川崎中国人6人殺傷事件|強盗後に陳徳通が同居人5人を襲い3人死亡

公開日 2026年8月12日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1999年
都道府県
神奈川県
事件分類
強盗・監禁・暴行事件 / 殺人事件
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1999年5月25日夜、川崎市川崎区のマンションに中国人の男らが押し入り、室内にいた中国人男女6人を拘束して現金や腕時計などを奪った。翌朝、仲間が立ち去った後も陳徳通だけが部屋に残り、同居していた5人をサバイバルナイフで次々に刺した。男性2人と女性1人が死亡し、男女2人が重傷を負った。

強盗に加わった者すべてが5人の殺害まで共謀していたわけではない。裁判では、強盗を持ちかけた陳が同居人への報復意思を隠して仲間を集め、強盗が終わった後に単独で殺害へ移った経過が認定された。横浜地裁川崎支部、東京高裁を経て、最高裁は2006年6月27日に上告を棄却。陳の死刑は確定し、2009年7月28日に東京拘置所で執行された。

事件名川崎中国人6人殺傷事件
発生日1999年5月25日~26日
発生場所神奈川県川崎市川崎区のマンション
被害3人死亡、3人負傷
被告人陳徳通(事件当時31歳)
一審2001年9月17日、横浜地裁川崎支部・死刑
控訴審2003年2月20日、東京高裁・控訴棄却
上告審2006年6月27日、最高裁・上告棄却
死刑執行2009年7月28日、東京拘置所

川崎のマンションで中国人5人と共同生活

陳は中国福建省出身で、1998年に来日した後、東京都内を経て川崎市のマンションで暮らすようになった。室内には中国人の夫婦2組と男性1人が住み、そのうち一組の夫婦は陳と遠い親族関係にあったとされる。

陳は建設現場などの日雇い仕事に就いていたが、収入は安定せず、家賃の負担などをめぐって同居人との関係が悪化した。共同生活の中で積み重なった対立は、5月20日未明の暴力沙汰で決定的になった。

5月20日の暴行をきっかけに報復を考えた

5月20日未明、陳が朝食を作っていた際、物音をめぐって同居男性と口論になった。殴り合いへ発展し、ほかの同居人も加わって陳を取り押さえた。陳はこの出来事を恨み、同居人5人への報復を考えるようになった。

ただし、陳が仲間を集める際に前面へ出したのは報復ではなかった。室内には金品があると話し、強盗によって利益を得られる計画として参加者を募った。個人的な恨みと集団強盗が、同じ現場で重なった。

甥らを誘い、8人でマンションへ向かった

陳は東京都内にいた甥へ相談し、さらに同郷出身者らが集められた。最終的に陳を含む8人が犯行へ加わり、粘着テープや鎖など、室内の人間を拘束するための道具も準備した。

陳は現場で暮らしていたため、部屋の位置や住人の構成、出入りの事情を知っていた。外部の共犯者にとっては、この内部情報が侵入と制圧を容易にした。一方、殺害を目的とする陳の真意は共犯者らに十分共有されていなかった。

6人を拘束し、現金約5万3000円などを奪う

5月25日午後9時20分ごろ、陳らはマンションへ入り、同居していた5人と、たまたま訪れていた男性1人の計6人を拘束した。手足を粘着テープなどで縛り、現金約5万3000円、キャッシュカード、腕時計、貴金属などを奪った。

共犯者らは、カードを使って口座から現金を引き出そうとしたが、多額の預金はなかったとされる。腕時計などは換金され、犯行後に分配された。強盗そのものは複数人による共同実行だった。

翌朝、陳だけが部屋に残った

26日朝、陳以外の共犯者らはマンションを離れた。陳はそのまま室内に残り、午前9時すぎ、拘束されていた同居人5人をサバイバルナイフで襲った。

部屋を借りていた夫婦の夫と妻、同居男性の計3人が死亡し、別の夫婦2人が重傷を負った。訪問中だった男性にはこの殺害行為を加えていない。陳が同居人5人だけを狙ったことは、5日前の暴行への報復意思と結び付けて認定された。

3人死亡、2人は重傷を負いながら生存

5人はいずれも拘束され、自由に逃げたり十分に抵抗したりすることが難しい状態だった。陳は胸や背中などを繰り返し刺し、男性2人と女性1人を死亡させた。残る男女2人は重傷を負ったが生存した。

死亡した3人だけでなく、生存した2人についても殺意が認定され、陳には強盗殺人と強盗殺人未遂が成立した。結果が死亡か生存かで罪名は分かれたが、5人全員に対する攻撃が一連の行為として審理された。

訪問中の男性が拘束を抜け、事件が発覚

同居人ではなく部屋を訪ねていた男性は、殺害の対象にはされなかった。男性は拘束された状態から室外へ出て、マンションのエレベーター付近まで移動した。午前10時ごろ、管理人がこの男性を発見した。

通報を受けた警察と救急隊が室内へ入り、複数の死傷者を確認した。生存者の供述から陳や共犯者らが浮上し、6月中旬から7月にかけて関係者が相次いで逮捕された。

強盗と殺害で共謀の範囲が分かれた

刑事裁判で重要になったのは、強盗に参加した者と、5人への殺害を実行した陳の責任をどこまで同じ範囲で捉えるかだった。共犯者らは被害者を拘束し財物を奪ったが、陳が5人を刺した時点では現場を離れていた。

陳は、共犯者らに強盗の利益を示して現場へ連れてきた一方、自身の報復目的は隠していた。裁判所は、殺害を単純に全員の共同犯行とはせず、陳が単独で行った攻撃と強盗との関係を認定した。

一審は陳に死刑を言い渡した

横浜地裁川崎支部は2001年9月17日、陳に死刑を言い渡した。拘束され抵抗しにくい5人を一人ずつ刃物で襲い、3人を死亡させ、2人に重傷を負わせた結果が重く評価された。

事件前に陳が同居人らから暴行を受けていた経緯も審理されたが、数日を置いて仲間を集め、強盗の場を作ったうえで報復に及んだ行為は、突発的な反撃とは扱われなかった。

控訴審でも死刑を維持

陳側は控訴し、強盗への関与や殺意の内容などを争った。東京高裁は2003年2月20日、控訴を棄却して一審の死刑判決を維持した。

高裁は、陳が強盗計画を利用して同居人を拘束状態にし、共犯者が去った後で5人へ攻撃した経過を重視した。恨みの原因となった暴力が存在したとしても、殺害を正当化したり、死刑を回避させたりする事情とはならないと判断された。

2006年に死刑確定、2009年に執行

最高裁は2006年6月27日、陳の上告を棄却した。これにより、強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗致傷などについて死刑が確定した。

2009年7月28日、陳の死刑は東京拘置所で執行された。41歳だった。同日には大阪拘置所でも山地悠紀夫、前上博の死刑が執行されている。

強盗のため集めた仲間と、陳だけの報復目的

事件の出発点には同居人との対立があったが、実行の場を作ったのは金品を奪う集団強盗だった。陳は、自分だけの報復目的を全面的に明かさず、共犯者には室内の金品を奪う話を持ちかけた。

そのため裁判では、8人が現場へ行った事実だけで全員を3人殺害の共同実行者とはしなかった。強盗への共謀と、共犯者退出後の殺害行為が区別され、陳の刑事責任が認定された。

奪った金額は見込みを大きく下回った

陳らが室内に大金があると見込んでいたのに対し、実際に奪った現金は約5万3000円だった。キャッシュカードも持ち出したが、口座から得られる金額はわずかだったとされる。

その一方で、高級腕時計など約32万円相当の物品は換金され、共犯者らの間で分配された。陳が仲間を集める際に示した「金品を奪える」という話と、実際に得られた利益には大きな差があった。

殺害時には強盗仲間がすでに現場を離れていた

強盗と殺害が同じ夜から翌朝に連続しているため、一つの集団犯行に見えるが、実行場面は分かれている。6人を拘束し財物を奪った段階では陳を含む複数人が現場にいたが、5人への刺突が始まった時には陳以外の者はすでに退出していた。

この時間的な区切りが、共犯者全員に殺人の責任を負わせるかという判断に直結した。陳については、強盗で作り出した拘束状態を利用して5人を襲ったことから、財物奪取と殺害が法的に結び付けられた。

訪問者1人だけを殺害しなかった行動

室内には同居人5人のほか、たまたま訪れていた男性1人がいた。この男性も強盗時には拘束され、負傷したが、陳が翌朝に同居人5人を刺した際には殺害対象から外された。

被害者の選び方は、陳が無差別に室内の全員を殺そうとしたのではなく、以前の暴行に関わったとみた同居人へ報復しようとしていたことを示す事情となった。訪問者が生存したことで、事件発覚直後から犯行人数や時間経過を示す供述も得られた。

最高裁まで争われた量刑

上告審でも、事件前に陳が受けた暴行や、犯行時の年齢などが量刑上の事情として主張された。しかし最高裁は、数日をかけて強盗を準備し、拘束された5人へ刃物で攻撃して3人を死亡させた結果を重くみた。

同居人との対立が先に存在していたことは認定されても、それは犯行後の刑を大きく軽減する事情とは評価されなかった。三審を通じ、陳の主導性と被害結果の重大さが死刑判断の中心に置かれた。

参考資料・出典

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