終更新 2026年8月14日

1994年6月3日未明、岐阜県加茂郡の住宅で、61歳の男性、59歳の妻、31歳の娘が相次いで殺害された。3人は家の中で拘束され、交際女性を捜して訪れた浜田美輝に刃物で襲われた。浜田は女性との別れ話を受け入れられず、家族が女性をかくまっていると思い込んで実家へ向かったと認定された。

岐阜一家3人殺人事件で浜田は殺人、住居侵入、逮捕監禁、強姦未遂などに問われた。両親への殺意は認めた一方、妹については偶然刺したとして殺意を否認したが、傷の状態や追跡の経過から退けられた。1998年5月に岐阜地方裁判所が死刑を言い渡し、浜田本人が控訴を取り下げて確定した。死刑は2002年9月18日に名古屋拘置所で執行された

事件名岐阜一家3人殺人事件
発生日1994年6月3日
発生場所岐阜県加茂郡
被害交際女性の父(61歳)、母(59歳)、妹(31歳)が死亡
被告人浜田美輝(事件当時43歳)
現在の状況1998年6月3日に死刑確定、2002年9月18日に執行

交際女性との別れ話が甲府駅で決定的になる

浜田は1993年8月ごろから岐阜県加茂郡に住む35歳の女性と交際していた。2人は1994年6月に旅行へ出たが、6月2日午後、甲府駅付近で別れ話をめぐる口論となった。女性は浜田の暴力を恐れ、その場から逃れて別行動を取った。

浜田は女性が自分を裏切り、父親ら家族が連絡を取り合ってかくまっていると考えた。女性本人の意思で関係を断とうとしている可能性を受け入れず、家族が妨害しているとの方向へ考えを強めた。裁判では、こうした受け止め方は浜田の一方的なもので、被害者側に殺害を招くような事情はなかったと整理された。

浜田は甲府から塩尻方面へ移動し、レンタカーを借りた。女性の実家へ向かうまでに相当の距離と時間があり、途中で行動をやめる機会はあった。それでも深夜に岐阜県へ入り、家族へ女性の居場所を問いただす準備を進めた。別れ話の直後に偶然実家へ立ち寄ったのではなく、目的地を定めて移動したことが犯行の経緯として重視された。

浜田は女性が自分との関係を終える意思を示した後も、その意思を独立した判断として受け止めず、家族の働きかけによるものだと考えた。交際相手の選択を尊重せず、家族を責任ある相手とみなしたことが、女性の実家へ向かう行動につながった。

深夜に実家へ侵入し両親と妹を拘束

6月3日午前2時ごろ、浜田は女性の実家へ侵入した。家には元町議で農業を営む61歳の父、59歳の母、31歳の妹がいた。浜田は3人へ女性の所在を問いただし、ロープなどを使って動けないように拘束した。被害者らは突然の侵入を受け、深夜の自宅内で逃走や通報が難しい状況に置かれた。

浜田の目的は、女性を連れ戻すか、家族から居場所を聞き出すことにあったとみられる。しかし、家族が女性の所在を明らかにしないことや、自分を拒む態度を取ったことに怒りを向けた。交際関係の問題を当事者間で解決せず、女性の家族を拘束して従わせようとした時点で、行為は逮捕監禁に当たる状態となった。

父母と妹は、女性本人の交際相手であった浜田と接点はあったものの、浜田の要求に応じる義務はなかった。家族が女性の安全を優先して距離を取らせたとしても、それは攻撃の理由にはならない。裁判所は、浜田が自分の思いどおりにならない状況に対し、他人を支配し暴力で解決しようとした点を動機の身勝手さとして評価した。

拘束は家族から情報を得るための一時的なものではなく、刃物による攻撃へ移る前段階となった。3人が別々に逃げることを防ぎ、浜田が一方的に質問と要求を続けられる状況を作ったため、逮捕監禁の罪も殺人と併せて認定された。

両親を刃物で殺害し妹を追跡

浜田は拘束した父と母を出刃包丁で襲い、胸や背中などを刺して殺害した。2人は縛られた状態で十分に抵抗できず、浜田が攻撃をやめるまで逃げられなかった。両親への殺意について、浜田は公判でも大筋で認めた。

その後、浜田は妹に性的暴行を加えようとした。妹は拘束から逃れ、家の外へ助けを求めようとしたが、浜田は追いかけた。妹は大声を上げながら逃げ、浜田は発覚を恐れて刃物で襲い、死亡させたと認定された。

妹の殺害について、浜田は助けるつもりで追った際にぶつかり、偶然刃物が刺さったという趣旨の供述をした。しかし、妹が逃走して助けを求めていたこと、浜田が刃物を持って追跡したこと、傷の部位と状態は偶然の接触では説明しにくかった。第一審は、通報を防ぎ、先の犯行を隠すための殺意があったと判断した。

父母を襲った後の性的暴行未遂は、交際女性を探すという当初の説明から離れた行為だった。妹を独立した人格として扱わず、抵抗できない状況を利用したことが認定され、逃走後の追跡と殺害を含めて犯行態様の悪質性が評価された。

現場の指紋から指名手配、親族に伴われ出頭

浜田は3人を殺害した後、レンタカーなどを使って現場から逃走した。警察は住宅内を調べ、浜田の指紋を確認した。交際女性との関係や直前の旅行、家族との対立も判明し、浜田が重要な捜査対象となった。

6月5日、警察は浜田を殺人容疑で指名手配した。逃走先として関係のある地域を調べる一方、高松市の親族にも捜査への協力を求めた。同日夕方、浜田は親族2人に付き添われて高松南警察署へ出頭し、その場で逮捕された。

逮捕までの期間は長くなかったが、浜田は県境を越えて移動しており、親族の協力がなければ捜索が続く可能性があった。現場に残された指紋と交際関係から対象者が早期に特定され、親族を介して身柄確保へつながった。出頭したことは量刑上考慮され得る事情だったが、3人の死亡という結果を大きく軽減するものとはされなかった。

現場に残された指紋だけでなく、甲府駅でのトラブル、レンタカーの利用、岐阜県までの移動、親族宅方面への逃走が時系列で確認された。浜田が事件前後の出来事を理解し、場所と手段を選びながら行動していたことは、責任能力を判断するうえでも重視された。

妹への殺意と刑事責任能力が裁判の争点

公判では、父母を殺害した事実よりも、妹への殺意と浜田の精神状態が主要な争点となった。弁護側は、妹に対する行為は意図的な殺人ではなく傷害致死にとどまると主張した。また、浜田には性格上の障害があり、行動を抑える能力が低下していたとして、死刑を回避するよう求めた。

精神鑑定では人格上の偏りは認められたものの、善悪を判断し、それに従って行動する能力は失われていなかったとされた。甲府から塩尻へ移動して車を借り、深夜に実家へ向かい、3人を拘束し、逃走した一連の行動には目的と選択があった。裁判所は完全責任能力を認めた。

妹についても、逃げる被害者を刃物を持って追い、助けを求める声を止めるために攻撃した状況から殺意が認定された。偶然の刺傷という説明は、傷の形や犯行時の位置関係と合わないと判断された。これにより3人全員について殺人罪が成立した。

精神鑑定で性格傾向が指摘されても、それ自体が刑事責任を免れさせるものではない。裁判所は、感情が激しくなりやすい性質と、善悪の判断能力が失われている状態を区別した。浜田には行動を選択する能力があり、犯行後には逮捕を避けて移動していたとされた。

過去の妻殺害と再犯性を重く見た死刑判決

浜田は1980年、妻を殺害した事件で有罪判決を受けた前科があった。今回の事件と被害者、状況は異なるが、親密な関係が自分の期待どおりにならないときに生命を奪う行為を再び起こした点は、量刑で重く扱われた。弁護側は人格上の問題には改善可能性があると主張したが、裁判所は年齢と過去の経過から矯正は困難と判断した。

1998年5月15日、岐阜地方裁判所は浜田に死刑を言い渡した。判決は、交際女性との別れを受け入れず、無関係の家族3人を拘束して殺害した動機に酌量の余地はないとした。妹への性的暴行未遂を含む犯行態様、被害者数、遺族への影響、殺人前科を総合し、死刑以外の刑を選ぶことはできないと結論付けた。

浜田は判決後にいったん控訴したが、1998年6月3日、自ら控訴を取り下げた。弁護人が上級審で事実認定や量刑を争う機会は失われ、第一審の死刑判決が確定した。本人の取下げにより一審だけで死刑が確定した点は、この事件の裁判経過の特徴となっている。

控訴取下げは、判決内容が上級審で再検討される前に確定させる手続である。弁護人が死刑回避を望んでいても、本人の取下げが有効であれば第一審判決は確定する。浜田の取下げについては後に判決が覆される手続は取られず、名古屋拘置所へ収容された。

死刑判決は、3人が浜田と直接の交際関係にないにもかかわらず、女性の所在を答えないという理由で標的にされた点を重視した。父母と妹は別れ話の当事者ではなく、浜田の感情を受け止める責任もなかった。

2002年に名古屋拘置所で死刑執行

死刑確定後、浜田は名古屋拘置所に収容された。2002年9月18日、死刑が執行され、51歳で死亡した。確定から執行まで約4年3か月だった。同日には別の死刑確定者への執行も行われた。

事件では、交際女性が別れようとして逃れた後、浜田が女性本人ではなく家族へ向かい、所在を聞き出すために拘束した。両親を殺害し、妹へ性的暴行を試みた後、逃げた妹も殺害した経過から、女性と家族を自分の意思に従わせようとする支配的な行動が一貫していた。

現場の指紋、交際関係、移動経路から浜田は早期に特定され、親族に伴われて出頭した。公判では一部の殺意を争ったが、客観的な傷の状況と追跡行為により退けられた。本人の控訴取下げで死刑が確定し、執行によって刑事手続は終結した。

執行時点で、死刑判決を変更する再審開始決定は出ていなかった。

刑事手続は死刑執行によって終結した。

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