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帝銀事件(帝国銀行事件)|毒物を使った銀行員大量殺害と平沢貞通冤罪論が続く未解決事件(1948年)

事件概要

項目内容
事件名帝銀事件(帝国銀行事件)
発生1948年1月26日
発生場所東京都豊島区
被害者銀行員12人死亡
犯人不明(平沢貞通が逮捕・有罪)
犯行毒物混入
逮捕1948年
判決死刑(確定・未執行)
性質大量毒殺事件、冤罪議論

事件の注目ポイント

帝銀事件は、1948年に東京の銀行で発生した大量毒殺事件である。犯人は保健所職員を装って銀行を訪れ、行員に薬と称した毒物を飲ませ、12人を死亡させた。

事件では画家 平沢貞通 が逮捕され死刑判決を受けたが、証拠の信頼性や自白の問題などから冤罪を疑う声が長年続いている。犯人像や毒物の正体を巡る議論も続いており、日本の刑事事件史の中でも特に議論の多い事件として知られている。


事件の発生

1948年1月26日、東京都豊島区にあった 帝国銀行椎名町支店 に一人の男が訪れた。

男は

「厚生省の防疫班」

を名乗り、近くで赤痢が発生したため銀行職員に予防薬を飲ませる必要があると説明した。

銀行には当時、行員や関係者が複数いた。

男は職員を集め、薬と称する液体を順番に飲ませた。


犯行状況

男が配った液体は、実際には強い毒物だった。

薬を飲んだ職員は次々と倒れ、

  • 嘔吐
  • 意識障害
  • 痙攣

などの症状を示した。

最終的に

12人が死亡

する大量毒殺事件となった。

犯人はその混乱の中で銀行の金品を奪い、逃走した。


捜査経過

警察は毒物事件として大規模な捜査を開始した。

当初、毒物の種類は特定されず、犯人像もはっきりしなかった。

その後の捜査で浮上したのが画家の 平沢貞通 だった。

警察は

  • 似顔絵
  • 目撃証言
  • 金銭の動き

などを根拠に平沢を逮捕した。

取り調べの中で平沢は犯行を自供したとされる。


裁判

裁判では、平沢貞通の自白の信用性が大きな争点となった。

弁護側は

  • 自白の強要
  • 物証の不足

などを主張したが、裁判所は犯行を認定した。

1950年、東京地裁は

死刑判決

を言い渡した。

その後

  • 東京高裁
  • 最高裁

でも判決が維持され、死刑が確定した。


死刑未執行

平沢貞通は死刑が確定したものの、刑は執行されなかった。

再審請求が繰り返され、最終的に平沢は

1987年に獄中で死亡した。


冤罪論

帝銀事件は現在でも冤罪の可能性が議論されている事件である。

主な論点として

  • 毒物の特定問題
  • 自白の信頼性
  • 犯人の医学知識

などが指摘されている。

また、旧日本軍の細菌兵器研究者が関与した可能性など、複数の説が存在している。


社会的影響

帝銀事件は、日本の刑事事件史の中でも特に影響の大きい事件の一つである。

事件は

  • 大量毒殺事件
  • 自白中心の裁判
  • 冤罪問題

など多くの問題を含んでおり、戦後日本の刑事司法のあり方を考える上でも重要な事件として研究されている。


現在の位置づけ

帝銀事件は、日本の未解決事件の中でも特に議論が続いている事件である。犯人像や毒物の特定、平沢貞通の有罪判断などについて現在でも研究や検証が続いており、日本の刑事史における重要事件の一つとなっている。


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