帝銀事件|12人毒殺と平沢貞通の死刑確定、第20次再審は実体判断なく終了

公開日 2026年2月4日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1948年
都道府県
東京都
事件分類
大量殺人事件
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1948年1月26日午後、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店に一人の男が入った。男は防疫関係者を装い、近隣で赤痢が発生したため予防薬を飲む必要があると説明する。行員や家族ら16人は指示された液体を口にし、12人が死亡した。

男は人々が倒れた店内から現金と小切手を奪って立ち去った。戦後間もない時期に起きた大量毒殺強盗は、やがて画家・平沢貞通の逮捕と死刑判決へ進む。しかし平沢は公判で犯行を否認し、死刑が執行されないまま1987年に死亡した。死後も再審請求は続き、第20次請求は2025年、証拠の実体判断に入らないまま手続が終了している。

事件名帝銀事件
発生1948年1月26日
場所東京都豊島区・帝国銀行椎名町支店
被害16人が毒物入り液体を飲み、12人死亡
逮捕1948年8月21日、平沢貞通を逮捕
一審1950年7月24日、東京地裁が死刑
控訴審1951年9月29日、東京高裁が控訴棄却
上告審1955年4月6日、最高裁が上告棄却
死刑確定1955年5月7日
本人の死亡1987年5月10日、刑未執行のまま死亡
第20次再審2015年申立て。請求人死亡により2025年に手続終了

閉店後の銀行で「予防薬」を飲ませた男

事件当日、男は東京都の衛生関係者であるかのように振る舞い、「進駐軍の指示による防疫」などと説明して行員らを従わせた。当時の国会で警視庁側が説明したところでは、16人が青酸性の液体を飲まされ、12人が死亡、4人が意識を失った。

犯人は薬の飲み方を自ら示し、集団に順番を守らせるような手際を見せたとされる。現場が混乱すると、店内の現金と小切手を奪って逃走した。強盗のために銀行へ押し入って暴力で制圧したのではなく、相手に薬だと信じ込ませて自ら飲ませた点が、この事件の異例さだった。

帝銀事件の前にも、よく似た二つの未遂事件があった

捜査で重要になったのは、椎名町支店の事件だけではなかった。1947年10月14日、安田銀行荏原支店では、男が防疫を口実に行員らへ液体を飲ませる類似事件が起きている。死者は出なかったが、男は支店長に「厚生技官・医学博士 松井蔚」と記された名刺を渡していた。

松井蔚は実在する医師で、名刺も偽造品ではなく本人が実際に使用していたものだった。さらに1948年1月19日には三菱銀行中井支店でも類似の事件が発生する。警察は三つの事件を関連づけ、名刺の流通先と犯人の行動を追った。

一枚の名刺から配布先を洗い出す捜査へ

1948年3月の国会答弁によると、松井の名刺は100枚印刷され、警察はその使用先を調べて66枚まで所在を確認していた。名刺を誰に渡したかを一人ずつたどる捜査が進み、その過程で平沢貞通も捜査線上に浮上する。

平沢は北海道を拠点に活動していた画家で、事件当時56歳。警視庁は同年8月21日、北海道小樽市で平沢を逮捕した。逮捕から約7か月前に起きた大量毒殺事件は、ここから「平沢が犯人か」という刑事裁判へ移る。

捜査段階の自白と、公判での全面否認

平沢は取調べの中で犯行を認める供述をしたが、1948年12月10日の初公判では否認へ転じた。以後、本人は自白が自由な意思によるものではないと主張し、事件への関与を争った。

確定裁判では、自白だけでなく、生存者による人物識別や名刺をめぐる事情などが検討され、有罪判断に至った。一方、後の再審請求では、自白内容と客観的状況が整合するのか、目撃者の記憶をどこまで信用できるのかが繰り返し問題とされた。

毒物の正体も、再審で長く争われた

事件では青酸化合物による中毒死と判断されたが、犯人が用いた毒物の具体的な種類と扱い方は、捜査初期から大きな論点だった。毒物を扱う手際から旧日本軍の特殊部隊関係者を疑う捜査も行われ、登戸研究所や旧軍関係者が取り調べを受けた。

平沢は旧日本軍の毒物研究に関係した人物ではなかった。死後の再審でも弁護側は毒物鑑定を新証拠の柱とし、「確定判決が前提とした毒物像と事件現場の状況が一致するのか」を争っている。ここは、裁判で有罪が確定していることと、再審側が判決の証拠評価を争ってきたことを分けて見る必要がある。

東京地裁の死刑判決から最高裁まで5年

東京地裁は1950年7月24日、平沢に死刑を言い渡した。1951年9月29日、東京高裁は控訴を棄却。最高裁も1955年4月6日に上告を棄却し、その後の異議申立ても退けられて同年5月7日に死刑が確定した。

判決が確定しても平沢は無実を訴え続けた。再審請求や恩赦の申立てが繰り返される一方、死刑は執行されなかった。確定から32年後の1987年5月10日、平沢は八王子医療刑務所で95歳で死亡する。刑事裁判上の有罪判決は取り消されないまま残った。

本人の死後も、親族による再審請求が続いた

刑事訴訟法は、有罪判決を受けた本人が死亡した後でも、一定の親族に再審請求を認めている。帝銀事件では平沢の死後も親族が請求人となり、確定判決の見直しを求める手続が続いた。

第19次再審請求は請求人だった養子の死亡で終了した。その後、2015年11月24日に第20次再審請求が東京高裁へ申し立てられる。弁護側は、目撃証言を扱った心理学的検討や毒物鑑定などを新証拠として提出し、自白・人物識別・毒物の評価を改めて争った。

第20次再審は「新証拠に理由がない」と判断されて終わったのではない

第20次再審請求の請求人だった平沢の孫は、2025年1月1日に死亡した。弁護側は、請求人が死亡しても選任された弁護人がいる以上、再審開始の可否まで審理を続けるべきだとの意見書を東京高裁へ提出した。

東京高裁は同年3月27日、「請求人の死亡により手続は終了した」と決定する。弁護側は4月1日に特別抗告したが、最高裁第三小法廷は4月25日に棄却した。したがって第20次請求は、新証拠の証明力を最終的に評価して再審を認めないと判断されたのではなく、請求人死亡という手続上の理由で終わった。

2026年現在も、1955年の有罪判決は維持されている

第20次再審手続が終了しても、平沢に対する確定死刑判決が取り消されたわけではない。本人はすでに死亡しており刑の執行対象ではないが、刑事裁判上は1955年の有罪判決が現在も効力を持つ。

明治大学平和教育登戸研究所資料館の資料では、刑事訴訟法439条1項4号に基づき、別の直系親族が新たな再審請求を起こし得ることも説明されている。帝銀事件は「冤罪と確定した事件」でも「再審で無罪になった事件」でもない。一方で、死刑確定後70年以上にわたり証拠評価が争われ、2025年の第20次請求も実体判断に至らなかったという状態にある。

参考資料・出典

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