1980年11月29日午前2時30分ごろ、川崎市高津区の住宅で、46歳の夫婦が就寝中に金属製の野球バットで襲われ、死亡した。殺害したのは次男の一柳展也、当時20歳。大学受験で二浪中の予備校生だった。
事件は後に「金属バット両親殺害事件」と呼ばれ、過熱する受験競争や学歴社会の象徴として語られた。しかし判決が認定した犯行までの経緯は、「受験のストレスで突然両親を殺した」という一文では収まらない。
父のキャッシュカードを無断使用していたことが発覚し、身に覚えがない現金の紛失まで疑われたこと、両親からの叱責、父から足蹴りにされたこと、約2時間にわたる飲酒が重なった。一方、犯行後には血痕を洗い、強盗事件を装う偽装まで行っている。裁判では、こうした一連の行動が責任能力を判断する重要な材料になった。
| 事件名 | 金属バット両親殺害事件 |
|---|---|
| 発生日 | 1980年11月29日 |
| 場所 | 神奈川県川崎市高津区(現在の宮前区) |
| 死亡者 | 父・一柳幹夫さん(46)、母・一柳千恵子さん(46) |
| 被告人 | 次男・一柳展也(当時20歳) |
| 凶器 | 金属製野球バット |
| 起訴罪名 | 殺人2件 |
| 主な争点 | 刑事責任能力、自首の成否、量刑 |
| 判決 | 1984年4月25日 横浜地裁川崎支部・懲役13年 |
| 未決勾留 | 900日を刑期へ算入 |
| 控訴 | なし・一審判決が確定 |
高校受験の失敗から、学歴への引け目を抱えるようになった
判決によると、一柳は中学卒業時、兄が通った早稲田大学高等学院など有名私立大学の付属高校を希望したが合格せず、海城高校へ進学した。入学後は希望校へ進めなかった挫折感や、新しい学校で親しい友人が少ない孤独感などから勉強への意欲を失っていった。
大学受験では早稲田大学や明治大学などを受けたが不合格となり、浪人生活へ入った。翌年も志望大学に合格できず、父から就職を勧められたが、母や兄の助言もあって「もう1年だけ」という約束で二浪することになった。
二浪目の秋には予備校へほとんど行かなくなった
二浪を始めた当初は勉強していたものの、基礎学力への不安から成績が伸びず、1980年9月ごろから予備校を休みがちになった。11月には出席がほとんどなく、予備校へ行くふりをして映画やパチンコに出掛ける日もあった。
一柳は、父や兄を含む親族に有名大学出身者が多いことを強く意識していた。自分の学力では希望大学が難しいと感じながら、その現実を家族へ相談できず、進路を決められないまま心理的な圧迫感を強めていたと裁判所は認定している。
事件前、父のキャッシュカードを何度も無断使用
浪人中、一柳は母から月5000円、兄から時折3000円程度の小遣いを受け取っていた。それでも足りず、父の定期券入れからキャッシュカードを持ち出し、1980年7月と11月に計3回、各1万円を引き出した。
11月26日未明にもカードを持ち出し、1万円を引き出してウイスキーなどを購入した。今回はカードをすぐ元へ戻せず自室へ隠したため、父が紛失に気づくことになる。
11月28日深夜、両親からカードと現金の紛失を追及された
28日午後11時30分ごろ、帰宅した父・幹夫さんは一柳を呼び、なくなったキャッシュカードについて問いただした。一柳はカードを使ったことを認めたが、以前から財布の現金もなくなっているとして疑われた点は否定した。
父だけでなく、普段は一柳をかばうことがあった母・千恵子さんも説明を信用しなかった。一柳は、カードの無断使用は自分の責任だが、現金盗難まで一緒に疑われていると受け止め、両親への反感を強めた。
父から足蹴りにされ「明日出て行け」と言われた
一柳が自室へ戻ってウイスキーを飲んでいると、父が入ってきて飲酒を叱り、右脇腹を足で蹴った。さらに生活態度を責め、「明日出て行け」という趣旨の言葉を告げて部屋を出た。
一柳はすぐに暴力へ向かったわけではない。その後も自室で約2時間、ウイスキー約320ミリリットルを飲みながら両親への不満を募らせ、午前2時30分ごろ、就寝中の2人を殺害することを決意したと認定されている。
着替え、ゴム手袋をはめてから父と母の部屋へ向かった
一柳は活動しやすい服へ着替え、両手にゴム手袋をはめ、金属バットを持って1階へ降りた。兄が帰宅する可能性が低い時間になっていることも考えていた。
まず父・幹夫さんの部屋へ入り、就寝中の父を金属バットで複数回殴打して殺害した。続いて母・千恵子さんの部屋へ移り、同じバットで襲って死亡させた。裁判所は、両親に気づかれないよう照明の付け方まで考えていた点も認定している。
犯行後は強盗事件に見せかける偽装を始めた
殺害後、一柳はバットとゴム手袋に付着した血を洗い流した。さらに自分の犯行を隠すため、外部から強盗が入ったように見せかけようと考え、たんすなどを物色した。
自分の指紋ばかりが残れば不自然だとしてゴム手袋を着けたまま作業し、引き出しを下段から開けるなど、本人が知っていた「泥棒らしい方法」をまねた。通帳も、犯人が印鑑を見つけられず持ち去るのを諦めたように見せようとして放り出した。
午前9時まで待ち、隣人から警察へ通報させた
一柳は、自分が朝になって両親の死亡を発見したという筋書きを考えた。前夜、母に午前7時に起こしてほしいとメモを残していたため、そのメモと矛盾しないよう「9時ごろ目が覚めた」ことにしようとした。
さらに自分で直接通報するより、隣家へ駆け込んで隣人から警察へ連絡してもらう方が自然に見えると考えた。判決は、犯行後のこうした行動を「冷静、沈着」で合理的な思考が働いていた事情として評価している。
「ほどなく出頭」ではなく、翌日に親族が犯行を察知した
一柳が自ら警察へ出向き、積極的に犯行を申告したわけではない。翌11月30日、身を寄せていた親族宅に警察から再度事情を聴きたいとの電話が入り、叔母が一柳に「あなたがやったのではないか」という趣旨で尋ねた。
一柳は明確に否定せず、親族は犯行を悟った。連絡を受けた兄を通じて、現場にいた警察官へ事情が伝えられた。裁判所は、一柳が親族から警察へ伝わることを分かっていたとしても、それは自発的に訴追を求めて申告する意思とは違うとして、刑法上の自首を認めなかった。
精神科医4人の見解は一致していなかった
裁判の大きな争点は責任能力だった。捜査段階の医師は精神病状態ではなく、病的酩酊でもないとした。一方、裁判所が選任した鑑定人は、当時の用語で「精神分裂病」の一過性病相を経験した可能性を指摘し、判断・行動を制御する能力が著しく低下していたとの見解を示した。
さらに別の専門家からは、当時「無気力症」「思春期挫折症候群」などと呼ばれた状態が犯行へ影響したとの意見も出た。裁判所は、各専門家の見解が大きく分かれており、一柳が精神病に罹患していたと断定することはできないとした。
裁判所は心神耗弱を認めなかった
責任能力の判断で重視されたのは、犯行前後の具体的行動だった。一柳は兄が帰らない時間を考え、着替えてゴム手袋をはめ、両親に気づかれないよう部屋へ入り、殺害後は証拠を洗って強盗を偽装している。
また、犯行に至る経緯や自分の行動について記憶の欠落がなく、捜査段階で詳細に説明していた。裁判所は判断能力や行動制御能力が「相当減弱」していたことは認めつつ、刑法上の心神耗弱に当たるほど著しく低下してはいなかったと結論づけた。
「受験戦争」だけを犯行原因にはしなかった
事件は当時、受験競争の激化や学歴偏重を象徴する出来事として広く論じられた。確かに判決も、二浪中の不安定な心理状態や、有名大学へのこだわりが本人へ圧力を与えていたことを認定している。
ただし裁判所は、それを犯行の免責理由にはしなかった。進路の悩みを家族へ相談せず、予備校へ行かない生活を続け、カードを盗んでいたことなど本人側の行動も検討したうえで、両親への憤りを殺人へ発展させた動機を短絡的、自己中心的と評価した。
一方で、計画的な「謀殺」ではないことは刑を軽くする事情になった
量刑では厳しい事情だけでなく、一柳に有利な事情も検討された。犯行以前に前科・前歴・非行歴がなく、事件当時20歳3カ月で社会経験に乏しかったこと、精神的な未熟さがあったことが挙げられている。
また、長期間前から両親を殺害しようと計画していた事件ではなく、叱責や飲酒をきっかけに激情的に殺意を形成した事件だった。法的な心神耗弱には至らないものの、判断・行動制御能力が相当低下していたことも、量刑上は考慮された。
1984年4月25日、懲役13年。未決勾留900日を算入
横浜地裁川崎支部は1984年4月25日、一柳を懲役13年に処し、未決勾留日数900日を刑期へ算入した。金属バットは没収された。検察側の求刑は懲役18年だった。
裁判所は2人の生命を奪った結果と犯行後の偽装を重く評価する一方、犯行後に事実を認めて詳細に供述し、両親への後悔を示していたこと、親族による更生支援が期待できることなども考慮した。
控訴せず判決確定、事件は「金属バット」という言葉とともに残った
一柳側は判決を控訴せず、懲役13年が確定した。判決の中心は、受験制度そのものを裁くことではなく、事件前の家庭状況、本人の心理状態、犯行時の責任能力、犯行後の隠蔽行動を個別に検討することだった。
それでも事件名に使われた「金属バット」は、1980年代の家庭内暴力や受験競争を語る際の象徴的な言葉となった。後年にはノンフィクションや評論の題材にもなったが、確定判決を読むと、単純な「受験失敗による犯行」ではなく、複数の要因と本人の選択が重なった事件だったことが分かる。
参考資料・出典
- 横浜地方裁判所川崎支部 昭和55年(わ)第632号 判決全文
- 国立国会図書館サーチ 佐瀬稔『金属バット殺人事件』
- 国立国会図書館サーチ「司法記者の眼 追いつめたのは何か―金属バット殺人事件」
- 集英社オンライン「金属バット殺人事件と当時の受験競争」
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