山梨・新潟連続殺人事件は、1986年3月、藤島光雄(当時27歳)が山梨県で元妻の伯母を殺害し、その5日後に新潟県で元妻の知人男性を殺害した事件である。現在では、藤島本人への刑事手続きは死刑執行によって終了している。事件は、2人殺害による死刑判断だけでなく、確定から執行まで約18年半を要した事例としても記録されている。
- 1986年に山梨・新潟で2人が殺害された経緯
- 藤島光雄が執行猶予中に最初の事件へ及んだ背景
- 元妻の伯母と26歳会社員男性が被害に遭った流れ
- 第2の殺人に元妻も関与したとされた経緯
- 一審死刑から最高裁の上告棄却までの裁判経過
- 再審請求と2013年の死刑執行、現在の状況
| 事件名 | 山梨・新潟連続殺人事件 |
|---|---|
| 別称 | 山梨新潟2連続殺人事件など |
| 発生日 | 1986年3月6日、3月11日 |
| 主な場所 | 山梨県旧春日居町周辺、新潟市内 |
| 現在の自治体 | 山梨県側は現在の笛吹市域 |
| 死亡者数 | 2人 |
| 被害者 | 元妻の伯母(73歳)、元妻の知人男性(26歳) |
| 加害者 | 藤島光雄 |
| 事件当時の年齢 | 27歳 |
| 主な罪 | 殺人、死体遺棄など |
| 第2事件の関係者 | 元妻も関与を問われ、懲役5年 |
| 一審 | 1987年7月6日、甲府地裁が死刑 |
| 控訴審 | 1988年12月15日、東京高裁が控訴棄却 |
| 最高裁 | 1995年6月8日、上告棄却 |
| 確定刑 | 死刑 |
| 死刑執行 | 2013年12月12日、東京拘置所 |
| 現在 | 藤島は死刑執行済み。刑事手続きは終了 |
事件前、藤島光雄は傷害事件で執行猶予中だった
2件の殺人が突然始まったわけではない。藤島は事件前、秋田県で知人へ暴力を振るう傷害事件を起こし、身柄を拘束されていた。その刑事手続きの間に、妻は藤島と離婚する。その後、藤島には執行猶予付きの判決が言い渡され、社会へ戻った。
しかし元妻はすでに藤島から離れていた。藤島は元妻の行方を追い、保護観察関係の出頭命令にも従わないまま秋田を離れたとされている。こうして向かった先が、山梨県に住む元妻の伯母のもとだった。
1986年3月6日、山梨県で73歳の伯母を殺害
最初の殺人は1986年3月6日に起きた。場所は当時の山梨県東山梨郡春日居町周辺、現在の笛吹市域である。被害者は元妻の伯母で、当時73歳だった。伯母は元妻と深い関係にある人物だった。公開資料では、元妻を幼いころから養育するなど、家族の中で重要な役割を担っていたとされている。
藤島は元妻の所在を探るため伯母のもとへ現れた。ところが両者は対立する。藤島は、自分の行動を警察へ通報されれば執行猶予中の立場に重大な影響が及ぶと考え、口封じのため殺害したと認定された。
伯母を浴槽へ押し込み、遺体を隠した
殺害態様は極めて重大なものだった。藤島は伯母の自由を奪い、浴槽へ押し込むなどして死亡させたとされている。その後、遺体を住宅内へ隠した。事件後すぐ警察へ届け出たわけではない。
藤島は発覚を避け、その場から逃れる方向へ動いた。この時点で一人の命が奪われている。それでも藤島の逃走は終わらず、数日後には2件目の殺人へ進んだ。
帰宅した元妻を伴い、山梨から逃走
伯母殺害後、元妻が戻ってきた。藤島は元妻とともに山梨を離れ、その後各地を移動した。逃走を続けるには金が必要である。
そこで浮上したのが、元妻と以前から面識があった26歳の会社員男性だった。この男性は元妻に好意を寄せていた人物とされる。藤島は、その関係を利用して金を得ようと考えた。
逃走資金を得るため、26歳会社員を呼び出した
第2の事件が起きたのは1986年3月11日である。最初の殺人から、わずか5日後だった。藤島側は、元妻の知人である26歳会社員男性を新潟市内へ呼び出する。
目的の一つは逃走資金の確保だった。男性から金を得た後も、藤島は相手を解放しなかった。最初の殺人を知られたことなどから、再び口封じを考えたとされている。一件目で警察への通報を恐れて人を殺害し、逃走後には自らの犯罪発覚を防ぐため別の人物まで殺す。
裁判で強く非難されたのは、この自己保身を優先した連続性だった。
新潟市内のホテルで第2の殺人
男性は新潟市内のホテルへ連れて行かれた。そこで身体の自由を奪われ、浴槽内で殺害されたとされている。第1の事件と第2の事件は、被害者の性別も年齢も異なった。
一方、どちらも藤島自身が警察に捕まることや犯罪が発覚することを避けようとした中で起きている。最初の殺人を隠すための逃走が、次の殺人を生んだ。しかも2人目の被害者は、藤島の過去の犯罪とは本来無関係の人物だった。
元妻も第2事件への関与を問われた
この事件では、藤島だけが刑事裁判を受けたわけではない。元妻も第2の事件への関与を問われた。裁判の結果、元妻には懲役5年が言い渡されている。
2人の刑事責任が同じではなかったことである。藤島は2人殺害の中心人物として死刑。元妻については、その関与内容に応じて有期懲役が選択された。事件全体を「男女2人が同じ立場で2人を殺害した」と単純化すると、裁判で認定された責任の違いが見えなくなる。
逃走中には窃盗なども重ねた
2件の殺人後も、藤島は直ちに自首しなかった。各地を移動しながら、窃盗や恐喝などの犯罪にも及んだとされている。最終的に捜査当局が藤島の身柄を確保し、2件の殺人についても追及が進んだ。
起訴された罪は殺人だけではなく、死体遺棄や窃盗など複数に及んでいる。事件は、山梨と新潟という県境を越えた2件の殺人を中心に、逃走過程での犯罪まで含む重大事件として甲府地裁で審理された。
1987年7月、甲府地裁が藤島光雄に死刑判決
1987年7月6日、甲府地裁は藤島に死刑を言い渡した。弁護側は、藤島が幼少期から恵まれない環境で成長したことなどを訴え、死刑回避を求める。また、2件の殺人が最初から一つの計画として準備された連続殺人ではないことも、量刑上の事情となり得た。
しかし地裁は死刑を選択する。2人の生命が奪われた結果。自己中心的な動機。犯行後の行動。そして遺族の処罰感情などを総合し、極刑は避けられないと判断した。
1988年、東京高裁も死刑を維持
藤島側は一審判決を不服として控訴した。控訴審では、藤島の生育歴や人格形成、犯行の計画性などが改めて問題となる。しかし1988年12月15日、東京高裁は控訴を棄却した。
わずか6日間のうちに2人を殺害した結果は重大であり、動機や犯行態様などを考慮しても一審の死刑判断は不当ではないとされた。藤島側はさらに最高裁へ上告する。
1995年、最高裁が上告棄却|死刑確定へ
1995年6月8日、最高裁第一小法廷は藤島側の上告を棄却した。最高裁も、犯行の重大性を厳しく評価する。第1事件では警察への通報を恐れて73歳女性を殺害。逃走後、第2事件では金銭を得る目的を背景に26歳男性を呼び出し、さらに命を奪った。
藤島の不幸な生育歴などが考慮されても、2人殺害という結果と犯行の冷酷さを踏まえれば死刑はやむを得ないと判断された。上告棄却後の手続きを経て、藤島の死刑が確定する。
なぜ2人殺害で死刑が選ばれたのか
本件では、最初から2人を殺害する一つの計画があったわけではない。それでも三審を通じて死刑判断が維持された。重く見られた事情には、次のような点がある。
- 2人の生命を奪った重大な結果
- 最初の事件が警察への通報を防ぐという自己保身目的だったこと
- 逃走中に再び別の男性を殺害したこと
- 第2事件に金銭目的があったこと
- 被害者の自由を奪ったうえで殺害した態様
- 犯行後も逃走し、他の犯罪を重ねたこと
特に、一件目の殺人後に自首せず、数日後には別の人物を犠牲にした点は重いものだった。犯罪発覚を防ぐために人を殺し、その逃走過程でさらに人を殺す。裁判所は、この連続性と結果を極めて重大と判断した。
死刑確定後、藤島は繰り返し再審を求めた
1995年に死刑が確定した後も、藤島は法的手続きを続けた。再審請求では、事件当時の責任能力や第2事件の法的評価などが争われたとされている。報道では、藤島側は5回にわたり再審請求を行いましたが、いずれも死刑判決を覆す結果にはならなかった。
さらに6回目の再審請求を準備していたとされる時期に、死刑執行が行われる。再審請求をしていた、または準備していたこと自体は、確定判決が取り消されたことを意味しない。司法上、死刑判決は最後まで維持された。
2013年12月12日、東京拘置所で死刑執行
2013年12月12日、法務省は藤島光雄の死刑を執行した。執行場所は東京拘置所。藤島は55歳だった。同日には、別事件で死刑が確定していた加賀山領治の刑も執行されている。
法務大臣は臨時会見で藤島の事件について、警察への通報や逮捕を恐れ、口封じのため元妻の伯母ら2人を殺害するなどした事件と説明した。藤島の死刑確定から執行までは約18年半。長期間にわたって死刑確定者として収容された後の執行だった。
現在の状況|藤島光雄は死刑執行済み
現在も、藤島光雄はすでに死亡している。法的経過は次のように整理できる。
- 1987年:甲府地裁が死刑判決
- 1988年:東京高裁が控訴棄却
- 1995年:最高裁が上告棄却
- その後:死刑確定
- 確定後:複数回の再審請求
- 2013年:東京拘置所で死刑執行
したがって、「現在も死刑囚として収容されている」「再審請求中で執行されていない」といった説明は正確ではない。刑の執行によって、藤島本人への刑事手続きは終了している。
不幸な生い立ちはどこまで量刑で考慮されたのか
藤島の裁判では、生育環境も取り上げられた。支援者側や弁護側は、幼少期に十分な養育を受けられなかったことや、虐待的な環境、施設生活などが人格形成へ強く影響したと訴えている。こうした事情は、刑事裁判で無視されたわけではない。
しかし裁判所は、それを考慮しても2件の殺人に対する責任は極めて重大だと判断した。過酷な生育歴が存在することと、被害者2人の生命を奪った刑事責任は別に評価される。本件の死刑判断は、その難しい問題も含んでいる。
山梨・新潟連続殺人事件が残したもの
1986年3月6日、山梨県で73歳の女性が殺害された。被害者は藤島の元妻と深い関係にあり、その生活を支えてきた人物だった。藤島は警察への通報を恐れ、口封じのため命を奪ったと認定される。
そこで止まっていれば、少なくとも次の被害は生まれなかった。しかし藤島は逃走した。5日後、今度は26歳の会社員男性が呼び出される。男性は元妻との関係を利用され、金銭を得る対象とされ、最後には殺害された。
最初の殺人から第2の殺人まで、わずか6日間。2人は年齢も立場も異なり、本来なら同じ事件で命を奪われる理由などなかった。共通していたのは、藤島が自分の立場、逃走、金銭、犯罪発覚の回避を優先したことである。
裁判所はその結果を極めて重く評価し、三審を通じて死刑を維持した。死刑確定後は再審請求が繰り返されましたが、判決は覆らず、2013年12月に刑が執行されている。山梨・新潟連続殺人事件は、一つの犯罪から逃れようとする自己保身が次の殺人へつながった重大事件であり、死刑判決、生育歴と責任能力、再審請求、長期収容後の死刑執行という問題を残した事件である。
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