1980年12月2日、名古屋市に住む大学3年生の戸谷早百合さん(当時22歳)が、英語の家庭教師を依頼するという電話で呼び出され、行方不明になった。電話をかけた木村修治(当時30歳)は、新聞の案内欄に掲載された家庭教師希望の情報を利用して早百合さんを車へ乗せ、まもなく殺害した。
木村は殺害後も、家族へ3000万円の身代金を要求する電話を繰り返した。警察は受け渡し場所で張り込んだが逮捕できず、音声を公開して情報を求めた。1981年1月に木村が逮捕され、同年5月に木曽川で遺体が発見された。木村は死刑判決を受け、1987年に確定、1995年12月21日に名古屋拘置所で執行された。
| 事件名 | 名古屋女子大生誘拐殺人事件 |
|---|---|
| 発生日 | 1980年12月2日 |
| 主な発生場所 | 愛知県名古屋市、木曽川 |
| 被害者 | 戸谷早百合さん(当時22歳) |
| 加害者 | 木村修治(事件当時30歳) |
| 現在の状況 | 死刑執行済み |
家庭教師の依頼を装った電話
早百合さんは大学で英語を学び、家庭教師のアルバイトを探していた。連絡先を新聞の案内欄へ掲載しており、木村はそれを見て家庭教師を頼みたいと電話した。子どもへ英語を教える仕事だと思わせ、指定した場所へ来るよう求めた。
12月2日、早百合さんは家族へ予定を伝えて外出した。待ち合わせ場所に現れた木村は車へ乗せ、実在する家庭へ案内するよう装った。面識のない相手でも、家庭教師の依頼という具体的な目的があったため、接触が不自然に見えにくい手口だった。
木村は多額の借金を抱え、返済や生活費を得るため身代金目的の誘拐を計画していた。被害者を特定の家族への恨みから選んだのではなく、広告を通じて接触しやすく、家族が身代金を用意すると見込んだ人物を狙った。
捜査と裁判では、電話をかける前の準備、車の使用、身代金要求の方法が計画性を示す事情とされた。早百合さんが自ら危険な場所へ出向いたのではなく、通常のアルバイトの連絡を犯罪に利用された。
誘拐直後の殺害と木曽川への遺棄
木村は早百合さんを連れ去った後、身元を知られているため解放すれば逮捕されると考え、短時間のうちに殺害した。身代金を受け取ってから解放する計画ではなく、家族へ要求を始める時点で被害者はすでに死亡していた。
遺体は包まれて車で運ばれ、木曽川へ遺棄された。川へ流せば発見を遅らせ、犯行場所や死因につながる証拠を失わせられると考えたとみられる。木村はその後も被害者が生存しているように装った。
家族は早百合さんから連絡がないことを不審に思い、警察へ届け出た。家庭教師の依頼者に関する情報は限られ、新聞広告を見た人物を特定する必要があった。
遺体が見つからない段階では、誘拐事件として被害者の救出を優先しなければならなかった。警察は要求電話を記録し、家族と協力して受け渡しの指示へ対応した。
3000万円を求めた電話と受け渡しの失敗
木村は早百合さんの家族へ電話し、身代金3000万円を要求した。電話は複数回に及び、受け渡し場所を変えながら警察の動きを警戒した。家族には被害者の安全を信じさせ、指示に従わせる必要があった。
警察は現金を準備し、指定された場所や移動経路へ捜査員を配置した。しかし、木村は周囲を確認して受け取りを中止するなどし、現場で身柄を確保することができなかった。電話の時間と場所を手掛かりに、公衆電話の利用状況や目撃情報を集めた。
身代金誘拐では、犯人の逮捕と被害者の安全確保を同時に考える必要がある。当時、警察は報道機関へ協力を求め、捜査情報の公表時期を調整した。長期間手掛かりが得られず、12月下旬に公開捜査へ切り替えた。
要求電話の声が報道を通じて公開されると、声や話し方に心当たりがあるという情報が寄せられた。木村の周辺でも不審な行動や借金が確認され、捜査線上に浮かんだ。
声の公開と木村修治の逮捕
公開された音声は、電話の内容そのものだけでなく、発音、言葉の選び方、地域性などを知る資料になった。知人からの情報を受けた警察は木村の生活、車、事件当日の行動を調べた。
木村は寿司店を経営した経験があり、家族と生活していたが、事業や交際関係などで借金を増やしていた。競輪や競馬にも金を使い、短期間で大金を得る必要に迫られていた。
1981年1月20日、愛知県警は木村を逮捕した。取り調べでは誘拐、殺害、遺体遺棄の経過を認め、木曽川の場所を説明した。車や電話の利用、早百合さんの所持品なども供述の裏付けとなった。
木村の逮捕時点でも遺体は発見されていなかった。警察は供述に基づき川と周辺を捜索したが、水流と時間の経過により発見は難航した。
初公判前に発見された遺体
1981年5月5日、木村が遺棄場所として説明した木曽川の橋から上流側で、早百合さんの遺体が発見された。事件から約5か月が経過していた。
遺体の発見により、木村の供述の重要部分が客観的に裏付けられた。鑑定で確認できる事項には時間の経過による限界があったが、誘拐された早百合さんが死亡し、川へ遺棄されたことが確定した。
木村は起訴事実を大筋で認めた。裁判の中心は犯人性ではなく、身代金目的の計画性、誘拐直後に殺害した動機、被害者が1人の事件で死刑を選択するかという量刑となった。
家族は身代金要求へ対応する間、早百合さんが生存していると信じて指示に従った。木村がすでに殺害していたことは、救出の可能性を装って家族へ金を要求した点でも重く評価された。
死刑判決と上告審の判断
1982年3月23日、名古屋地裁は木村に死刑を言い渡した。金銭目的で面識のない大学生を計画的に誘い出し、解放することなく殺害し、遺体を遺棄したうえで身代金要求を続けた経過が量刑の中心となった。
名古屋高裁は1983年1月に控訴を棄却した。木村側は死刑が重すぎることや、死刑制度の合憲性などを主張して上告した。
最高裁は1987年7月に上告を棄却し、訂正申立ても退けられた。同年8月5日に死刑が確定した。死亡した被害者が一人であっても、誘拐の計画性、殺害と遺棄、身代金要求の態様を総合して極刑を維持した。
量刑は被害者数だけで機械的に決まるものではない。木村事件の確定判決は、一人の被害者に対する身代金目的誘拐殺人で死刑が選択された事例として扱われている。
手記の公表と1995年の死刑執行
死刑確定後、木村は拘置所から手紙や手記を発表し、自身の生い立ち、事件、死刑制度について述べた。加害者本人の文章は内面を知る資料にはなるが、被害事実や責任については判決と客観証拠を優先して読む必要がある。
木村は死刑廃止運動に関わる人々と交流し、死刑囚の団体へ参加した。自らの刑への意見を表明する一方、被害者遺族にとっては、事件を起こした本人が社会へ発信を続けること自体が負担となり得る。
1995年12月21日、木村修治の死刑は名古屋拘置所で執行された。事件から15年余り、死刑確定から8年4か月後だった。
刑の執行によって木村に対する刑事手続は終わった。新聞の個人広告を利用して被害者へ接触した手口は、仕事や取引を装う誘拐事件で、相手の身元と訪問先を家族へ残す安全対策が意識される契機の一つとなった。
早百合さんが利用した新聞の告知欄は、インターネットが普及する前に個人同士が仕事や取引の相手を探す一般的な手段だった。連絡先を見た木村は、家庭教師を求める家庭の関係者を装い、本人の希望に合う条件を示した。被害者の行動は通常の求職活動であり、犯罪を予見できる事情はなかった。
木村は身代金の受け取りに成功しなくても、要求電話を続けた。警察が家族の電話を監視している可能性を考え、公衆電話や複数の場所を使い、受け渡し方法を変えた。こうした行動は逮捕を避ける判断能力があったことを示す事情としても扱われた。
声の公開には、犯人を刺激して被害者へ危害が及ぶ危険と、広く情報を得る必要の両方があった。警察は救出の可能性を前提に公表時期を判断したが、実際には早百合さんは誘拐直後に殺害されていた。犯人だけが知る状況の中で、家族は生存を信じて対応し続けた。
木村の借金は事件の動機を理解する背景だが、借金があること自体が誘拐殺人へ直結するわけではない。木村は返済のために合法的な方法を選ばず、他人を欺いて連れ去り、身元を知られたことを理由に殺害した。裁判はその選択と準備を刑事責任として評価した。
遺体発見前でも、誘拐の事実、要求電話、木村の供述や物証によって立件は可能だったが、発見によって殺害と遺棄の客観的裏付けが強まった。河川での捜索は範囲が広く、季節や水量の影響も受けるため、供述した地点と実際の発見地点が離れることがある。
死刑執行は法務大臣の命令によって行われ、公表時に氏名、事件、執行場所が明らかにされた。木村が手記で死刑制度への意見を述べたことと、確定した犯行事実は分けて扱う必要がある。本人の文章に事実と異なる説明があれば、判決や捜査資料を優先する。
事件後、家庭教師やアルバイトの面接では、訪問先、相手の氏名、電話番号を家族へ伝え、初回は公共の場所で会うといった安全策が意識されるようになった。現在はオンライン募集が中心になっても、依頼者の身元確認と個人情報の扱いという問題は形を変えて残っている。
木村は早百合さんの家族構成や資産を詳細に把握していたわけではなく、3000万円を用意できるとの見込みにも確かな根拠はなかった。大金を要求すれば得られるという一方的な計算で、面識のない家庭を長期間の不安へ巻き込んだ。
身代金要求の録音は、捜査資料として保存され、裁判では木村の声との比較や電話内容の認定に使われた。音声を公開した結果得られた情報も、他の物証と照合してから評価され、声が似ているという印象だけで逮捕したわけではない。
死刑判決から執行までの間、木村は再審請求などの手続を行ったとされるが、確定判決は覆らなかった。1995年の執行時点で通常の上訴はすでに終わっており、法的な現在状況は死刑執行済みである。
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