帝銀事件は、1948年1月26日午後、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店で、防疫関係者を装った男が行員や用務員家族ら16人に毒物を飲ませ、12人を死亡させ、現金と小切手を奪った強盗殺人事件である。
警視庁は同年8月、日本画家の平沢貞通を逮捕した。平沢はいったん犯行を認める供述をしたが、公判では無罪を主張。1950年の一審死刑、1951年の控訴棄却を経て、1955年に最高裁で死刑が確定した。
死刑は執行されず、平沢は再審を求めながら1987年に95歳で獄死した。遺族による第20次再審請求は2025年、請求人の死亡を理由に手続終了となり、特別抗告も棄却された。2026年7月現在、確定死刑判決は取り消されておらず、真犯人が別にいると法的に認定された事実もない。
- 防疫職員を装った男が16人へ毒物を飲ませた手口
- 二つの類似未遂事件と名刺から平沢へ向かった捜査
- 目撃証言、自白、金銭を有罪証拠とした裁判
- 毒物・供述・捜査方針をめぐり再審請求が続いた理由
- 第20次再審請求が判断前に手続終了した現在状況
| 事件名 | 帝銀事件 |
|---|---|
| 発生日 | 1948年1月26日 |
| 発生場所 | 帝国銀行椎名町支店 |
| 被害 | 16人が毒物を服用、12人死亡・4人生存 |
| 奪われた金品 | 現金・小切手など18万円余 |
| 逮捕 | 平沢貞通、1948年8月21日 |
| 一審 | 1950年7月24日、東京地裁が死刑 |
| 控訴審 | 1951年9月29日、東京高裁が控訴棄却 |
| 上告審 | 1955年4月6日、最高裁が上告棄却 |
| 死刑確定 | 判決訂正申立て棄却を経て1955年5月 |
| 平沢の死亡 | 1987年5月10日、95歳で獄死 |
| 再審 | 第20次請求まで提起 |
| 現在の状況 | 第20次請求は2025年に手続終了。確定判決は維持 |
白衣の男は、感染症対策を行う公務員のように振る舞った
事件当時は終戦から約2年半で、占領下の混乱と感染症への不安が続いていた。午後3時すぎ、白衣姿の男が帝国銀行椎名町支店へ入り、東京都の衛生課員であるかのように名乗った。
男は近隣で赤痢が発生し、感染者が支店へ立ち寄ったため予防薬を飲む必要があると説明した。GHQや医師の指示を思わせる言葉を使い、行員らを信用させた。
権威ある機関の指示を装う社会的工学の手口だった。銀行側が従ったことを、被害者の不注意として扱うことはできない。犯人は当時の衛生行政と占領体制への信頼を利用した。
16人が二つの液体を順番に飲まされた
男は行員、用務員とその家族ら16人を集め、薬の飲み方を実演するように見せた。最初の液体を飲ませ、一定時間の後に別の液体を口にするよう指示した。
間もなく人々は苦しみ、次々に倒れた。支店内で10人が死亡し、搬送されたうち2人も死亡した。生存者は4人だった。
混乱の中、男は現金と小切手など18万円余を奪って逃走した。大量殺害そのものが目的だったのか、強盗を成功させるために全員を動けなくしたのかは、犯人の真の供述がないため確定しない。
帝銀事件の前に、防疫を装った二つの未遂事件があった
1947年10月、安田銀行荏原支店で、防疫関係者を装う男が薬を飲ませようとする事件が起きた。現場には実在する厚生技官・松井蔚の名刺が残された。
1948年1月19日には三菱銀行中井支店でも似た男が現れたが、大量死には至らなかった。帝銀事件はその1週間後だった。
捜査機関と裁判所は三事件を同一犯の犯行として扱った。一方、毒物の使用状況と手口には差もあり、再審側は本当に同一犯かという点を含めて疑問を示してきた。
名刺の配布先を追う捜査から、平沢貞通が浮上した
松井技官は多数の名刺を配っており、警察は名刺の受取人を確認した。多くの名刺は回収または所在確認されたが、平沢へ渡した名刺の所在が分からなかった。
平沢は北海道出身の日本画家で、帝展への出品歴もあった。事件当時、まとまった金銭を所持し、その出所を十分に説明できないと捜査側は判断した。
名刺が見つからないこと、金銭、似顔絵や生存者の識別などが重ねられ、1948年8月21日、平沢は小樽で逮捕された。
ただし、名刺を紛失したことだけで帝銀事件の実行犯になるわけではない。裁判では複数の状況証拠と自白を総合して有罪が認定された。
逮捕後の自白は、公判で撤回された
平沢は長時間の取調べの中で、帝銀事件と類似事件への関与を認める供述をした。供述調書は有罪判決の重要な証拠となった。
公判で平沢は自白を撤回し、取調べの圧力、健康状態、薬物の影響などから虚偽の供述をしたと主張した。弁護側は、供述内容が客観的事実と一致しない部分があると指摘した。
自白があることと、内容が信用できることは同じではない。裁判所は供述の成立過程と、目撃証言・金銭・名刺などほかの証拠との整合性を検討した。
生存者の目撃証言は、犯人識別の中心となった
帝銀支店で生き残った4人や、類似事件の目撃者は、犯人の容貌や話し方を説明した。平沢を犯人と識別した証言も、有罪認定に用いられた。
一方、事件から逮捕まで約7か月が経過し、新聞には似顔絵や捜査情報が広く掲載されていた。面通しや写真確認の方法が、現在の基準から見て誘導的ではなかったかという批判がある。
人の顔の記憶は、時間経過や事後情報の影響を受ける。再審側は証言の変遷を問題にしたが、確定審は平沢を犯人とする証拠価値を認めた。
毒物の扱いは、専門家犯行説と素人犯行説を分けた
犯人は16人を整列させ、液体を二度に分けて飲ませた。大量の人を逃がさず服毒させた手際から、捜査初期には旧軍の防疫・化学兵器関係者が疑われた。
旧陸軍の秘密研究機関や毒物取扱経験者が調べられたが、捜査の重点は途中から名刺ルートの平沢へ移った。平沢に高度な毒物知識があったかは、冤罪論の主要な疑問となった。
確定判決は使用毒物を青酸化合物と認定した。再審弁護団は、症状、死亡までの時間、鑑定資料から、判決が想定した毒物と手法では説明できないと主張してきた。
しかし再審開始決定は一度も確定しておらず、「旧軍関係者が真犯人だった」と司法が認定したわけでもない。
使途不明の金銭は、強盗犯行の利益と判断された
平沢は事件前後に多額の金銭を所持していた。捜査側は、帝銀事件で奪われた現金の一部が平沢へ渡ったとみた。
平沢は金銭の出所について、春画を売った代金など公にしにくい収入があったと説明した。説明の変化や裏付けの不足は、裁判所から不利に評価された。
帝銀で奪われた紙幣そのものが平沢の手元からまとまって発見されたわけではない。金銭は直接証拠ではなく、ほかの証拠と合わせた状況証拠だった。
1950年の一審から1955年の最高裁まで、死刑判断は維持された
東京地裁は1950年7月24日、帝銀事件と二つの類似事件を平沢の犯行と認定し、死刑を言い渡した。
東京高裁は1951年9月29日、控訴を棄却した。最高裁大法廷も1955年4月6日、上告を棄却した。判決訂正申立てが退けられ、死刑が確定した。
確定判決が存在する以上、法的には平沢が犯人である。一方、再審請求は確定判決に誤りがあるとして、その法的状態を変えるための手続だった。
死刑は執行されず、平沢は95歳で獄死した
平沢は確定後も無実を訴え、本人による再審請求を繰り返した。拘置期間は長期化し、絵を描きながら支援者と交流した。
死刑執行命令は出されず、1987年5月10日、八王子医療刑務所で死亡した。95歳だった。
死刑が執行されなかった理由を、法務省は個別に詳細公表していない。冤罪の疑いがあったため政府が無罪と認めた、という意味ではない。
第18次・第19次請求も、請求人の死亡を挟んで続いた
平沢の死亡後も、遺族や養子が再審を求めた。第18次請求は平沢の死後に棄却され、第19次請求は養子が請求人となった。
第19次請求は請求人の死亡により2013年に手続が終了した。2015年、別の親族が第20次再審請求を東京高裁へ申し立てた。
再審請求は回数を重ねれば自動的に開始されるものではない。新しい明白な証拠が、確定判決へ合理的な疑いを生じさせるかが審理される。
第20次請求は、新証拠の最終判断前に2025年終了した
第20次再審では、平沢の供述評価、毒物、捜査資料などをめぐる意見書や鑑定が提出された。明治大学の資料館でも、請求内容を検討する講演と資料公開が行われた。
ところが2025年、請求人が死亡した。東京高裁は同年3月27日、請求人死亡により手続が終了したと決定した。弁護側は、弁護人が選任されている以上は審理を続けられると主張して特別抗告した。
最高裁は同年4月25日、特別抗告を棄却した。提出された証拠について再審開始の可否を最終判断する前に、第20次請求は終了した。
2026年現在、確定判決と疑問は別の状態で残っている
2026年7月現在、第21次再審請求が新たに申し立てられたとの信頼できる公表は確認できない。刑事訴訟法上、一定の親族が新たな請求人になる余地はある。
帝銀事件について「真犯人は731部隊員だった」「平沢の無罪は証明済み」と断定する情報があるが、裁判所の再審無罪や別人の有罪判決は存在しない。
反対に、死刑確定を理由に捜査・鑑定・供述の疑問を検討してはならないわけでもない。確定判決の法的効力と、歴史的・科学的な疑義を分けることが必要である。
事件の中心には、防疫を装った男を信じて薬を飲み、12人が死亡した被害がある。平沢の冤罪問題だけに記事を限定すると、支店で起きた大量毒殺と生存者の経験が背景へ退いてしまう。
再審請求の終了は、提出証拠が否定されたことと同じではない
第20次請求は請求人死亡という手続上の理由で終了した。裁判所が全ての新証拠を検討し、平沢の有罪に疑いがないと改めて判断した棄却とは性質が異なる。
一方、手続終了だけで平沢の無罪が推定されるわけでもない。現在も法的効力を持つのは1955年に確定した死刑判決である。
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