大山清隆広島連続保険金殺人事件は、1998年と2000年に広島県内で、大山清隆が養父と妻を相次いで殺害し、いずれも事故による死亡を装った事件である。一般には「広島連続保険金殺人事件」と呼ばれている。広島地裁は2005年に死刑を言い渡し、広島高裁も維持。2011年6月7日、最高裁第三小法廷が上告を棄却し、その後、死刑が確定した。現在も、大山清隆について死刑執行や死亡を示す公的発表は確認されていない。
- 1998年に養父を鉄アレイで襲い、交通事故死を偽装した経緯
- 2000年に妻へ睡眠導入剤を飲ませ、浴室で殺害した事件の全容 子どもたちを伴った夜釣りと海への遺体投棄による事故偽装 一審死刑から最高裁、現在までの司法状況
- 広島連続保険金殺人事件が発生してから事件が発覚するまでの経緯
大山清隆広島連続保険金殺人事件の概要
| 事件名 | 大山清隆広島連続保険金殺人事件 |
|---|---|
| 被告人等 | 大山清隆 |
| 裁判・捜査状況 | 殺人、死体遺棄、詐欺、窃盗、有印私文書偽造・同行使など/2005年4月27日、広島地裁が死刑/2007年10月16日、広島高裁が控訴棄却/2011年6月7日、最高裁第三小法廷が上告棄却/死刑現在の状況現在も死刑執行・死亡を示す公的発表は確認されていない 大山清隆と養父は会社清算をめぐって対立していた 最初の殺人を理解するには、大山清隆と養父の仕事上の関係を見る必要がある。 |
| 現在の状況 | 大山清隆広島連続保険金殺人事件は、1998年と2000年に広島県内で、大山清隆が養父と妻を相次いで殺害し、いずれも事故による死亡を装った事件である。一般には「広島連続保険金殺人事件」と呼ばれている。広島地裁は2005年に死刑を言い渡し、広島高裁も維持。2011年6月7日、最高裁第三小法廷が上告を棄却し、その後、死刑が確定した。現在も、大山清隆について死刑執行や死亡を示す公的発表は確認されていない。 |
1998年に養父を鉄アレイで襲い、交通事故死を偽装した経緯
大山と養父は、生コンクリート関連会社の清算に関与していた。養父が代表清算人、大山も清算人という立場でしたが、経営破綻後の会社をどのように整理するかをめぐり、両者は対立していた。さらに大山は会社債務について連帯保証人となっていた。会社の清算が自分の望む形で進まなければ、多額の保証債務が現実化する危険があった。
広島高裁と最高裁は、大山が養父から会社の実権を奪い、自分の考える方法で清算を進めることに加え、養父の生命保険金を得る目的で殺害を計画したと認定している。養父を被保険者、大山を受取人とする生命保険契約では、普通死亡時3000万円、災害死亡時6000万円が支払われる内容だった。事故死を装うことには、より高額な保険金を請求できる意味があった。
1998年10月11日夜、養父を人気のない場所へ呼び出す
最初の犯行は1998年10月11日午後9時ごろに実行された。裁判所の認定によると、大山は夜間、養父を人気のない場所へ呼び出した。現場は広島市内の生コン会社敷地とされている。大山はそこで、殺意をもって養父の頭部を鉄アレイで数回殴打した。
最高裁は、頭蓋骨が砕けるほどの強打だったと指摘している。それでも養父はその場で絶命しなかった。通常であれば救急車を呼び、治療を受けさせる場面である。しかし大山は犯行を中止せず、次の偽装工作へ進んだ。
「病院へ連れて行く」と偽り、負傷した養父を車へ乗せた
最高裁判決によると、大山は重傷を負った養父へ、病院へ連れて行くという趣旨の嘘を告げた。そして養父を普通乗用車の助手席へ乗せ、自ら運転席に座る。大山が考えていたのは救命ではなく、鉄アレイによる襲撃を交通事故に見せかけることだった。
広島高裁判決では、大山は時速68キロ以上の高速度で車を走らせ、交差点付近のコンクリートブロック壁へ車両前部を衝突させたと認定されている。一連の攻撃により、養父は脳挫傷、急性硬膜下血腫、脳内出血などの重傷を負った。
養父は約3か月後に死亡|事故死として保険金を請求
養父は事件直後に死亡したわけではない。重体となって病院へ搬送されましたが、意識を回復しないまま、1999年1月20日に死亡した。広島高裁は、脳挫傷に起因する肺炎による死亡と認定している。大山は、車を故意に壁へ衝突させたことを隠した。そして養父が「不慮の交通事故」で死亡したと虚偽申告し、保険会社へ請求する。
生命保険会社からは6000万円が振り込まれた。また自動車保険をめぐって、自らが事故で負傷したとする医療保険金130万9000円、養父死亡に伴う保険金910万円も詐取したと認定されている。これらを合計すると、養父事件に伴う保険金詐欺だけで7000万円を超える。
ただし、6000万円の生命保険金はその後、第三者側へ渡り、大山の手元には残らなかった。この金の行方が、次の妻殺害事件へつながっていく。
6000万円を取り戻せると妻へ嘘をつき続けた
大山は妻に対し、第三者側へ渡った6000万円について、取り戻すための手続を進めていると説明していた。取り戻せば妻の預金口座へ入金されるという趣旨の話までし、手続が遅れている理由についても次々と嘘を重ねた。しかし実際には、その説明どおりに事態は進んでいなかった。やがて大山は、これ以上嘘をつき続けることが難しいと考えるようになる。
最高裁は、大山が嘘の発覚によって妻に愛想を尽かされ、自分のもとを去られることを恐れたと認定している。妻が他の男性と再婚するかもしれないとの思いまで抱く中、大山は「いっそ殺害してしまおう」と考えた。ここは事件名を理解するうえで重要である。妻にも生命保険が掛けられており、殺害後には実際に保険金詐欺が行われた。しかし最高裁が示した妻殺害の直接的動機は、単純な金銭欲だけではなく、嘘の発覚と妻を失うことへの恐れだった。
2000年3月1日、妻の飲み物へ睡眠導入剤を混入
2件目の殺人は2000年3月1日午後11時ごろに始まった。被害者は大山の妻。報道では大山博美さん(当時38歳)とされている。大山は事前に睡眠導入剤を用意し、妻の飲み物へ混ぜた。その飲み物を妻に飲ませた後、夫婦は一緒に入浴した。
薬の影響を受けた妻は、浴槽内で眠り始める。大山はその状態を利用し、妻の頭部を浴槽の湯へ沈めた。事故による溺水ではなく、裁判所が認定した計画的殺人だった。
目を覚まして抵抗する妻を浴槽へ押さえつけた
妻は完全な昏睡状態のまま死亡したわけではない。広島高裁判決によると、頭を湯へ沈められた妻は目を覚まし、上半身を起こして抵抗した。それでも大山は殺害をやめなかった。
妻の両肩を両手で押さえつけ、その上へ馬乗りになるなどし、顔を湯の中へ漬け続けた。妻は同日午後11時40分ごろ、溺水による窒息で死亡したと認定されている。最高裁は、眠り始めた妻の頭部を湯へ沈め、目覚めて抵抗した後も殺害を続けた行為を執拗かつ非情と厳しく評価した。
妻の遺体を「眠っているように」見せかけて車へ
殺害後、大山は妻の死亡を隠し、事故へ偽装する作業に移った。最高裁判決によると、妻の遺体を寝ているように見せかけ、車へ乗せた。そして子どもたちに対し、夜釣りの下見へ行くという趣旨の説明をし、一緒に車で岸壁へ向かった。
後年、長男の大山寛人さんは、自分が当時12歳で、助手席に横たわる母親を「眠っている」と思っていたことを公に語っている。しかし母親はすでに死亡していた。
夜釣りに子どもたちを同行させ、妻の遺体を海へ投棄
2000年3月2日午前1時20分ごろ、大山は岸壁へ運んだ妻の遺体を海へ投げ捨てた。事故偽装の筋書きは、妻が岸壁から誤って海へ転落したというものだった。最高裁は、大山が子どもたちとともに岸壁まで移動した行為を、事故死偽装のための冷酷な犯行後行動として指摘している。
長男は後年、父親から海へ何かが落ちる音を聞かなかったかと尋ねられたことや、それまで車内にいた母親が突然いなくなっていることに気づいた経緯を証言している。警察の捜索後、妻は海面から発見された。当時は転落事故として扱われたものの、約2年後、大山の犯罪が表面化する。
妻の「転落事故」を装い約299万円の保険金を詐取
大山は妻の死についても、真実を保険会社へ伝えなかった。2000年3月27日ごろから4月8日ごろまでの間、妻が岸壁から誤って転落して死亡したという虚偽の内容で保険金を請求した。その結果、4月21日ごろ、大山名義の預金口座へ299万3365円が振り込まれたと広島高裁は認定している。
養父事件に伴う保険金詐欺と合わせると、裁判で認定された保険金の詐取額は約7340万円に上る。ただし、2件の殺人動機を全く同じものとして説明するのは正確ではない。
- 養父殺害:会社の実権を奪い清算を自分の方針で進めることと、生命保険金の詐取が目的
- 妻殺害:金銭をめぐる嘘の発覚で妻が去ることを恐れた極めて自己中心的な動機。その後、事故死を偽装して保険金も詐取
この違いは、最高裁自身が量刑判断の中で明確に区別している。
2002年、大山清隆を逮捕|2年前の「事故死」が殺人事件へ
大山の逮捕は、妻死亡から約2年後の2002年だった。報道では2002年6月、妻の殺害と死体遺棄をめぐって大山が逮捕されたとされている。捜査によって、事故死と考えられていた妻の死亡が計画的殺人だったという事件像が明らかになった。さらに捜査は1998年の養父事件へ及ぶ。
養父の件では当初、車の衝突は交通事故として扱われ、大山は業務上過失致傷容疑で書類送検されたものの、起訴猶予となっていた。しかし後の刑事裁判では、事故ではなく、大山が養父を鉄アレイで襲ったうえ、故意に車を壁へ衝突させた殺人と認定される。
殺人2件だけではない|詐欺、窃盗、文書偽造でも起訴
大山が裁かれた犯罪は、養父と妻の殺害だけではない。広島高裁判決は事件全体について、殺人2件、死体遺棄1件、詐欺14件、窃盗1件、有印私文書偽造・同行使・詐欺3件を含む事案と整理している。妻事件後、大山は交際女性宅から運転免許証を盗み、その身分情報を利用して銀行口座を開設したり、携帯電話をだまし取ったりした。
不正入手したクレジットカードでゲーム機を詐取するなどの犯罪も認定されている。したがって、一審の量刑は「2人を殺害した」という結果だけでなく、その前後に行われた多数の詐欺などを含む犯罪全体を踏まえて判断された。
養父殺害の「本当の動機」をめぐり大山側の主張は変化
裁判では、養父殺害が本当に保険金目的だったのかが争われた。大山側は一審段階で、生命保険金を得ることが中心目的ではなく、会社清算の権限を養父から奪うことが主な目的だったという趣旨の主張をした。控訴審では、過去に死亡した養母について、養父が殺害したとの思いがあり、その恨みが背景だったという主張も展開された。
実際、最高裁も、大山が「かつての養母の死は養父による殺害だったとの思いもある」と述べていたことに触れている。しかし司法判断は、そうした主張だけで養父殺害を説明することを認めなかった。最高裁は、会社の実権を奪うことと生命保険金を詐取する目的を認定。動機を「利欲性の高い悪質なもの」と評価している。
2005年4月27日、広島地裁が死刑判決
2005年4月27日、広島地裁は大山清隆に死刑を言い渡した。裁判所が重視したのは、2人の生命が奪われた重大な結果だけではない。
- 養父事件では交通事故死に見せかけるため事前準備をした
- 鉄アレイで頭蓋骨が砕けるほど殴打した
- 生存していた養父を車へ乗せ、壁へ衝突させた
- 妻事件では事前に睡眠導入剤を用意した
- 抵抗する妻を浴槽内へ押さえつけ殺害した
- 子どもたちを伴って遺体を岸壁まで運んだ
- 2件とも事故死を装い保険金を詐取した
養父事件の動機は利欲性が高く、妻事件の動機は極めて自己中心的で身勝手と評価された。大山側は控訴した。
2007年、広島高裁が控訴棄却|死刑を維持
2007年10月16日、広島高裁は大山側の控訴を棄却した。控訴審では、死刑が重すぎるとの主張に加え、死刑制度の憲法適合性なども争われた。しかし高裁は、一審の量刑を不当とは認めなかった。
養父事件については、会社の清算方針をめぐる対立の中で、交通事故を装った殺害を計画し、保険金詐欺へ及んだと認定。妻事件についても、妻が去ることを恐れて殺害し、海への転落事故を偽装した事件像を維持した。大山側は最高裁へ上告した。
2011年最高裁が上告棄却|裁判官全員一致で死刑維持
2011年6月7日、最高裁第三小法廷は大山側の上告を棄却した。最高裁は養父事件について、交通事故死へ見せかけるため綿密な計画と下準備を行い、夜間の人気のない場所へ呼び出した計画性の高い犯行と評価した。さらに、鉄アレイで激しく殴っても死亡しなかった養父へ「病院に連れて行く」と嘘をつき、車を壁へ衝突させた行為を卑劣かつ残忍と指摘している。
妻事件についても、あらかじめ睡眠導入剤を準備した計画性、目を覚まして抵抗する妻を押さえつけ続けた執拗さ、子どもたちを伴って遺体を海へ投棄した冷酷さを重視した。大山には前科がなく、一部の主張を除いて事実関係を認め、反省の態度を示していることなども考慮された。
それでも最高裁は、刑事責任が極めて重大として、一審・二審の死刑判断を是認した。判決は裁判官全員一致だった。
母を殺された長男が父の死刑回避を訴えた異例の事件
本件の裁判で特に注目されたのが、被害者である妻の長男、大山寛人さんの存在である。寛人さんは母親を父親に殺された被害者遺族である。同時に、死刑判決を受けた大山清隆の実の息子でもある。母親が殺害された当時12歳。最高裁の補足意見は、寛人さんと妹が父親の事故偽装に伴う海釣りへ同行させられ、結果としてアリバイ工作を担わされたと指摘した。
当初、寛人さんは父親に強い怒りと不信感を示した。しかし一審死刑判決後に文通や面会を重ね、控訴審では情状証人として出廷。父の犯行を理解したうえで、死刑を回避し、生きていてほしいと訴えた。最高裁の田原睦夫裁判官は補足意見で、最大の被害者の一人である息子が父の生存を願う訴えは「誠に重い」という趣旨を示している。
それでも事件の動機、計画性、殺害態様、犯行後の行動を総合すると、死刑判決を破棄すべきとは認められないと結論づけた。
「遺族が望まない死刑」という複雑な問題を残した
通常、死刑事件では被害者遺族の厳しい処罰感情が量刑事情の一つとして語られる。しかし本件では、妻を奪われた長男自身が父親の死刑を望まないという、極めて複雑な構図が生まれた。もちろん、遺族は長男一人ではない。最高裁は、多くの遺族の処罰感情が極めて厳しいことも指摘している。
その一方、母を殺された子どもにとって、加害者は唯一残った父でもあった。寛人さんはその後、自らが殺人事件の被害者遺族であり加害者家族でもある経験を公表し、死刑や加害者家族への差別について発信を続けている。本件は、犯罪事実と量刑だけでなく、一人の人間が「被害者遺族」と「死刑囚の家族」という二つの立場を同時に背負う問題を社会へ突きつけた事件でもある。
現在の状況|死刑確定から15年
現在も、大山清隆について死刑が執行された、または死亡したとする公的発表は確認されていない。2024年5月31日の法務大臣記者会見では、記者から、広島拘置所に収容されている大山死刑囚について質問が出た。質問では、死刑確定後の長期収容と精神状態、さらに息子の寛人さんが法務大臣へ死刑執行に関する要望を送ったことが取り上げられている。
法務大臣は、個別の死刑執行については法と証拠に基づき慎重に検討するという趣旨の回答をし、具体的な執行判断には踏み込まなかった。現在、本件は未解決事件ではない。大山清隆は養父と妻の殺害について有罪となり、広島地裁、広島高裁、最高裁を経て死刑が確定している。
事件の核心は、2件とも「事故」に見せかけられた点である。養父は自動車事故、妻は海への転落事故。大山は近親者の死を事故として処理させ、その後に保険金を請求した。しかし司法は、養父事件を利欲性の高い計画殺人、妻事件を極めて自己中心的で身勝手な動機による計画殺人と認定した。
そして事件後も、母を殺された息子が父の生存を願うという葛藤は続いた。広島連続保険金殺人事件は、保険金目的の事故偽装だけでなく、死刑制度、被害者遺族、加害者家族という複数の問題を現在まで残している事件である。
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