同僚・妻連続殺人事件は、静岡県内の生協職員だった大倉修が、2004年に同じ職場の男性を殺害し、翌2005年には妻を殺害した事件である。二つの事件は約1年離れていたが、いずれも大倉が続けていた不倫関係を背景としていた。
大倉は同僚男性の遺体を茶畑へ埋め、妻の遺体は自宅で損壊して山中の複数地点へ遺棄した。妻事件の捜査で車内の血痕が調べられ、未解決だった同僚男性事件へつながった。静岡地裁は死刑を言い渡し、東京高裁と最高裁も維持した。公開資料上、大倉は未執行の死刑確定者として掲載されている。
- 2004年の同僚男性殺害と、茶畑へ遺棄されるまでの経過
- 2005年の妻殺害、遺体損壊、失踪を装った行動
- 車内の血痕とDNA型鑑定が2件を結び付けた経緯
- 責任能力の争いと、死刑が確定した理由
| 第1事件 | 2004年9月16日 |
|---|---|
| 第1事件の被害者 | 同僚男性・蒔田晃さん(当時37歳) |
| 第1事件の遺棄場所 | 静岡市内の茶畑 |
| 第2事件 | 2005年9月9日 |
| 第2事件の被害者 | 大倉修の妻(当時36歳) |
| 被告人 | 大倉修(犯行当時の姓は滝) |
| 主な罪名 | 殺人、死体損壊、死体遺棄 |
| 一審 | 2007年2月26日、静岡地裁が死刑 |
| 控訴審 | 2008年3月25日、東京高裁が控訴棄却 |
| 上告審 | 2011年4月11日、最高裁が上告棄却 |
| 確定刑 | 死刑 |
| 現在の状況 | 公開資料上、死刑確定者として掲載 |
不倫関係をめぐる三者の位置関係
大倉修は静岡県内の生協で働いていた。事件当時は30代半ばで、犯行当時の姓は「滝」だったとされている。大倉自身は結婚していましたが、同じ団体に勤める既婚女性と不倫関係になった。最高裁判決も、2件の事件を理解する前提として、この不貞関係を明確に認定している。最初の被害者となった男性は、その女性の直属上司であり、大倉にとっても同じ職場の同僚だった。約1年後に殺害された妻も、大倉の不倫関係を知り、その解消を求める立場にあった。つまり2件は、被害者も殺害方法も異なる一方、大倉自身の不倫関係をめぐる問題によってつながっていた。
2004年9月16日、同僚男性を絞めた後に包丁を用意した
最初の事件が起きたのは2004年9月16日である。被害者は同じ職場で働く37歳の男性で、報道では蒔田晃さんとされている。蒔田さんは、大倉の不倫相手だった女性の直属上司でもあった。最高裁判決によると、大倉は蒔田さんと話をする中で、女性に関する発言を聞いて激しく怒った。
ネット上では「不倫相手を中傷されたため殺害した」と簡略化されることがありますが、より正確には、女性に関する蒔田さんの発言に大倉が憤激したことが殺害へつながったと司法判断で整理されている。大倉は無防備な蒔田さんに対し、突然、ネクタイを使って首を絞めた。最初の事件で特に重く評価されたのが、攻撃が一度で終わっていない点である。最高裁判決によると、大倉は蒔田さんの首を絞めた後、確実に殺害するため包丁を購入した。そして胸部、腹部などを刺し、蒔田さんを殺害した。
これは、その場で一度だけ衝動的な攻撃を加えた事件とは異なる。首を絞めた後も殺害意思を維持し、別の凶器を用意して攻撃を重ねている。最高裁は、こうした行為について確定的殺意に基づく執拗な攻撃と評価した。
遺体は茶畑で発見されたが、犯人特定には至らなかった
殺害後、大倉は警察へ通報しなかった。蒔田さんの遺体を運び、静岡市内の茶畑の隅に埋めて遺棄した。報道では静岡市葵区の茶畑とされている。遺体は2004年10月24日に発見されたと報じられている。しかし当時、大倉が直ちに犯人として逮捕されたわけではない。このため、蒔田さん殺害事件はしばらく大倉による犯行と解明されないまま残った。大倉はその後も不倫関係を続ける。そして約1年後、今度は最も身近な人物である妻を殺害することになる。
約1年後、妻を自宅玄関で襲った
2件目の事件が起きたのは2005年9月9日である。最高裁判決によると、最初の殺人後も続いていた不貞関係が妻に発覚した。妻は大倉に対し、不倫関係を解消するよう迫るなどした。一審判決をめぐる報道では、夫婦間で離婚問題も生じていたとされている。大倉側は後の裁判で、妻殺害について、単純に不倫相手との関係維持だけが目的ではなかったという趣旨の弁解もした。しかし裁判所は、2件の背景に大倉自身の不貞関係があり、その経緯や動機に酌むべき事情はないと判断した。
妻殺害の具体的な態様は、最高裁判決に詳しく記載されている。大倉は自宅玄関で、妻の背後から突然、首を絞めた。それだけではない。首を絞めた状態のまま妻を居間まで引きずっていき、さらに締め続けて殺害した。
犯行にはネクタイが使われたと認定されている。最初の同僚男性事件でも首を絞める行為から攻撃を開始しており、最高裁は両事件について、無防備な被害者を突然襲った点を指摘した。妻は大倉の不倫関係によって夫婦問題に巻き込まれた立場だった。最高裁は、被害者2人には落ち度がなく、その生命が奪われた結果は極めて重大としている。
妻の遺体を損壊し、自ら捜索願を出した
妻殺害後、大倉が行った証拠隠滅は極めて悪質だった。最高裁判決によると、大倉は妻の遺体を自宅浴室で電気丸のこを使って切断した。その後、切断した遺体を山中の複数地点へ運び、遺棄した。報道では、当時の由比町周辺など複数の場所が遺棄先になったとされている。司法上の罪名も、殺人だけではない。この行為によって死体損壊罪と死体遺棄罪にも問われた。最高裁は、とりわけ妻の事件について、遺体を解体したうえで遺棄した行為を指摘し、犯行態様を冷酷、残虐で悪質と評価している。
大倉は妻を殺害した後、犯行を隠そうとした。後年の死刑確定者資料などによると、2005年9月18日、大倉は警察に対し、研修から帰宅したところ妻がいなくなっていたという趣旨の説明をし、捜索願を出した。しかし実際には、妻はすでに大倉自身によって殺害され、遺体を損壊・遺棄されていた。
遺体の身元確認が進み、同月26日には妻であることが判明したとされている。警察が大倉から事情を聴くと、遺体遺棄への関与を認める方向へ進んだ。9月27日、大倉は妻の死体遺棄容疑で逮捕された。その後、妻殺害と遺体損壊についても刑事責任を問われることになる。
妻事件の捜査が、前年の同僚男性事件を動かした
大倉の逮捕時点で、2004年の蒔田さん殺害事件まで直ちに解明されたわけではなかった。捜査は妻殺害事件を軸に進み、大倉は2005年10月に妻に対する殺人罪などで起訴された。その後、捜査機関が大倉の使用していたワゴン車などを調べた結果、血痕が問題となる。報道では、DNA型鑑定によって蒔田さんとの一致が確認されたことが、最初の事件解明の重要な転機になったとされている。
2006年、大倉は蒔田さん殺害についても認めるに至り、未解決だった同僚男性事件と妻殺害事件が、一人の男による連続殺人として結びついた。2件の間隔は約1年である。最初の殺人が発覚・処罰されないまま、大倉は再び身近な人物の生命を奪っていた。
うつ病の影響と責任能力が争われた
刑事裁判では、大倉が2件の犯行を行ったこと自体だけでなく、犯行時の責任能力も大きな争点となった。弁護側は、大倉がうつ病などの影響を受け、心神耗弱状態にあったという趣旨の主張を行い、死刑回避を求めた。控訴審や上告審でも、精神状態と責任能力の判断は争われた。最高裁段階では、精神鑑定を実施しないまま完全責任能力を認めた判断などが問題とされた。
しかし2011年の最高裁判決は、本件各犯行時に大倉の完全な責任能力を認めた原審判断を正当として是認した。大倉が精神的な問題を主張したことは事実ですが、「責任能力がなく無罪」「心神耗弱で必ず減刑」という結論にはなっていない。
一審から最高裁まで死刑判断が維持された
2007年2月26日、静岡地裁は大倉修に死刑を言い渡した。検察側の求刑も死刑だった。裁判所は、約1年間に2人の生命を奪った結果の重大性、確定的殺意に基づく執拗な攻撃、殺害後の遺体遺棄、妻の遺体を切断した犯行後行動などを厳しく評価した。2人の被害者に落ち度はなく、事件の背景はいずれも大倉自身が続けていた不倫関係に由来する。
一審は、前科前歴がないことなど大倉に有利な事情も検討した。それでも死刑以外の刑を選択するには足りないと判断した。大倉側は判決を不服として控訴した。
2008年3月25日、東京高裁は大倉側の控訴を棄却した。控訴審では、犯行動機の評価や責任能力などが争われましたが、一審の死刑判断は維持された。裁判所は、2件が無関係な偶発事件ではなく、大倉の不倫関係を背景とした犯行である点を重視した。大倉側はさらに最高裁へ上告。死刑判断の是非と責任能力をめぐる最終判断が最高裁第二小法廷へ持ち込まれた。
2011年4月11日、最高裁第二小法廷は大倉側の上告を棄却した。最高裁は、各犯行の経緯や動機について酌むべき点はないと判断した。同僚男性事件では、首を絞めた後、確実に殺害するため包丁を購入して刺殺。妻事件では、玄関で背後から首を絞め、居間まで引きずりながら絞め続けている。
最高裁は、いずれも確定的殺意に基づく執拗な攻撃であり、殺害後も発覚を防ぐため遺体を遺棄し、妻事件では遺体を解体していると指摘した。さらに、落ち度のない2人の生命が奪われた結果、遺族感情、社会へ与えた衝撃を重視。大倉が殺害経緯について不合理な弁解を述べ、真摯な反省がうかがえないとも評価した。前科前歴がないこと、犯行自体を認めていること、遺族へ謝罪の意向を示したことなども考慮されましたが、死刑はやむを得ないと結論づけられた。
本件では「2011年4月11日に死刑確定」と簡略化されることがありますが、刑事手続を厳密に見ると補足が必要である。4月11日は、最高裁が上告棄却判決を言い渡した日である。その後、大倉側は判決訂正を申し立てた。報道では、2011年5月9日付で最高裁が訂正申し立てを棄却し、死刑が確定したとされている。したがって、裁判経過としては「2011年4月11日に最高裁が上告棄却、その後の訂正申し立ても棄却され死刑確定」と整理するのが正確である。
2人の被害、反復性、犯行後の行動が量刑を決めた
死刑選択では被害者数だけでなく、動機、殺意、犯行態様、犯行後の行動、前科、反省状況などが総合される。大倉には前科前歴がなく、犯行自体を認め、謝罪の意向も示していた。
最高裁は、それらを考慮しても、約1年間に落ち度のない2人を殺害した結果、最初の事件が解決しないまま再び殺害へ及んだ反復性、遺体を隠し、妻については損壊までした行動を重く見た。二つの動機はいずれも大倉自身の不貞関係に起因し、酌量すべき事情はないと判断された。
現在の法的状況
2026年7月23日更新の死刑確定者資料には、大倉修の名前が掲載されている。死刑執行または死亡を示す公的発表は確認されていないため、公開情報上は未執行の死刑確定者として整理される。
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