1948年1月26日午後、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店で、行員と用務員の家族ら16人が男の指示で液体を飲み、12人が死亡した。男は防疫関係者を装い、近くで赤痢が発生したため予防薬を飲ませると説明した。自ら飲み方を実演して信用させた後、毒物を二度に分けて飲ませ、倒れた人々を残して現金や小切手を奪った。
警察は同種の未遂事件で使われた名刺を追い、画家の平沢貞通を逮捕した。平沢は取り調べで自白したが、公判では否認し、物的証拠や毒物の種類をめぐる疑問が残った。1955年に死刑が確定したものの執行されず、1987年に拘置中に死亡した。親族らによる再審請求は繰り返され、第20次請求も続いていたが、請求人の死亡により2025年に実体判断を受けないまま終了した。
| 事件名 | 帝銀事件 |
|---|---|
| 発生日・期間 | 1948年 |
| 発生場所 | 東京都豊島区長崎(旧帝国銀行椎名町支店) |
| 事件概要 | 1948年、帝国銀行椎名町支店で行員ら16人が毒物を飲まされ、12人が死亡した。 |
| 判決・現在の状況 | 死刑(1955年確定、1987年に拘置中死亡)。死刑確定者死亡・第20次再審請求終了 |
| 最終確認日 | 2026年8月1日 |
防疫班を装った男と二種類の液体
閉店間際の支店に現れた男は、東京都の防疫班に所属する医師であるかのように振る舞った。感染者が近隣におり、GHQの指示で予防措置を行うと説明し、行員らを一か所へ集めた。白い腕章、専門的に聞こえる話し方、薬の飲み方の実演が、突然の指示を信じさせる材料になった。
最初の液体を飲んだ後、一定時間を置いて二杯目が配られた。ほどなくして人々は苦しみ始め、視力や身体の自由を失って倒れた。男は救助せず、現金約16万円と小切手を持ち去った。16人のうち12人が死亡し、生存者の供述が犯人像を探る中心資料となった。
犯人が自ら最初の液体を口にするように見せた点は、被害者を従わせるための重要な演出だった。実際に同じ毒物を飲んだのか、無害な液体を用意していたのかは確定していない。行員らは業務中で、感染症対策を名乗る公的な指示を拒みにくかった。戦後間もない社会で防疫措置への関心が高かったことも利用され、短時間の説明だけで16人を一斉に同じ姿勢へ置くことに成功した。
安田銀行荏原支店などで起きていた類似事件
椎名町支店の事件前には、安田銀行荏原支店などで、同じように防疫関係者を名乗る男が薬を飲ませようとする事件が起きていた。未遂に終わった現場では名刺が残され、警察は名刺に記された人物と、それを使用した可能性のある人を調べた。
名刺の交換相手をたどる捜査から平沢が浮上した。平沢は北海道を拠点に活動する画家で、問題の名刺を受け取ったことがあるとみられた一方、紛失や使用経緯の説明が疑われた。事件後にまとまった金を所持していた点も追及され、1948年8月に逮捕された。
類似事件の名刺捜査では、名刺の本人ではなく、その名刺を受け取って使用できた人物を追う必要があった。交換された名刺は多数の人の手に渡る可能性があり、一枚の所在だけで犯人を特定することはできない。平沢が名刺を受け取った時期や、その後に失ったという説明、事件時の行動が照合された。名刺は捜査の入口となったが、椎名町支店で平沢が毒物を配ったことを直接示す物証ではなかった。
長期の取り調べで作られた自白
平沢は逮捕当初から関与を否定したが、長期間の取り調べを受ける中で自白調書が作成された。自白は複数回に及び、犯行方法や金の処分について述べたとされた。しかし内容には変化があり、秘密の暴露に当たるか、捜査側から得た情報が混じっていないかが後に争われた。
平沢は公判に入ると自白を撤回し、拷問や強い圧力の中で事実でない説明をしたと主張した。当時の取り調べは弁護人の立会いも録音録画もなく、調書が作られた過程を後から検証する資料は限られていた。再審請求では心理学者らが自白の形成過程を分析し、信用性へ疑問を示した。
自白調書には、犯人しか知らない事実がどの程度含まれていたかが重要になる。取り調べが長期化すると、捜査官の質問に含まれた情報を被疑者が取り込み、後に自分の記憶として語る危険がある。平沢には狂犬病予防接種後の後遺症や記憶障害があったとの主張もあり、供述の変化を単純に虚偽か真実かへ分けにくかった。再審弁護団は、調書作成の順序と報道済み情報を比較し、自白の独立性を争った。
生存者の目撃証言と人物識別の問題
店内にいた生存者は犯人を間近で見ており、平沢の逮捕後に面通しや写真による確認が行われた。複数の人が似ている、犯人だと思うと述べたことは有罪認定の柱となった。ただし、事件から時間が経過し、平沢の写真が報道された後の識別も含まれていた。
目撃証言は重要である一方、極度の緊張、毒物による身体症状、事後情報によって記憶が変化する可能性がある。第20次再審請求では、現在の認知心理学の知見を用い、識別手続や供述変化を検討した鑑定書が提出された。確定判決当時には十分共有されていなかった問題である。
生存者の証言は犯人像を知る数少ない資料だったが、識別手続自体が適切だったかも検討対象となる。複数の候補を公平に見せず、捜査対象となった一人を意識させる方法であれば、記憶より期待に沿った選択が生じる。事件直後の供述と逮捕後の供述の違い、顔の特徴、声や話し方の記憶が比較された。確定判決は総合的に平沢を犯人と認めたが、後の心理学は人物識別の誤りが冤罪を生む可能性を示している。
青酸化合物の種類をめぐる疑問
捜査と裁判では、使用された毒物が青酸カリとされ、短時間で多数を死亡させる知識や入手経路が検討された。犯人は全員を整列させ、自ら一口飲むように見せてから摂取させており、毒物の性質と扱いに慣れていた可能性が指摘された。
一方、症状の現れ方や残された資料から、旧日本軍の研究機関などが扱った別の青酸化合物だったのではないかという見方も出た。平沢は画家で、毒物を入手し調製した直接証拠は確認されなかった。再審弁護団は鑑定を提出し、確定判決が前提とした毒物認定へ疑問を示してきた。
毒物の問題は、犯人の知識と経歴に直結する。青酸カリを使ったとすれば画家である平沢にも入手可能だったとの説明が成り立つ一方、軍事研究で用いられた特殊な化合物なら、別の技能や組織との関係が必要になる。事件現場の試料は時間の経過とともに再鑑定が難しくなり、当時の鑑定記録から推定するほかない部分が増えた。再審では、古い科学鑑定を新しい知見で見直す際の限界も表れた。
死刑確定後も執行されなかった32年間
東京地裁は1950年に死刑を言い渡し、控訴審、上告審を経て1955年に確定した。平沢は無実を訴え、本人や家族、支援者が再審と恩赦を求めた。法務大臣による執行命令は出されず、死刑確定者として長期間収容された。
1987年5月10日、平沢は八王子医療刑務所で肺炎のため95歳で死亡した。死刑確定から32年が経過していた。死亡によって刑を執行する可能性はなくなったが、刑事訴訟法は一定の親族に死後再審を求める権利を認めており、名誉回復を求める手続は続いた。
死刑が確定しながら執行されなかった理由について、法務省が個別判断の内情を公表したわけではない。高齢、再審請求、恩赦運動、証拠への疑問などが背景として論じられてきたが、公式に一つの理由へ確定できない。平沢は長期間、執行の可能性がある拘禁状態に置かれ、支援者は刑の停止と再審を求め続けた。本人の死亡後も、有罪判決が残る限り事件の法的評価は変わらないため、親族が請求人を引き継いだ。
第20次再審請求が請求人死亡で終了
2015年、平沢の親族が第20次再審請求を申し立てた。弁護側は自白、目撃証言、毒物鑑定を改めて争い、新たな専門家意見を提出した。東京高裁で審理が続いていたが、2025年1月に請求人が死亡した。
東京高裁は同年3月、請求人の死亡によって手続は終了したと決定した。弁護側は、選任済みの弁護人がいるため審理を続けられると主張して特別抗告したが、最高裁は4月に棄却した。新証拠が再審開始に足りるかという実体判断は示されず、第20次請求は終了した。2026年8月時点で、第21次請求の申立ては公表されていない。
第20次請求が終了したのは、新証拠の価値が否定されたからではなく、請求人の死亡による手続上の理由だった。特別抗告でも、死亡した請求人に代わって弁護人だけで請求を継続できるかが争われ、証拠の中身には最高裁の判断が及ばなかった。新たな親族が改めて請求できる可能性は制度上残るが、2026年8月までに公表された申立てはない。事件から78年が経過し、証人や原資料が失われる中で再審のハードルはさらに高くなっている。
帝銀事件では、現場から犯人の指紋や毒物容器が決定的な形で残らず、平沢の所持金も奪われた現金と直接同一と証明されなかった。確定判決は自白、目撃、名刺、金銭事情を総合したが、後の再審請求は各証拠の弱点が組み合わされた場合にも有罪を維持できるかを問い続けた。個々の疑問がそれぞれ小さくても、全体として犯人性に合理的疑いが生じる可能性がある。再審裁判所には、確定判決の証拠構造を新旧全証拠で評価し直すことが求められる。
第20次請求の終了後も、平沢の有罪判決は法的に取り消されていない。死刑確定者が死亡しているため、再審が開かれて無罪となっても本人が釈放されることはないが、刑事補償や名誉、事件史の評価に意味を持つ。一方で、真犯人を別の人物や組織とする説には確定証拠がなく、平沢への疑問だけから特定の代替犯人を断定することはできない。現在の記述では、確定死刑判決と再審で提出された反証を並べ、未決着の部分を明示する必要がある。
平沢の支援運動には法律家、作家、研究者が参加し、恩赦と再審の双方を求めた。恩赦は有罪判決を誤判として取り消す制度ではなく、刑の執行や資格を行政的に変更するものである。平沢が求めた無実の確定には再審が必要だった。死刑が執行されなかったことと、司法が無罪を認めたことを混同してはならない。拘置中死亡後も請求が続いたのは、単に刑を免れる目的ではなく、有罪認定そのものを争うためだった。
銀行で死亡した12人には、それぞれ職場と家庭があり、生存者にも毒物による被害と事件を目撃した記憶が残った。再審問題を平沢だけの物語として扱うと、真犯人が確定しないことで被害者側も説明を得られない事実が見えにくい。確定判決への疑問を検討しながら、事件被害を同時に記録する必要がある。
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