深川通り魔殺人事件|4人殺害と立てこもり、責任能力をめぐった裁判

公開日 2026年8月8日
最終更新 2026年8月14日

1981年6月17日、東京・江東区の深川周辺で、通行人が次々に刃物で襲われた。短い時間に6人が被害を受け、4人が死亡、2人が負傷した。

襲撃した川俣軍司はそのまま逃げ切ろうとしたのではない。近くの中華料理店に女性を人質として連れ込み、店内に立てこもった。路上で始まった事件は、人質の安全をどう確保するかという別の局面へ移っていった。

約7時間後、警察が店内へ突入し、川俣を逮捕した。その後の裁判で中心となったのは、犯行の残虐性だけではなく、当時の精神状態を刑事責任上どう評価するかという問題だった。

項目内容
発生日1981年6月17日
発生場所東京都江東区深川周辺
被害4人死亡、2人負傷
被告人川俣軍司
事件後中華料理店に人質を取って立てこもり
確定刑無期懲役

数分の路上襲撃から人質事件へ

午前11時半すぎ、川俣は路上にいた女性や幼い子どもたちを次々に襲った。当時の記録では、襲撃は数分ほどの間に集中した。母親と幼いきょうだいを含む4人が死亡し、さらに2人の女性が負傷した。

そこで事件は終わらなかった。川俣は別の女性をつかまえ、近くの中華料理店へ入った。店内にいた家族らは退避したが、女性は人質として残された。警察は周囲を封鎖し、説得を続けながら突入の機会を探った。

人質に危害が及ぶ可能性がある以上、路上での殺傷事件と同じ方法で身柄を確保することはできない。現場では長時間の交渉が続き、事件発生からおよそ7時間後、警察が突入して川俣を逮捕した。人質となった女性は救出された。

「覚醒剤を使っていた」だけでは説明できなかった精神状態

川俣には覚醒剤を使用していた時期があった。このため事件はしばしば「覚醒剤による凶行」と単純化されるが、裁判で問題になった精神状態はそれほど単純ではない。

精神科医の松本俊彦は、佐木隆三の事件記録を踏まえ、川俣が訴えていた「電波」に関する異常体験は覚醒剤使用以前から存在し、薬物使用の有無にかかわらず長く続いていたと指摘した。覚醒剤の影響だけを犯行原因とすると、裁判で検討された精神状態を十分に説明できない。

実際、事件では起訴前と公判段階で精神鑑定が行われた。後に精神鑑定の助手を務めた医師も、この事件を重大な他害行為と精神障害の関係を考える事例の一つとして振り返った。

立てこもり中の行動と責任能力は別々に検討された

川俣は立てこもり中、警察とのやり取りに応じ、人質を利用して身を守ろうとする行動も見せた。こうした行動だけを見れば、周囲の状況をまったく理解できない状態だったとは考えにくい。

刑事責任能力の判断では、「行動できたか」だけでなく、犯行時に善悪を判断し、その判断に従って行動する能力がどの程度保たれていたかが問題になった。裁判では精神鑑定の結果を踏まえ、川俣の能力が完全に失われていた心神喪失ではなく、著しく低下していた心神耗弱と評価された。

この点が、新宿西口バス放火事件と似た結論だけを見てはいけない理由でもある。深川事件では、薬物使用歴、長く続いていた異常体験、犯行時の行動、立てこもり中の応対といった複数の事情から責任能力が検討された。

死刑ではなく無期懲役となり、1983年に刑が確定

4人が死亡した事件だったが、検察は無期懲役を求刑した。精神鑑定によって心神耗弱の認定が見込まれる状況が量刑判断の前提になったと、事件を追った佐木隆三は記録した。

裁判所も心神耗弱を認定し、川俣に無期懲役を言い渡した。刑は1983年に確定した。

深川通り魔殺人事件を「白昼の無差別殺傷」だけで捉えると、事件後の長い裁判過程が見えなくなる。裁判が突き詰めたのは、極めて重大な結果を生んだ人物について、犯行時にどの程度の刑事責任を問えるのかという問題だった。覚醒剤使用という一つの要素だけではなく、精神状態と具体的行動の両方が検討された点に、この事件の裁判上の特徴がある。

犯行前の経過を「薬物」だけで説明しない

事件記録をたどると、川俣の生活には就労の不安定さや家族関係の問題、精神的不調、覚醒剤使用など複数の要素が重なっていた。だが、それらを後から一本の直線で結び、「これが原因で4人を殺害した」と断定することはできない。

特に精神状態については、覚醒剤を使う以前から異常な体験が語られていたことが指摘された。薬物使用歴は重要な事実だが、薬物だけを原因とする説明は裁判で検討された複雑な責任能力の問題を狭めてしまう。

また、立てこもり中に人質と会話したり、警察の動きを警戒したりしていた行動も、ただちに完全な責任能力を意味するものではない。刑事裁判では、個々の行動ができたかではなく、犯行そのものについて善悪を判断し、その判断に従う能力がどこまで残っていたかが検討された。

この事件の裁判では、結果の重大さと精神鑑定の結論を同時にどう扱うかが問われた。4人が死亡したという結果を軽く見ることなく、それでも刑事責任能力の程度を別に検討するという刑事裁判の考え方が正面から表れた事件だった。

午前11時35分から数分間に集中した6人への襲撃

当時の新聞資料をたどった回顧記事では、路上での襲撃は午前11時35分から40分ごろまでのごく短い時間に集中した。最初に襲われたのは、幼い姉弟を連れた母親で、母子3人が死亡した。さらに約10メートル先にいた女性も刺されて死亡し、別の女性2人が負傷した。

4人の死亡と2人の負傷は長時間にわたって別々に起きたのではなく、街路上で数分のうちに連続して発生した。その直後、川俣は買い物帰りの女性をつかまえ、中華料理店へ連れ込んだ。

つまり事件は、数分間の無差別な路上襲撃と、その直後から約7時間続く人質立てこもりという性質の異なる二つの局面が連続した。後の裁判で精神状態を検討する際にも、瞬間的な襲撃時の行動だけでなく、長時間の立てこもり中に周囲へどう反応していたかが資料になった。

二度の精神鑑定を経て、検察も無期懲役を求刑した

事件では、起訴前と公判段階で精神鑑定が行われた。事件と裁判を追った佐木隆三の記録では、検察内部でも死刑か無期懲役かが検討され、鑑定結果を踏まえて最終的に無期懲役が求刑された経緯が記された。

4人が死亡した結果の重大さと、犯行時の責任能力の程度は別の問題として扱われた。裁判所は無罪となる心神喪失ではなく、有罪を前提に法律上の減軽が生じる心神耗弱を認定した。結果として無期懲役が言い渡され、1983年に刑が確定した。

立てこもり中に警察の動きを警戒したことや、人質を利用して身を守ろうとしたことは、現実認識が完全に失われていなかったことを示す事情になり得る。一方で、それだけで犯行時の判断・行動制御能力が正常だったと結論づけることもできない。深川事件では、この二つを切り分けて検討した点が責任能力判断の核心になった。

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