北九州病院長バラバラ殺人事件|杉本嘉昭・横山一美の死刑判決と執行まで

公開日 2026年7月28日
最終更新 2026年7月31日

北九州病院長バラバラ殺人事件は、1979年11月4日から5日にかけて、福岡県北九州市で病院長の男性が金銭目的で監禁され、殺害された事件である。被害者が1人の事件で、共犯者2人に死刑が言い渡された極めて異例の事例としても知られている。2人の死刑は、1996年7月11日に福岡拘置所で執行された。

POINT
この記事でわかること
  • 津田薫さんが杉本嘉昭と横山一美に誘い出された経緯
  • 現金約95万円を奪われ、さらに2000万円を要求された状況
  • 津田さんが殺害され、遺体を海へ投棄された流れ
  • 遺体の発見から杉本と横山の逮捕に至るまでの捜査
  • 2人が互いに殺害の責任を押し付けた裁判の争点
  • 被害者1人の事件で2人に死刑が言い渡された理由
  • 死刑確定から1996年の刑執行までの経過
項目内容
一般的な事件名北九州病院長バラバラ殺人事件
別称北九州市病院長殺害事件、津田病院長殺害事件
発生日1979年11月4日から11月5日
主な発生場所福岡県北九州市小倉北区
被害者病院長・津田薫さん(当時61歳)
加害者杉本嘉昭(事件当時33歳)、横山一美(事件当時27歳)
加害者の職業杉本は釣具店経営、横山はスナック経営
事件の動機遊興費などを得るための金銭目的
奪われた金品現金約95万円、腕時計など
追加要求額現金2000万円
遺体の遺棄場所大分県国東半島沖の海上
逮捕1980年4月までに杉本と横山を逮捕
主な罪名強盗殺人、死体遺棄など
一審判決1982年3月16日、福岡地裁小倉支部が2人に死刑
控訴審判決1984年3月14日、福岡高裁が控訴棄却
上告審判決1988年4月15日、最高裁が上告棄却
刑の確定杉本嘉昭、横山一美ともに死刑確定
死刑執行1996年7月11日、福岡拘置所で2人の死刑を執行
現在2人とも死刑執行済み。刑事手続きは終結

被害者は北九州市で病院を経営していた津田薫さん

津田薫さんは、北九州市小倉北区で病院を経営していた医師だった。事件当時は61歳。地域で病院を運営しながら、家族と生活していた。津田さんは、横山一美が経営するスナックの客として店を訪れたことがあり、横山とは以前から面識があったとされている。

横山と杉本嘉昭は、津田さんが病院を経営する資産家であることを知り、金銭を奪う標的に選んだ。津田さんが2人へ犯罪行為を働きかけたわけではない。以前から知っていた客を欺き、金銭目的で誘い出した計画的な犯行だった。

杉本嘉昭と横山一美は遊興費を求めていた

杉本嘉昭は事件当時33歳で、北九州市内で釣具店を経営していた。横山一美は27歳。小倉北区でスナックを経営しており、津田さんとは客と店主として接点があった。2人は派手な生活を続ける中で資金に困るようになり、短期間で大金を得る方法を探していたと認定されている。

それぞれ多額の債務を抱えていましたが、経営する店が直ちに破綻する状態だったわけではない。裁判所は、地道に働いて返済するのではなく、一度の犯行で大金を手にしようとした動機に酌量の余地はないと判断した。

津田さんを女性歌手との面会を口実に誘い出す

1979年11月4日、杉本と横山は、女性歌手に会わせるなどと津田さんへ持ちかけた。その言葉を信じた津田さんは、横山が経営するスナックへ向かう。店内では、あらかじめ計画を立てていた2人が待ち構えていた。津田さんにとって、横山はまったく知らない人物ではなかった。面識があったことが警戒心を弱め、誘いに応じる結果につながったとみられる。

2人は店を強盗の現場として利用し、津田さんが自由に逃げられない状況を作った。

刃物で傷つけ、現金約95万円などを奪う

スナックへ入った津田さんは、杉本と横山に襲われた。2人は刃物を使って津田さんの胸付近を傷つけ、強い暴力と脅迫によって抵抗できない状態へ追い込む。そのうえで、津田さんが持っていた現金約95万円や腕時計などを奪った。

この時点で、2人はすでに相当額の現金を手にしている。しかし、犯行を終わらせることなく、さらに大きな金額を要求した。津田さんは出血し、体力を失いながらも、その後長時間にわたって2人の支配下に置かれる。

家族へ電話をかけさせ、現金2000万円を要求

翌11月5日朝、杉本と横山は津田さんへ自宅に電話をかけさせた。津田さんは妻に対し、現金2000万円を準備し、北九州市内のホテルへ届けるよう伝える。家族に不審感を抱かせないよう、津田さん本人の言葉で指示させる方法だった。家族は津田さんの求めに従い、指定された場所へ現金を運んだ。

ところが、杉本と横山は2000万円を受け取ることができなかった。当初の計画が失敗したことで、津田さんを解放すれば自分たちの身元が明らかになる状況となる。2人は口封じのため、津田さんの命を奪う決断をした。

重傷を負った津田さんの首を絞めて殺害

津田さんは胸付近を傷つけられ、長時間にわたって拘束されたことで、著しく衰弱していた。杉本と横山は、その状態にある津田さんの首を絞めるなどし、死亡させたと認定されている。津田さんは、家族のためにも帰宅できるよう助けを求めたとされている。それでも2人は犯行の発覚を防ぐことを優先した。

裁判所は、金の受け取りに失敗した後も津田さんを解放せず、口封じのため殺害した一連の行為を、冷酷で非道な犯行と評価している。津田さんは、加害者側の身勝手な金銭欲と証拠隠滅のために命を奪われた。

北九州市内の宿泊施設で遺体を切断

津田さんを殺害した後、杉本と横山は遺体を隠す方法を考えた。2人は遺体を北九州市内の宿泊施設へ運び込み、なたなどを使って複数に切断している。遺体を小さく分けたのは、持ち運びを容易にし、被害者の身元確認や事件の発覚を遅らせるためだった。

その後、切断した遺体を複数の容器や袋へ分け、港まで運ぶ。人の尊厳を完全に無視した犯行後の行為は、裁判で2人の刑を判断するうえでも重く受け止められた。

小倉発松山行きのフェリーから遺体を海へ投棄

杉本と横山は、切断した遺体を持って小倉港から松山方面へ向かうフェリーに乗り込んだ。船が大分県の国東半島や姫島周辺の海域へ差しかかると、2人は遺体を海中へ投棄する。海へ捨てれば遺体は発見されず、津田さんは失踪した人物として扱われると考えていた。

しかし、海流や投棄した物の状態まで、2人の思惑どおりにはならなかった。遺体の一部は、事件から約10日後に漁業関係者によって発見される。

11月15日、海上で切断された遺体が見つかる

1979年11月15日、大分県沖で操業していた漁業関係者が、海上に浮かぶ人の遺体を発見した。見つかった遺体は頭部や一部の手足がなく、身元をすぐに確認できる状態ではなかった。警察は遺体の特徴、着衣、身体的特徴、行方不明者の情報などを照合し、身元の特定を進める。

その過程で、北九州市内の病院長が家族へ不自然な電話をした後、行方が分からなくなっていることが捜査線上に浮かんだ。遺体は津田薫さんのものと確認され、失踪事案は金銭目的の殺人事件へ変わる。

津田さんの交友関係と金銭の流れを捜査

捜査当局は、津田さんが行方不明になる直前の行動を洗い直した。最後に会った人物、電話の相手、立ち寄った店、2000万円をホテルへ運ばせた経緯などが調べられる。やがて、津田さんが横山の経営するスナックを訪れていたことや、横山と杉本が親しく行動していた事実が判明した。

ただし、物的証拠が十分にそろわず、捜査は長期化する。2人が犯行後に証拠を処分し、遺体を海へ投棄していたことも、全容解明を難しくした。それでも警察は、周辺人物への聞き込み、金銭の動き、車両や船の利用状況を積み重ねていく。

1980年4月、杉本嘉昭と横山一美を逮捕

事件から約5カ月後の1980年4月、杉本嘉昭と横山一美は捜査当局に逮捕された。逮捕後の取り調べでは、津田さんを誘い出した経緯、金品を奪った状況、2000万円の受け取り計画などが調べられる。さらに、横山の供述などを手掛かりに、津田さんの装身具が捨てられた場所や、遺体を運んだ経路も確認された。

警察は一連の証拠を踏まえ、2人が当初から金銭を奪う目的で津田さんを誘い出し、殺害後に遺体を遺棄したと判断する。杉本と横山は、強盗殺人や死体遺棄などの罪で福岡地裁小倉支部へ起訴された。

裁判では互いに殺害の主導を否定

裁判で2人は、津田さんから金品を奪ったことなど、一部の事実を認めた。一方、誰が殺害を主導し、どちらがどの行為を担当したのかについては、供述が食い違う。杉本は横山の責任が大きいと主張し、横山も杉本が中心だったという趣旨の説明をした。

自らの刑事責任を軽くするため、相手へ重大な部分を押し付けるような主張が続いたのだ。裁判所は、細かな役割に違いがあっても、2人が計画段階から協力し、強盗、殺害、遺体遺棄まで共同で実行したと認定した。

1982年3月16日、2人に死刑判決

1982年3月16日、福岡地方裁判所小倉支部は、杉本嘉昭と横山一美の双方へ死刑を言い渡した。裁判所は、犯行が大金を得る目的で事前に計画されていたことを重視している。さらに、津田さんへ重傷を負わせて現金を奪い、家族から2000万円を得ようとしたうえ、失敗すると口封じのため殺害した点を厳しく評価した。

遺体を切断し、フェリーから海へ投棄した行為についても、証拠隠滅を図った残酷で非道な犯行と判断されている。被害者は1人でしたが、計画性、動機、犯行態様、犯行後の行動を総合すると、2人の刑事責任に差を設ける理由はないとされた。

福岡高裁も2人の死刑判決を維持

杉本と横山は、一審の死刑判決を不服として福岡高等裁判所へ控訴した。弁護側は、被害者が1人であることや、2人の役割には差があるとして、死刑は重すぎると主張する。しかし、1984年3月14日、福岡高裁は2人の控訴を棄却した。

福岡高裁も、金銭目的で知人を誘い出し、長時間苦しめた末に殺害した犯行の悪質性を重視。一審の死刑判決は重すぎないと判断している。2人は最高裁へ上告し、死刑を回避するための審理が続いた。

最高裁は「極めて計画性の強い悪質、非道な犯行」と判断

1988年4月15日、最高裁第二小法廷は、杉本と横山の上告を棄却した。最高裁は、一連の犯行について、極めて計画性が強く、悪質で非道な犯行であると評価している。動機は遊興費などを得るための身勝手な金銭欲であり、酌量すべき事情はないと判断された。

津田さんへ刃物で重傷を負わせ、家族に大金を用意させたうえ、受け取りに失敗すると殺害した経過も重視されている。遺体を切断して海へ投棄した犯行後の行動、遺族が受けた苦痛、社会へ与えた影響などを総合し、死刑を維持した。これにより、杉本嘉昭と横山一美の死刑が確定している。

被害者1人でも2人に死刑が言い渡された理由

殺害された被害者が1人でありながら、共犯者2人の死刑が確定した点は、この事件の大きな特徴である。死刑を選択する際、被害者の人数は重要な判断要素になる。しかし、人数だけで自動的に刑が決まるわけではない。裁判所は、次のような事情を総合して2人の罪責を判断した。

  • 大金を得るため事前に犯行を計画していたこと
  • 面識のある津田さんを欺いて呼び出したこと
  • 刃物で傷つけ、長時間にわたり拘束したこと
  • 現金を奪った後、家族から2000万円を得ようとしたこと
  • 金の受け取りに失敗すると口封じのため殺害したこと
  • 遺体を切断し、海へ投棄して証拠隠滅を図ったこと
  • 2人が計画から遺棄まで共同して行動したこと

杉本と横山はいずれも従属的な立場ではなく、犯罪全体の重要な役割を担っていた。被害者が1人であることを考慮しても、犯行全体の残虐性と計画性が極めて高いとして、2人への死刑が選択された。

永山基準が示された後に死刑が確定した異例の事件

最高裁は1983年、永山則夫連続射殺事件の判決で、死刑を選択する際に考慮すべき要素を示した。一般に「永山基準」と呼ばれ、犯行の性質、動機、計画性、残虐性、被害結果、遺族感情、社会的影響、年齢、前科、犯行後の情状などを総合的に判断する。北九州病院長バラバラ殺人事件の一審判決は、永山基準が示される前年の1982年だった。

一方、控訴審と上告審は基準が示された後に行われている。それでも、福岡高裁と最高裁は死刑を維持した。このため本件は、被害者1人の事件で共犯者2人の死刑が確定した、死刑選択の限界事例として論じられることがある。

死刑確定後、2人は反省の言葉を述べる

一審や控訴審では、杉本と横山は殺害行為について相手の責任を強調する姿勢を見せていた。しかし、上告審の段階では、犯した罪の重大さを認識し、反省しているとする事情も示されている。横山は、自らが経営していた店を処分して得た金銭の一部を、犯罪被害者を支援するための基金へ寄託したとされている。

こうした行動は犯行後の情状として検討されましたが、計画的な強盗殺人と遺体遺棄の重大性を覆すものとは判断されなかった。反省や償いの意思が示されても、失われた津田さんの命を取り戻すことはできない。

1996年7月11日、福岡拘置所で死刑執行

死刑確定から約8年後となる1996年7月11日、杉本嘉昭と横山一美の死刑が執行された。執行場所は、2人が収容されていた福岡拘置所である。杉本は49歳、横山は43歳だった。同じ事件で死刑が確定した2人は、同じ日に刑を執行されている。

被害者が1人の事件で共犯者2人の死刑が執行されたことから、執行後には量刑をめぐってさまざまな意見が出た。一方、確定判決は、津田さんを計画的に襲い、長時間苦しめた末に殺害した2人の責任を同等に重いものと認定している。

現在の状況|2人とも死刑執行済み

事件発生から死刑執行までの主な流れは、次のとおりである。

  • 1979年11月4日:杉本嘉昭と横山一美が津田薫さんを誘い出して監禁
  • 11月5日:現金2000万円の受け取りに失敗し、津田さんを殺害
  • 同日以降:遺体を切断し、フェリーから大分県沖の海へ投棄
  • 11月15日:漁業関係者が海上で遺体の一部を発見
  • 1980年4月:杉本と横山を逮捕
  • 1982年3月16日:福岡地裁小倉支部が2人へ死刑判決
  • 1984年3月14日:福岡高裁が控訴を棄却
  • 1988年4月15日:最高裁が上告を棄却し、2人の死刑が確定
  • 1996年7月11日:福岡拘置所で2人の死刑を執行

現在も、杉本嘉昭と横山一美はともに死刑執行済みである。再審によって有罪判決や死刑判決が取り消された事実はない。事件の刑事手続きは、2人の死刑確定と執行によって終結している。したがって、2人を現在も収容中の死刑囚と表現することはできない。

法的な結論は、強盗殺人や死体遺棄などで死刑が確定し、1996年に刑が執行されたというものだ。

北九州病院長バラバラ殺人事件が残したもの

北九州病院長バラバラ殺人事件では、横山一美と面識のあった津田薫さんが、その信頼を利用されて呼び出された。津田さんは現金を奪われただけでなく、家族へ大金を用意するよう電話をかけさせられ、長時間にわたって生命の危険にさらされている。家族は津田さんを無事に帰すため、2000万円を準備した。それにもかかわらず、杉本と横山は受け取りに失敗すると、事件の発覚を恐れて津田さんを殺害する。

さらに遺体を切断して海へ捨てたことで、遺族は死を知らされるまでの不安と、発見時の深い苦痛まで負うことになった。裁判では、被害者が1人であることだけではなく、計画性、金銭目的、殺害までの経緯、遺体遺棄、2人の役割が総合的に判断されている。死刑制度や量刑を検討する際にも、事件の中心にいるのは、突然自由と命を奪われた津田薫さんと、その帰りを待っていた家族である。

本件は、共犯事件で刑事責任をどのように分けるのか、被害者1人の事件で死刑を選択できるのかという難しい問題を、現在にも残している。

関連事件

同じテーマの書籍を探す

この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。