市原両親殺人事件|客観証拠と自白をめぐる争い、22歳の長男に死刑確定

公開日 2026年8月16日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1974年
都道府県
千葉県
事件分類
死体遺棄事件 / 殺人事件
最終刑・処分
死刑

1974年10月30日、千葉県市原市の自動車タイヤ販売修理店兼住宅で、佐々木守さん(59歳)と妻・あき子さん(48歳)が殺害された。2人の遺体は住宅から運び出され、重りを付けて五井海岸沖へ投棄された。長男の佐々木哲也(当時22歳)が逮捕され、最終的に殺人2件と死体遺棄で死刑が確定した。

ただし、裁判は単純な自白事件ではなかった。佐々木は捜査段階で犯行を認める供述をした後、公判では否認へ転じ、「母が父を殺し、その後、母は別の人物に殺された」と主張した。弁護側は母親を事件後に見たという証言、血液型、自白の任意性などを争った。東京高裁は多数の客観的証拠と自白の信用性を検討して有罪を維持し、最高裁も1992年1月30日に上告を棄却した。

発生日1974年10月30日
場所千葉県市原市
被害者佐々木守さん(59歳)、佐々木あき子さん(48歳)
被告人佐々木哲也(当時22歳)
認定された凶器佐々木が所有していた登山ナイフ
死体遺棄1974年11月1日早朝、五井南海岸付近から海中へ投棄
一審1984年3月15日・千葉地裁、死刑
控訴審1986年8月29日・東京高裁、控訴棄却
上告審1992年1月30日・最高裁、上告棄却
確定刑死刑

両親との対立の中心にあった交際問題

最高裁判決によると、佐々木は当時、特殊浴場の接客婦だった女性と親密に交際していた。両親は息子の将来を案じ、その交際をやめるよう繰り返し説得していた。

10月30日、父・守さんが女性の職業に触れながら交際を強く非難したことに佐々木が激高したと裁判所は認定した。殺害は事前に両親を殺す計画を立てていたものではなく、父親との口論を契機に始まった。それでも、登山ナイフで多数回刺した行為の強さと、その後に母親まで殺害した経過が量刑で重く評価された。

父親を刺した後、その場に来た母親も殺害したと認定

確定判決では、佐々木は父・守さんを登山ナイフで多数回刺して殺害し、続いてその場に来合わせた母・あき子さんも同じナイフで多数回刺して殺害したと認定された。

東京高裁判決は、両親の身体に多数の刺切創があったこと、両親宅の台所や廊下などに大量の血液が残っていたこと、血液を拭き取った形跡があったことを検討している。犯行態様は最高裁も「執よう」と評価した。

遺体は五井海岸沖へ運ばれ、重りを付けられていた

高裁判決によると、佐々木は11月1日午前5時30分ごろ、両親の遺体を住宅から市原市五井南海岸の公共物揚場付近まで運び、海中へ投棄したと認定された。

朝日新聞の論座アーカイブは、11月9日に父親の遺体、翌10日に母親の遺体が海から発見された経過を伝えている。母親の遺体には約21.5キログラムの自動車用ホイールが重りとして結び付けられていた。最高裁は、この遺棄を殺害後の犯行隠蔽として量刑上の事情に挙げた。

両親の失踪を届け出た佐々木に捜査が向かった

佐々木は両親がいなくなったとして警察へ届け出た。しかし、住宅内には大量の血痕が残り、佐々木自身も事件直後に左手小指へ11針を縫う傷を負っていた。高裁判決は、傷の理由について佐々木の説明が変化したことを指摘している。

さらに佐々木は、事件直後まで金銭的余裕が乏しかったのに、当夜には60万円余りの現金を所持していた。両親宅の金庫は、母・あき子さんが首から下げていた鍵を使って開けられた形跡があり、血の付いた足跡や血痕が残っていた。

事件直後に着替え、交際女性の前で60万円余りを見せた

東京高裁判決は、事件直後の佐々木の行動も細かく検討した。佐々木は衣服一式を新しく買って着替えたうえ、同日午後8時30分ごろ、交際していた女性を呼び出して千葉市内の割烹で食事をした。

その際、ポケットから1万円札約60枚などを取り出し、「欲しいものがあったら買ってやる」と話したと認定されている。直前まで金銭的な余裕が乏しかったことと、両親宅の金庫を開けた形跡が残っていたことが組み合わされ、犯行後の金銭取得を示す間接事実として扱われた。

血の付いた衣服と登山ナイフを捨てた事実

高裁は、佐々木が事件後、両親を殺害した凶器と符合する自分の登山ナイフを千葉市内の草むらへ捨て、血液の付いた衣服も付近へ投棄したと認定した。

また、両親宅から血液の付着したタオル、ござ、座布団などをポリバケツへ入れて車に積みながら、家出人届を出した際に警察へ提出しなかった。高裁は、両親を探す立場の子どもの行動としては不自然で、犯人性を示す重要な間接事実になると評価した。

高裁は、台所の床や廊下に残る大量の血液だけでなく、流し台、洗面所、風呂場にも血液の付着があったことを指摘した。床には拭き取った痕跡があり、現場を清掃した後に血の付いた物をまとめて持ち出した経過が読み取れるとした。

佐々木が真犯人ではなく、両親の異変を心配して届け出た立場だったなら、血の付いた大量の品を警察に見せず自分の車で持ち歩くのは不自然だというのが裁判所の評価だった。自白の内容だけでなく、事件直後の具体的な行動が有罪認定を支えた。

佐々木は公判で「母が父を殺した」と主張

佐々木は捜査段階で両親殺害を認める供述をした後、裁判では主張を変えた。父・守さんを殺したのは母・あき子さんであり、その母親を何者かが殺害したという内容だった。

弁護側は、この説明に沿って、母親が父親の死亡時刻とされる時間より後まで生きていた可能性を示す証言や、現場の血液型、遺体の消化状況、女性の足跡などを挙げた。事件の中心争点は、捜査段階の自白を離れても佐々木が両親を殺害したと認定できるかにあった。

「母親を午後7時台に見た」という食堂従業員の証言

この証言は弁護側にとって重要だった。事件当日の午後7時台まで母・あき子さんが生きていたなら、午後5時20分ごろに父母を相前後して殺害したとする自白と検察側の構図に大きな疑問が生じる。

高裁は、食堂従業員が覚えていたテレビ番組、店主が理髪店へ行っていた日、給料日前という記憶などを他の資料と照合した。その結果、あき子さんが米飯を買いに来たのは事件当日の30日ではなく、前日の29日だった可能性が高いとして、一審の死亡時刻認定を覆さなかった。

弁護側が重視したのが、母・あき子さんが10月30日午後7時から7時30分ごろ、近所の食堂へ米飯を買いに来たという証言だった。この証言が正しければ、検察側が主張する午後5時台の殺害時刻と矛盾する。

東京高裁は証言内容と他の証拠を検討し、食堂従業員が来店日を一日前と取り違えた可能性を認めた。両親が事件当日の夕方以降も通常どおり生活していたとする弁護側の主張を採用せず、午後5時20分ごろから相前後して殺害されたとの一審認定を維持した。

現場血痕の血液型も争われた

弁護側はさらに、父母の胃や腸の内容物の消化状態に差があること、住宅内に女性のものとみられる足跡があったことも挙げた。これらを組み合わせ、父母が同じ時間帯に佐々木によって殺害されたとの認定には疑いがあると主張した。

高裁は、第三者が住宅内にいたと裏付ける証拠はなく、佐々木が犯行時間帯に現場へいたこと、両親との対立、事件直後の負傷と着替え、金銭、凶器や血の付いた衣類の処分などを総合すれば、別人による殺害を合理的に説明できないと判断した。

弁護側は、佐々木と姉の血液型から考えると、両親のいずれかは特定のMN式血液型であるはずなのに、現場や投棄された衣類からその型が確認されていないとして、両親の一方が住宅で殺害されていない可能性を主張した。

高裁は、血液型鑑定の限界や採取された資料の状況、その他の大量の客観証拠を総合し、この点だけで犯行場所や犯人性に合理的な疑いが生じるとは認めなかった。一つの鑑定結果ではなく、現場状況と事件後の行動を含めて判断した。

高裁は自白だけに頼らず、客観証拠を先に検討した

東京高裁判決は、最初に「自白以外に被告人と犯行を結び付ける客観的事実が多数存在する」と整理し、それらを検討した後で自白の信用性を判断した。

現場の血痕、佐々木の傷、事件直後の大金、金庫を開けた痕跡、登山ナイフと衣類の投棄、血の付いた物品を車で運んだ行動、両親の死亡時刻と佐々木の所在などを重ね、第三者が両親を殺害したとする説明には無理があると結論付けた。

最高裁は自白の任意性に問題はないと判断

上告審では、弁護側が自白の任意性を争い、憲法違反も主張した。最高裁第一小法廷は記録を調べても自白の任意性を疑わせる証跡はないとして、主張の前提を欠くと判断した。

佐々木本人の上告趣意は事実誤認の主張だったが、最高裁では原則として事実認定そのものをやり直す審理ではない。刑事訴訟法411条によって判決を破棄すべき重大な問題があるかも検討されたが、その必要はないとされた。

計画性がなく、22歳で未熟だったことも考慮された

最高裁は死刑を維持する一方、佐々木に有利な事情も明記した。両親の殺害は事前に計画された犯行とはいえないこと、佐々木に重大な前科・前歴がなかったこと、犯行時22歳で社会的にも精神的にも未熟だったことを挙げている。

死刑事件では、被害者数だけでなく、動機、計画性、犯行態様、犯行後の行動、年齢、前科、反省などを総合して刑が判断される。本件では計画性の乏しさや若さを考慮しても、両親2人を執拗に刺殺し、遺体を海へ捨てて隠蔽した責任が上回るとされた。

一審判決までには事件発生から約9年半を要した。佐々木が否認へ転じ、客観証拠、自白の任意性、死亡時刻、血液型など多くの争点が審理されたためである。控訴審でも証拠を改めて検討し、1986年に死刑が維持された。

最高裁は1992年、上告理由として出された自白の任意性や事実誤認の主張を退け、刑事訴訟法411条による職権破棄も必要ないと判断した。ここで死刑という量刑だけでなく、佐々木を両親殺害の犯人とした確定審の証拠評価も最終的に維持された。

1992年1月30日、最高裁が死刑を維持

千葉地裁は1984年3月15日に死刑判決を言い渡し、東京高裁は1986年8月29日に控訴を棄却した。最高裁第一小法廷は1992年1月30日、上告を棄却した。

最高裁は、動機に酌量の余地が乏しく、殺害態様は執拗で、2人死亡という結果も重大だと評価した。計画性がなかったことや22歳という年齢を考慮しても、死刑を選択した一審・控訴審の判断はやむを得ないと結論付けた。

死刑確定後も無実を主張する資料が残る

佐々木は死刑確定後も、確定判決の犯行認定を否定する主張を続けた。国立国会図書館には2006年の『新潮45』に掲載された「佐々木哲也 千葉・両親殺し――死刑確定も冤罪主張の理由」という記事の書誌が残っている。

確定判決上は佐々木が両親を殺害し、遺体を海中へ遺棄したことが認定されている。一方、本人の否認・無実主張が存在することも事件史の一部である。両者は同じ重みの「二つの真相」ではなく、法的には有罪・死刑判決が確定し、本人がその確定認定を争ってきた事件として位置付けられる。

参考資料・出典

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