日立女子中学生誘拐殺人事件|綿引誠の死刑確定と病死まで

公開日 2026年7月29日
最終更新 2026年7月31日

日立女子中学生誘拐殺人事件は、1978年10月16日、茨城県日立市で14歳の女子中学生が、家族ぐるみで付き合いのあった綿引誠に連れ去られ、殺害された事件である。綿引は死刑確定後も再審を求めましたが、刑を執行されないまま、2013年6月23日に東京拘置所で病死した。現在も、確定判決が再審によって取り消された事実はない。

POINT
この記事でわかること
  • 14歳の女子中学生が下校途中に誘拐された経緯
  • 綿引誠が少女の家族から3000万円を得ようとした背景
  • 身代金要求前に少女が殺害されていた事実
  • 遺体発見から綿引の逮捕に至るまでの捜査
  • 一審から最高裁まで死刑が維持された理由
  • 綿引が裁判や再審請求で争った内容
  • 死刑が執行されず、2013年に病死した経過
項目内容
一般的な事件名日立女子中学生誘拐殺人事件
別称日立市女子中学生身代金目的誘拐殺人事件
発生日1978年10月16日
発生場所茨城県日立市および周辺地域
被害者日立市内の中学校に通う3年生の女子生徒(当時14歳)
加害者綿引誠(事件当時39歳)
加害者の職業鉄工業を経営
被害者との関係家族ぐるみで付き合いがあり、親戚同様の関係
事件の動機借金返済と遊興資金を得るため
身代金要求額3000万円
遺体の遺棄場所日立市森山町の風神山付近
遺体発見1978年10月17日
主な罪名身代金目的拐取、準強姦未遂、殺人、死体遺棄、拐取者身代金要求
一審判決1980年2月8日、水戸地裁が死刑
控訴審判決1983年3月15日、東京高裁が控訴棄却
上告審判決1988年4月28日、最高裁が上告棄却
刑の確定死刑確定
死刑執行執行されていない
綿引誠の死亡2013年6月23日、東京拘置所で病死
現在綿引は死亡。確定死刑判決が取り消された事実はない

被害者は日立市内に住む14歳の中学3年生だった

被害に遭った少女は、日立市内の中学校に通う3年生だった。事件当時は14歳。家族と生活し、普段どおり学校へ通っていた。綿引誠は少女の家族と以前から親しく、最高裁判決でも「親せき同様のつきあいをしていた家の娘」と表現されている。

少女にとって綿引は、路上で突然出会った不審者ではない。日常の中で顔を合わせ、一定の信頼を寄せていた大人だった。その関係が誘拐に利用されたため、少女は警戒することなく車へ乗ったとみられている。

綿引誠は鉄工業を営む39歳の男だった

綿引誠は事件当時39歳で、日立市内で鉄工業を営んでいた。しかし、事業の経営は順調ではなく、女性との遊興などにも多額の金を使っていた。最高裁判決は、綿引が「女性との遊興などにより生じた多額の借金」を返済し、さらに遊興を続ける資金を得るため、事件を計画したと認定している。

当時の借金は約1400万円に達していたと報じられた。通常の事業収入だけで短期間に返済することは難しい状況だった。そこで綿引は、自分を信用している家庭の子どもを利用し、大金を得ようと考える。

資産のある家庭から身代金を得ようと計画

綿引が狙ったのは、日頃から付き合いのあった少女の家庭だった。家族の資産状況や生活環境を知っていたため、娘を誘拐すれば、多額の金を用意すると考えたとみられる。身代金要求額は3000万円。当時としても極めて高額だった。

綿引は衝動的に少女へ声をかけたのではない。薬物を用意し、下校時間や少女との関係を利用して、誘拐を実行した。裁判所は、こうした準備と犯行の流れから、金銭目的の計画的な誘拐だったと判断している。

1978年10月16日、下校途中の少女へ声をかける

事件が起きたのは、1978年10月16日である。少女は授業を終え、友人たちと学校を出た。その後、自宅の近くで友人と別れ、一人になる。綿引は少女へ声をかけ、ドライブへ行くなどの口実で自分の車に乗せた。

面識のない男からの誘いであれば、少女も警戒した可能性がある。しかし、綿引は親戚同様に接してきた人物だった。長年の信頼を犯罪の手段へ変えたことが、この事件の際立った悪質性の一つである。

あらかじめ準備した薬物で少女を昏睡状態にする

綿引は少女を人目の少ない場所へ連れて行き、事前に準備した薬物を使用した。最高裁判決は、綿引が薬物によって少女を昏睡状態へ陥れたと認定している。少女は意識を失い、自ら逃げたり、周囲へ助けを求めたりすることができなくなった。

綿引はこの状態に乗じて性的暴行を試みたものの、未遂に終わったとされている。この行為についても、準強姦未遂罪が成立した。被害者が未成年であり、抵抗できない状態に置かれていたことは、裁判でも極めて重く評価されている。

身代金を要求する前に少女を殺害

綿引は、少女を生きたまま家族のもとへ帰すことを考えていなかった。確定判決では、昏睡状態となった少女を車内で殺害したと認定されている。少女の鼻や口をふさぎ、首を圧迫するなどして窒息死させたと報じられた。

殺害は、家族へ身代金を要求する電話をかける前に行われている。家族が要求どおりに金を用意しても、少女が解放される可能性は最初からなかった。娘の無事を願う家族へ、すでに実現不可能となった解放を期待させながら金を要求した点も、最高裁が犯行を冷酷非情と評価した理由である。

少女の遺体を風神山付近へ遺棄

少女を殺害した後、綿引は遺体を日立市森山町の風神山付近へ運んだ。風神山は日立市と常陸太田市の境界付近に広がる山で、当時も市街地から離れた場所があった。綿引は人目につきにくい場所へ遺体を放置し、少女がまだ生きているかのように装って身代金を得ようとする。

家族にとっては、娘の行方が分からないだけでなく、どこで拘束され、どのような状態にあるのかも分からない時間が続いた。

家族へ電話し、現金3000万円を要求

10月16日夜、少女の家庭へ男から電話が入った。男は、少女を預かっているという趣旨の話をし、身代金として3000万円を要求した。家族は少女が学校から帰宅していないことを確認し、午後9時すぎ、警察へ通報する。

茨城県警は身代金目的の誘拐事件として捜査を開始。電話への対応、現金の準備、少女の交友関係や下校経路の確認を急いだ。しかし、この時点で少女はすでに死亡し、風神山付近へ遺棄されていた。

身代金の受け渡しは実現しなかった

綿引は電話を通じて身代金を要求しましたが、3000万円を受け取ることはできなかった。身代金誘拐では、受け渡し場所や方法を指定し、警察の追跡を避けながら金を回収する必要がある。本件でも警察は、少女の救出を最優先としながら、電話の発信元や関係者の動きを調べた。

綿引に金が渡らなかったため、拐取者身代金要求罪は成立した一方、身代金の取得自体は未遂に終わっている。

翌日、山中で少女の遺体が発見される

1978年10月17日夕方、風神山付近を訪れていた人が、山中で少女の遺体を発見した。警察が確認した結果、行方不明となっていた14歳の女子中学生と判明する。家族が娘の生還を願い、身代金要求への対応を続けていた中での発見だった。

捜査は、生存を前提とする誘拐事件から、身代金目的の誘拐殺人事件へ切り替わる。司法解剖や現場検証によって、少女が遺棄される前に殺害されていたことが明らかになった。

警察は家族と親しい人物を中心に捜査

少女は、抵抗した形跡を残さず下校途中に姿を消していた。警察は、少女が自ら車へ乗る可能性のある人物、家庭の資産状況を知る人物、身代金を要求する動機を持つ人物を調べる。そこで浮上したのが、家族と親戚同様の付き合いを持つ綿引誠だった。

綿引は少女から警戒されにくく、家庭の経済状況も把握できる立場にった。さらに、多額の借金を抱えていたことも判明する。事件当日の行動や車の使用状況などを調べる中で、疑いは強まっていった。

綿引誠は国外へ出ようとしたところを逮捕される

捜査当局は、綿引が事件後に日本を離れようとしていることを把握した。綿引は韓国へ渡航しようとしたところを身柄拘束され、事件への関与を追及されている。取り調べでは、少女を車へ乗せた経緯、薬物の準備、殺害、遺体遺棄、身代金要求について調べられた。

検察は、単なる殺人ではなく、金銭目的で計画された誘拐から殺害、身代金要求までを一つの事件として起訴する。

身代金目的拐取や殺人など5つの罪で起訴

綿引誠が起訴された主な罪は、次のとおりである。

  • 身代金目的拐取
  • 準強姦未遂
  • 殺人
  • 死体遺棄
  • 拐取者身代金要求

身代金目的拐取は、身代金を得る目的で人を連れ去る犯罪である。拐取者身代金要求罪は、誘拐した被害者を利用し、家族などへ金銭を要求する行為を処罰する。実際に身代金を受け取れなかった場合でも成立する。本件では、被害者が14歳だったこと、薬物で抵抗できない状態にされたこと、殺害後も家族へ金を要求したことが重なった。

裁判では身代金目的の有無が争われた

綿引は、少女の殺害に関与した事実を認めながら、身代金を得る目的で最初から誘拐したとの認定を争った。弁護側は、主な目的は少女へ性的な行為をすることであり、身代金の要求は殺害後に思い付いたものだったと主張する。この主張が認められれば、当初から身代金目的で計画した事件という評価が変わり、量刑にも影響する可能性があった。

しかし裁判所は、綿引の借金、被害者家庭の資産を知っていたこと、薬物を準備していたこと、犯行前後の行動を総合する。その結果、少女を連れ去った時点から身代金を得る目的があったと認定した。

1980年2月8日、水戸地裁が死刑判決

1980年2月8日、水戸地方裁判所は綿引誠へ死刑を言い渡した。裁判所は、綿引が多額の借金を返済し、さらに遊興を続けるために少女を誘拐したと認定している。被害者は14歳で、綿引を親しい大人として信用していた。その信頼を利用し、薬物で意識を奪って殺害した犯行は、計画性と悪質性が高いと判断される。

さらに、少女の死亡後も生存しているように装い、家族へ3000万円を要求した。被害者が1人であることや、綿引に目立った前科がないことを考慮しても、極刑を避けることはできないとされた。

被害者1人の事件で死刑が選択された理由

日本の死刑事件では、殺害された被害者の人数が重要な量刑要素になる。ただし、被害者が1人なら死刑にならないという規則はない。日立女子中学生誘拐殺人事件では、次の事情が総合的に検討された。

  • 多額の金を得るために誘拐を計画したこと
  • 14歳の少女との信頼関係を悪用したこと
  • 薬物を事前に準備していたこと
  • 抵抗できない少女へ性的暴行を試みたこと
  • 身代金を要求する前に少女を殺害したこと
  • 遺体を山中へ遺棄したこと
  • 少女が生きているように装って家族へ3000万円を要求したこと
  • 遺族や社会へ深刻な影響を与えたこと

裁判所は、これらの事情から綿引の罪責は極めて重大であり、死刑がやむを得ないと判断した。

東京高裁は「冷酷非道」として控訴を棄却

綿引側は、水戸地裁の死刑判決を不服として東京高等裁判所へ控訴した。弁護側は、身代金目的の誘拐ではなかったことや、被害者が1人であること、綿引に前科がほとんどないことなどを挙げ、死刑回避を求める。また、親族側が遺族への慰謝を目的に金銭を供託したことや、綿引が反省を示していることも有利な事情として主張された。

しかし、1983年3月15日、東京高裁は控訴を棄却した。控訴審も、身代金目的の計画的犯行であり、信頼していた少女を殺害した行為は冷酷非道だとして、一審の死刑判決を維持している。

最高裁でも身代金目的を否定する主張を続ける

綿引側は最高裁へ上告し、事実認定と量刑の双方を争った。上告審では、少女を連れ去った動機は性的な目的であり、当初から身代金を得るつもりではなかったと改めて主張している。さらに、死刑制度そのものが憲法に違反するとの主張も行った。

最高裁は、死刑制度を合憲とする従来の判例を踏まえ、違憲の主張を退ける。犯行目的についても、身代金を得る目的があったとした一、二審の認定は正当だと判断した。

1988年4月28日、最高裁で死刑確定

1988年4月28日、最高裁第一小法廷は綿引誠の上告を棄却した。最高裁は、金銭欲に基づく身代金目的誘拐、殺人、身代金要求、死体遺棄に加え、準強姦未遂まで伴う事件だと指摘している。動機には酌量の余地がなく、犯行は計画的で、殺害方法も冷酷非情だと評価した。

また、少女の遺族が受けた被害感情は深刻で、事件が社会へ与えた影響も軽視できないとしている。綿引が反省を示していることや、目立った前科がないことを十分に考慮しても、罪責は極めて重いと判断された。これにより、綿引誠の死刑が確定した。

最高裁判決と「永山基準」

最高裁は1983年の永山則夫連続射殺事件判決で、死刑を選択する際に考慮すべき要素を示している。一般に「永山基準」と呼ばれ、罪の性質、動機、犯行態様、結果、遺族感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の状況などを総合的に判断する。綿引の上告審も、この枠組みに沿って量刑の妥当性が検討された。

殺害された被害者は1人でしたが、14歳の少女を金銭目的で計画的に誘拐したこと、性的犯行を伴ったこと、殺害後に身代金を要求したことが重く評価されている。被害者数だけではなく、犯行全体の計画性や冷酷さによって死刑が維持された事例である。

死刑確定後も再審を求める

死刑確定後、綿引は東京拘置所へ収容された。その後も再審請求を行い、身代金目的で少女を誘拐したとする確定判決の認定などを争ったとされている。再審は、確定した有罪判決に誤りがある疑いを示す新しく明白な証拠などがある場合に、裁判をやり直す手続きである。

ただし、再審を申し立てただけで死刑判決が無効になるわけではない。綿引について再審開始が確定した事実や、無罪判決が出た事実はない。死亡時も、法的には死刑確定者の立場だった。

綿引誠は事件への関与を全面否認していたのか

綿引は、事件と無関係だと全面的に否認していたわけではない。裁判で主に争ったのは、少女を最初から身代金目的で誘拐したのか、性的な目的で連れ出した後に金銭要求を思い付いたのかという点である。しかし、どちらの主張であっても、少女が綿引によって連れ去られ、殺害され、遺体を遺棄されたという中核部分が無罪となったわけではない。

最高裁は、綿引には当初から身代金を得る目的があったと明確に認定している。したがって、本件を「犯人が完全な冤罪を主張した事件」と単純に説明することは正確ではない。

2013年6月、くも膜下出血で倒れる

綿引誠は、死刑確定から約25年間、東京拘置所に収容されていた。2013年6月、居室内で体調を崩しているところを職員に発見される。医療機関で診察を受けた結果、くも膜下出血と診断された。

綿引は意識が回復しないまま治療を受けましたが、同月23日夜、死亡が確認されている。死亡時の年齢は74歳だった。

死刑は執行されないまま病死

綿引誠の死刑は執行されていない。法務大臣の執行命令によって刑を執行されたのではなく、東京拘置所で収容中に病死した。そのため、「2013年に死刑が執行された」「死刑によって死亡した」とする説明は誤りである。

一方、病死したからといって、確定した有罪判決が取り消されたわけでもない。法的には、身代金目的拐取、準強姦未遂、殺人、死体遺棄、拐取者身代金要求の罪で死刑が確定したまま、刑を執行される前に死亡した人物である。

死刑確定から病死まで約25年を要した

綿引の死刑が確定したのは1988年4月で、死亡したのは2013年6月である。死刑確定後の収容期間は約25年に及んだ。死刑確定者の刑が長期間執行されない背景には、再審請求、健康状態、共犯事件の審理状況など、事件ごとにさまざまな事情がある。

ただし、個別の執行時期や、なぜ特定の死刑確定者が執行対象に選ばれなかったのかは、通常詳しく公表されない。綿引についても、死刑が長期間執行されなかった具体的理由は明らかにされていない。

身代金誘拐事件が家族へ残す被害

身代金目的誘拐では、直接連れ去られた人だけでなく、家族も犯人の支配下に置かれる。家族は、警察へ知らせれば殺されるのではないか、金を用意すれば無事に帰るのかという恐怖の中で判断を迫られる。日立女子中学生誘拐殺人事件では、家族が電話を受けた時点で、少女はすでに殺害されていた。

それを知らない家族は、娘の生存を信じて対応を続けている。最高裁が遺族の被害感情を「深刻」と表現した背景には、14歳の娘を失った結果だけでなく、生還への希望を利用された苦痛もあった。

親しい大人による犯行が示した危険

子どもが被害に遭う事件では、見知らぬ人物への警戒が強調されがちである。しかし、日立女子中学生誘拐殺人事件の犯人は、被害者の家庭と親戚同様に付き合っていた人物だった。少女が車へ乗ったのは、危険を軽視したからではない。信頼できるはずの大人から誘われたためである。

子どもへ自己防衛だけを求めても、身近な人物が信頼を悪用する事件を完全には防げない。大人側の行動を確認できる家庭内の仕組みや、予定外の送迎について連絡を取り合うことも、安全対策の一つになる。

事件を性的な興味だけで語るべきではない

綿引には準強姦未遂罪も認定されており、性的な行為を試みた事実は裁判上の重要な要素である。一方、事件を刺激的に紹介するため、少女が受けた被害を必要以上に詳しく描写することは適切ではない。被害者は14歳であり、自らの意思や尊厳を奪われた状態で犯罪にさらされた。

裁判で問われたのは、綿引が抵抗できない少女を利用したことと、それを含む一連の犯行が死刑を選択するほど重大だったかという点である。被害者の苦痛を消費するのではなく、確認された事実を必要な範囲で伝える姿勢が求められる。

現在の状況|綿引誠は病死、死刑は未執行

事件発生から綿引の死亡までの主な経過は、次のとおりである。

  • 1978年10月16日:下校途中の14歳の女子中学生を車へ乗せ、薬物で昏睡させて殺害
  • 同日:遺体を風神山付近へ遺棄し、家族へ身代金3000万円を要求
  • 10月17日:山中で少女の遺体を発見
  • 事件後:綿引誠を逮捕し、身代金目的拐取や殺人などで起訴
  • 1980年2月8日:水戸地裁が死刑判決
  • 1983年3月15日:東京高裁が控訴を棄却
  • 1988年4月28日:最高裁が上告を棄却し、死刑確定
  • 死刑確定後:綿引が再審を求める
  • 2013年6月23日:くも膜下出血の治療中、東京拘置所で死亡

現在も、綿引誠はすでに死亡している。死刑は執行されておらず、死刑確定者として東京拘置所に収容されている間に病死した。再審開始や無罪判決が確定した事実はなく、1988年の死刑確定判決が司法上取り消されたことも確認されていない。

現在の正確な法的整理は、死刑判決が確定した後、刑を執行されないまま2013年に死亡したというものだ。

日立女子中学生誘拐殺人事件が残したもの

日立女子中学生誘拐殺人事件では、学校から帰宅する途中だった14歳の少女が、信頼していた大人に連れ去られた。綿引誠は、少女との関係も、家族の資産状況を知る立場も、自らの借金を解消するために利用している。少女は、家族へ身代金を要求する前に殺害された。それでも綿引は、娘が生きていると信じる家族へ3000万円を要求した。

裁判では、被害者が1人であることや、綿引に目立った前科がないことも検討されている。しかし、計画性、信頼関係の悪用、少女の年齢、性的犯行、殺害後の身代金要求が重く評価され、死刑が選択された。綿引は刑を執行されずに病死しましたが、そのことによって少女の被害や遺族の苦痛が軽くなるわけではない。

この事件の中心にいるのは、綿引の借金や死刑制度ではなく、日常へ戻ることができなかった14歳の少女である。身近な人物による信頼の悪用、誘拐事件における家族への心理的支配、被害者1人の事件に対する死刑選択という問題を、現在にも残している。

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