三島女子短大生焼殺事件は、2002年1月22日夜、アルバイトから自転車で帰宅していた短期大学1年生の山根佐知子さん(当時19歳)が、面識のない服部純也に車で連れ去られた事件である。山根さんは監禁と性的暴行を受けた後、犯行の発覚を恐れた服部に殺害された。
一審は無期懲役を選択したが、東京高裁は殺害方法、口封じという動機、仮釈放後の再犯などを重く見て死刑へ変更した。最高裁は2008年に上告を棄却し、服部の死刑は2012年8月3日に東京拘置所で執行された。
- 帰宅途中の山根佐知子さんが連れ去られた経過
- 性的暴行の発覚を恐れ、服部純也が殺害を決めた過程
- DNA型鑑定が別事件で収監中の服部へつながった捜査
- 一審無期懲役から控訴審死刑へ判断が変わった理由
| 発生期間 | 2002年1月22日夜から23日未明 |
|---|---|
| 連れ去り現場 | 静岡県三島市内の国道136号付近 |
| 殺害現場 | 三島市川原ケ谷の市道付近 |
| 被害者 | 山根佐知子さん(当時19歳) |
| 被告人 | 服部純也(事件当時29歳) |
| 被害者との関係 | 面識なし |
| 主な罪名 | 逮捕監禁、強姦、殺人 |
| 逮捕 | 2002年7月、別事件で収監中に逮捕 |
| 一審 | 2004年1月15日、無期懲役 |
| 控訴審 | 2005年3月29日、一審破棄・死刑 |
| 上告審 | 2008年2月29日、上告棄却 |
| 死刑執行 | 2012年8月3日、東京拘置所 |
1月22日午後11時ごろ、車で先回りして待ち伏せた
事件が始まったのは、2002年1月22日午後11時ごろである。山根佐知子さんはアルバイトを終え、自転車で三島市内の自宅へ向かっていた。山根さんは当時19歳の短期大学1年生だった。その道を車で通りかかった服部純也が、山根さんを見つける。服部と山根さんに面識はなく、恨みや金銭をめぐる問題もなかった。服部は性的な関心から山根さんへ声をかけましたが、山根さんは応じず、そのまま自転車で帰ろうとした。
山根さんに断られても、服部はその場から離れなかった。車で先回りし、人通りの少ない場所で山根さんを待ち伏せする。山根さんの進路をふさぎ、再び一緒に出かけるよう迫った。山根さんは服部から逃げようとしましたが、服部は力ずくで取り押さえ、車内へ押し込んだ。服部は顔や車を見られたことを理由に、警察へ通報すれば危害を加えるという趣旨の言葉で脅している。山根さんは、帰宅途中に突然、見知らぬ男の車へ監禁された。
服部は山根さんを乗せたまま車を走らせ、人目につきにくい場所へ移動した。山根さんを脅して抵抗を抑え、車内で性的暴行を加えている。裁判では、当時の罪名である強姦罪が成立した。山根さんは長時間、自由に車から降りることも、家族や警察へ助けを求めることもできなかった。
服部は当初、山根さんを解放することも考えていたとされている。しかし、顔や車を見られていたため、山根さんを帰せば性的暴行が発覚し、再び刑務所へ送られると考えた。
解放すれば事件が発覚すると考え、殺害へ進んだ
服部は、山根さんを解放するか、口封じのために殺害するか迷っていた。そのころ、知人と覚醒剤を使用する予定があり、早く合流したいという焦りも強めていく。山根さんの生命よりも、自分が逮捕されないことや、覚醒剤を使用したいという欲求を優先した。そして、性的暴行の発覚を防ぐには、山根さんを殺害するしかないという身勝手な結論に至る。殺害の理由は、山根さんへの恨みではなく、自らの犯罪を隠すための口封じだった。
服部は山根さんを監禁したまま、三島市内にあった実家へ立ち寄った。そこで灯油が入った容器を見つけ、山根さんの殺害に使うことを思いつく。服部は灯油を車へ積み込み、山根さんを乗せたまま再び移動した。連れ去った時点から焼殺を計画していたわけではない。しかし、殺害を決意した後は凶器となる灯油を用意し、人目のない場所を選んでいる。一審と控訴審では、この点をどの程度の計画性として量刑へ反映させるかについて、評価が分かれた。
三島市川原ケ谷へ移動し、午前2時半ごろ殺害した
服部は山根さんを監禁したまま、三島市川原ケ谷の人通りが少ない市道付近へ移動した。連れ去りの時点からこの方法を決めていたわけではないが、殺害を決意した後に灯油を用意し、発見されにくい場所を選んでいる。2002年1月23日午前2時半ごろ、服部は山根さんの全身へ灯油をかけた。山根さんはこの時点で生存しており、服部が何をしようとしているのかを認識できる状態だった。服部はライターで火をつけ、炎が山根さんの体へ広がるのを確認したうえで現場から立ち去る。
山根さんは全身に重いやけどを負い、その場で死亡した。最高裁は、意識のある人間へ灯油をかけて火をつけるという、誠に残虐な方法で殺害したことを厳しく指摘している。
通行人の通報と身元確認
服部が立ち去った後、現場付近を通りかかった人が異変に気付き、警察へ通報した。警察官や救急隊が到着した時には、山根さんはすでに死亡していた。遺体は損傷が激しく、当初は性別や身元もすぐには分からない状態だった。現場から灯油の成分が検出され、遺体の状況から、警察は何者かが生きた人へ火をつけた殺人事件と判断する。同じころ、帰宅しない山根さんを心配した家族から、警察へ捜索願が出されていた。
警察は遺体の身元を確認するため、指紋や遺留品、行方不明者の情報を調べた。その結果、死亡した女性は、アルバイトから帰宅していなかった山根佐知子さんと判明する。山根さんの家族は、帰りを待っていた19歳の娘が、見知らぬ男によって連れ去られ、命を奪われた事実を知らされた。
捜査では交友関係や怨恨の有無も調べられましたが、山根さんが誰かから強い恨みを受けていた事情は確認されなかった。実際には、山根さんと服部は事件当日に偶然出会っただけだった。
服部は証拠を処分し、別の交通事件で収監された
服部は山根さんを殺害した後、自らの犯行を隠すための行動を取っている。山根さんの自転車や所持品を処分し、捜査機関が自分へたどり着くことを妨げようとした。灯油の容器も元の場所へ戻し、自分の手や車へ残った痕跡にも注意を払っていた。その後は知人と合流し、覚醒剤を使用したとされている。翌日には普段どおり仕事にも出ていた。東京高裁は、犯行後に行った証拠隠滅の内容から、服部が自己の刑事責任を十分に理解していたと評価している。
山根さん殺害事件から2日後、服部は車を運転中に交通事故を起こし、現場から逃走した。服部はこの交通事件で逮捕され、業務上過失傷害や道路交通法違反などの罪で実刑判決を受ける。一方、山根さんの事件については、犯人へ直接結び付く目撃情報が乏しく、捜査は長期化した。服部は別事件で収監されていましたが、山根さんを殺害したことは申告せず、捜査の行方を見ていた。
遺留物のDNA型が服部純也へつながった
事件解決の重要な手掛かりとなったのが、山根さんの遺体や現場に残されていた遺留物である。警察はDNA型を調べ、前科や周辺事件などとの照合を進めた。その過程で、別の交通事件により収監されていた服部純也が捜査線上に浮上する。服部から採取したDNA型と遺留物のDNA型が一致し、山根さんとの接触を示す有力な証拠となった。事件から約半年後の2002年7月、服部は逮捕監禁などの容疑で逮捕された。
取り調べを受けた服部は、山根さんとの性的な接触について、合意があったという趣旨の不合理な説明をした。殺害についても、自分以外の人物が関与したかのような供述をし、責任を逃れようとしている。しかし、DNA鑑定、車の移動、遺留品の処分状況など、複数の客観的証拠が服部の犯行を示していた。
捜査が進む中で、服部は山根さんを連れ去り、性的暴行を加えた後に殺害した事実を認める。静岡地検沼津支部は、服部を逮捕監禁、強姦、殺人の罪で起訴した。
仮釈放から約9カ月後の犯行
服部には、事件以前から複数の非行歴と犯罪歴があった。少年時代には2度、少年院送致の保護処分を受けている。成人後には覚醒剤取締法違反などで、執行猶予付きの有罪判決を受けた。その執行猶予中に強盗致傷などの犯罪へ及び、懲役4年6カ月の実刑判決を受けている。以前の執行猶予も取り消され、長期間服役した。2001年4月に仮釈放された後、わずか約9カ月で山根さんへの犯行に及んでいる。
一審は無期懲役を選択した
服部の刑事裁判は、静岡地裁沼津支部で開かれた。服部が山根さんを連れ去り、性的暴行を加え、殺害した事実については、証拠により認定された。裁判の大きな焦点となったのは、有罪か無罪かではなく、服部へ死刑を科すべきかという量刑である。検察側は、意識のある山根さんへ灯油をかけ、焼き殺した犯行は極めて残虐だとして、死刑を求刑した。弁護側は、殺害が当初から計画されていたものではないことや、服部が反省を述べていることなどから、死刑を回避するよう求めた。
2004年1月15日、静岡地裁沼津支部は服部純也に無期懲役を言い渡した。一審は、犯行の残虐性や結果の重大性を厳しく指摘している。一方、殺害された被害者が1人であること、最初から殺害を目的として連れ去ったわけではないことも考慮した。殺害方法についても、長期間かけて準備された周到な計画に基づくものではないと判断している。服部が公判で謝罪や反省の言葉を述べていたこと、幼少期の家庭環境なども考慮し、死刑ではなく無期懲役を選択した。
東京高裁は一審を破棄し、死刑を言い渡した
検察側は、一審の無期懲役判決では刑が軽すぎるとして東京高裁へ控訴した。被害者が1人であっても、犯行の目的や手段、過去の犯罪歴などを踏まえれば、死刑が相当だと主張する。特に重視されたのは、山根さんが意識のある状態で火をつけられ、想像を絶する苦痛の中で死亡したことだった。
服部が性的暴行の発覚を防ぎ、覚醒剤を使用するために山根さんを殺害したという、自己中心的な動機も問題となる。控訴審では、一審が死刑を回避した理由に十分な重みがあるのかが、改めて審理された。
2005年3月29日、東京高裁は一審の無期懲役判決を破棄し、服部純也へ死刑を言い渡した。東京高裁は、意識のある人間を焼き殺すという方法について、比類のないほど残虐で非人間的だと評価した。性的暴行の発覚を免れ、自分が覚醒剤を使用する都合を優先した動機にも、酌量の余地はないとしている。
犯行後には自転車や所持品を処分し、灯油の容器を戻すなど、周到な証拠隠滅を行っていた。東京高裁は、一審が挙げた死刑回避の事情をすべて考慮しても、服部の刑事責任は死刑に値すると判断した。
最高裁が死刑を是認した理由
一審は、服部が幼少期に置かれていた厳しい家庭環境を、量刑上の事情として考慮した。控訴審も、服部の成育環境が恵まれたものではなかったこと自体は否定していない。しかし、同じ家庭で育った兄弟が、服部のような重大犯罪を繰り返していたわけではないと指摘した。成人後の犯罪については、本人の選択と責任を重く見る必要があると判断している。過去の環境を考慮しても、山根さんを連れ去り、性的暴行を加え、口封じのために焼殺した責任を軽減する事情にはならないとされた。
東京高裁と最高裁は、服部の犯罪歴と再犯までの短さも重視した。服部は強盗致傷などの罪で長期間服役し、社会復帰の機会を与えられていた。それにもかかわらず、仮釈放から約9カ月後、面識のない19歳の女性を襲っている。刑務所での長期服役が犯罪を抑止せず、犯行がさらに凶悪化した点から、更生可能性は乏しいと判断された。反省の言葉についても、過去の経歴や犯行後の行動を踏まえ、死刑を回避させるほどの事情とは認められなかった。
服部側は東京高裁の死刑判決を不服として、最高裁へ上告した。2008年2月29日、最高裁第二小法廷は上告を棄却し、東京高裁の死刑判決を支持した。最高裁は、犯行の動機が自己中心的で非情であり、殺害方法も極めて残虐だと指摘している。被害者の両親が、親孝行で周囲から慕われていた娘を突然奪われ、強い処罰感情を示していることも考慮した。計画性が限定的だったことや、服部が反省の態度を示したことを踏まえても、死刑を是認せざるを得ないと結論付けている。
被害者が1人であること、当初から殺害目的で連れ去ったわけではないこと、長期間の周到な計画ではなかったことは、死刑回避側の事情として検討された。控訴審と最高裁は、それでも性的暴行後の口封じとして19歳の女性を殺害した動機、被害者が受けた苦痛、証拠隠滅、仮釈放後の再犯を合わせれば、死刑を回避できないと判断した。
2012年8月3日、死刑が執行された
2012年8月3日、法務省は服部純也の死刑を執行した。執行場所は、服部が収容されていた東京拘置所である。服部は事件当時29歳で、逮捕時は30歳だった。死刑執行時の年齢は40歳である。最高裁で死刑が確定してから、執行までは約4年5カ月だった。2026年時点で、服部純也は死刑を執行された元死刑確定者である。
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