1979年11月、北九州市で病院を経営していた津田薫さんは、知人関係を利用されて誘い出された。待っていたのは、杉本嘉昭と横山一美が大金を奪うために組み立てた計画だった。津田さんは所持金約95万円を奪われた後、さらに家族へ2000万円を用意するよう電話させられた。
金の受け取りに失敗した後も、津田さんは解放されなかった。最高裁は、2人が当初から殺害と遺体の処理まで計画し、準備を整えていたと認定している。津田さんは殺害され、遺体は切断されたうえ海中へ遺棄された。
被害者は1人だったが、杉本と横山にはともに死刑が言い渡された。最高裁は1988年4月15日に2人の上告を棄却し、「一体となって」犯行を共同遂行したとして刑責に軽重の差を認めなかった。1996年7月11日、2人の死刑は福岡拘置所で執行された。
| 発生 | 1979年11月4日 |
|---|---|
| 場所 | 福岡県北九州市 |
| 被害者 | 病院長・津田薫さん |
| 被告人 | 杉本嘉昭、横山一美 |
| 当初の被害 | 現金約95万円を強奪 |
| 追加要求 | 家族に現金2000万円を持参するよう指示させた |
| 主な罪名 | 強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂 |
| 一審 | 1982年3月16日・福岡地裁小倉支部、2人に死刑 |
| 控訴審 | 1984年3月14日・福岡高裁、控訴棄却 |
| 最高裁 | 1988年4月15日、上告棄却 |
| 死刑執行 | 1996年7月11日、2人とも執行 |
「一獲千金」を狙い、誘い出しから遺体処理まで計画していた
最高裁判決は、杉本と横山が一獲千金を狙い、病院長から大金を奪ったうえで殺害することを企てたと認定した。計画は、その場で金を奪うだけのものではなかった。津田さんをどう誘い出すか、金をどう奪うか、犯行後に遺体をどう処理して発覚を遅らせるかまで事前に検討していた。
準備の段階で、殺害後の隠蔽まで組み込まれていた点が量刑上重く扱われた。最高裁は動機を金銭欲に求め、津田さん個人への恨みが犯行の中心だったとは認定していない。
津田薫さんを誘い出し、散弾銃と刃物で脅して現金を奪った
2人は津田さんを言葉巧みに誘い出し、散弾銃や刃物を使って脅迫した。最高裁判決によれば、津田さんは刃物で傷つけられ、肺に達する重傷を負った。その状態で所持していた現金約95万円を奪われている。
津田さんは治療を求めたが、2人は長時間にわたり救護せず、衰弱するままにした。犯行は短時間の強盗から、負傷した被害者を拘束し続け、家族からさらに大金を得ようとする段階へ移っていった。
家族へ電話させ、現金2000万円を持参するよう指示した
杉本と横山は、津田さん本人に妻へ電話をかけさせた。そこで現金2000万円を用意し、指定場所へ持参するよう指示させた。最高裁判決は、この金の奪取には失敗したとしている。
事件名に「誘拐」が使われることは多いが、最高裁の事件名は「強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂」。確定判決で直接示された法的評価を確認すると、最初に約95万円を奪った強盗、さらに2000万円を得ようとした未遂、その後の殺害と遺体遺棄が一連の犯罪として扱われている。
金の受け取りに失敗した後、計画どおり殺害したと認定された
2000万円を得られなかった後、津田さんはすでに負傷と長時間の放置によって衰弱していた。最高裁は、2人が当初の計画どおり首を強く絞めるなどして殺害したと認定した。
重要なのは、身代金の受け取りに失敗したため偶然殺害へ転じた、とだけ説明できない点である。判決は、もともと大金を奪った後に津田さんを殺害し、遺体を処理するところまで計画していたと認定している。金の受け取りの成否とは別に、殺害は犯行計画の中に組み込まれていた。
殺害後の遺体処理も、犯行発覚を防ぐ計画の一部だった
殺害後、2人は津田さんの遺体を切断し、海中へ遺棄した。最高裁は、遺体の解体と遺棄についても「完全犯罪」にするためにあらかじめ練られた隠蔽方法の一部として認定した。
遺体の一部は発見が遅れ、判決時点でも見つかっていない部分があった。裁判所が量刑上重視したのは、遺体処理まで事前に準備した計画性と証拠隠滅の意図だった。
津田さんは病院を経営し、地域医療に携わっていた
最高裁判決は、津田さんが長年にわたり北九州市内で大病院を経営し、地域の医療に携わっていた人物で、妻子と平穏に生活していたと述べている。杉本と横山から恨みを買う事情はなかったとも認定した。
被害者を単に「病院長1人」と数だけで扱うと、裁判所が被害結果をどのように捉えたかが見えにくくなる。判決は、金銭目的で生活と生命を奪われたことに加え、遺体の発見状況によって遺族の衝撃と悲しみがさらに深まったことも量刑事情として挙げている。
一審と控訴審では、2人とも殺害への関与を争った
当時の報道では、杉本と横山は一審・控訴審で殺害について否認していた。1982年3月16日、福岡地裁小倉支部は2人に死刑を言い渡し、1984年3月14日、福岡高裁は控訴を棄却した。
最高裁では、弁護側から事実誤認や量刑不当が主張されたほか、一方の被告側は死刑制度が憲法に反するという主張も行った。最高裁第二小法廷は違憲論を退け、記録を検討したうえで原判決を変更すべき事情はないとした。
最高裁は「2人の刑責に軽重の差を見出せない」と判断した
被害者が1人で、共犯者2人に死刑が選択された点は、この事件の量刑を理解するうえで重要である。最高裁は単に「2人で殺したから2人とも死刑」としたわけではない。誘い出し、金銭強奪、追加要求、殺害、遺体処理まで、2人が当初の計画に基づいて一体となって共同遂行したと認定した。
判決は、2人の役割について刑責の軽重を区別できないと明言している。どちらか一方を首謀者、もう一方を従属的な補助者として扱わず、犯行全体を共同で実行した責任を同程度に負うと評価したことが、2人への死刑維持につながった。
被害者1人という数字だけでは、死刑判断の理由を説明できない
1988年4月15日の最高裁判決は、被害者数だけで結論を出していない。金銭だけを目的とした動機、殺害と隠蔽まで含む準備、負傷させた被害者を長時間放置した経過、2000万円を要求させたこと、殺害後の証拠隠滅、遺族の被害感情などを総合した。
一方、杉本と横山に大きな前科がなかったこと、上告審の時点では罪の重大さを自覚して反省していたことも有利な事情として考慮された。それでも死刑を回避するには足りないと判断された。死刑判決は被害者数の機械的な基準ではなく、犯行全体と各被告人の責任を積み上げた結論だった。
一審死刑から最高裁まで約6年、上告棄却で確定した
福岡地裁小倉支部が2人に死刑を言い渡したのは1982年3月16日。福岡高裁は1984年3月14日に控訴を棄却し、最高裁第二小法廷は1988年4月15日に両名の上告を棄却した。
最高裁の事件番号は昭和59年(あ)512号、事件名は「強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂」。最高裁サイトの判示事項も「死刑事件(病院院長殺害事件)」としている。杉本と横山の死刑は、この上告棄却を経て確定した。
一審判決から最高裁判決まで、2人への死刑という結論は変わらなかった。ただし、上級審は一審の結論を自動的に追認したのではなく、上告理由や記録を検討し、前科の乏しさや反省も含めたうえで、なお原判決を変更する事情はないと判断している。
死刑確定から約8年後、1996年7月11日に2人とも執行された
杉本嘉昭と横山一美はいずれも1996年7月11日に死刑を執行された。杉本は49歳、横山は43歳だった。2人は福岡拘置所に収容され、同じ日に刑が執行されている。
1988年の死刑確定から執行までは約8年。死刑判決が確定した日と、実際に刑が執行された日は別であり、この事件では両名とも執行まで長い期間があった。1996年の執行によって、2人に対する刑の執行は終了した。
参考資料・出典
- 最高裁判所「昭和59年(あ)512号 強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂」裁判例結果詳細
- 最高裁判所第二小法廷「昭和59年(あ)512号」判決全文・1988年4月15日
- CrimeInfo「死刑確定者 全リスト」
- 立命館大学生存学研究所 arsvi.com「死刑関連ニュース(1988年)」
関連事件
この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。
