1984年から1991年までの約6年4か月、田中政弘(旧姓・宮下政弘)は東京、神奈川、香川、徳島の4都県で4人を殺害した。被害者は店舗で働いていた女性、知人の暴力団組員、自動車会社の同僚、伯母で、事件ごとに関係と経緯が異なった。
裁判では4件すべてが一つの刑にまとめられたわけではない。最初の殺人後、田中には別の道路交通法違反事件で確定判決があったため、1984年の事件には懲役12年、その後の3件には死刑が言い渡された。最高裁は2000年に上告を棄却し、田中は2007年4月27日に東京拘置所で死刑を執行された。
| 事件名 | 4都県連続4人殺害事件 |
|---|---|
| 犯行期間 | 1984年11月15日~1991年3月8日 |
| 発生地域 | 東京都・神奈川県・香川県・徳島県 |
| 被害 | 4人死亡 |
| 被告人 | 田中政弘(旧姓・宮下政弘) |
| 一審 | 1994年1月27日、横浜地裁 |
| 控訴審 | 1995年12月20日、東京高裁・控訴棄却 |
| 上告審 | 2000年9月8日、最高裁・上告棄却 |
| 死刑執行 | 2007年4月27日、東京拘置所 |
1984年、店舗で働いていた女性が最初の被害者となった
最初の事件は1984年11月15日に東京都内で起きた。田中は成人向け商品を扱う店舗を訪れ、女性店員を刃物で刺して死亡させ、店の売上金などを持ち去った。被害者と継続的な人間関係があったわけではなく、勤務先で一人応対していた女性が巻き込まれた。
田中はこの殺人で直ちに検挙されず、その後、別の道路交通法違反で執行猶予付き有罪判決を受けた。この確定判決が、のちに4件を二つの刑へ分ける境目となった。
1988年、知人の暴力団組員を絞殺
二件目は1988年3月21日。被害者は田中と面識のある暴力団組員だった。田中は被害者と金銭や人間関係をめぐって対立し、電気コードで首を絞めて殺害したと認定された。
最初の店舗事件とは発生場所も被害者との関係も違う。4都県事件は、同じ種類の相手だけを狙い、同じ方法を繰り返した事件ではなかった。
1989年、18歳の職場同僚を殺害し現金を奪う
三件目は1989年6月9日。自動車会社で働いていた当時18歳の男性同僚が被害者となった。田中は同僚を絞殺し、現金を奪った。職場で知っていた相手であり、接触して一緒に行動しても不自然に見えにくい関係だった。
被害者は働き始めたばかりの若者だった。裁判では、金品を得るために顔見知りの生命を奪った事件として評価された。
1991年、事業資金を求めて伯母を殺害
四件目は1991年3月8日に起きた。田中は事業資金を必要としており、親族である伯母を絞殺して現金を奪った。第三者だけでなく、血縁関係にある人物まで金銭目的の対象とした。
伯母の死亡をめぐる捜査から田中の金銭事情や行動が調べられ、逮捕後には過去の未解決殺人との関係も追及された。発生地も時期も異なる事件が、一人の被告人による4件の殺人として結び付けられていった。
4件は同じ動機・同じ手口ではない
最初の店舗事件では女性店員への対応への不満が暴力のきっかけとなり、その後に売上金を持ち去ったとされる。二件目には知人との対立があり、三件目と四件目では金銭取得がより明確な目的となった。
被害者との関係、発生場所、動機はそれぞれ違う。一方で、事件後に金品を得る行動や、顔見知りの関係を利用して接近する場面が複数あり、長期間にわたって生命を奪う犯罪を繰り返したことが量刑上重く評価された。
最初の事件だけ懲役12年となった
横浜地裁は1994年1月27日、1984年の最初の殺人について懲役12年、1988年以降の3件について死刑を言い渡した。4人を殺害した事件で刑が分かれたのは、最初の殺人後に別罪の確定判決が存在したためだった。
刑法上、ある確定判決より前に犯した犯罪と、その確定判決後に犯した犯罪は、同じ併合罪として一括処理できない場合がある。田中の場合、1984年の殺人と後の3件との間に道路交通法違反の確定判決が入り、量刑が二つに分かれた。
後の3事件について死刑を選択
地裁は、1988年以降の3事件で3人が死亡し、複数の犯行で金銭取得が目的となっていたこと、数年にわたり殺人を反復したことを重視した。弁護側は死刑制度をめぐる議論や被告人の事情を挙げ、極刑を避けるよう求めた。
しかし裁判所は、生命を奪う犯罪を繰り返し、金銭目的の犯行も重ねた責任は重大だとして死刑を選択した。最初の事件の懲役12年とは別に、後の3件について死刑が言い渡された。
東京高裁、最高裁も死刑判断を維持
田中側は控訴したが、東京高裁は1995年12月20日に控訴を棄却した。さらに上告したものの、最高裁は2000年9月8日に上告を棄却し、後の3事件についての死刑が確定した。
確定後、田中には最初の殺人に対する懲役12年と、後の3人殺害に対する死刑という二つの刑が存在する形となった。被害者の生命を軽重で分けたのではなく、確定判決を境に法的処理が分離された結果である。
死刑確定後も再審・恩赦をめぐる手続が続いた
田中は死刑確定後、東京拘置所に収容された。再審や恩赦をめぐる手続も行われていた。2007年4月27日の衆議院法務委員会では、同日に田中を含む3人の死刑が執行されたことが取り上げられている。
委員会では、田中が恩赦の判断後に弁護人へ書面を送っていたことなども言及された。確定判決後も法的手続が続いていた中で、刑は執行された。
2007年4月27日、東京拘置所で死刑執行
田中政弘の死刑は2007年4月27日に東京拘置所で執行された。42歳だった。同日には大阪拘置所と福岡拘置所でも死刑が執行され、計3人の刑が執行された。
1984年の最初の殺人から執行まで約22年半。4都県にまたがる4件は、被害者との関係も犯行の事情も異なっていたが、一人の被告人が長期間にわたり複数の生命を奪った事件として裁かれた。
起訴された4件について、田中は事実関係を認めた
田中は公判で、4人の殺害に関する起訴事実を認めたとされる。裁判の中心は、各事件で何が起きたかだけでなく、長期間にわたる4件をどのように量刑へ反映するか、そして後3件に死刑を選択することが相当かという点へ移った。
弁護側は死刑制度をめぐる国内外の議論なども挙げ、懲役刑を求めた。被告人が事実関係を認めていることは有利な事情となり得るが、裁判所は被害者数、動機、犯行態様、反復性を総合し、後3事件について死刑を回避する理由にはならないと判断した。
7年間で被害者との関係が変化した
最初の被害者は店舗で勤務中の女性、二人目は知人の暴力団組員、三人目は勤務先の18歳同僚、四人目は伯母だった。無関係な店員から、知人、職場関係、親族へと対象は変化している。
そのため、事件名に「連続」と付いていても、同じ場所や同じ属性の被害者を狙い続けた連続殺人とは性格が異なる。犯行間隔も約3年4か月、約1年3か月、約1年9か月と長く、4件を一つの事件として捉えるには、被告人の行動歴と各事件の証拠を個別に結び付ける必要があった。
確定判決を境に刑が分かれる「併合罪」の問題
通常、同じ被告人が複数の犯罪を犯し、それらが一つの裁判で扱われる場合は、併合罪として全体を踏まえて刑が定められる。しかし、その途中に別事件の確定判決が入ると、確定判決より前の犯罪と後の犯罪を同じ枠で処断できない場合がある。
田中の場合、1984年の殺人後に道路交通法違反の有罪判決が確定していた。したがって、1984年事件はその確定判決より前の犯罪、1988年以降の3事件は確定判決後の犯罪として分かれた。横浜地裁の主文が懲役12年と死刑の二本立てになったのは、この手続上の事情による。
最高裁確定から執行まで6年7か月
2000年9月8日に最高裁が上告を棄却した後、田中は死刑確定者として東京拘置所に収容された。執行は2007年4月27日で、死刑確定から約6年7か月後だった。
同日の国会審議では、田中について恩赦請求の経過や弁護人との連絡が取り上げられた。死刑執行は確定判決だけで自動的に行われるものではなく、確定後の収容期間中に再審や恩赦に関する申立てが行われる場合がある。本件でも、確定から執行までに複数年の期間があった。
参考資料・出典
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