事件概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事件名 | 妙義山ろく連続殺人事件(妙義山連続殺人事件) |
| 発生日時 | 1990年12月4日、1991年7月6日 |
| 発生場所 | 群馬県安中市周辺、甘楽郡松井田町(当時)妙義山中 |
| 被害者 | 自動車販売業手伝いの男性1人、工員男性1人、その父親1人 |
| 犯人 | 松本美佐雄(まつもと みさお/当時25歳) |
| 犯行種別 | 連続殺人、死体遺棄、窃盗 |
| 死亡者数 | 3人 |
| 判決 | 死刑確定 |
| 動機 | 金銭トラブル、窃盗発覚防止、対立相手への逆上 |
| 特徴 | 半年余りの間に遊び仲間1人とその父子を殺害し、いずれも妙義山中に埋めた |
事件の注目ポイント
この事件は、いわゆる保険金目的の計画殺人ではなく、遊び仲間同士の金銭関係から始まった殺害が、次の窃盗事件と結びついてさらに2人の口封じ殺害へ連鎖した点に大きな特徴がある。最初の1件は、借金を繰り返す男を「このままでは一生金づるにされる」と思い詰めた友人から相談を受け、松本美佐雄が殺害を持ちかけて実行に移したものだった。つまり出発点からして、偶発的な喧嘩ではなく、相談を受けた松本が殺害を提案し、準備まで整えた能動的犯行だった。
さらに重大なのは、半年後の第2事件である。松本は別の遊び仲間のキャッシュカードを盗み、共犯の男性会社員に現金300万円を引き出させた。その発覚後、被害者本人だけでなく、追及してきた父親までも妙義山中で埋めて殺害している。第1事件と第2事件は別個の殺人ではあるが、どちらも金銭問題を起点に、発覚や対立を暴力で封じるという同じ構造を持っていた。
裁判では、松本の人命軽視の強さと冷静さが厳しく認定された。前橋地裁高崎支部は、一連の犯行について「まれにみる凶悪事件」と評価し、東京高裁も「冷酷、執よう、残忍」と断じて死刑を維持している。最高裁も、半年余りで3人の命を奪った結果の重大性を重く見て、極刑を維持した。
事件の発生
第1事件は1990年12月4日深夜に起きた。発端は、群馬県内の男性会社員が、自動車販売業手伝いの男性から繰り返し金を無心されていたことだった。すでに100万円以上を貸していたにもかかわらず、さらにゲームセンター経営資金として160万円を求められ、「このままでは一生金づるにされる」と感じた会社員が、友人である松本美佐雄に相談した。すると松本は仲裁や返済交渉ではなく、殺害そのものを持ちかけた。
1990年12月4日深夜、松本と会社員は被害者の帰宅を自宅近くで待ち伏せし、シンナーを吸わせたうえ、ロープで首を絞めるなどして殺害した。遺体は群馬県甘楽郡の妙義山中に埋められた。事件当初、この殺害は表面化せず、被害者は行方不明のまま扱われた。
続く第2事件の発端は、1991年4月下旬の窃盗だった。松本は遊び仲間の工員男性のキャッシュカードを盗み、第1事件の共犯である男性会社員に命じて、信用金庫支店の無人CDコーナーで普通口座から計300万円を引き出させた。この窃盗が後に被害者側へ発覚し、1991年7月6日未明、工員とその父親が松本を呼び出して追及する流れとなった。
犯行状況
1991年7月6日午前0時30分ごろ、松本は工員男性とその父親に電話で呼び出され、自宅から約2キロ離れた駐車場へ向かった。そこで父親から窃盗への関与を追及され、口論の末に暴力沙汰となる。父親は殴られて倒れ、動かなくなった。松本はこの時点で父親を「死んだ」と思い込んだとされるが、ここで救急搬送や通報をすることなく、埋めてしまおうと判断したことが決定的だった。
松本はあらかじめ用意していたビニールテープで父親の両手を縛り、自分の車に乗せて妙義山中へ運んだ。そして午前2時ごろ、穴を掘って父親を埋め、仮死状態だった父親を死亡させた。ここで裁判所は、松本が父親について当時すでに死亡していると誤信していたとして、訴因どおりの殺人ではなく傷害致死を認定している。もっとも、量刑全体では極めて重大な犯行として扱われた。
さらに異常なのはその直後である。現場にいた工員男性は、駐車場段階ではほぼ傍観していたが、妙義山中では父親への土かけを手伝わされている。そのうえで松本は、父親殺害の発覚を恐れ、自宅から持ち出していたスコップでこの工員男性を殴打し、同じ穴に埋めて殺害した。第2事件は、追及してきた父親を埋めたうえ、その場にいた息子まで消すという、発覚防止を最優先した口封じ殺人へと拡大していった。
捜査経過
捜査の突破口になったのは、まず窃盗事件だった。群馬県警捜査1課と安中署は1991年8月28日、キャッシュカードを使った窃盗容疑で松本と男性会社員を逮捕した。この逮捕が、単なる財産犯の摘発にとどまらず、前年の失踪事件や同年7月の父子失踪事件へつながっていく。
続いて1991年9月10日、県警は1990年の第1事件について、松本と男性会社員を殺人・死体遺棄容疑で再逮捕した。遺体は白骨化していたが、松本らの自供どおり妙義山中で発見された。さらに9月22日には、松本の供述に沿って工員と父親の遺体も発見され、9月28日に松本は父子殺害容疑で再逮捕された。遺体発見がいずれも自供と一致した点は、捜査の信頼性を強く支えた。
本件では、科学捜査の華々しい決め手というより、窃盗事件の摘発から供述を積み上げ、埋められた遺体を発見していく古典的だが強固な捜査によって全体像が明らかになった。妙義山中という人目につきにくい場所が死体遺棄の現場に選ばれていた点も、事件発覚を遅らせる一因だった。
裁判
1991年11月21日の初公判で、松本と第1事件の共犯である男性会社員はいずれも起訴事実を認めた。ただし、男性会社員側は正当防衛または過剰防衛を主張し、公判は後に分離された。松本の裁判では、犯行の冷酷性と量刑が中心争点になっていく。
検察は1993年7月9日の論告で死刑を求刑した。これに対し弁護側は、松本がシンナー吸引の影響で精神的持続力を欠いていたことや、被害者側にも問題があったことなどを挙げ、死刑回避を求めた。だが前橋地裁高崎支部は1993年9月24日、被害者側の事情や前科前歴がないこと、300万円が全額弁償されていることなどを考慮してもなお、犯行は「まれにみる凶悪事件」であり、松本には「人間性の欠如に底知れないものがある」として死刑を言い渡した。
1994年9月29日、東京高裁は控訴を棄却し、「冷酷、執よう、残忍な凶悪事件で、被告の罪責は法の予想する最も重いところにある」として死刑を維持した。さらに1998年12月1日、最高裁第三小法廷も上告を棄却し、「半年余りの間に3名の命を奪った結果は極めて重大」として死刑を確定させた。
なお、第1事件の共犯である男性会社員には、1992年11月6日に前橋地裁高崎支部で懲役13年判決が言い渡され、そのまま確定している。つまり、死刑が確定したのは松本のみであり、最初の相談者兼共犯者とは量刑に大きな差がついた。
関連事件
山中湖連続殺人事件
遺体を山中に埋めることで事件の発覚を遅らせようとした点で比較されやすい。ただし妙義山ろく事件は、保険金や営利計画よりも、金銭トラブルと窃盗発覚防止が連鎖して3人殺害に至った点に独自性がある。
前橋・群馬県内の金銭トラブル型殺人事件
群馬県内では、対人関係のもつれや金銭問題が殺害へ急転する事件が複数知られるが、本件はその中でも、相談を受けた第三者がむしろ殺害を主導し、しかも半年後に別件口封じ殺人まで重ねた点で突出している。これは単なる感情的犯行ではなく、暴力を問題解決手段として選び続けた連続殺人としてみるべき事件である。
関連事件
社会的影響
この事件は、金銭トラブルや窃盗の発覚という、一見すれば局地的で私的な問題が、殺人によって「処理」される危険性を示した。特に第2事件では、追及してきた父親を埋め、さらにその息子まで殺害するという、発覚防止のための口封じが短時間で二重三重に拡大している。最初の1件を隠そうとする行動が、より大きな殺人へ雪だるま式に膨らむ典型例といえる。
また、本件では松本側がシンナー吸引の影響を強調し、後年も一部無罪や責任能力をめぐって再審請求を続けているとされる。しかし確定判決は、そうした事情を考慮してもなお、犯行の冷酷性・残忍性・結果の重大性が極めて大きいと判断した。したがって現在の位置づけとしては、妙義山ろく連続殺人事件は、山中埋設型の連続殺人、金銭トラブルからの殺害連鎖、そして極刑維持の典型例として理解するのが最も正確である。













