下関通り魔事件は、1999年9月29日、山口県下関市のJR下関駅で、上部康明が駅利用者らを車ではね、さらに包丁で襲った無差別殺傷事件である。2012年3月29日、上部康明の死刑は広島拘置所で執行されている。
- 上部康明が車と包丁で15人を無差別に襲った経緯
- 車による襲撃とホームでの刺傷事件の被害状況
- 仕事や結婚生活に行き詰まり、大量殺人を計画した背景
- 包丁の購入や下関駅の下見など、犯行前の準備
- 複数の精神鑑定で判断が分かれた理由
- 一審から最高裁まで死刑が維持された経過
- 2012年に死刑が執行されるまでの流れ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一般的な呼称 | 下関通り魔事件、下関駅通り魔事件、JR下関駅無差別殺傷事件 |
| 発生日 | 1999年9月29日 |
| 発生時刻 | 午後4時25分ごろ |
| 発生場所 | 山口県下関市・JR下関駅東口、コンコース、ホーム |
| 死亡者 | 5人 |
| 負傷者 | 10人 |
| 被害者総数 | 15人 |
| 犯人 | 上部康明 |
| 読み方 | うわべ やすあき |
| 事件当時の年齢 | 35歳 |
| 事件当時の職業 | 軽貨物運送業 |
| 犯行方法 | レンタカーで歩行者らをはねた後、包丁で駅利用者らを襲撃 |
| 車で襲われた人数 | 7人(2人死亡、5人負傷) |
| 包丁で襲われた人数 | 8人(3人死亡、5人負傷) |
| 動機 | 両親や社会への一方的な恨みを晴らし、多数の人を道連れにして自殺するため |
| 逮捕 | 事件直後、殺人未遂容疑で現行犯逮捕 |
| 起訴罪名 | 殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反 |
| 一審判決 | 2002年9月20日、山口地裁下関支部が死刑 |
| 控訴審判決 | 2005年6月28日、広島高裁が控訴棄却 |
| 上告審判決 | 2008年7月11日、最高裁が上告棄却 |
| 刑の確定 | 死刑確定 |
| 死刑執行 | 2012年3月29日、広島拘置所で執行 |
| 現在 | 死刑執行済み |
1999年9月29日、夕方のJR下関駅へ車が突入
事件が発生したのは、1999年9月29日午後4時25分ごろである。下校途中の学生や仕事帰りの会社員、買い物客らが行き交うJR下関駅東口へ、白いレンタカーが近づいた。運転していた上部康明は、駅前の歩道へ車を乗り入れ、通行人へ向かって加速する。
車は歩道上にいた4人を相次いではねた後、駅東口のガラス扉を突き破ってコンコースへ侵入した。突然、駅の建物内へ乗用車が入ってきたため、利用者は何が起きているのか分からないまま逃げ惑った。
駅構内を約60メートル暴走
上部は駅へ侵入した後も車を止めず、利用客や売店などがあるコンコースを約60メートルにわたって暴走した。駅の外で襲われた4人に加え、コンコース内でも3人が車ではねられている。そのうち58歳の被害者は胸部へ強い衝撃を受け、事件当日に搬送先の病院で死亡した。
80歳の被害者は、車の下へ巻き込まれて約30メートル引きずられた。治療が続けられましたが、同年12月16日に死亡している。車による襲撃では2人が死亡し、5人が重軽傷を負った。
車を降りて包丁を持ちホームへ向かう
車がコンコース内で動かなくなると、上部は犯行を終えるのではなく、助手席に準備していた包丁を手に取った。包丁の刃渡りは約18センチだった。上部は包丁を振り回しながら改札を通り、6番、7番ホームへ続く階段へ向かう。階段では、通行中だった50歳の被害者の顔付近を切りつけた。
さらにホームへ上がると、ベンチに座っていた人や列車を利用しようとしていた人々へ、無差別に刃物を向けた。上部は特定の人物を探していたわけではない。近くにいたというだけで、年齢や性別を問わず標的にした。
ホームで8人を襲い3人を殺害
上部は階段で1人、ホームで7人の計8人を包丁で襲った。ホームを歩いていた79歳の被害者は、背中や胸を刺され、その場で死亡した。43歳の被害者は背中を刺され、傷による強い刺激をきっかけに脳出血を起こしたと認定された。治療が続けられましたが、同年11月13日に死亡する。
一緒に歩いていた69歳の被害者も胸などを刺され、事件当日の夜に死亡した。包丁による襲撃では、15歳の少年を含む5人も負傷している。車と包丁を組み合わせた一連の犯行により、5人が死亡し、10人が負傷した。
駅員らに取り押さえられ現行犯逮捕
上部がホームで利用客を襲う中、駅員らが取り押さえるために近づいた。上部は抵抗しましたが、駅員らによって身柄を確保され、駆け付けた鉄道警察隊員に引き渡される。警察は上部を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。
車が駅へ突入してから身柄を確保されるまで、犯行は短時間で進んだ。駅構内には倒れた被害者や救助を求める人々が残され、列車の運行にも大きな影響が出た。
上部康明は一級建築士として独立
上部康明は1964年3月6日、山口県下関市で生まれた。両親はともに教員で、妹が一人った。高校卒業後に1年間浪人し、九州大学工学部建築学科へ進学している。大学卒業後は対人関係への不安から就職せず、実家で過ごしていた時期があった。その後、治療を受けながら建築設計事務所で働く。
一級建築士の資格を取得し、福岡市内で設計事務所を開業した。当初は以前の勤務先から仕事を紹介され、事業は順調だったとされている。しかし、仕事を紹介していた設計事務所の所長と対立すると、受注が減少した。営業活動を苦手としていたため、新たな顧客を確保できず、事務所は事実上の廃業状態となる。
結婚生活の破綻と両親への不満
上部は1993年、結婚相談所を通じて知り合った女性と結婚した。仕事が減少すると、妻の収入や実家からの仕送りに頼る生活になる。上部は、周囲から軽蔑されていると思い込み、妻へ怒鳴ったり物へ当たったりするようになった。夫婦はニュージーランドへの移住も計画しましたが、実現しなかった。上部は山口県内の実家へ戻り、妻とは別居状態となる。
その後、妻から離婚を求められ、事実上、結婚生活は破綻した。上部は自分の生活がうまくいかない原因を、自分の行動ではなく、妻や両親、周囲の人々へ求めるようになる。
軽貨物運送業で生活を立て直そうとする
上部は1999年2月ごろ、軽貨物運送業を始めた。約160万円のローンで軽四輪貨物自動車を購入し、「H運送」という屋号で配送の仕事を請け負っている。人と長時間接する必要が少ない仕事だったため、上部は軽貨物運送業を気に入っていた。
仕事も軌道に乗り始め、ニュージーランドへの移住資金を貯めれば、妻との関係をやり直せる可能性があると考えていた。しかし、事件の5日前に発生した台風が、上部の生活計画を大きく変える。
台風18号で仕事用の軽トラックが冠水
1999年9月24日、台風18号が山口県付近を通過し、下関市では高潮による浸水被害が発生した。上部は荷物を取りに行くため、仕事用の軽トラックを運転していた。その途中で車両が海水に浸かり、動かなくなる。修理工場からは、故障が激しく修理できないと説明された。
上部は車両保険へ加入しておらず、使えなくなった軽トラックには約130万円のローンが残っていた。新たな車を購入すれば移住資金を貯められないと考え、運送業を続ける気力を失う。
両親と社会へ責任を転嫁し大量殺人を決意
上部は両親に対し、ローンの肩代わりや金銭的な援助を求めた。父親は要求を断り、実家の車を使って仕事を続け、ローンを返済するよう求める。上部は、両親が自分の希望を理解せず、助けようとしないと受け止めた。
さらに、台風被害を受けても行政や取引先が支援してくれない、自分だけが社会から不当に冷遇されてきたという考えを強める。そして、単に自殺するのではなく、無関係な人々を道連れにして、両親と社会へ大きな衝撃を与えようと決意した。被害者たちは、上部の仕事や家庭問題とは何の関係もなかった。
車と包丁を組み合わせた大量殺人計画
上部は、人が集まる場所へ自動車で突入し、車が動かなくなった後は包丁で襲えば、多数の人を殺害できると考えた。犯行場所にはJR下関駅を選ぶ。駅なら多くの利用者が集まり、事件によって社会へ大きな衝撃を与えられると考えたためである。当初は、人出が多い日曜日の1999年10月3日を決行日に定めていた。
犯行直前に大量の睡眠薬を服用し、駅利用者を襲った後、自分も死亡する計画だった。裁判所は、犯行方法、場所、日時、自殺方法まで考えていた点から、極めて計画性の高い犯行と判断している。
事件前日に包丁を購入し下関駅を下見
9月28日、上部は犯行準備を本格化させた。銀行から金を引き出し、ディスカウントストアで刃渡り約18センチの包丁を購入する。その後、車でJR下関駅へ向かい、駅東口の周辺を周回した。
車で歩道へ進入できることや、駅東口のガラス扉を乗用車が通過できる幅であることを確認している。さらに徒歩で構内へ入り、車が止まった後に改札を通り、ホームで包丁を使う経路も調べた。上部は自宅のカレンダーの10月3日の欄に、人生から退場するという意味の言葉を書き残している。
父親への怒りから決行日を繰り上げる
事件当日の9月29日、上部は実家の乗用車を使って配送業務を始めた。貨物車ではない乗用車へ荷物を積み込んだため、配達先で荷物を取り出す作業に苦労する。上部は、予定していた10月3日まで不便な状態で仕事を続けることに耐えられないと考えた。
さらに父親へ電話し、使えなくなった軽トラックの廃車手続きなどを代わりに行うよう頼みましたが、断られる。上部は父親への怒りを爆発させ、予定を4日前倒しし、その日のうちに大量殺人を実行することを決めた。
レンタカーと大量の睡眠薬を準備
上部はいったん実家へ戻り、包丁、睡眠薬、タオルなどを準備した。その後、駅近くのレンタカー会社から、マツダ・ファミリアのハッチバック車を借る。駅のガラス扉を通過できる車幅で、加速力や取り回しも考慮して車種を選んだと認定されている。
上部は人通りが多くなる夕方まで待ち、駅周辺の状況を確認した。犯行直前には自殺する目的で、大量の睡眠薬を服用したと供述している。突発的に車を駅へ向けたのではなく、前日から下見を行い、凶器と車両を準備した犯行だった。
逮捕後に語った社会への恨み
上部は逮捕後、自分は何をしてもうまくいかず、社会に不満があったという趣旨の供述をした。両親や周囲の人々が自分を理解せず、社会から不当に扱われてきたと考えていたとされている。しかし、仕事の失敗や結婚生活の破綻、台風による車両被害は、駅利用者の責任ではない。
上部は、自分が抱えていた問題を解決するのではなく、無関係な人々へ責任を押し付けた。一審判決は、社会への一方的な恨みを晴らすための犯行であり、動機に酌量すべき事情はないと厳しく指摘している。
刑事責任能力をめぐり複数の精神鑑定
上部は、若いころから対人恐怖や視線恐怖に悩み、複数の医療機関で治療を受けていた。刑事裁判では、上部が犯行時に善悪を判断し、自分の行動を制御できる状態だったのかが最大の争点となる。公判では複数の精神鑑定が実施されましたが、上部の精神状態に対する評価は一致しなかった。
ある鑑定は、妄想性障害の影響で判断能力や行動制御能力が著しく低下していたとして、心神耗弱に近い判断を示した。別の鑑定は、回避性や妄想性の人格的な傾向は認めながらも、責任能力へ著しい影響はなかったとしている。
裁判所が完全責任能力を認めた理由
山口地裁下関支部は、上部が病的な妄想によって支配されて犯行へ及んだという弁護側の主張を退けた。上部は、両親との話し合いを終えた後、犯行方法や場所、日時を具体的に検討している。包丁を購入して駅を下見し、車両の幅とガラス扉の大きさを確認した。犯行当日にはレンタカーを選び、人通りの多い時間まで待っている。
赤信号で停止するなど、犯行直前まで交通状況を認識し、目的に沿って行動していた。裁判所は、一連の行動には現実的で合理的なつながりがあり、善悪の判断能力や行動制御能力を失っていなかったと認定する。一審、控訴審、最高裁はいずれも、心神喪失や心神耗弱を認めなかった。
精神的な問題と犯罪を短絡させてはならない
上部に対人恐怖や人格面の問題があったことは、裁判でも検討されている。しかし、精神的な不調や通院歴がある人の多くは犯罪を起こさず、適切な治療や支援を受けながら生活している。上部の犯行は、精神科への通院経験だけで説明できるものではない。
自分の失敗を周囲へ転嫁し、包丁を購入して駅を下見し、無関係な人々を意図的に襲った行動が刑事責任を問われた。精神疾患や障害と無差別殺傷を安易に結び付けることは、当事者への偏見を広げるおそれがある。
2002年9月20日、山口地裁下関支部が死刑判決
2002年9月20日、山口地裁下関支部は検察側の求刑どおり、上部康明に死刑を言い渡した。判決は、車と包丁を組み合わせ、不特定多数の市民を襲った犯行について、極めて計画的で残虐だと評価している。5人が死亡し、10人が負傷した結果は極めて重大だった。被害者には、上部から殺害される理由となる落ち度や関係はない。
上部に前科がなく、対人恐怖や視線恐怖に長年悩んでいたことなどは、有利な事情として検討された。それでも、犯行の重大性、身勝手な動機、遺族の処罰感情、社会的影響を踏まえると、死刑はやむを得ないと判断された。
2005年、広島高裁が控訴を棄却
上部側は、一審判決を不服として広島高裁へ控訴した。控訴審では、精神鑑定の評価や責任能力、死刑が重すぎないかが改めて争われている。弁護側は、上部が妄想に支配されており、完全な責任能力はなかったと主張した。
2005年6月28日、広島高裁は一審の事実認定と量刑を支持し、上部側の控訴を棄却した。上部はさらに最高裁へ上告し、責任能力と死刑判決の妥当性を争った。
2008年、最高裁で死刑が確定
2008年7月11日、最高裁第二小法廷は上部側の上告を棄却した。最高裁は、周到な準備のもと、明確な殺意を持って、何の落ち度もない通行人や駅利用者を無差別に襲ったと指摘している。犯行の動機に酌量の余地はなく、車と包丁を使用した態様も残虐で非情だと評価した。
上部が心神喪失や心神耗弱だったとする弁護側の主張も退けられている。その後、判決訂正の申し立ても棄却され、上部の死刑判決が正式に確定した。
死刑判決で重視された5人死亡という結果
死刑を選択する際、裁判所は死亡者数だけでなく、動機、計画性、殺害方法、遺族感情、社会的影響などを総合的に判断する。本事件では、上部は大量殺人を目的として、車と包丁を事前に準備した。人が集まる駅を選び、車で侵入できる経路まで下見している。犯行日や実行時刻も、人出の多さを基準に決めていた。
被害者15人は、上部の両親や仕事、結婚生活と無関係だった。5人の生命を奪い、10人へ重軽傷を負わせた結果と、無差別性の強さが、死刑判断で重く評価された。
同じ事件で生じた被害者補償の格差
事件後には、車で襲われた被害者と、包丁で襲われた被害者の補償額に大きな差が生じたことも問題となった。車による被害には、自動車損害賠償責任保険が適用された。一方、包丁による被害では自動車保険を利用できず、犯罪被害者等給付金が主な公的給付となった。
同じ犯人による一連の無差別殺傷でありながら、使用された凶器によって遺族や負傷者への給付額が異なる状況が生まれる。この格差は被害者支援団体などから問題視され、犯罪被害給付制度の拡充を求める議論の一つとなった。
被害者らが民事裁判を起こす
被害者や遺族の一部は、上部本人だけでなく、上部の両親やJR西日本を相手に損害賠償請求訴訟を起こした。両親が上部を精神的に追い詰めたことや、駅側が上部の侵入を防ぎ、利用客へ注意を呼びかける義務を怠ったとの主張である。しかし、両親やJR西日本の法的責任は認められず、支払い能力の乏しい上部本人に対する賠償責任が中心となった。
刑事裁判で死刑が言い渡されても、被害者や遺族が十分な損害賠償を受けられるとは限らない。本事件は、刑罰だけでなく、犯罪被害者への経済的、精神的支援の不足も浮き彫りにした。
2012年3月29日、上部康明の死刑を執行
2012年3月29日、法務省は上部康明を含む3人の死刑を執行した。上部の死刑は、収容されていた広島拘置所で執行されている。死刑確定から執行までは約3年8カ月だった。
上部は事件当時35歳、死刑執行時は48歳だった。死刑執行によって刑事手続きは終了しましたが、被害者の生命や負傷者が受けた苦痛を取り戻すことはできない。
車を凶器とした無差別殺傷
下関通り魔事件の大きな特徴は、一般的な交通手段である乗用車を、大量殺傷のための凶器として使用した点である。刃物だけでは多数を殺害できないと考えた上部は、まず車で人混みへ突入し、その後に包丁で襲う方法を選んだ。車は短時間で広い範囲を移動でき、歩行者が攻撃を予測して逃げることも困難である。
駅や歩行者空間へ車両が進入すれば、刃物や銃器とは異なる形で、多数の被害者が生じる危険がある。本事件では、車両突入と刃物による襲撃が連続して行われたため、被害が15人に拡大した。
無差別殺傷事件を「社会への復讐」と呼ぶ危険
上部は、自分が社会から不当に扱われたという考えから、社会へ損害を与えようとした。しかし、実際に襲われたのは、社会制度を決める立場の人物ではない。通勤、通学、買い物、旅行などのため、駅を利用していた一般市民だった。
無差別殺傷を「社会への復讐」と表現すると、犯人の一方的な論理に意味を与えるおそれがある。実際には、上部が自分の不満を解決せず、抵抗する準備のない無関係な人々へ向けた犯罪である。
下関通り魔事件の主な時系列
- 1999年2月:上部康明が軽貨物運送業を始める
- 6月から7月:妻との関係が悪化し、事実上の離婚状態となる
- 9月24日:台風18号による高潮で仕事用の軽トラックが冠水
- 9月27日:車両が修理不能と判明し、両親へ金銭的支援を求める
- 同日夜:無関係な人々を道連れにする大量殺人と自殺を計画
- 9月28日:包丁を購入し、JR下関駅を下見
- 9月29日午前:父親への怒りから、犯行を10月3日から繰り上げる
- 同日午後1時15分ごろ:犯行に使用するレンタカーを借りる
- 午後4時25分ごろ:下関駅東口へ車で突入し、7人をはねる
- 直後:包丁を持って階段とホームへ向かい、8人を襲う
- 同日:駅員らに取り押さえられ、現行犯逮捕
- 1999年11月13日:包丁で襲われた43歳の被害者が死亡
- 12月16日:車にはねられた80歳の被害者が死亡し、死者が5人となる
- 2002年9月20日:山口地裁下関支部が死刑判決
- 2005年6月28日:広島高裁が控訴を棄却
- 2008年7月11日:最高裁が上告を棄却
- 2008年8月:判決訂正の申し立てが棄却され、死刑確定
- 2012年3月29日:広島拘置所で死刑執行
現在の状況|上部康明は死刑執行済み
上部康明に対する刑事裁判は、2008年に終了している。一審の山口地裁下関支部、控訴審の広島高裁、上告審の最高裁はいずれも、上部に完全な刑事責任能力があったと判断した。殺人、殺人未遂、銃刀法違反による死刑判決が確定し、2012年3月29日に刑が執行されている。
再審によって無罪となった事実や、刑の執行後に有罪判決が取り消された事実はない。現在の正確な状況は、死刑執行済みである。
下関通り魔事件が残したもの
下関通り魔事件では、仕事や家庭生活に行き詰まった上部康明が、その責任を両親や社会へ転嫁した。上部は自ら命を絶つだけでなく、多数の人々を道連れにして、社会へ衝撃を与えようと考える。包丁を購入して駅を下見し、車と刃物を組み合わせた大量殺人を準備した。
その結果、何の落ち度もない駅利用者5人が死亡し、10人が重軽傷を負った。事件後には、死刑の適用だけでなく、精神鑑定のあり方、駅の安全、犯罪被害者への補償と支援も問題となっている。犯人が社会への不満を語っても、その不満によって被害者の生命を奪う行為が正当化されることはない。
上部の死刑は2012年に執行された。しかし、5人の命と、負傷者や遺族が失った日常は戻らない。
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