下関通り魔事件|車と包丁で15人を無差別殺傷、完全責任能力を認めた死刑判決

公開日 2026年3月10日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1999年
都道府県
山口県
事件分類
大量殺人事件
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1999年9月29日午後4時25分ごろ、JR下関駅東口の歩道へ1台のレンタカーが乗り上げた。車は通行人をはねながら駅のガラス扉を破ってコンコースへ進入し、その後、運転していた上部康明は包丁を手に改札とホームへ向かった。

車で7人、包丁で8人。計15人が突然の襲撃を受け、最終的に5人が死亡、10人が負傷した。被害者はいずれも上部と面識がなく、通勤、通学、通院、旅行など、それぞれの日常の途中で事件に巻き込まれた。

裁判最大の争点は責任能力だった。上部には長年の対人恐怖や精神科通院歴があり、鑑定意見も分かれた。それでも一審から最高裁まで、犯行前の下見、凶器購入、車種選択、決行時刻の調整、犯行中の行動などを重視し、心神喪失・心神耗弱を否定した。

事件名下関通り魔事件、下関駅通り魔事件
発生日1999年9月29日
場所山口県下関市・JR下関駅東口、コンコース、ホーム
被告人上部康明(当時35歳)
被害5人死亡、10人負傷
車による被害7人(2人死亡、5人負傷)
包丁による被害8人(3人死亡、5人負傷)
起訴罪名殺人、殺人未遂、銃刀法違反
一審2002年9月20日 山口地裁下関支部・死刑
控訴審2005年6月28日 広島高裁・控訴棄却
上告審2008年7月11日 最高裁第二小法廷・上告棄却
死刑執行2012年3月29日 広島拘置所

駅前の歩道からガラス扉を破り、コンコースへ突入

上部はレンタカーを運転し、駅東口付近の歩道上にいた人々へ向けて進行した。最初に複数の通行人をはねた後、そのまま駅の玄関部分へ向かい、ガラス扉を破ってコンコース内へ車を進めた。

車は駅構内を約60メートル進み、外と構内を合わせて7人を襲った。このうち2人が死亡し、5人が負傷した。一人は車の下に巻き込まれ、長距離を引きずられた後、治療中に死亡している。

車が止まると包丁を持ち、改札からホームへ向かった

車が動けなくなっても犯行は終わらなかった。上部はあらかじめ準備していた刃渡り約18センチの包丁を持って車外へ出ると、改札を通り、ホームへ続く階段へ進んだ。

階段やホームでは、近くにいた利用者へ次々と刃物を向けた。8人が刺されるなどし、3人が死亡、5人が負傷した。車と刃物を組み合わせるという方法は、その場で思いついたものではなく、犯行前から構想されていた。

被害者15人に、上部との接点はなかった

確定判決で重く見られたのは、被害者が完全に無関係だった点である。駅前を歩いていた人、診察を終えて帰宅途中だった人、家族と移動していた人、列車を待っていた人が標的になった。

車で襲われた人の中には16歳の少年もいた。包丁で襲われた人の中には高齢者や家族連れも含まれていた。犯行対象を選ぶ基準はなく、その場にいたというだけで生命や身体を危険にさらされた。

一級建築士として独立後、事業と結婚生活が行き詰まった

上部は大学卒業後、一級建築士の資格を取得し、設計事務所を開いた。一定期間は仕事を得ていたが、取引先との関係悪化などから受注が減り、事業は事実上立ち行かなくなった。

結婚生活も悪化し、妻とは別居状態になった。その後、上部は軽貨物運送業を始めた。人との接触が比較的少ない仕事を続けながら、生活を立て直そうとしていた時期だった。

台風で仕事用の軽トラックを失い、計画が一気に具体化した

1999年9月24日、台風による高潮で仕事用の軽トラックが冠水し、使用できなくなった。車両にはローンが残っており、上部は両親へ資金援助などを求めたが、思うような支援を得られなかった。

一審判決は、上部が自分の不遇を両親や社会の責任と捉え、自殺するだけでは足りないとして、無関係の人々を多数道連れにし、社会へ大きな衝撃を与えようと考えるに至ったと認定した。

当初の決行日は10月3日、前日に駅を下見した

犯行は数時間の衝動ではない。当初は人出が多い日曜日の10月3日を決行日にしようと考え、上部は9月28日に包丁を購入したうえでJR下関駅周辺を下見した。

車で駅へ進入できる経路、ガラス扉の幅、車が止まった後に改札からホームへ向かう動線などを確認した。自動車で多数を襲い、車が使えなくなれば包丁で殺傷を続けるという二段階の犯行計画だった。

決行を4日前倒しし、犯行向けのレンタカーを選んだ

9月29日、仕事を続ける過程で父親への不満をさらに強めた上部は、予定していた10月3日を待たず、その日のうちに犯行へ移ることを決めた。

駅の入口を通れる大きさなどを考えてレンタカーを借り、人通りが増える夕方まで待った。こうした一連の準備は、後の責任能力判断で重要な意味を持つことになる。

犯行直前に睡眠薬を大量に服用していた

上部は犯行直前、自分も死亡する意図で睡眠薬を大量に服用したと供述した。鑑定では、薬の影響で意識がどこまで低下していたかも検討された。

しかし、車を発進させてから逮捕されるまでの経過を詳細に記憶しており、行動も計画に沿っていた。裁判所は、深い意識障害や錯乱状態にあったことを示す状況は認められないとした。

犯行計画は「大量殺傷」と「自殺」を組み合わせていた

一審判決は、上部が多数を殺害した後に自分も死亡する構想を持っていたと認定した。社会へ強い衝撃を与え、両親にも自分の存在を意識させるため、単独の自殺ではなく、多数の無関係な人を巻き込む方法を選んだ。

そのため、犯行場所には人が集まる駅を選び、車で襲える人数を増やした後、車が止まれば刃物へ切り替える手順まで考えた。自殺願望が存在したことと、他人を殺害する計画性が乏しかったことは同義ではなく、裁判所はむしろ両者が一体化した計画だったと評価した。

5人の死亡時期は同じではなかった

死亡者5人のうち、全員が現場で直ちに亡くなったわけではない。車にはねられた被害者の一人は、車体の下に巻き込まれて約30メートル引きずられ、その後の治療中に死亡した。刃物で襲われた被害者にも、搬送後に死亡した人がいる。

このため事件当初の被害状況は、その後の死亡によって変化した。最終的な確定判決が量刑の前提とした結果は、車による2人死亡・5人負傷、包丁による3人死亡・5人負傷、合計5人死亡・10人負傷である。

精神鑑定は一つの結論に一致しなかった

上部は大学時代から対人恐怖や視線恐怖を訴え、複数の医療機関で診療を受けていた。刑事裁判では、その精神状態が犯行時の判断能力と行動制御能力を失わせていたかが争われた。

鑑定の一つは妄想性障害などを重く見て、責任能力が著しく低下していたとの方向を示した。別の鑑定は、人格上の偏りや抑うつ状態は認めながらも、刑事責任能力を大きく損なうほどではないと評価した。

裁判所は「妄想に支配された犯行」という見方を採用しなかった

山口地裁下関支部は、上部に対人恐怖や人格上の強い偏りがあったこと自体は認めた一方、統合失調症や犯行を直接支配する妄想性障害により行動していたとは認めなかった。

動機についても、本人の置かれた生活状況から全く理解不能なものではなく、自分の失敗や不運を周囲へ責任転嫁し、両親や社会への怒りを無関係な人へ向けたものと判断した。

下見、凶器購入、車種選択、時間調整が完全責任能力を支えた

責任能力判断では、診断名だけでなく犯行前後の行動が重視された。上部は駅を下見し、包丁を買い、車両の大きさを考えてレンタカーを選び、人通りと交通状況を考えて実行時刻を決めている。

犯行も計画に沿って進み、自動車が使えなくなると包丁へ切り替えた。自己の行為が違法であることも認識していたとして、心神喪失だけでなく心神耗弱も否定された。

一審は、精神的不調そのものを否定したわけではない

裁判所は、上部が長年にわたり対人恐怖や視線恐怖に苦しみ、医療機関へ通院していた事実を認定した。人格面の偏りや抑うつ、不安定さも検討の対象になっている。

それでも刑法上の責任能力は別に判断された。精神科診療歴があることだけでは心神耗弱にはならず、その障害が善悪を判断する能力や、それに従って行動する能力を著しく低下させていたかが問われる。本件ではその程度までの低下は認められなかった。

2002年、一審は求刑どおり死刑

2002年9月20日、山口地裁下関支部は上部に死刑を言い渡した。5人死亡・10人負傷という結果、無差別性、計画性、被害者に何の落ち度もないこと、動機に酌量すべき事情がないことを重く見た。

一方で、精神科への通院歴や人格面の問題など被告人側に有利となり得る事情も検討された。それでも罪責は極めて重大で、死刑を回避できないという判断だった。

広島高裁と最高裁も責任能力・死刑判断を維持

上部側は控訴し、責任能力や量刑を争ったが、2005年6月28日、広島高裁は控訴を棄却した。さらに上告したものの、2008年7月11日、最高裁第二小法廷が上告を棄却した。

最高裁も、犯行時に心神喪失・心神耗弱ではなかったとした高裁判断を相当とした。将来への失望を社会の責任とし、無関係な多数を道連れにしようとした動機、5人死亡・10人負傷という結果から、死刑を維持した。

2012年3月29日、広島拘置所で死刑執行

死刑確定から約3年8カ月後の2012年3月29日、上部の死刑が広島拘置所で執行された。同日には東京拘置所と福岡拘置所でも別の死刑確定者への執行が行われている。

下関通り魔事件では、精神的不調や社会生活上の挫折が裁判で詳細に検討された。しかし最終的な司法判断は、それらを無差別殺傷の責任を失わせる事情とはせず、周到な準備と現実に即した行動を根拠に完全責任能力を認めるものだった。

参考資料・出典

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