藤沢市母娘ら5人殺害事件|控訴取下げ無効から審理再開、藤間静波の死刑確定・執行

公開日 2026年3月13日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

都道府県
兵庫県 / 神奈川県
事件分類
ストーカー事件 / 大量殺人事件
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1981年10月から1982年6月にかけ、藤間静波は神奈川県と兵庫県で5人を殺害した。最高裁判決は、金銭をめぐって対立した男性1人、交際を求めていた女子高校生とその母・妹の3人、さらに母娘3人の殺害に関わった男性1人への犯行を認定している。

この事件では、5人の殺害だけでなく、一審死刑判決後に藤間本人が控訴を取り下げ、その効力をめぐって裁判が長期間中断した点も重要になる。最高裁は1995年、精神障害の影響下で行われた控訴取下げを無効と判断。東京高裁で控訴審が再開され、2000年に死刑維持、2004年に最高裁で死刑が確定した。

事件名藤沢市母娘ら5人殺害事件(警察庁広域重要指定112号事件)
発生期間1981年10月~1982年6月
被害男性2人、母親と娘2人の計5人が死亡
被告人藤間静波
一審1988年3月10日、横浜地裁・死刑
控訴取下げ1991年4月、本人が提出
最高裁決定1995年6月、控訴取下げを無効として審理再開
控訴審2000年1月24日、東京高裁・死刑維持
上告審2004年6月15日、最高裁・上告棄却
死刑執行2007年12月7日、東京拘置所
藤沢市母娘ら5人殺害事件

藤間静波は、1981年から1982年の約8か月間に、神奈川県と兵庫県で5人を殺害したとして有罪となった。事件は一度の襲撃ではなく、金銭をめぐる男性殺害、交際を拒んだ女性の家族への襲撃、共犯者への口封じという複数の犯行で構成される。

最初の殺人は金銭をめぐる仲間への報復

最高裁判決によると、最初の被害者は藤間と窃盗を行っていた仲間の男性だった。男性が藤間のもとから現金を持ち去り、返済要求にも容易に応じなかったことから、藤間は裏切られたと考えて殺害を計画した。

1981年10月、藤間は男性を人通りの少ない場所へ誘い出し、刃物で殺害した。この犯行は、その後の女子高校生一家への襲撃とは直接の被害関係が異なるが、最高裁は5人殺害事件の一つとして量刑評価に組み込んでいる。

女子高校生への接近が家族との対立へ変わった

藤間は学校帰りの女子高校生に声をかけて知り合い、遊園地へ出掛けるなどした。その後、女性が藤間との交際を避けるようになると、無言電話やいたずら電話、金銭の返済要求などを続けた。

最高裁判決は、女性と家族から交際を強く拒否され、110番通報を受けて女性宅から逃げる事態になった後、藤間が家族への殺害を企てたと認定している。現在の用語で安易に法的な「ストーカー事件」と置き換えるのではなく、当時の具体的な接触行為と拒絶の経過をみる必要がある。

1982年5月、母と娘2人を自宅で殺害

1982年5月、藤間は仲間と共謀して女性宅を襲い、女子高校生本人と母親、妹の3人を殺害した。最高裁は、藤間があらかじめ殺傷能力の高い刃物を複数準備し、確定的な殺意をもって3人を襲ったと認定した。

事件は交際相手だけを狙った単独の殺人ではなく、女性の母親と妹まで被害者となった。5人の被害全体をみると、相手からの拒絶や離反を受け入れず、それを殺害で解決しようとした行動が繰り返されている。

共犯者が離れようとすると口封じで殺害

母娘3人の事件に関わった男性が藤間から離れようとすると、藤間は事件を捜査機関へ明かされることを恐れ、口封じのため殺害を企てた。最高裁判決では、マンションの人通りの少ない階段踊り場へ誘い込み、刃物で殺害したとされる。

この5人目の殺害は、それ以前の犯行を隠す目的で実行された。個々の殺人は被害者や動機が完全に同じではないものの、前の事件が次の殺人の背景となり、約8か月間に被害が5人へ拡大した。

藤沢市母娘ら5人殺害事件

横浜地裁は1988年に死刑判決

横浜地裁は1988年3月10日、藤間に死刑を言い渡した。殺人5件に加え、窃盗事件も審理対象となった。藤間は控訴し、東京高裁で審理が始まった。

その後の裁判は通常の死刑事件とは異なる経過をたどる。争点になったのは有罪・無罪や量刑だけでなく、藤間本人が行った控訴取下げを有効と扱ってよいかという訴訟手続そのものだった。

1991年、本人が控訴を取り下げた

控訴審の途中、藤間は控訴をやめたいという趣旨の発言を繰り返し、1991年4月に本人名義の控訴取下書を提出した。控訴取下げが有効なら、その時点で一審の死刑判決が確定することになる。

しかし弁護側は、藤間の精神状態からみて取下げは真意に基づく訴訟行為ではないとして効力を争った。東京高裁で取下げの有効性をめぐる手続が続き、通常の控訴審は一時停止した。

最高裁は控訴取下げを無効と判断

1995年6月28日、最高裁は、死刑判決に不服がある被告人が、判決の衝撃や公判の重圧によって精神障害を生じ、その影響下で苦痛から逃れるために上訴を取り下げた場合、取下げは無効になり得るという基準を示した。

藤間については、精神状態の影響で自己の権利を守る能力が著しく制限されていたとして控訴取下げを無効と判断した。これにより東京高裁での控訴審が再開され、一審の死刑判決はあらためて上級審の審理を受けることになった。

控訴取下げ無効の決定が持った意味

刑事裁判では、被告人本人が上訴を取り下げれば通常はその手続が終了する。しかし死刑判決を受けた被告人の精神状態が、取下げの意味を理解し自己の権利を守る能力に重大な影響を及ぼしている場合まで、形式的な書面だけで手続を終わらせてよいのかが問題になった。

1995年の最高裁決定は、判決の衝撃や公判の重圧から生じた精神障害の影響で上訴取下げが行われた場合、その意思表示を無条件に有効とは扱わないという判断を示した。藤間事件は、死刑事件における上訴取下げと訴訟能力の問題を考える際に参照される事例となった。

再開した控訴審で死刑を維持

公判再開後、東京高裁は2000年1月24日、横浜地裁の死刑判決を維持して藤間の控訴を棄却した。控訴取下げをめぐる手続が長期化したため、一審判決から控訴審判決まで約12年を要した。

控訴審では藤間の精神状態も検討されたが、犯行時の責任能力は認められた。藤間側はさらに上告し、事件の量刑や訴訟手続、自白の任意性などを含む問題は最高裁で審理された。

上告審では別件逮捕・自白の任意性も争われた

最高裁判決によると、弁護側は違法な別件逮捕・勾留や、自白の任意性についても争った。最高裁は、別件逮捕・勾留に関する主張を法令違反の問題として扱い、自白については任意性を肯定した原審判断を相当とした。

藤間に対する上告審は、5人殺害の量刑だけを審理したものではない。長期化した控訴取下げ問題を経た後も、捜査手続や供述の証拠能力を含む主張が検討され、そのうえで一審・控訴審の死刑判断が維持された。

最高裁は5人殺害の計画性と結果を重視

最高裁第三小法廷は2004年6月15日、藤間の上告を棄却した。判決は、各殺人についてあらかじめ複数の刃物を準備し、被害者の重要な部位を繰り返し刺したこと、約8か月の間に5人の生命を奪ったことを重く評価した。

最高裁は、藤間が犯行当時若年で、罰金刑以外の前科がなく、被害者を殺害したことについて反省の言葉を述べた事情も考慮した。それでも、5人という被害結果、複数の刃物を準備した計画性、8か月の間に殺人を重ねた経過を上回る事情にはならないとして死刑を維持した。

また、最高裁は5件の殺人だけでなく、10回にわたるひったくりや事務所荒らしの窃盗も事件全体の犯罪事実として整理している。量刑の中心は5人殺害だったが、定職に就かず常習的に窃盗を行っていた生活状況も、刑事責任を判断する一事情として言及された。

2007年12月7日、東京拘置所で死刑執行

2007年12月7日、藤間の死刑は東京拘置所で執行された。47歳だった。同日の衆議院法務委員会では、法務省側から藤間の氏名、生年月日、確定した犯罪事実の概要、執行場所が公表されている。

この執行は、法務省が死刑執行を受けた者の氏名や犯罪事実、執行場所を公表する運用を開始した時期の執行でもあった。事件発生から約25年、一審死刑判決から約19年を経て刑の執行に至った。

死刑確定は再開後の控訴審・上告審を経た2004年

1991年に本人が提出した控訴取下書は、1995年の最高裁決定で無効とされ、その後に東京高裁の控訴審が再開された。東京高裁は2000年に死刑を維持し、藤間はさらに最高裁へ上告した。

2004年6月15日、最高裁が上告を棄却し、死刑が確定した。5人殺害の刑事責任と量刑に加え、死刑判決を受けた被告人がどのような精神状態で上訴を取り下げたのかという手続問題まで、長期間にわたって審理された事件だった。

参考資料・出典

関連事件

同じテーマの書籍を探す

この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。