伊勢崎女子中学生殺人事件|2人を殺害後に住宅へ放火

公開日 2026年8月15日
最終更新 2026年8月14日

1976年4月1日、群馬県伊勢崎市周辺の住宅で、いずれも13歳の女子中学生2人が刃物で殺害され、指輪などを奪われた。犯行後、室内には灯油がまかれて火を付けられ、住宅が全焼した。伊勢崎2女子中学生殺人事件では、当時田村姓だった宇治川正が強盗殺人と現住建造物等放火などに問われた。

宇治川は本件の前後にも、窃盗後の放火未遂や非現住建造物への放火を起こしていた。裁判では覚醒剤の影響による心神耗弱を主張したが、目的に沿った行動を取っていたとして完全責任能力が認められた。1989年12月に死刑が確定し、再審請求を続けていたが、2013年11月15日に東京拘置所で病死した。

事件名伊勢崎2女子中学生殺人事件
発生日1976年4月1日
発生場所群馬県伊勢崎市周辺
被害13歳の女子中学生2人が死亡、住宅全焼
被告人宇治川正(旧姓・田村、事件当時24歳)
現在の状況1989年12月8日に死刑確定、2013年11月15日に病死

定職を離れ覚醒剤代や遊興費に困窮

宇治川は事件当時24歳で、旧姓は田村だった。執行猶予中でありながら定職を持たず、暴力団関係者との交際を深め、覚醒剤を使用する生活を続けていた。露店の手伝いをした時期もあったが、1976年2月ごろには辞め、交際女性の家で暮らしていた。

交際女性は、宇治川に仕事へ就いてもらおうと自動車教習所の費用を立て替えるなどしていた。しかし宇治川は継続して働かず、日々の金や覚醒剤の購入費に困るようになった。裁判では、この金銭的困窮が窃盗や強盗へ向かう背景として認定された。

生活上の問題があったとしても、それは他人の家へ入り、子どもを襲う理由にはならない。宇治川は自分で収入を得る方向ではなく、周囲の家から財物を盗み、発覚を防ぐために火を付ける行為を繰り返した。事件前の放火未遂は、女子中学生2人の事件が孤立した突発行為ではなかったことを示した。

交際女性が生活を支えようとしても、宇治川はその援助を就労へつなげなかった。教習所へ通うという具体的な機会がありながら、短期的に金を得る窃盗を選んだことから、裁判では生活上の困難より本人の選択が重視された。

本件前にも民家への侵入と放火未遂

1974年3月22日、宇治川は覚醒剤購入費などを得る目的で民家へ侵入し、現金を盗んだ。得た金額が少なかったことに腹を立て、住宅へ火を付けようとしたが、建物を全焼させるには至らなかった。この事件は現住建造物等放火未遂として後に起訴された。

このほか、住人のいない建物に火を付ける事件を2件起こした。放火は証拠を消すためだけでなく、思いどおりの金を得られなかった不満を外へ向ける手段にもなっていた。火は建物だけでなく、周辺住民や消火に当たる人の生命を危険にさらす。

宇治川は火の危険性を理解しながら、侵入や窃盗と組み合わせて放火を選んだ。1976年4月の事件でも、2人を殺害して財物を奪った後に灯油をまき、住宅を全焼させた。過去の行為と本件の連続性は、犯行時の責任能力と再犯性を判断する材料となった。

過去の放火事件は、宇治川が火を付ければ建物や人命に重大な危険が生じることを経験していた事実でもある。それでも本件で灯油を準備し、殺害後の住宅へ放火したため、危険性を理解せず偶然火災を起こしたとは認められなかった。

隣家を訪ね女子中学生2人だけと確認

1976年4月1日、宇治川は近隣の住宅を訪れた。家にいたのは、その家の長女と、遊びに来ていた従姉の女子中学生2人で、いずれも13歳だった。大人が不在であることを確認したうえで家に上がり込んだと認定されている。

宇治川は近隣者として家の場所や家族構成をある程度知り得る立場だった。2人だけが留守番をしている状況は、成人がいる時間よりも抵抗や通報を受けにくいと判断された。被害者らは知っている近所の若者を直ちに危険人物と見抜くことが難しく、住宅内へ入ることを強く警戒しなかった可能性がある。

裁判で争われたのは、宇治川が最初から財物を奪うために2人を殺害したのか、それとも別の目的で入った後に衝動的に殺し、後から物を取ったのかという点だった。下級審は、所持金に困っていたこと、被害品を持ち去ったこと、殺害後の放火まで含め、強盗殺人として一体の犯行と認定した。

家にいた2人は同じ学校年代の親族で、成人が戻るまでの間を過ごしていた。宇治川は大人がいないことを利用し、近隣者として訪問できる立場から室内へ入った。住宅は本来安全であるべき場所だったが、顔見知りへの信頼が悪用された。

2人を刃物で殺害し指輪などを奪う

宇治川は持っていた包丁で2人の胸部を刺し、相次いで殺害した。被害者はいずれも13歳で、成人男性から住宅内で突然襲われ、逃げたり抵抗したりすることが困難だった。2人に事件を招く落ち度はなく、学校生活の中で留守番をしていたところを狙われた。

殺害後、宇治川は指輪などの財物を持ち去った。奪った品の価値そのものに比べ、失われた2人の生命は取り返しがつかず、裁判所は金銭目的の身勝手さと結果の重大性を強く指摘した。

2人が同じ場所で殺害されたことから、一人を襲った時点で、もう一人は犯行を目撃する立場になった。宇治川は通報や証言を防ぐため、2人とも殺害したと認定された。複数の被害者を短時間に攻撃し、その後も財物を探して放火した行動は、覚醒剤で意識が混乱し何も判断できなかったという説明とは合わなかった。

指輪などは2人を殺害しなければ得られない財産ではなく、生命を奪うほどの価値があるものでもなかった。宇治川は少額の金品を得るため、目撃者となる2人を排除した。裁判所は、得た利益と被害の大きさが著しく釣り合わない点を動機の身勝手さとして評価した。

灯油をまいて住宅を全焼させる

宇治川は財物を奪った後、住宅内に灯油をまき、火を付けて立ち去った。火災により建物は全焼した。殺害の痕跡を消し、2人の死亡を火災に巻き込まれた結果のように見せる意図があったと判断された。

火災現場では、遺体の状態や焼け残った部分、出火場所、灯油の使用などが調べられた。焼損が激しくても、2人が火災前に刃物で致命傷を負っていたことは鑑定で確認された。火を付けた行為は、強盗殺人とは別に、住人が普段使用する住宅を焼いた現住建造物等放火として処罰対象となった。

宇治川には過去にも放火と放火未遂があり、本件で突然初めて火を使ったわけではなかった。財産犯の後に火を付ける行動が繰り返されており、証拠隠滅と攻撃的な衝動の双方が表れていた。捜査では過去事件との関係も調べられ、複数の罪がまとめて審理された。

放火によって室内の多くが焼失したため、捜査では焼け残った刃物、油の痕跡、遺体の傷、被害品の所在を個別に確認した。宇治川の事件前後の行動と過去の放火も照合され、火災だけを切り離した事故という可能性は排除された。

事件後、被害品の所在と宇治川の移動が調べられ、金品を目的に家へ入ったという検察側の主張を支える事情となった。被害者が死亡した後にたまたま指輪を見つけたという説明では、成人不在の確認や犯行前の金銭難を十分に説明できないとされた。

覚醒剤の影響と強盗の意思を争った裁判

前橋地方裁判所は1979年3月15日、宇治川に死刑を言い渡した。弁護側は、宇治川が覚醒剤へ依存し、犯行時には精神状態が著しく悪化していたため、責任能力が限定されていたと主張した。また、最初から財物を奪う目的で2人を殺したのではなく、殺人後に窃盗を思い立ったにすぎないとして、強盗殺人の成立も争った。

裁判所は、対象となる家を選び、成人が不在であることを確かめ、2人を襲い、財物を持ち出し、灯油をまいて火を付けて逃げたという行動を検討した。各行為が発覚回避と財物奪取の目的に沿っており、善悪を判断する能力や行動を制御する能力は保たれていたとした。

東京高等裁判所は1983年11月17日に控訴を棄却し、最高裁も1989年12月8日に上告を棄却した。2人の女子中学生を殺害して財物を奪い、住宅を焼いた結果に加え、ほかの放火事件、犯行後の態度などを総合し、死刑を維持した。

上告審では、覚醒剤使用が直ちに心神耗弱を意味するものではなく、実際の認識と行動を具体的に見る必要があるとされた。宇治川は侵入先を選び、財物を探し、証拠隠滅のために放火して逃走しており、行為の違法性を理解していたと判断された。

最高裁確定まで、第一審判決から約10年を要した。宇治川は強盗目的と責任能力を繰り返し争ったが、三審とも判断は変わらなかった。確定後の再審請求も、死亡するまでに開始決定へ至らなかった。

再審請求中の2013年に病死

死刑確定後、宇治川は東京拘置所に収容された。姓は田村から宇治川へ変わっており、確定者の記録では宇治川正として扱われている。宇治川は、覚醒剤の影響と責任能力などを理由に再審を求めていた。

2013年11月15日、宇治川は肺がんのため収容中に死亡した。62歳だった。死刑は執行されず、死亡によって刑を執行する対象が失われ、再審請求の手続も終了した。

事件では、強盗目的の認定と覚醒剤使用時の責任能力が裁判上の中心となった。三審はいずれも、犯行前後の目的的な行動から完全責任能力を認め、強盗殺人と放火の成立を肯定した。被害者2人は13歳であり、自宅で留守番をしていたところを近隣の成人に襲われた。確定判決後も再審請求が続いたが、司法判断が変更される前に宇治川が病死した。

病死時、宇治川に対する死刑判決は確定したままで、再審開始決定は出ていなかった。死亡は無罪や刑の取消しを意味せず、確定判決の法的評価は維持されている。

宇治川の死亡は刑の執行ではなく、収容中の病死として記録されている。

確定した有罪判決は現在も維持されている。

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