1976年4月1日午後、群馬県伊勢崎市三和町の住宅で、中学2年生の女子生徒2人が殺害された。2人は家族が外出している間に住宅内にいた。宇治川正(当時は田村姓)は、金品を奪う目的で包丁を隠し持って隣家へ入り、2人を殺害して装身具などを奪った後、遺体に灯油をかけて住宅に放火した。
宇治川は強盗殺人、現住建造物等放火のほか、それ以前の放火・放火未遂にも問われた。裁判では犯行時の責任能力も争われたが、心神耗弱は認められず、一審から死刑。1989年12月8日に最高裁が上告を棄却して死刑が確定し、宇治川は再審請求中の2013年11月15日に東京拘置所で病死した。
| 事件名 | 伊勢崎女子中学生殺人事件(伊勢崎2女子中学生殺人事件) |
|---|---|
| 発生日 | 1976年4月1日 |
| 発生場所 | 群馬県伊勢崎市三和町 |
| 被害 | 中学2年生の女子生徒2人が死亡 |
| 被告人 | 宇治川正(旧姓・田村、犯行時24歳) |
| 主な罪名 | 強盗殺人、現住建造物等放火など |
| 一審 | 1979年3月15日・前橋地裁、死刑 |
| 控訴審 | 1983年11月17日・東京高裁、控訴棄却 |
| 上告審 | 1989年12月8日・最高裁第二小法廷、上告棄却 |
| その後 | 2013年11月15日、東京拘置所で病死 |
春休みの午後、家にいた中学2年生の2人
当時の朝日新聞報道によると、事件は4月1日午後1時半ごろに起きた。住宅にいたのは会社員の長女と、そのいとこの女子生徒で、いずれも中学2年生。家族は仕事などで外出していた。
宇治川は被害者宅の隣に住んでおり、住宅へ入る際に遠方から対象を探す必要はなかった。最高裁判決は、宇治川が金品を奪う目的で包丁を隠し持ち、隣家に入り込んだと認定している。
包丁を隠し持ち、金品強取を目的に隣家へ
宇治川は住宅内で2人を次々に殺害した。殺害後には装身具などを奪っている。確定判決では、侵入してから偶然金品を見つけて盗んだのではなく、当初から金品を強奪する目的を持っていたことが強盗殺人の前提となった。
被害者は成人のいない住宅にいた女子中学生2人だった。宇治川は凶器を準備した状態で入っており、財物を得るための侵入と、2人の殺害、財物の奪取が一連の犯罪として認定された。
装身具を奪った後、遺体に灯油をかけて放火
2人を殺害して財物を奪った後、宇治川は犯行を隠すため火を使った。最高裁判決は、遺体に灯油をかけ、家屋ごと焼いたと認定している。朝日新聞の当時報道でも、住宅への放火は犯行を隠すためだったと伝えられた。
殺害と強盗だけで終わらず、現住建造物等放火までが起訴・有罪認定の対象となった。火災によって現場そのものが大きく損なわれる行為だったが、捜査は殺人・強盗と放火を一体の事件として立件した。
本件以前にも窃盗後の放火・放火未遂
最高裁判決が量刑判断で挙げたのは、女子中学生2人の事件だけではない。宇治川には、事務所や民家で金品などを盗んだ後、犯行の発覚を防ぐことなどを目的に火を放った別事件があった。
判決上は、非現住建造物等放火2件と現住建造物等放火未遂1件が含まれている。侵入・窃盗の後に火を使う行動は本件以前にも現れており、複数の犯罪が一つの裁判で審理された。
強盗殺人時の責任能力が争点になる
裁判では、宇治川の精神状態が刑事責任にどう影響するかが争われた。覚醒剤の影響が主張されたが、東京高裁は強盗殺人と放火の犯行時に心神耗弱の状態ではなかったと判断した。
最高裁も記録を調べたうえで、この判断を是認した。金品を奪う目的で凶器を持って隣家へ入り、殺害後に財物を奪い、さらに犯行を隠すため放火したという一連の目的的な行動が認定されていた。
午後1時半ごろの侵入と、その直後の火災
1989年12月の朝日新聞が一、二審判決をもとに伝えた事件時刻は、1976年4月1日午後1時半ごろ。宇治川は伊勢崎市三和町の会社員宅へ入り、中学2年生の長女といとこを殺害した。
現場は宇治川が当時住んでいた場所の隣家だった。2人を殺害して貴金属を奪った後、灯油を使って放火したため、事件は住宅火災としても表面化した。住宅内の2人の死亡と財物の奪取、放火が結びつき、強盗殺人事件として捜査・立件された。
強盗殺人と現住建造物等放火が同時に成立
宇治川に問われた罪名には強盗殺人と現住建造物等放火が含まれた。財物を奪うために人を殺す行為と、人が住居として使用する建物へ故意に火を放つ行為は、それぞれ独立した重大犯罪として評価される。
最高裁は、殺害後に火を放ったことを単なる犯行後の処分とは扱わず、放火罪として認定された事実を死刑判断の中で取り上げた。2人の生命が奪われたことに加え、住宅を焼損させる行為まで続いた一連の犯行が量刑の対象となった。
覚醒剤使用の事実と責任能力は同じ問題ではなかった
宇治川には覚醒剤使用歴があり、弁護側は犯行時の精神状態を争った。しかし刑事裁判で責任能力が軽減されるかは、薬物を使用していた事実だけでは決まらない。犯行時に物事の是非を判断し、その判断に従って行動する能力が著しく低下していたかが問題となる。
東京高裁は心神耗弱を否定し、最高裁もその判断を正当とした。凶器を隠して金品強取目的で隣家へ入り、2人を殺害して財物を奪い、証拠を隠すため火を放ったという行動の連続性は、責任能力を判断する重要な事情となった。
前橋地裁が1979年に死刑判決
1979年3月15日、前橋地裁は宇治川に死刑を言い渡した。主な対象は、2人の女子中学生に対する強盗殺人と住宅への放火、それ以前の複数の放火・放火未遂だった。
事件から一審判決までは約3年。宇治川側は控訴し、東京高裁で責任能力や事実認定、量刑などが改めて審理されたが、1983年11月17日に一審の死刑は維持された。
東京高裁も死刑を維持、上告へ
東京高裁は、強盗殺人・放火当時の宇治川に完全な刑事責任を負わせることができると判断した。被害者2人が死亡した結果に加え、金品を得るための侵入、凶器の携帯、殺害後の放火までを総合して量刑を検討した。
宇治川側は最高裁へ上告した。上告趣意では死刑制度に関する憲法上の主張のほか、事実誤認や量刑不当などが主張されたが、最高裁は適法な上告理由に当たらないものを退けたうえで、死刑を維持できるか職権でも検討した。
最高裁が重視した強盗殺人と放火の一体性
最高裁第二小法廷は、宇治川が金品を奪う目的で包丁を隠し持って隣家に入り、2人を殺害し、装身具などを奪い、犯跡を隠すため遺体に灯油をかけて住宅を焼いたという事実を確認した。
量刑では、犯行態様、2人が死亡した結果、家族への影響、社会的影響などを挙げた。先行する放火事件も含む一連の犯罪を踏まえ、原判決が維持した一審の死刑を是認した。
1989年12月、最高裁の上告棄却で死刑確定
1989年12月8日、最高裁は宇治川の上告を棄却した。朝日新聞は翌9日、これにより死刑が確定すると報じている。1976年の事件から13年以上が経過していた。
宇治川は旧姓の田村正として事件当時の報道や裁判記録に登場するが、後に宇治川姓となった。死刑確定者の記録では宇治川正、旧姓名田村正として整理されている。
被害者は13歳の長女と同い年のいとこ
当時報道では、被害者は会社員宅の長女と、その家に遊びに来ていたいとこで、いずれも13歳だった。春休み中で、2人は朝から一緒に過ごしていたとされる。事件発生時、父親は仕事、母親はパートに出ていた。
午後1時台に住宅から出火し、焼けた室内から2人が見つかった。捜査では火災そのものだけでなく、2人が刃物で殺害され、貴金属が持ち去られていることが判明し、強盗殺人と放火の事件として扱われた。
放火は偶発的な火災ではなく、証拠を隠す行為
最高裁が認定した事実では、宇治川は2人を殺害して装身具などを奪った後、遺体に灯油をかけて家屋を焼いた。火が偶然燃え移ったのではなく、殺害と強盗の発覚を妨げる目的を持った放火だった。
それ以前の別事件でも、事務所や民家から金品を盗んだ後に犯跡を隠すなどの目的で火を放っていた。最高裁はこうした各放火事件を併せて確認し、本件の放火も一連の犯罪行動の中で評価している。
一審から最高裁まで約10年半
前橋地裁の死刑判決は1979年3月15日。東京高裁が控訴を棄却したのは1983年11月17日で、さらに最高裁の上告棄却まで6年余りを要した。一審判決から死刑確定まで約10年半に及ぶ審理だった。
最高裁では、死刑制度に関する憲法上の主張に加え、事実誤認や量刑不当などが主張された。判決は、それらを検討したうえで、責任能力について原審判断を支持し、2人への強盗殺人と住宅放火の重大性から死刑を是認した。
再審請求中の2013年、東京拘置所で病死
宇治川は死刑確定後、東京拘置所に収容された。確定判決後も再審を求めたが、再審によって有罪判決が覆ることはないまま年月が経過した。
2013年11月15日、宇治川は62歳で死亡した。法務省発表を伝えた報道によれば、肺がんのため東京拘置所内の医療施設で治療を受けていた。死刑は執行されず、再審請求中の拘置中死亡となった。
死刑確定から病死まで約24年
1989年に死刑が確定してから、宇治川が死亡するまで約24年が経過した。確定後は東京拘置所に収容され、再審請求を続けた。公開されている死刑確定者記録では、死亡時も再審請求中とされている。
2013年11月の法務省発表では、宇治川は肺がんを患い、拘置所内の医療施設で治療を受けていた。11月15日に62歳で死亡したため、確定していた死刑が執行されることはなかった。
参考資料・出典
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