木曽川・長良川連続リンチ殺人事件|11日間で4人死亡、一審無期の2人も死刑確定

公開日 2026年2月19日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1994年
都道府県
大阪府 / 岐阜県 / 愛知県
事件分類
大量殺人事件 / 少年犯罪
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1994年9月28日から10月8日にかけ、大阪、愛知、岐阜を移動していた少年らの集団によって、19歳から26歳までの男性4人が死亡した。大阪で1人、木曽川周辺で1人、長良川周辺で2人。最高裁は、わずか11日間に3度、新たに殺意を形成して殺人・強盗殺人を重ねた事件と認定した。

中心となった小林正人、小森淳、芳我匡由は犯行当時18~19歳だった。一審の名古屋地裁は小林に死刑、小森と芳我に無期懲役を言い渡したが、名古屋高裁は3人の役割を改めて評価し、全員を死刑とした。2011年3月10日、最高裁第一小法廷が3人の上告を棄却し、死刑判決が確定した。

事件名木曽川・長良川連続リンチ殺人事件
発生期間1994年9月28日~10月8日
主な場所大阪市、愛知県内、木曽川・長良川周辺、高知県山中
被害男性4人死亡、男性1人負傷
被告人小林正人、小森淳、芳我匡由
犯行時年齢小林・小森19歳、芳我18歳
一審2001年7月9日・名古屋地裁、小林死刑、小森・芳我無期懲役
控訴審2005年10月14日・名古屋高裁、3人とも死刑
上告審2011年3月10日・最高裁第一小法廷、上告棄却

大阪で林正英さんを拘束、殺害後に高知へ

最初の被害者は林正英さん(当時26歳)だった。最高裁判決によると、小林と芳我らは大阪市内の繁華街で偶然出会った林さんを、人夫として送り込む目的でビルの一室へ連れ込み、両手足を縛るなどして自由を奪った。

集団は林さんに長時間の暴行を加えた。ところが、人夫の受け入れ先を確保できず、林さんをどうするかに窮する。そこで犯行発覚を防ぐため殺害することを順次共謀し、首を絞めて死亡させた。遺体は車で高知県内の山中へ運ばれ、遺棄された。

愛知へ移った後、岡田五輪和さんに集団暴行

集団はその後、愛知県内へ移った。10月6日から7日にかけて、シンナー仲間だった岡田五輪和さん(当時22歳)の言動に腹を立て、共犯者らと激しい暴行を加えた。岡田さんは自力で起き上がることも難しい重傷を負った。

最高裁判決は、犯行発覚を防ぐため岡田さんを殺害しようとし、木曽川堤防上から蹴り落としたうえ、河川敷の雑木林まで移動させて放置したと認定している。岡田さんは硬膜下血腫、内臓損傷または全身打撲に伴う外傷性ショックのいずれかにより死亡した。

木曽川事件では一審と控訴審の認定が変わった

木曽川での岡田さん死亡は、後の量刑だけでなく事実認定でも重要な争点となった。一審では、殺人の実行行為と死亡との因果関係について検討され、少なくとも一部について検察側の主張どおりの殺人罪を認定しなかった。

控訴審はこの点を改め、岡田さんが瀕死の状態にあることを認識しながら、犯跡隠蔽のために河川敷へ移動させて放置した一連の行為を殺人として認定した。最高裁も控訴審の認定を前提に、木曽川事件を傷害・殺人の事案として量刑判断に組み込んだ。

ボウリング場で出会った男性3人を車内に監禁

10月7日夜、集団は愛知県内のボウリング場で男性3人と顔を合わせた。最高裁判決では、3人から金品を奪うことを共謀し、車内に監禁して現金などを強取したとされている。

監禁された3人のうち、渡辺勝利さん(当時20歳)と江崎正史さん(当時19歳)には激しい暴行が続いた。残る1人も負傷したが、最終的には殺害されずに解放された。小森については、この1人を最終的に解放したことが、最高裁の量刑判断で有利な事情の一つとして挙げられている。

長良川河川敷で渡辺さんと江崎さんを殺害

渡辺さんと江崎さんについて、集団は暴行後の処置に窮し、発覚を防ぐため殺害を決めた。岐阜県側の長良川河川敷などで、アルミ製の角パイプを使って頭部や胸部などを多数回殴り、2人を死亡させた。

この長良川事件は、監禁と金品の強奪に続く強盗殺人として認定された。最初の大阪事件からここまで11日。被害者との間に共通した長期的な対立があったわけではなく、場所と対象を変えながら暴行、監禁、金品奪取、殺害が続いた。

4人の被害者と、止まらなかった11日間

死亡したのは林正英さん、岡田五輪和さん、渡辺勝利さん、江崎正史さんの4人。最高裁は、19歳から26歳までの若者4人の生命が失われた結果を重く受け止めた。

三つの主要事件では、最初から同じ殺害計画が一本の線で実行されたのではない。大阪事件、木曽川事件、長良川事件のたびに状況が生じ、その都度、暴行から殺害へ進んでいる。最高裁はその連続性を、短期間に繰り返し殺意を形成した事情として評価した。

被害者3人を監禁した長良川事件で1人は生還

長良川事件では、最初から2人だけが連れ去られたのではない。最高裁判決では、集団が男性3人を車内に監禁し、現金などを奪ったと認定されている。そのうち2人が殺害され、残る1人は負傷したものの生還した。

この1人の扱いも、小森の個別事情として最高裁判決に現れる。小森が最終的に被害者を解放したことは有利に考慮されたが、それ以前から他の事件を含めて殺害や暴行に主導的に関与した責任を覆すものとはならなかった。

一審は小林死刑、小森・芳我は無期懲役

2001年7月9日、名古屋地裁は3人に判決を言い渡した。小林については、各犯行を積極的に進めた中心的な役割を重く見て死刑とした一方、小森と芳我については小林との役割差や犯行時の年齢などを考慮し、無期懲役とした。

この判決に対しては被告側だけでなく検察側も控訴した。争点の一つは、4人が死亡した一連の共同犯行で、3人の役割に死刑と無期懲役を分けるほどの差があったのかという点だった。

名古屋高裁は3人全員に死刑

2005年10月14日、名古屋高裁は一審の量刑を見直し、小森と芳我についても死刑を言い渡した。高裁は、個々の序列や行動に違いがあっても、一連の殺害への関与を全体として評価すれば、刑種を分けるほどの責任差はないと判断した。

小林は自ら暴行を重ね、犯行を強く推進した。小森は集団内の立場から小林とともに主導的に関わり、芳我も暴行や殺害行為へ積極的・主体的に加わったと評価された。3人は上告し、最高裁の判断を求めた。

最高裁が3人それぞれの役割を検討

最高裁は3人を一括して扱うだけでなく、それぞれの行動を分けて検討した。小林は最も中心的で重要な役割、小森は小林とともに主導的な立場、芳我は序列が低かったものの追随的・従属的とはいえない積極的な関与と評価された。

他方で、3人が犯行時には少年だったこと、遺族へ謝罪の手紙を送っていたことなども考慮した。小林については大阪事件で自首したこと、小森については監禁被害者1人を最終的に解放したこと、芳我については集団内の序列が低かったことも挙げられた。

少年だった事情を考慮しても死刑を維持

2011年3月10日、最高裁第一小法廷は3人の上告を棄却した。判決は、11日間に殺人・強盗殺人を繰り返し、4人が死亡した結果や、各事件での暴行と殺害への関与を重視した。

少年だったことを含む有利な事情を最大限考慮しても、控訴審の死刑を維持せざるを得ないという結論だった。これにより、一審では無期懲役だった小森と芳我を含め、3人全員の死刑が確定した。

3件の主要犯行以外にも暴行・恐喝が続いた

最高裁判決が扱ったのは4人の死亡事件だけではない。大阪事件の前には小林と共犯者による強盗致傷があり、大阪事件から木曽川事件までの間にも、小林らによる恐喝、共同暴行、凶器を示した脅迫などが認定されている。

主要な3事件の間にも暴力や金品をめぐる犯罪が途切れていなかった。最高裁は、短期間の殺人・強盗殺人を中心にしつつ、こうした周辺犯罪も含めて3人が置かれていた状況と犯罪傾向を評価した。

「中心人物」だけに責任を集中させなかった控訴審

一審は3人の中で小林の責任を最も重く見て死刑とし、小森と芳我には無期懲役を選んだ。控訴審で焦点となったのは、共同犯行の中に上下関係や役割差があっても、殺害への参加の程度まで大きく違っていたのかという点だった。

名古屋高裁は、小森が集団内で影響力を持ち、小林とともに犯行を進めていたこと、芳我も自発的に暴行へ加わり、殺害行為へ進んで着手した場面があることを重視した。結果として、2人の責任を無期懲役にとどめるほどの差はないと判断した。

場当たり的な犯行でも、量刑は軽くならなかった

最高裁は、一連の犯行に全体を貫く綿密な殺人計画があったとはしていない。むしろ全体的には場当たり的な面があることを、3人に有利な事情の一つとして挙げている。

しかし、場当たり的であることは責任を小さくする決定打にはならなかった。各事件で被害者への暴行が深刻化した後、発覚を避けるため新たに殺意を形成し、殺害を選び直している。最高裁は、11日間にその判断を3度繰り返した点を重く見た。

犯行時18~19歳だったことも最高裁が明示的に考慮

3人は事件当時18歳または19歳で、少年法上の少年だった。最高裁はこの年齢を無視して死刑を選んだのではなく、謝罪の手紙や各人に有利な個別事情と並べて、犯行時少年だったことを最大限考慮したと判示している。

それでも、4人死亡という結果、殺害方法、犯行の連続性、3人それぞれの積極的な関与を総合すると、控訴審の死刑は維持せざるを得ないとした。少年事件であることと、共同犯行における個別責任の評価が正面から量刑理由に組み込まれた判決となった。

2026年時点でも死刑確定者として掲載

死刑確定者の公開データでは、2026年8月時点でも本事件の3人は執行・死亡の記載がない死刑確定者として掲載されている。小森はその後に姓が変わり、現在の一覧では別姓と旧姓名を併記する資料もある。

確定後には再審請求の動きも記録されている。刑の確定と、その後の再審手続、執行の有無はそれぞれ別の経過であり、3人については2011年の死刑確定後も収容が続いている。

参考資料・出典

関連事件

同じテーマの書籍を探す

この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。