免田事件|一度認められた再審を取り消され、死刑確定から無罪まで31年

公開日 2026年3月3日
最終更新 2026年7月31日

免田事件は、1948年12月29日深夜から30日未明、熊本県人吉市の住宅で夫婦2人が殺害され、娘2人が重傷を負った強盗殺傷事件である。 免田栄さんは別件の窃盗容疑で身柄を拘束された後、睡眠を十分に取れない取調べの中で犯行を認める供述をし、1951年12月の最高裁上告棄却を経て死刑が確定した。

第6次再審請求でアリバイ、自白と遺体の傷の矛盾、血液鑑定の信用性が再検討され、1983年7月15日に無罪となった。死刑確定者が再審で無罪となった戦後初の事件であり、免田さんは2020年12月5日に95歳で亡くなった。

POINT
この記事でわかること
  • 1948年に人吉市で起きた一家4人殺傷事件の経緯
  • 免田栄さんが別件逮捕から自白へ追い込まれた過程
  • アリバイと自白の矛盾が無視された問題
  • 第3次再審で一度開始決定が出ながら取り消された経緯
  • 6度目の再審請求で無罪となった理由
  • 刑事補償と免田さんの釈放後の活動

免田事件の概要|祈祷師夫婦が死亡、娘2人が重傷

項目内容
事件名免田事件
発生時期1948年12月29日深夜〜30日未明
発生場所熊本県人吉市
被害夫婦2人死亡、娘2人重傷
事件の性質強盗殺人・傷害事件
冤罪被害者免田栄さん
事件当時の年齢23歳
身柄拘束1949年1月、別件の窃盗容疑
起訴1949年1月28日
一審判決1950年3月23日、熊本地裁八代支部が死刑
控訴審1951年3月19日、福岡高裁が控訴棄却
死刑確定1952年1月5日
再審請求計6回
再審開始決定1979年9月27日
再審無罪1983年7月15日
刑事補償9071万2800円
免田さんの死去2020年12月5日、95歳
現在無罪確定。真犯人は特定されていない

1948年12月、人吉市の住宅で一家4人が襲われる

1948年12月30日午前3時半ごろ、人吉市内の祈祷師宅で、家族4人が倒れているのが発見されました。

夫婦は頭部などを刃物で激しく切りつけられて死亡。10代の娘2人も重傷を負っていました。室内からは現金がなくなっており、警察は強盗目的の犯行とみて捜査を始めます。

戦後の混乱が残る時代で、科学捜査の体制も現在ほど整っていませんでした。捜査は周辺住民や前科のある人物を中心に進められ、やがて免田栄さんへ疑いが向けられます。

令状なしの連行と別件逮捕|深夜から続いた取調べ

1949年1月13日夜、警察官は知人宅にいた免田さんへ同行を求め、人吉警察署へ連行しました。 後の再審開始決定では、令状も有力な証拠もないまま、警察官5人の監視下で深夜に長時間歩かせた行為について、任意同行として許される範囲を超えた違法な拘束だったと批判されています。

警察は玄米などを盗んだ別件の窃盗容疑で免田さんを逮捕し、その身柄を利用して一家殺傷事件を追及しました。

免田さんは、睡眠を十分に与えられず、暴行や脅迫、誘導を伴う取調べを受けたと訴えています。拘束から数日後、事件への関与を認める供述が作成されました。

凶器を埋めたという自白|一度撤回後に再び認める

自白では、免田さんが金を奪うため被害者宅へ入り、鉈で家族を襲った後、刺身包丁でとどめを刺したとされました。

さらに、凶器の鉈を飛行場付近へ埋めたという供述も作られます。免田さんはいったん自白を撤回しましたが、本件で再逮捕された後、再び犯行を認める形となりました。

第1回公判では起訴内容を認めたものの、第2回公判から全面的に否認。取調べで追い込まれて虚偽の自白をしたと主張し、無罪を訴え続けました。

犯行時刻には別の場所にいた|無視されたアリバイ

免田さんは事件当夜、人吉市内の特殊飲食店街にある女性の部屋に泊まっていたと主張しました。

このアリバイは、女性の供述だけではありません。免田さんの移動を示す資料や配給関係の記録など、捜査段階から存在していた客観的資料によって裏付けられていました。

ところが確定審では、自白が重視され、アリバイに関する証拠は十分に評価されませんでした。 自白と矛盾する証拠を検討するのではなく、自白を前提に周囲の証拠を解釈したことが、誤判の大きな原因となりました。

1950年に死刑判決|1952年に確定

1950年3月23日、熊本地裁八代支部は免田さんに死刑を言い渡しました。

免田さんは控訴しましたが、1951年3月19日、福岡高裁が控訴を棄却。同年12月25日には最高裁も上告を棄却し、1952年1月5日に死刑が確定しました。

確定後、免田さんは死刑執行の恐怖と向き合いながら拘禁生活を送ります。刑の執行は事前に本人へ詳しく知らされないため、足音や房の扉が開く音におびえる日々が続きました。

第3次再審では開始決定|福岡高裁が取り消す

免田さんは1952年から再審を求めました。

1956年8月、第3次再審請求で熊本地裁八代支部はアリバイを認め、再審開始を決定します。死刑確定後、初めて無罪へつながる道が開かれた瞬間でした。

しかし検察側が即時抗告し、福岡高裁は開始決定を取り消しました。免田さんは再び死刑確定者として拘禁され、さらに20年以上にわたり再審を求め続けることになります。

6度目の再審請求|自白と科学鑑定の矛盾を検証

1972年、免田さんは第6次再審請求を申し立てました。熊本地裁八代支部は1976年に請求を棄却しましたが、弁護側は福岡高裁へ即時抗告します。

審理では、凶器とされた刃物、血液型鑑定、遺体の傷と自白の犯行順序、そしてアリバイが改めて検討されました。

当時の方法では血液型鑑定に一定の時間が必要だったにもかかわらず、警察の鑑定は不自然に短時間で結論を出していました。また、自白では最後に刺身包丁で首を刺したとされましたが、傷の状態からは攻撃の初期に生じた可能性が高いと判断されます。

さらに、犯行時に着用していたとされた衣類や鉈、手袋などの重要証拠について、捜査機関は後に紛失したと説明しました。

1979年に再審開始|最高裁も検察の抗告を棄却

1979年9月27日、福岡高裁は原決定を取り消し、再審開始を決定しました。 決定は、免田さんの自白が客観的事実と一致せず、犯行時刻には別の場所にいたとするアリバイが成立する可能性を認めています。

検察側は最高裁へ特別抗告しましたが、1980年12月11日に棄却され、再審開始が確定しました。

1983年7月15日に無罪|約34年半ぶりに自由を回復

1983年7月15日、熊本地裁八代支部は免田栄さんに無罪判決を言い渡しました。

判決は、自白には犯行方法や傷の状態と合わない点があり、信用できないと判断。事件当夜に別の場所にいたというアリバイも認め、免田さんを犯人とする証拠はないと結論づけました。

検察側は控訴せず、無罪が確定。免田さんは23歳で身柄を拘束され、57歳になってようやく自由を取り戻しました。

死刑が確定した人物が再審で無罪となったのは、日本で初めてでした。

9071万2800円の刑事補償|失われた時間は戻らない

無罪確定後、免田さんには拘禁期間に対する刑事補償として9071万2800円が支払われました。

しかし、補償金によって青年期から壮年期までの34年間が戻るわけではありません。仕事、家庭生活、社会経験を失い、釈放後には大きく変化した社会へ適応する必要がありました。

長期拘禁のため年金加入ができなかった問題も残りました。免田さんらの訴えを受け、2013年には死刑再審無罪者を年金面で救済する特例法が成立しています。

釈放後は冤罪防止と死刑廃止を訴える

免田さんは釈放後、全国各地で講演し、死刑確定者として過ごした日々と冤罪の恐ろしさを語りました。

1984年に玉枝さんと結婚し、福岡県大牟田市で生活。国内だけでなく海外の死刑廃止運動にも参加し、国連や国際会議でも自身の経験を伝えています。

免田さんは2020年12月5日、入所していた大牟田市内の施設で老衰により亡くなりました。95歳でした。

第3次再審の開始決定は取り消され、救済までさらに23年を要した

熊本地裁八代支部は1956年8月、第3次再審請求で免田さんのアリバイに理由があるとして再審開始を決定した。死刑確定後、裁判所が有罪認定へ疑問を示した最初の大きな転換だった。

しかし、検察の即時抗告を受けた福岡高裁は1959年4月に開始決定を取り消した。免田さんは再び死刑確定者として拘禁され、その後も請求を重ねなければならなかった。

最終的に福岡高裁が第6次請求で再審開始を決定したのは1979年9月である。一度疑問が認められてから実際の再審公判へ到達するまで、二十年以上が経過した。

再審無罪は、事件の真犯人を明らかにした判決ではない

1983年の再審判決は、免田さんの自白が客観的事実と一致せず、事件当夜のアリバイを否定できないとして無罪を言い渡した。 無罪判決は免田さんが犯人ではないことを法的に確定したが、夫婦を殺害し娘2人へ重傷を負わせた人物を新たに特定したわけではない。

捜査が免田さんへ集中した期間に別の可能性を追う機会が失われ、事件発生から長い時間が経過した。冤罪は無実の人を拘禁するだけでなく、被害者側から真相へ到達する機会も奪う。

刑事補償と年金救済でも、34年半は戻らなかった

無罪確定後、免田さんには9071万2800円の刑事補償が支払われた。

一方、23歳で拘束され57歳で釈放されたため、就労・家族生活・年金加入の機会を失った。一般の年金制度は長期拘禁による空白を想定しておらず、再審無罪後も老後保障の問題が残った。

免田さんらの訴えを受け、2013年には死刑再審無罪者の年金を救済する特例法が成立した。金銭的な救済は必要だが、失われた青年期と死刑執行への恐怖を原状回復するものではない。

免田さんの死後も、自白・証拠開示・再審の遅さが課題として残る

免田さんは釈放後、国内外で冤罪防止と死刑廃止を訴え、自身の裁判・獄中資料を熊本大学へ寄贈した。

2020年12月5日に老衰で死亡したが、再審無罪は現在も確定している。免田さんを『証拠不十分で釈放された元死刑囚』と表現するのは誤りで、死刑判決を取り消され無罪となった冤罪被害者である。

事件は、別件逮捕と長時間取調べ、自白と客観証拠の矛盾、検察側が保有する証拠へのアクセス、再審開始判断に長期間を要する制度の問題を一つの事件の中で示している。

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