名張毒ぶどう酒事件|奥西勝の逆転死刑と続く死後再審

公開日 2026年2月4日
最終更新 2026年7月31日

名張毒ぶどう酒事件は、1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた懇親会で、農薬が混入されたぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒となり、5人が死亡した事件である。奥西勝は捜査段階で犯行を認めたが、その後に自白を撤回し、無実を訴えた。

津地裁は1964年、自白と物証には疑問が残るとして無罪を言い渡した。ところが名古屋高裁は1969年、一審を破棄して死刑とし、1972年に最高裁で確定した。奥西は死刑確定後も再審請求を続けた。

2005年には一度、名古屋高裁で再審開始が認められたが、検察の異議申立てを受けて取り消された。奥西は死刑判決が残ったまま2015年に病死し、妹らが死後再審を引き継いだ。2026年1月には第11次再審請求が申し立てられている。

POINT
この記事でわかること
  • ぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒となり、5人が死亡した1961年の事件経過
  • 逮捕後の自白が撤回され、一審無罪から控訴審の逆転死刑へ至った理由
  • 2005年の再審開始決定が検察の異議で取り消され、奥西勝が獄中死するまで
  • 死後の第10次請求棄却と、2026年に始まった第11次再審請求の争点
事件名名張毒ぶどう酒事件
発生日1961年3月28日
発生場所三重県名張市葛尾の公民館
被害女性17人が中毒症状、うち5人が死亡
確定死刑囚奥西勝
一審1964年12月23日、津地裁が無罪
控訴審1969年9月10日、名古屋高裁が逆転死刑
刑の確定1972年、最高裁が上告を棄却
本人の死亡2015年10月4日、八王子医療刑務所で病死
現在の状況2026年1月に第11次再審請求。確定判決は維持されたまま審理中

懇親会の乾杯後、女性たちが次々と倒れた

1961年3月28日、名張市葛尾の公民館では、地域の生活改善クラブなどによる懇親会が開かれていた。男性には日本酒、女性にはぶどう酒が用意され、参加者が乾杯した。

まもなく、ぶどう酒を飲んだ女性たちが吐き気やけいれんなどの症状を訴え、次々と倒れた。女性17人が中毒となり、奥西の妻を含む5人が死亡した。捜査では、ぶどう酒に有機リン系農薬が混入されていたと判断された。

公民館へ酒を運んだ人物、瓶が置かれていた場所、誰もいなくなる時間帯に出入りできた人物が調べられた。参加者の多くは親族や近隣関係で結ばれており、奥西も準備に関わっていた。

警察は、奥西が妻と交際関係にあった女性の二人を死亡させ、関係を清算しようとしたとみた。しかし、犯行を直接見た人物はいない。誰が、いつ、どこで瓶を開け、農薬を入れたのかは、供述と物証から組み立てるしかなかった。

奥西は自白したが、取調べの途中から否認へ転じた

奥西は捜査段階で、ぶどう酒へ農薬を入れたとする供述をした。警察は、奥西に動機と犯行機会があり、自白内容も事件の経過と合うとして逮捕した。

ところが奥西は、その後に自白を撤回した。強い追及を受け、周囲の人を守るために認めてしまったという趣旨を述べ、公判では自分は農薬を入れていないと主張した。

自白の内容は一定しておらず、毒物を入れた場所や瓶を開けた方法について変化があった。弁護側は、自白が客観的な証拠と一致せず、奥西以外にも瓶を扱うことのできた人物がいたと主張した。

検察側は、奥西がぶどう酒を運び、無人の時間に農薬を入れる機会を持っていたこと、妻と交際相手を同時に死亡させる動機があったことを挙げた。裁判では、可能性が高いというだけでなく、ほかの人物による犯行を排除できるかが問われた。

津地裁は無罪、名古屋高裁は同じ事件で死刑を言い渡した

1964年12月23日、津地裁は奥西に無罪を言い渡した。一審は、自白の変遷と物証との食い違いを重くみた。奥西に農薬を入れる機会があったとしても、それだけで犯人と断定することはできないと判断した。

検察は控訴した。名古屋高裁は証拠を改めて評価し、1969年9月10日、一審判決を破棄して奥西に死刑を言い渡した。高裁は、自白には信用できる部分があり、奥西の動機と犯行機会を合わせれば有罪を認定できるとした。

高裁は、女性用のぶどう酒へ農薬を入れれば、妻と交際相手以外の参加者も死亡する危険を奥西が理解していたと認定した。実際に5人が死亡し、12人が中毒となった結果を踏まえて、死刑を選択した。

奥西側は上告したが、最高裁は1972年に退けた。一審で無罪となった人物が、控訴審で逆転死刑となり、そのまま刑が確定した。以後、奥西が事実認定を争う手段は再審請求に限られた。

再審請求では、農薬の種類とぶどう酒瓶の状態が争われた

奥西と弁護団は、死刑確定後も再審を求めた。中心となったのは、自白の信用性、混入された農薬の成分、ぶどう酒瓶の王冠と封かん紙だった。

確定判決は、奥西が公民館でぶどう酒瓶の王冠を歯で開け、農薬を入れたと認定していた。弁護側は、王冠に残る痕跡や封かん紙の状態が、その方法と合わないとする鑑定を提出した。

毒物についても、確定判決が前提とした農薬製剤と、事件当時に検出された成分が一致するかが争われた。古い鑑定記録を新しい分析方法で見直し、確定判決が想定した製品とは異なる可能性があると主張した。

再審で裁判所が判断するのは、新しい鑑定だけが正しいかどうかではない。新証拠を、当時の自白、証言、瓶の状態などと合わせたとき、奥西を犯人とした確定判決に合理的な疑いが生じるかが審理された。

2005年、一度は再審開始と死刑執行停止が決まった

第7次再審請求で、名古屋高裁は2005年4月、再審開始を決定し、死刑の執行も停止した。弁護側が提出した毒物鑑定などによって、確定判決の犯人認定に疑いが生じたと判断したためだった。

奥西にとって、死刑確定から三十年以上を経て初めて開かれた再審への道だった。しかし検察は異議を申し立て、名古屋高裁の別の部は2006年、再審開始決定を取り消した。

その後、最高裁が審理を差し戻すなど手続は続いたが、第7次請求で再審公判が開かれることはなかった。一度開始が認められた再審が、検察の不服申立てによって止まった経過は、再審制度をめぐる議論でも繰り返し取り上げられている。

再審開始決定に対する検察の抗告を制限すべきだという意見がある一方、開始判断にも誤りがあり得る以上、不服申立ては必要だという考えもある。名張事件では、その制度上の争いが奥西の生存中に審理を終えられるかどうかへ直結した。

奥西は死刑判決を取り消されないまま、89歳で病死した

奥西は死刑確定者として拘置されながら、無実を訴え続けた。高齢となり、医療施設での処遇を受けていたが、2015年10月4日、八王子医療刑務所で肺炎のため死亡した。89歳だった。

死刑は執行されなかった。しかし、再審で無罪となることもなく、法的には死刑判決が残ったまま生涯を終えた。

刑事訴訟法は、有罪判決を受けた本人が死亡した後でも、一定の親族が再審を請求することを認めている。本人の身柄を解放するためではなく、判決に誤りがあれば死後に有罪を取り消し、名誉を回復するための手続である。

奥西の妹は請求を引き継ぎ、2015年11月に第10次再審請求を申し立てた。封かん紙に使われたのりの成分などから、事件前に瓶が開けられ、貼り直された可能性があると主張した。

第10次請求は最高裁で棄却されたが、一人の裁判官が反対した

名古屋高裁は2017年に第10次請求を棄却し、異議申立ても2022年に退けた。弁護側は最高裁へ特別抗告し、新証拠を旧証拠と合わせて評価すれば再審を始めるべきだと求めた。

2024年1月29日、最高裁第三小法廷は特別抗告を棄却した。多数意見は、封かん紙ののりに関する鑑定などを考慮しても、確定判決へ合理的な疑いを生じさせる明白な証拠とはいえないとした。

一方、宇賀克也裁判官は再審を開始すべきだとする反対意見を述べた。同じ資料を検討しながら、最高裁の中でも評価が分かれたことになる。

反対意見は結論を変えないため、第10次請求は棄却され、奥西の死刑判決は維持された。ただし、新証拠をどの程度まで旧証拠と総合して判断するかという問題は残った。

2026年1月、第11次再審請求が申し立てられた

2026年1月22日、奥西の妹らは名古屋高裁へ第11次再審請求を申し立てた。弁護団は、新たな鑑定書や実験報告書など7点を提出した。

今回の請求では、事件当日に公民館へ持ち込まれた酒瓶がどのように開けられたかが改めて争われている。弁護側は、日本酒瓶の開栓に関する参加者の証言を検討し、奥西が歯でぶどう酒瓶を開けたとする確定判決の経過には疑問があると主張する。

第10次請求で提出した封かん紙ののり成分についても、新たな実験結果で補強した。公民館とは別の場所で誰かが瓶を開け、農薬を入れた後に封かん紙を貼り直した可能性があるという主張である。

2026年7月時点で、第11次請求について再審開始または棄却の決定が出たとの公表は確認できない。奥西は死亡しているが、確定死刑判決の正しさをめぐる審理は終わっていない。

現在残っているのは、確定判決と死後再審の審理である

名張毒ぶどう酒事件には、5人の死亡被害者と12人の中毒被害者がいる。再審請求が続いていることは、事件の被害を否定するものではない。一方、被害が重大であるほど、誰に刑事責任を負わせるかは証拠に基づいて慎重に判断されなければならない。

奥西を犯人とした死刑判決は、現在も法的に有効である。弁護側が提出する鑑定や実験は、その確定判決へ合理的な疑いを生じさせるかという形で審理されている。

事件は、一審無罪、控訴審の逆転死刑、再審開始決定、その取消し、本人の死亡、死後再審と、六十年以上にわたる経過をたどった。「確定判決があるから疑問はない」「再審請求があるから冤罪である」と、どちらか一方へ単純化できる事件ではない。

第11次請求で裁判所が判断するのは、奥西に刑を執行するかどうかではなく、残された新証拠が、1969年の犯人認定を見直すだけの力を持つかである。

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