2021年10月13日午後5時40分前後、愛媛県新居浜市垣生の住宅から110番通報が入った。通報したのは岩田アイ子さん(80)。ほどなくして、夫の友義さん(80)、三男の健一さん(51)とともに刃物で襲われ、3人全員が死亡した。現場には、健一さんの元同僚だった河野智が残っていた。
河野は血の付いたナイフを所持していたとして、その場で銃刀法違反容疑により現行犯逮捕された。裁判で3人を刺したこと自体は争われなかった。最大の争点になったのは、河野が抱いていた「電磁波攻撃を受けている」という確信が犯行時の判断能力をどこまで失わせていたのかだった。
| 事件発生日 | 2021年10月13日 |
|---|---|
| 場所 | 愛媛県新居浜市垣生 |
| 被害者 | 岩田友義さん(80)、岩田アイ子さん(80)、岩田健一さん(51) |
| 被告人 | 河野智 |
| 起訴罪名 | 殺人、銃刀法違反 |
| 一審 | 2023年12月18日・松山地裁、無期懲役 |
| 控訴審 | 2024年8月22日・高松高裁、控訴棄却 |
| 上告審 | 2025年12月9日付・最高裁、上告棄却 |
| 現在 | 無期懲役が確定 |
元同僚への疑いは、事件の数年前から強まっていた
河野と健一さんは、約20年前に同じ職場で働いたことがある関係だった。検察側の冒頭陳述などによると、河野は2017年ごろから統合失調症を発症し、インターネット上の書き込みなどをきっかけに、自分が組織的な嫌がらせや「電磁波攻撃」を受けていると考えるようになった。その関与者として健一さんを疑い、責めるようになっていった。
健一さん側は2019年ごろから警察へ複数回相談していたと報じられている。事件直前にも河野が自宅を訪れるなど接触が続いていた。愛媛県公安委員会の会議録にも、事件後に県警から「相談等受理・対応状況」の説明があり、保健所など関係機関との連携や情報共有が議論されたことが記録されている。
「警察も動かない」――犯行をほのめかす通話が残っていた
一審では、事件の数日前に河野が知人と交わした通話の音声も証拠として取り調べられた。あいテレビの公判取材によれば、河野は健一さん宅へ行くことを口にし、知人から止められても、警察へ相談しても取り合ってもらえないという趣旨の不満を述べ、健一さんを殺すことを示す発言をしていた。
この音声は、犯行がその場の突発的な口論だけで生じたものではないことを示す材料となった。一方で、河野の言葉の出発点には現実には存在しない「電磁波攻撃」への確信があり、行動の動機形成そのものが精神障害の影響を強く受けていた。ここが後の責任能力判断の中心になる。
包丁からナイフへ持ち替え、3人を相次いで刺した
事件当日、河野は岩田さん宅を訪れた。公判を取材した報道では、最初に用いた包丁が思うように刺さらず、別のナイフへ持ち替えて攻撃を続けた経緯が示されている。起訴状では、刃渡り約12.7センチのナイフで3人の胸などを刺し、いずれも失血死させたとされた。
河野は事件後の取り調べで、殺すつもりでナイフを持っていたことや、3人を殺した後に自分も死のうと思ったという趣旨の供述をしたと報じられた。2023年の被告人質問では、なぜ3人を殺したのかと問われ、「1人だけ生き残っても地獄だと考えた」という趣旨の説明もしている。これは被告人自身の説明であり、妄想の内容が事実だったことを意味しない。
現場逮捕から起訴まで、精神状態の評価に時間が使われた
警察官は現場で河野を銃刀法違反容疑により現行犯逮捕し、その後、殺人容疑で再逮捕した。被害者との関係や相談歴が明らかになるにつれ、捜査では犯行能力だけでなく精神状態が大きな論点となった。検察は鑑定留置を経て、2022年3月に殺人などの罪で起訴した。
事件から起訴まで約半年を要したのは、3人を刺した人物の特定が難しかったからではない。河野が犯行の意味を理解し、違法な行為を思いとどまる能力をどこまで保っていたかを刑事責任の前提として評価する必要があったためである。
初公判で殺害行為は認め、争点は「心神喪失か心神耗弱か」に絞られた
2023年12月6日の松山地裁初公判で、河野は3人を殺害したという起訴内容を認めた。弁護側は、妄想型の統合失調症に生活全体を支配され、行動を制御する能力を失っていたとして心神喪失による無罪を主張した。これに対し検察側は、精神障害の影響は大きかったものの判断能力は完全には失われておらず、心神耗弱にとどまると主張した。
興味深いのは、河野本人が弁護側と同じ説明を望んでいなかった点だ。被告人質問では「統合失調症の診断は誤り」という趣旨を述べ、妄想として扱われて無期懲役になるより、責任能力があると判断され死刑になっても悔いはないと語った。刑事裁判では、本人が望む法的評価ではなく、鑑定と具体的行動から責任能力が判断される。
鑑定医は、妄想の強い影響と「残っていた選択能力」を分けて評価した
精神鑑定を担当した医師は、河野が統合失調症による被害妄想の強い影響下にあったことを認めながらも、犯行時に自らの行動を一定程度コントロールできる状態だったとの見解を示した。河野自身も法廷で、殺人が悪いことだとは理解していたと答えている。
責任能力は病名だけで決まらない。妄想がなければ犯行へ至らなかったとしても、実行をためらった場面があったのか、目的に応じて道具を選び直したのか、違法性を理解していたのかといった行動も評価される。本件では、精神障害が動機を形成したことと、判断能力が完全に消失していたかが切り分けられた。
公判で証言した精神科医の兵頭隆幸は、河野の妄想が犯行へ強い影響を与えた一方、行動を選択する余地は残っていたと説明した。報道された証言では、最初の包丁で目的を遂げられないと判断して別のナイフへ持ち替えた行為なども、状況を理解して目的に沿う手段を選んでいた事情として挙げられた。
ただし、鑑定医が示すのは精神医学的な状態と能力への評価であり、「心神喪失」「心神耗弱」という最終的な法律判断を行うのは裁判所である。松山地裁は鑑定結果だけで結論を出さず、犯行前後の発言、道具の準備と変更、違法性の認識などを合わせて検討した。
松山地裁は心神耗弱を認定し、求刑どおり無期懲役
2023年12月18日、松山地裁は河野を心神耗弱の状態だったと認定し、無期懲役を言い渡した。判決は、被害妄想がなければ犯行に及ぶことはなかったとしつつ、犯行をためらったことなどから「判断能力を完全に失っていたわけではない」と評価した。
刑法上、心神耗弱が認められれば刑は必要的に減軽される。地裁は精神障害の影響を量刑に反映させながらも、3人の生命を奪った結果と意思決定への非難可能性を重く見て、減軽後に選択できる最も重い刑として無期懲役を選んだ。検察側の求刑も無期懲役だった。
控訴審でも、精神障害の影響を過小評価したとはされなかった
河野は一審判決を不服として控訴した。2024年6月の控訴審初公判でも、河野側は「電磁波攻撃」が妄想だとされたことを受け入れず、一審には事実誤認があると主張した。
高松高裁は同年8月22日、一審の精神鑑定の評価に誤りはないと判断して控訴を棄却した。無期懲役という量刑についても、心神耗弱の影響を過小評価したものとはいえないとした。一審が認めた「強い病的影響」と「残された判断能力」という二つの評価が、そのまま維持された。
最高裁が2025年12月に上告を棄却、無期懲役が確定
河野側は上告したが、最高裁は2025年12月9日付で上告を棄却した。これにより、殺人と銃刀法違反について無期懲役とした判決が確定した。事件発生から約4年2か月を経て、刑事裁判の結論が確定したことになる。
この事件の法的結論は、「精神障害の影響がなかった」でも「責任能力がなかった」でもない。妄想が犯行の出発点になったことを認めた上で、それでも行為の意味を理解し、選択する能力は完全には失われていなかったと判断したのが三審を通じた結論だった。
事件後、県公安委員会では相談対応と関係機関の連携が検討された
事件の約2週間後、愛媛県公安委員会では、県警から事件の検挙状況に加えて、事件前の相談受理と対応状況が報告された。会議録では、保健所などとの連携を続けること、要件を満たす場合には精神保健福祉法23条に基づく通報を確実に行うこと、被害関係者への具体的な安全助言を行うことなどが意見として示されている。
同時に会議録は、本件について23条通報の要件を欠いていたとも記している。結果だけを見て「事前に必ず防げた」と結論づけることはできない。確認できるのは、相談が存在し、県警自身が初動、関係機関との連携、情報共有を事件後の教訓として検討したという事実である。公安委員からは、相談者の安全確保へ具体的な助言を行うことや、精神疾患が疑われる事案で関係機関との情報共有を進める必要性も示された。
参考資料・出典
・愛媛県公安委員会「公安委員会定例会議(第27回)の開催状況」2021年10月27日
https://www.police.pref.ehime.jp/kouaniinkai/gijiroku/pdf/r3-27kaigi.pdf
・あいテレビ/TBS NEWS DIG「『電磁波攻撃をとめろ』と一方的に言いがかり 新居浜一家3人殺害事件 初公判」2023年12月6日
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/itv/877699?display=1
・あいテレビ/TBS NEWS DIG「被告『統合失調症の診断は誤り』 検察側は『心神耗弱』を主張し無期懲役を求刑」2023年12月12日
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/890096?display=1
・あいテレビ/TBS NEWS DIG「精神鑑定医が証言した責任能力の評価」2023年12月8日
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/itv/884687?display=1
・あいテレビ/TBS NEWS DIG「『電磁波攻撃を受けた』として3人殺害…『心神耗弱』を認定し無期懲役」2023年12月18日
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/itv/900090?display=1
・あいテレビ/TBS NEWS DIG「1審支持し控訴審も無期懲役」2024年8月22日
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/itv/1374341?display=1
・テレビ朝日「愛媛・新居浜市3人殺害 58歳男の無期懲役確定へ 最高裁」2025年12月11日
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000472301.html
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