藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件は、1987年2月、神奈川県藤沢市亀井野のアパートで、ミュージシャンの茂木政弘さん(当時32歳)が殺害され、遺体を長時間にわたって切断・損壊された事件である。1992年5月13日、横浜地裁は鈴木正人に懲役14年、茂木美幸に懲役13年を言い渡した。現在も、両名の現在の所在や生活状況を示す信頼できる公的情報は確認されていない。
- ミュージシャンの茂木政弘さんが藤沢市のアパートで殺害された経緯
- 「神の曲」「悪魔払い」という観念が3人の共同生活へ与えた影響
- 塩を使った加虐行為から絞殺、遺体切断・損壊へ至った流れ
- 裁判所が「悪魔払いだけが動機」という説明を採用しなかった理由
- 精神鑑定と責任能力、懲役14年・13年判決の内容
藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件の概要
| 事件名 | 藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件 |
|---|---|
| 発生場所 | 神奈川県藤沢市亀井野のアパート |
| 被害 | 茂木政弘さん(当時32歳) |
| 裁判・捜査状況 | 殺人、死体損壊/1992年5月13日、横浜地裁鈴木正人の刑懲役14年茂木美幸の刑懲役13年責任能力裁判所は両名について心神喪失・心神耗弱を否定現在現在の所在・生活状況を示す信頼できる公的情報は確認できない |
| 現在の状況 | 藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件は、1987年2月、神奈川県藤沢市亀井野のアパートで、ミュージシャンの茂木政弘さん(当時32歳)が殺害され、遺体を長時間にわたって切断・損壊された事件である。1992年5月13日、横浜地裁は鈴木正人に懲役14年、茂木美幸に懲役13年を言い渡した。現在も、両名の現在の所在や生活状況を示す信頼できる公的情報は確認されていない。 |
ミュージシャンの茂木政弘さんが藤沢市のアパートで殺害された経緯
横浜地裁判決によると、高校時代からドラム演奏へ熱中し、大学進学後も音楽活動を続け、最終的には大学を中退。若手信者らで構成されたアマチュアバンドへ参加し、その後「スピッツ・ア・ロコ」と改名したバンドのリーダーとなった。茂木さんはドラム演奏と作曲を担当し、1980年代前半にはレコードデビューも経験した。
しかしバンド活動は順調ではなかった。デビュー曲は一定数売れたものの、その後はプロダクションやレコード会社との契約更新ができず、新たな契約先も見つからなかった。ライブを開くたびにメンバー側が費用を負担するような状況となり、メンバーの多くはアルバイトをしながら活動していた。
事件直前には、既定のスケジュールを終えた後にバンドを解散する方向で話が進んでいた。
妻・茂木美幸は看護師資格を持っていた
茂木美幸は事件当時27歳。裁判記録によると、病院勤務などをしながら学び、1984年に正看護師となっていた。美幸は、後に夫となる茂木政弘さんとの関係を深め、1986年4月に結婚した。結婚後は看護師を辞め、茂木さんの両親と同居する。しかし生活環境への不満は強まった。
裁判所は、美幸が夫と2人だけで生活したいと望みながら、夫の優柔不断な態度や、同居生活の問題に強い苛立ちを抱くようになっていたと認定している。この点は事件動機を考えるうえで重要である。後の判決は、美幸を単純に「宗教へ洗脳された妻」とは位置づけなかった。
従兄・鈴木正人と茂木政弘さんの複雑な関係
鈴木正人は事件当時39歳。茂木さんとは親族関係にあり、幼少期に同居した時期もあった。茂木さんは成長後も鈴木を「兄貴」と呼ぶ関係だった。一方、裁判記録からは、単純な尊敬関係だけではなかったことも読み取れる。茂木さんは鈴木へ圧迫感を抱く一方、鈴木の就業状況や過去の逮捕歴などから軽んじる面もあった。
鈴木側も、茂木さんの優柔不断さや、自分の言うとおりに作曲活動を進めない態度へ次第に苛立ちを募らせていった。事件は、強い信頼と依存、支配、反発、苛立ちが複雑に絡み合った3人の関係の中で起きた。
3人と宗教団体の関係|「新興宗教に命令されて殺害」は誤り
本件はしばしば「新興宗教に心酔した3人による事件」と説明される。しかし横浜地裁判決に照らすと、その表現には注意が必要である。茂木さんと美幸は過去に宗教団体と関わりがありましたが、事件前にはすでに距離を置いていた。茂木さんは教団の指導や運営へ疑問を抱くようになり、離籍されている。美幸も宗教活動から離れていた。
さらに鈴木について、判決は事件当時までその教団へ入信していなかったと認定している。したがって、教団が3人へ「悪魔払いをせよ」「茂木さんを殺害せよ」と命じた事件ではない。「神」「悪魔」「神の曲」という観念は3人の間で急速に膨張しましたが、特定宗教団体から殺害命令が出されたとする事実は確認されていない。
「神の曲を作れば世界を救える」3人の共同生活へ
事件直前、茂木さんはバンド活動の低迷に悩んでいた。占いを受けたことなどをきっかけに、作曲家としての自分の役割を強く意識するようになる。1987年2月9日ごろ、鈴木は茂木さん夫妻に対し、自分に「神が降りてきた」「乗り移った」という趣旨の話をした。
さらに茂木さんへ、作曲一本で生きるべきだ、現在の環境から離れなければならない、世界の悪を封じる「神の曲」を作るべきだという趣旨を語った。茂木さんはこの話を受け入れる。やがて3人は生活環境を変え、最終的に藤沢市亀井野の鈴木のアパートで共同生活するようになった。
この短期間の共同生活の中で、現実的な音楽活動は次第に後退し、「神の曲」「悪魔」という観念が3人の生活を強く覆うようになる。
鈴木正人の支配下で茂木さんが追い詰められていく
裁判所の認定では、鈴木は茂木さんに対し、次第に支配的な立場を取るようになった。神の曲を作るには雑念を取り除く必要がある、悪い影響を避けなければならないという趣旨の言動を重ねる。アパートの壁や窓を塞ぐような行動もあり、外部との接触を避ける方向へ生活が変化していった。
茂木さん自身も、鈴木の言葉を受け入れ、自分に「悪魔」が取りついたのではないかと考えるようになった形跡がある。しかし、これをもって茂木さんが殺害に同意したことにはならない。裁判所も、茂木さんが後の加虐行為を受容する言動を示した点には触れながら、鈴木と美幸が悪魔を祓うためだと信じ込ませる中で生じた事情であり、大きく斟酌できないと判断した。
塩を身体へ擦り込む「悪魔払い」が激しい暴力へ変化
事件直前、鈴木は茂木さんの身体へ塩を擦り込む行為を始めた。判決では、この行為を「塩揉み」などと表現している。最初は悪いものを身体から出す、身体を清めるという形で行われましたが、次第に激しくなった。
鈴木は茂木さんの身体を爪などで傷つけ、皮膚へ塩を擦り込むようになる。美幸も途中から加わった。茂木さんは強い苦痛を訴え、暴れて抵抗した。それでも2人は中止しなかった。裁判記録では、茂木さんが立ち上がろうとした際、2人が大きな音がするほど強く押し倒した状況も認定されている。
やがて背中、首、肩、胸部付近など広い範囲の皮膚が損傷し、茂木さんは激しく抵抗する力を失っていった。
1987年2月22日午後3時ごろ、首を絞めて殺害
殺害が実行されたのは1987年2月22日午後3時ごろである。場所は藤沢市亀井野のアパート2階の一室だった。横浜地裁判決によると、激しい加虐行為を受けた茂木さんは、広範囲の皮膚が傷つき、手足を伸ばしたまま横たわり、息をするだけに近い状態となっていた。
鈴木は茂木さんの喉付近を示し、美幸の反応をうかがった。美幸も鈴木の意図を理解し、夫を殺害することを決意したと認定されている。鈴木が茂木さんの首をつかんで絞め、美幸は茂木さんの脚をベルトなどで縛った。
さらに美幸が身体の上へ馬乗りになり、手を押さえつけるなどして抵抗を封じた。茂木さんは窒息死した。
裁判所は「悪魔を殺すため」だけが動機とは認定しなかった
本件で最も重要な司法判断の一つが、殺害動機の評価である。逮捕後の供述には、「悪魔を祓うには肉体を殺すしかない」「完全に悪魔を祓えば茂木さんがよみがえる」といった趣旨の説明があった。しかし横浜地裁は、こうした説明をそのまま事件の真相とは認めなかった。
裁判所は鈴木について、茂木さんが思うように作曲活動を進めず、周囲に影響され、鈴木へ反抗的な言葉を向けることなどへ強い苛立ちを抱いていたと認定した。美幸についても、夫の優柔不断さ、自分の希望が実現しないことなどへの苛立ちが積み重なっていたと判断している。
2人は加虐行為を続けるうち、無力化した茂木さんを見て加虐的心理を著しく高め、それまでの憤懣や苛立ちを一気に払拭したいという衝動へ進んだというのが、裁判所の中心的な認定だった。
殺害約30分後から遺体切断・損壊を開始
茂木さんの死亡後、2人は警察へ通報しなかった。救急車を呼ぶことも、家族へ連絡することもなかった。判決によると、殺害から約30分後には遺体損壊を始めている。
鈴木と美幸は協力し、鋏などを使って後頭部や後頸部を切開。皮膚を剥ぎ、眼球や内臓を取り出し、骨を切断するなどした。脳を水道水で流して捨てる行為も認定されている。この損壊は一時的な行為ではない。
2月22日の殺害後から2月25日午後6時ごろまで、断続的に続いた。
元看護師の知識も利用された徹底的な遺体損壊
横浜地裁は、遺体損壊が極めて徹底していた背景についても検討した。判決は、元看護師だった美幸の知識などが利用され、一見異常なほど徹底して手際よく損壊が進められたと評価している。このためも、本件を「2人が完全に現実認識を失い、何をしているか分からないまま遺体を切断した」と単純化することはできない。
2人は買い物などの日常的な行動を行いながら、長時間にわたって作業を続けていた。裁判所は、遺体損壊について、加虐的心理が続いていたことに加え、証拠隠滅の意図もあったと認定している。
2月25日夜、知人の訪問から事件が発覚
事件が発覚したのは1987年2月25日夜だった。茂木さんと連絡が取れないことを心配した関係者が、藤沢市のアパートを訪れた。室内には人の気配があるのに、通常の応答がない。
最終的に警察へ通報され、警察官が室内へ入った。そこで確認されたのは、鈴木と美幸が茂木さんの遺体損壊を続けている状況だった。2人は現場で身柄を確保され、事件は全国的に大きく報じられた。
ただし、殺害日は発覚した2月25日ではない。確定的な裁判認定では、殺害は2月22日午後3時ごろである。
精神鑑定が長期化|裁判まで5年以上
事件発覚後、最大の問題となったのが2人の精神状態だった。「神が降りた」「悪魔が取りついた」「悪魔を祓う」といった言動があったため、通常の殺人事件以上に責任能力が争われる。鈴木については、当時使われていた診断名である精神分裂病、現在の統合失調症に相当する病態や、側頭葉てんかんなどの可能性が検討された。
また、3人の間で異常な観念が共有された「三人精神病」に近い状態だったとする鑑定もあった。複数の専門家による鑑定結果は一致せず、公判は長期化した。最終的な一審判決は事件から5年以上後の1992年に言い渡される。
横浜地裁は鈴木正人の精神病を否定
横浜地裁は、鈴木について精神病に罹患していたとは認めなかった。精神分裂病、側頭葉てんかん、その他の真正精神病に罹患していたとの主張を退けている。裁判所が重視したのは、犯行前後の具体的な行動だった。
鈴木は事件の経過を相当程度記憶し、捜査官へ詳細な供述を行うことができた。さらに裁判所は、供述の中に虚偽や矛盾が多数あると判断した。「悪魔」についての説明も時期や内容が一貫せず、裁判所は総じて信用性に乏しいと評価している。加えて、逮捕後の言動には病気を装ったとみられる部分があると厳しく指摘した。
茂木美幸も心神喪失・心神耗弱は認められず
美幸についても、裁判所は精神病への罹患を認めなかった。確かに犯行当時、美幸が通常とは異なる心理状態にあり、「悪魔払い」という観念へ強くこだわっていたことは否定されなかった。しかし美幸は、犯行の前後や遺体損壊中の出来事を詳細に記憶していた。
外界で起きていることを認識し、買い物や遺体損壊などの実務的な行動も行えていた。裁判所は、判断力がある程度低下していた可能性は認めながらも、それは刑法上の心神耗弱と評価するほど著しいものではないと判断した。
裁判所が否定した「完全に悪魔払いへ支配された2人」という事件像
本件の通称は「悪魔払い殺人事件」である。しかし判決を読むと、裁判所はこの通称から想像される事件像に強い疑問を示している。横浜地裁は、2人の犯行時や前後の言動には、本当に茂木さんを救うため悪魔を追い払おうとしていたという説明と整合しない点が多数あると判断した。
さらに鈴木については、状況に応じて「悪魔」の観念を利用し、茂木さん夫妻を自分の影響下へ置こうとした面があると認定している。判決は最終的に、2人が悪魔や悪魔払いの観念へ一定程度こだわっていたことは認めつつ、その観念に完全に支配されて犯行へ及んだとは認められないと結論づけた。
1987年事件なのに判決は1992年|長期裁判の理由
事件発生は1987年ですが、一審判決は1992年である。約5年を要した大きな理由が、責任能力をめぐる複雑な精神鑑定だった。複数の鑑定人が、統合失調症に相当する病態、側頭葉てんかん、共有された精神病的状態、宗教的支配観念などを検討した。
鑑定結果には大きな違いがあり、裁判所は各鑑定の前提事実、被告人の供述の信用性、犯行前後の行動を一つずつ検討した。その結果、いずれの被告についても、事理弁識能力や行動制御能力を失った心神喪失状態ではなく、それらが著しく低下した心神耗弱状態でもなかったと判断した。
1992年5月13日、鈴木正人に懲役14年
1992年5月13日、横浜地裁は鈴木正人に懲役14年を言い渡した。未決勾留日数のうち500日が刑へ算入されている。裁判所は、鈴木が事件全体で主導的な役割を果たしたと評価した。
茂木さんを実家から離れさせ、作曲活動を名目とする共同生活へ導き、支配的な態度を強め、塩を用いた加虐行為を拡大させ、最終的には自ら首を絞めている。さらに殺害後の遺体損壊でも中心的な役割を担った。判決は犯行動機を非情かつ残忍で酌量の余地に乏しいとし、刑事責任は非常に重いと評価した。
妻・茂木美幸には懲役13年
同じ判決で、茂木美幸には懲役13年が言い渡された。未決勾留日数のうち800日が刑へ算入されている。美幸は夫の殺害と遺体損壊へ直接加担した。
殺害時には夫の脚を縛り、身体へ馬乗りになり、手を押さえるなどして鈴木の絞殺を助けた。殺害後も、遺体の皮膚を剥ぎ、臓器を取り出すなどの損壊へ加わっている。裁判所は、美幸が鈴木へ従属的になりやすい性格傾向を持ち、犯行時に心理的な視野狭窄状態があったことなどを考慮した。
それでも夫を殺害し、その遺体損壊へ直接参加した責任は重いとして、実刑判決を言い渡した。
なぜ死刑や無期懲役ではなかったのか
犯行態様だけを見ると、非常に残虐な事件である。横浜地裁も、2人掛かりで茂木さんを殺害した行為を極めて残虐とし、遺体損壊についても極めて厳しい表現で非難した。一方、量刑では次の事情も考慮された。
- 事件以前から計画的に殺害機会を探した典型的な計画殺人ではなかった
- 加虐行為の継続の中で心理的興奮が高まった
- 2人とも心理的な視野狭窄状態にあり、一定程度判断力が低下していた
- その低下は責任能力を否定するほどではないが、量刑上は考慮された
- 未決勾留が長期間に及んでいた
裁判所はこれらを総合し、鈴木へ懲役14年、美幸へ懲役13年を選択した。残虐性の高さだけで機械的に死刑や無期懲役が決まるわけではなく、犯行形成過程、計画性、精神状態、各被告の役割などを総合した量刑だった。
「悪魔払い事件」として記憶するだけでは見えない本質
藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件は、その異様な外見から「オカルト殺人」「宗教殺人」として語られ続けている。しかし確定的な一審認定を詳しく見ると、事件の本質はより複雑である。売れない音楽活動への焦り、占いへの依存、夫婦関係の不満、親族間の支配関係、現実生活からの離脱、「神の曲」という誇大的な目標、悪魔という観念、長時間の睡眠・食事不足、加虐行為による興奮が短期間に重なった。
そして最後には、弱り切った被害者を目の前にした2人が、それまで蓄積していた苛立ちを暴力によって晴らす方向へ進んだ。裁判所は、「悪魔払いだから仕方がなかった」という説明も、「精神病だから責任を問えない」という説明も採用しなかった。異常な観念が存在していても、2人は自分たちの行為を認識し、選択し、実行する能力を失っていなかったというのが司法判断だった。
現在の状況|刑事裁判は終了、現在の所在は不明
現在も、本件は未解決事件ではない。鈴木正人と茂木美幸は逮捕・起訴され、横浜地裁で殺人、死体損壊について有罪判決を受けた。判決は鈴木が懲役14年、美幸が懲役13年である。
一方、現在の両名の所在、生活状況、生存状況などについて、信頼できる公的な最新情報は確認できない。そのため、出所後の生活や現在地を根拠なく断定することはできない。事件から約40年が経過した現在も、本件が異例なのは遺体損壊の態様だけではない。
「悪魔払い」という表面的な説明の背後に、支配、依存、苛立ち、加虐性、証拠隠滅が存在したと裁判所が認定した点に、この事件を理解するうえで最も重要な意味がある。
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