藤沢市母娘ら5人殺害事件|藤間静波による5人殺害・裁判と死刑執行

公開日 2026年3月13日
最終更新 2026年7月31日

藤沢市母娘ら5人殺害事件は、1981年10月から1982年6月までの約8カ月間に、神奈川県と兵庫県で男女5人が相次いで殺害された連続殺人事件である。2007年12月7日、藤間静波に対する死刑が東京拘置所で執行された。47歳だった。2026年7月現在、藤間を「死刑囚として収容中」とする説明は誤りである。

POINT
この記事でわかること
  • 1981年から1982年に男女5人が殺害された3事件の流れ
  • 16歳女子高校生への執拗なつきまといが母娘3人殺害へ発展した経緯
  • 窃盗仲間2人まで「裏切り」「口封じ」を理由に殺害した背景
  • 一審死刑判決後、控訴取り下げが無効となった異例の裁判経過
  • 2004年の死刑確定から2007年の死刑執行までの状況

藤沢市母娘ら5人殺害事件の概要

事件名藤沢市母娘ら5人殺害事件
発生日・期間1981年10月6日から1982年6月5日
発生場所神奈川県横浜市・藤沢市、兵庫県尼崎市
被害死亡者数:男女5人
被告人等藤間静波
裁判・捜査状況殺人、窃盗/1988年3月10日、横浜地裁が死刑/2000年1月24日、東京高裁が控訴棄却/2004年6月15日、最高裁第三小法廷が上告棄却/死刑死刑執行2007年12月7日、東京拘置所
現在の状況藤沢市母娘ら5人殺害事件は、1981年10月から1982年6月までの約8カ月間に、神奈川県と兵庫県で男女5人が相次いで殺害された連続殺人事件である。2007年12月7日、藤間静波に対する死刑が東京拘置所で執行された。47歳だった。2026年7月現在、藤間を「死刑囚として収容中」とする説明は誤りである。

1981年から1982年に男女5人が殺害された3事件の流れ

実際には、神奈川県と兵庫県で起きた3件の殺人事件である。

  • 1981年10月6日:神奈川県横浜市で20歳の窃盗仲間を殺害
  • 1982年5月27日:神奈川県藤沢市で母親と娘2人を殺害
  • 1982年6月5日:兵庫県尼崎市で19歳の共犯者を殺害

最高裁は、藤間がわずか約8カ月の間に殺人を繰り返した点を重視し、安易に殺人へ及ぶ傾向が顕著だったと評価した。それぞれの事件には異なる直接的なきっかけがありましたが、共通していたのは、藤間が相手の言動を「裏切り」「拒絶」「離反」と受け止めると、極端な報復へ進んだことである。

第1事件|盗んだ金を返さない仲間を「裏切り」と考え殺害

最初の殺人が起きたのは1981年10月6日だった。被害者は、藤間と窃盗行為を共にしていた20歳の男性である。最高裁判決によると、男性は藤間のもとから現金を持って逃げ、返済を求められても容易に応じなかった。

藤間はこれを単なる金銭トラブルとして処理しなかった。「裏切られた」と考え、男性の殺害を企てる。そして男性を横浜市内の人目の少ない場所へ誘い出し、あらかじめ準備していた刃物で殺害した。

この事件は、後に藤沢市の母娘3人殺害事件が起きる以前の犯行である。つまり藤間は、女子高校生一家との問題が始まる前から、すでに殺人へ及んでいた。

学校帰りの16歳女子高校生に声を掛けて知り合う

藤間市母娘3人殺害へつながる関係は、藤間が学校帰りの女子高校生へ声を掛けたことから始まった。女子高校生は当時16歳。藤間は21歳だった。最高裁判決によると、2人は一緒に遊園地へ行くなどして交際した。

しかし女子高校生は、その後、藤間の人柄を知るにつれて交際を避けるようになる。ここで藤間は相手の意思を受け入れなかった。交際継続を望みながら、拒絶されたことへの怒りを募らせ、現在もいうストーカー行為に近い執拗なつきまといへ進んでいいた。

無言電話・いたずら電話・金の返済要求を繰り返す

最高裁が認定した嫌がらせは、一度だけの連絡ではない。藤間は女子高校生に対し、無言電話やいたずら電話を繰り返した。さらに、遊園地で女子高校生のために使った金を返すよう要求した。

交際を避けられるほど執着を弱めるのではなく、逆に接触と嫌がらせを強めていったのだ。女子高校生本人だけでなく、家族も藤間を強く拒絶するようになる。当時は現在のストーカー規制法が存在しない時代でしたが、後年の報道では本件は、執拗なつきまといが家族殺害へ発展した事件として取り上げられている。

家族が110番通報|藤間は一家全体への怒りを募らせた

藤間の行為は、女子高校生本人だけで対処できる段階を超えていった。最高裁判決によると、藤間は女子高校生とその家族から強く交際を拒否され、やがて女子高校生宅をめぐって110番通報される事態となった。藤間はその場から逃げ帰った。

しかし、この出来事を自分の行為を見直すきっかけにはしなかった。拒絶された怒りをさらに募らせ、最終的には女子高校生個人だけでなく、一家の殺害を企てる。最高裁は、こうした経過を踏まえ、藤間の動機に酌量の余地はないと判断している。

1982年5月27日、藤沢市で母親と娘2人を殺害

1982年5月27日夜、藤間は計画を実行した。現場は神奈川県藤沢市の女子高校生宅である。藤間は少年院時代に知り合った当時19歳の男性を犯行へ引き入れた。

最高裁判決によると、藤間は共犯者と共謀して住宅を襲い、自ら女子高校生、その母親、13歳の妹の3人を殺害した。一家の父親は当時不在で、殺害を免れた。被害者3人には、藤間から生命を奪われなければならない事情はない。交際を拒否し、家族として執拗な接触を止めようとしたことが、一方的な報復の対象とされた。

最高裁は「一家3人殺害」を計画的な報復と認定

母娘3人殺害は、突然の口論から偶発的に起きた事件ではない。最高裁は、藤間が女子高校生との交際を拒絶され、家族にも強く拒まれ、110番通報までされたことで怒りを募らせ、一家の殺害を企てたと認定した。さらに各殺人について、あらかじめ殺傷能力の高い鋭利な刃物を複数準備していたと指摘している。

つまり「会いに行ったところトラブルになり、衝動的に3人を殺した」という事件像ではない。拒絶への怒りを背景に、凶器を準備し、共犯者を伴って実行された計画的な殺人だった。

事件前、家族は警察へ相談していた

本件は、被害者側の警察相談という面でも後年注目された。2025年の報道では、被害者家族は事件前、藤間の執拗な行為について複数回警察へ相談していたとされている。しかし当時は、現在のようなストーカー規制法はなかった。

十分な捜査や保護措置につながらなかったとされ、最終的に母親と娘2人が殺害された。ただし、後の制度をそのまま1982年へ当てはめ、「現在と同じ対応をすれば必ず防げた」と断定することはできない。一方、執拗な接触、無言電話、金銭要求、家族との対立が重大な殺人へ発展した経過は、つきまとい被害の危険性を示す歴史的事件の一つである。

第3事件|共犯者が離れようとすると口封じを決意

母娘3人殺害後、藤間は19歳の共犯者と行動を共にしていた。しかし共犯者は、次第に藤間から離れようとする。最高裁判決によると、藤間は共犯者が自分から離反しようとしていると判断し、口封じのため殺害を企てた。

自首や捜査機関への供述によって母娘3人殺害が発覚することを恐れたためである。藤間は、共に重大犯罪へ関与した人物でさえ、自分から離れようとすると殺害対象にした。

1982年6月5日、兵庫県尼崎市で19歳の共犯者を殺害

1982年6月5日、藤間は兵庫県尼崎市で3件目の殺人を実行した。被害者は、藤沢市の母娘3人殺害に関与した19歳の男性である。最高裁判決によると、藤間はたまたま目に留まったマンションの人目のない階段踊り場へ男性を誘い込んだ。

そして準備した刃物で殺害した。母娘3人殺害からわずか9日後の犯行だった。これにより、1981年10月から続いた一連の殺人事件の死亡者は合計5人となった。

殺人だけでなく、ひったくり・事務所荒らしを10件繰り返した

藤間の犯罪は5件の殺人だけではなかった。最高裁は、藤間が10回にわたって、ひったくりや事務所荒らしなどの窃盗へ及んだと認定している。定職に就かず、常習的に窃盗を繰り返す生活の中で、仲間との金銭問題が最初の殺人へつながった。

一方、最高裁は量刑判断で、藤間が犯行当時まだ若く、罰金刑以外に前科がなかった点も考慮している。それでも、5人死亡という結果、計画性、残虐性、短期間で殺人を繰り返した傾向を重視し、死刑を維持した。

1982年6月14日、まず脅迫容疑で逮捕

藤間は、母娘3人殺害の直後に殺人容疑で逮捕されたわけではない。1982年6月14日、神奈川県警は藤間をまず脅迫容疑で逮捕した。捜査機関は母娘3人殺害への関与を追及しましたが、藤間は当初否認した。

殺人事件の取り調べは難航する。その後、横浜地検の検事による取り調べが進み、藤間は徐々に供述を始めた。逮捕から10日後の6月24日、藤間は母娘3人を殺害したことを認める供述をした。

供述からさらに仲間2人の殺害が明らかに

藤間の供述によって明らかになったのは、藤沢市の3人殺害だけではなかった。捜査は過去の行動へ広がり、1981年10月の20歳男性殺害と、1982年6月の19歳男性殺害も判明した。こうして、神奈川県と兵庫県をまたいで5人が死亡した一連の事件の全体像が明らかになる。

事件は警察庁広域重要指定112号事件として扱われた。藤間は殺人と窃盗の罪で刑事裁判を受けることになる。

1988年3月10日、横浜地裁が死刑判決

1988年3月10日、横浜地裁は藤間静波被告に死刑を言い渡した。一連の事件では5人が死亡している。窃盗仲間への報復、交際を拒絶した女子高校生一家への報復、共犯者への口封じという動機は異なりますが、いずれも藤間自身が「裏切られた」「拒絶された」と受け止めたことを契機に殺害へ進んだ。

凶器を準備し、相手を人目のない場所へ誘い出すなどの計画性も認定された。藤間側は東京高裁へ控訴した。

本人が控訴を取り下げる異例の展開

本件の裁判は、一審死刑判決後に極めて異例の展開をたどった。藤間は控訴審の途中、自ら控訴を取り下げる意思を示した。通常、死刑判決を受けた被告人が有効に控訴を取り下げれば、一審判決が確定する方向へ進む。

しかし弁護側は、藤間の精神状態を問題視した。控訴取り下げは本人の真意に基づく有効な意思表示ではないとして争ったのだ。この問題によって、裁判は長期間停滞した。

1995年、最高裁が控訴取り下げを無効と判断

1995年、最高裁は藤間の控訴取り下げについて重要な判断を示した。死刑判決のショックなどに起因する精神障害の影響があり、真意に基づく意思表示とは認め難いとして、控訴取り下げを無効とする判断が示された。これにより、一度は終了したかに見えた控訴審が再開される。

被告人本人による上訴取り下げと、訴訟能力・精神状態の関係が大きく問題となった、刑事裁判史上でも異例の経過だった。

2000年1月24日、東京高裁が控訴棄却

再開された控訴審は長期間に及んだ。2000年1月24日、東京高裁は藤間側の控訴を棄却した。これにより、1988年の横浜地裁死刑判決が維持された。

藤間側は最高裁へ上告する。上告審では、別件逮捕・勾留、自白の任意性、量刑、藤間の精神状態などが問題となった。

2004年6月15日、最高裁が上告棄却|死刑確定

2004年6月15日、最高裁第三小法廷は藤間側の上告を棄却した。最高裁は事件を、次のように整理している。

  • 金をめぐって窃盗仲間を「裏切り者」と考え殺害
  • 交際を避けた女子高校生へ執拗につきまとい、家族から拒絶されると母娘3人を殺害
  • 共犯者が離反しようとすると、口封じ目的で殺害
  • 別に窃盗10件を繰り返した

最高裁は、動機は誠に短絡的かつ身勝手で酌量の余地がなく、各殺人は計画的で、攻撃態様も執拗かつ残虐だったと評価した。藤間が犯行当時若年だったこと、罰金刑以外の前科がなかったこと、一応の反省の言葉を述べていたことも検討された。それでも、死亡者5人という重大な結果から、死刑を是認せざるを得ないと裁判官全員一致で判断した。

なぜ死刑が選択されたのか

藤間は事件当時21歳という若さだった。しかし最高裁は、年齢だけで死刑を回避できる事件ではないと判断した。特に重視されたのは次の事情である。

  • 約8カ月間に5人を殺害した
  • いずれも鋭利な刃物を事前に複数準備した
  • 確定的な殺意の下で生命に重要な部位を繰り返し攻撃した
  • 最初の殺人後も犯行を止めず、さらに4人を殺害した
  • 交際拒絶への報復や共犯者への口封じなど動機が身勝手だった
  • 社会へ与えた衝撃が大きく、遺族の処罰感情も厳しかった

最高裁は、藤間に「安易に殺人に及ぶ傾向」が顕著に認められると指摘した。5人殺害という人数だけで機械的に死刑としたのではなく、動機、計画性、殺害方法、連続性、犯行後の生活態度などを総合した判断だった。

2007年12月7日、藤間静波の死刑を執行

死刑確定から約3年半後、刑が執行された。2007年12月7日、藤間静波に対する死刑が東京拘置所で執行された。藤間は47歳だった。

同日には藤間を含む3人の死刑確定者へ刑が執行された。この執行は、日本の死刑制度をめぐる情報公開の面でも注目された。法務省は執行後、執行された人物の氏名や執行場所、基本的な犯罪事実、裁判経過を公表した。したがって藤間については、現在「死刑確定者として収容中」ではない。

「ストーカー殺人事件」として見る際の注意点

藤沢市の母娘3人殺害は、現在もいうストーカー型殺人事件として語られることがある。実際、最高裁は藤間が女子高校生へ無言電話やいたずら電話を繰り返し、金の返済を要求し、執拗につきまとっていたと認定している。一方、事件が起きた1982年にはストーカー規制法は存在しなかった。

さらに本件全体は、女子高校生一家への殺人だけではない。藤間はその前後に男性2人も殺害している。そのため事件全体を正確に理解するには、ストーカー化した交際拒絶への報復事件であると同時に、窃盗仲間への報復と共犯者への口封じを含む5人連続殺人事件として整理する必要がある。

現在|藤間静波は2007年に死刑執行済み

現在も、藤間静波はすでに死亡している。1988年3月10日に横浜地裁が死刑判決を言い渡し、控訴取り下げの有効性をめぐる長期の法廷闘争を経て、2000年1月に東京高裁が控訴棄却。2004年6月15日に最高裁が上告を棄却した。そして2007年12月7日、東京拘置所で死刑が執行された。

本件の核心は、単に「交際を断られた男が一家を殺害した」という一文では捉えきれない。藤間は、窃盗仲間が金を持ち去ると「裏切り」と考えて殺害し、女子高校生から交際を避けられると執拗につきまとい、家族に拒絶されると母娘3人を殺害した。さらに共犯者が離れようとすると口封じのため殺害している。

他者の拒絶や離反を受け入れず、自分が傷つけられたと感じるたびに極端な報復へ進み、約8カ月で5人の生命を奪ったことが、藤沢市母娘ら5人殺害事件の最も重大な特徴である。

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