1986年3月6日、山梨県で73歳の女性が殺害された。被害者は藤島光雄の元妻の伯母で、藤島は警察へ通報されることを恐れ、口封じのために殺害したと認定された。
その5日後の3月11日、藤島は新潟市内で元妻の知人だった26歳の男性を殺害した。二つの事件で死刑を言い渡され、1995年6月8日に最高裁が上告を棄却。死刑確定から18年以上が過ぎた2013年12月12日、東京拘置所で刑が執行された。
| 事件名 | 山梨・新潟連続殺人事件 |
|---|---|
| 発生日 | 1986年3月6日・3月11日 |
| 主な場所 | 山梨県、新潟市 |
| 死亡者 | 元妻の伯母(73歳)、元妻の知人男性(26歳) |
| 被告人 | 藤島光雄(事件当時27歳) |
| 主な罪 | 殺人、死体遺棄など |
| 一審 | 1987年7月6日、甲府地裁・死刑 |
| 控訴審 | 1988年12月15日、東京高裁・控訴棄却 |
| 上告審 | 1995年6月8日、最高裁・上告棄却 |
| 確定刑 | 死刑 |
| 死刑執行 | 2013年12月12日、東京拘置所 |
執行猶予中、藤島は元妻の行方を追った
藤島は事件前に傷害事件で刑事処分を受け、執行猶予中だった。元妻は藤島と離れており、藤島はその所在を探して山梨県に住む伯母のもとを訪れた。
伯母は元妻にとって身近な親族であり、藤島の行動を警察へ知らせる可能性があった。裁判で認定された最初の殺人の動機は、離婚そのものへの感情ではなく、通報されれば自分が逮捕されると恐れたことによる口封じだった。
3月6日、元妻の伯母を浴槽で殺害
1986年3月6日、藤島は山梨県内の伯母宅で73歳の女性を殺害した。確定判決の内容を伝える資料では、伯母の顔を浴槽の水に押しつけるなどして窒息死させたとされている。
被害者は藤島の犯罪と直接関係する人物ではなく、通報される可能性があるという理由で生命を奪われた。最初の殺人後、藤島はその場にとどまらず、元妻とともに移動を始めた。
逃走後、金を得るため新潟の男性へ接触
逃走を続ける中で資金が必要となり、藤島は元妻と面識のあった26歳の会社員男性に目を付けた。男性は元妻に好意を寄せていたとされ、その関係を利用して接触が図られた。
第1事件と第2事件は被害者も場所も異なるが、藤島が自分の逃走や金銭確保を優先して他者の生命を奪った点で連続している。最初の事件から次の殺人まで、わずか5日だった。
3月11日、新潟市内で26歳男性を殺害
3月11日、藤島は男性を新潟市内へ呼び出し、金銭を得たうえで殺害した。確定判決では、男性が第1事件を知ったことも口封じの動機となり、拘束した後に浴槽で水死させたと認定されている。
その後、遺体は現場に隠された。第1事件の発覚から逃れようとしている最中に、さらに金銭と口封じを理由として別の生命を奪ったことが、裁判で重く評価された。
二つの殺人は「警察への通報と逮捕を恐れた口封じ」と評価された
2013年の死刑執行時、法務当局は藤島の事件について、警察への通報や逮捕を恐れ、その口封じのため元妻の伯母ら2人を殺害するなどした事件と説明している。
この説明は、第1事件だけでなく第2事件についても、藤島が犯罪の発覚や逮捕を避ける目的を強く持っていたことを示す。被害者側に藤島から殺害されるような落ち度はなく、自己保身のために二つの生命が奪われた。
甲府地裁は1987年7月に死刑を選択
甲府地裁は1987年7月6日、藤島に死刑を言い渡した。短期間に異なる県で2人を殺害し、遺体を隠すなどして逃走を続けた結果が重大と判断された。
裁判では藤島の生育環境など、被告人側に有利な事情も量刑資料として扱われた。しかし、2人を殺害した結果、犯行の動機、殺害後の行動を総合すると、死刑を回避する事情にはならないとされた。
東京高裁も一審の死刑を維持
藤島側は控訴したが、東京高裁は1988年12月15日に控訴を棄却した。二つの殺人が数日の間に続き、最初の犯罪の発覚を避ける行動が次の殺人へつながった経過は、控訴審でも重くみられた。
一審の死刑判断は変更されず、藤島側は最高裁へ上告した。上告審では量刑が重すぎるとの主張などが審理され、最終的な刑の選択が最高裁で判断されることになった。
1995年6月8日、最高裁が上告を棄却
最高裁は1995年6月8日、藤島の上告を棄却した。2人を殺害した結果に加え、口封じと逃走資金を得るためという動機、犯行後の行動などを踏まえ、一・二審が選択した死刑を維持した。
上告棄却後の手続を経て死刑が確定した。事件発生は1986年3月であり、最高裁判断まで約9年を要している。その後、藤島は東京拘置所に収容された。
死刑確定後、執行まで18年以上が経過
アムネスティ・インターナショナル日本は2013年12月の声明で、藤島について死刑確定から18年以上が経過していたと指摘している。確定直後に執行された事件ではなく、長期間にわたり死刑確定者として収容された。
死刑事件では、確定から執行までの期間は一律ではない。藤島のケースでは、1995年の確定から2013年まで18年以上が経過し、同年12月に執行命令が実施された。
2013年12月12日、東京拘置所で死刑執行
2013年12月12日、藤島光雄の死刑は東京拘置所で執行された。同日には大阪拘置所で加賀山領治の刑も執行され、監獄人権センターとアムネスティ日本はいずれも当日の執行を確認する声明を公表している。
藤島は当時55歳だった。執行によって藤島本人に対する刑事手続は終結し、山梨・新潟で起きた二つの殺人事件の法的な結末は、三審を経た死刑確定と2013年の刑執行となった。
最初の殺人から5日で次の被害が生まれた
この事件では、3月6日の殺人後に藤島が逃走を続けたことが、3月11日の第2事件へ直結した。最初の被害者を殺害して犯罪の発覚を避けようとし、その逃走の中で金を得るため別の人物へ接触し、再び口封じのため殺害した。
二人の被害者は年齢も生活圏も異なる。共通していたのは、藤島が自分の逮捕回避や逃走継続の都合から接触した人物だったことだ。この連続性が、二つの事件を一体として理解する核心になる。
最高裁まで死刑が維持された理由
量刑では被害者が2人であることだけでなく、犯罪の発覚を防ぐため高齢女性を殺害し、数日後には資金確保と口封じのため別の男性まで殺害した動機と経過が評価された。
藤島の生育歴など被告人側の事情も考慮されたが、それによって被害結果が軽く扱われることはなかった。一審、控訴審、上告審のいずれでも死刑判断は変更されず、最終的に執行まで至っている。
参考資料・出典
関連事件
この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。
