富山社長夫婦殺人事件|無断振出し手形の穴埋めから計画された強盗殺人

公開日 2026年8月20日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1991年
都道府県
富山県
事件分類
強盗・監禁・暴行事件 / 殺人事件
司法状況
確定

1991年5月7日未明、富山市内の人材派遣会社社長(当時54歳)と妻(当時37歳)が自宅で拳銃により殺害され、現金約1200万円を奪われた。事件を計画したのは、歯科医院で事務長を務めていた瀬川光三だった。

瀬川は個人的な金融業で資金繰りに行き詰まり、勤務先の歯科医院長に無断で振り出した約束手形を処理する必要に迫られていた。元暴力団幹部と共謀し、現金を持つと見込んだ社長夫妻宅を標的にした。瀬川には死刑、共犯者には無期懲役が確定し、瀬川の死刑は2007年8月23日に執行された。

事件名富山社長夫婦殺人事件
発生日1991年5月7日
発生場所富山県富山市
被害会社社長(54)と妻(37)が死亡
被害金品現金約1200万円
被告人瀬川光三
一審1993年7月15日、富山地裁・死刑
控訴審1997年3月11日、名古屋高裁金沢支部・控訴棄却
上告審2001年1月30日、最高裁・上告棄却
死刑執行2007年8月23日、名古屋拘置所

無断で振り出した約束手形の決済が迫っていた

瀬川は歯科医院の事務長として働く一方、個人的に金融業へ関わっていた。貸付金の回収が滞り、自身の借金も膨らむ中、勤務先の歯科医院長に無断で額面300万円の約束手形2通を振り出した。

手形が決済期日を迎えれば、不正使用が勤務先に知られる。瀬川は正規の借入れや事業整理ではなく、他人の現金を奪って資金を作る方法を選んだ。標的となった社長は馬主としても活動し、自宅にまとまった現金があるとの情報を瀬川が得ていたとされる。

元暴力団幹部へ計画を持ちかけ、拳銃を用意

瀬川は暴力団組長を通じて知り合った元暴力団幹部に協力を求めた。共犯者側にも多額の借金があり、金銭を必要としていた。瀬川は標的となる社長夫妻の情報を持ち、共犯者は拳銃を用意した。

住宅へ侵入して現金を奪うだけでなく、住人に顔を見られれば殺害に及ぶ危険を伴う計画だった。裁判では、二人の事前の役割分担と、実弾入り拳銃を準備した経緯が計画性を示す事情とされた。

事件前年から窃盗や昏睡を伴う犯行を重ねる

瀬川らは夫婦殺害以前にも財産犯罪を重ねていた。1990年8月には、富山市内の不動産業者の車から現金約1000万円を盗んだ。さらに1991年4月には、金沢市内で女性に睡眠薬を飲ませ、鍵を盗んで複製する犯行にも関与した。

夫婦宅が偶然選ばれたわけではない。資金を得るための窃盗や詐欺を重ね、それでも不足が埋まらない中で、銃器を使った強盗殺人へ踏み込んだ経過が裁判で認定された。

5月7日午前4時ごろ、社長夫妻宅へ侵入

1991年5月7日午前4時ごろ、瀬川と共犯者は富山市内の社長宅へ侵入した。夫婦は自宅内で襲われ、瀬川が共犯者の用意した拳銃を使って二人を射殺したと認定された。

二人は室内から現金約1200万円が入ったバッグを奪って逃走した。現金は犯行後に分けられ、瀬川は自らが抱えていた手形や借金の処理へ回した。事件直後の資金移動は、強盗目的を裏付ける事情となった。

被害者宅の資金情報を知っていた人物へ捜査が向かう

瀬川は被害者側とまったく接点のない人物ではなかった。社長宅にまとまった現金があると見込めたのは、被害者の資産状況に関する情報を得ていたためだった。

捜査では、誰が社長宅の事情を知っていたのか、事件前に誰と連絡を取っていたのか、拳銃をどのように準備したのか、奪った現金がどこへ流れたのかが追われた。瀬川の手形決済の期限と、事件後の支払いも結び付けられた。

詐欺事件の捜査から強盗殺人へ

瀬川は当初、詐欺などの容疑で捜査対象となった。金銭関係を調べる中で、元暴力団幹部との接触、拳銃、被害者宅に関する情報、事件後の現金使用が浮上した。

1991年7月29日、瀬川は強盗殺人容疑で再逮捕された。共犯者も立件され、二人がどこまで事前に殺害を共謀していたか、誰が実行を主導したかが裁判で重要な争点となった。

瀬川の主導性と共犯者の共同正犯

瀬川は標的を選び、金銭目的の計画を持ちかけ、実際の銃撃も担ったとされた。共犯者は拳銃を調達し、侵入と現金奪取に加わった。

裁判所は、共犯者についても単なる手助けではなく、強盗殺人を共同で実行した責任を認めた。一方、計画を主導し、自ら夫婦を射殺した瀬川の責任はより重いと評価され、量刑には死刑と無期懲役の差が付いた。

富山地裁は瀬川に死刑判決

富山地裁は1993年7月15日、瀬川光三に死刑を言い渡した。金銭目的で標的を定め、拳銃を準備して深夜の住宅へ侵入し、無防備な夫婦二人を死亡させた計画性と結果の重大性が重く評価された。

共犯者には無期懲役が言い渡された。弁護側は、同じ事件に関与した二人の量刑差が大きすぎることなどを挙げ、控訴した。

控訴審は死刑を維持

名古屋高裁金沢支部は1997年3月11日、瀬川側の控訴を棄却した。弁護側は共犯者との刑の差や情状を訴え、瀬川自身も犯行を認めたうえで減刑を求めた。

高裁は、犯行の計画性、強固な殺意、被害者2人という結果に加え、瀬川が計画と実行を主導したことを重視し、一審の死刑を変更しなかった。

最高裁が上告を棄却し、死刑確定

最高裁第三小法廷は2001年1月30日、瀬川の上告を棄却した。犯行は計画的で、無防備な夫婦を急襲して二人の生命を奪ったものであり、主導的立場だった瀬川の責任は重大だとして死刑を維持した。

これにより瀬川の死刑が確定した。共犯者については無期懲役が確定しており、同じ強盗殺人事件でも、計画への関与と実行行為の違いが最終的な刑の差に反映された。

2007年8月23日、名古屋拘置所で死刑執行

死刑確定から約6年7か月後の2007年8月23日、瀬川光三の死刑が名古屋拘置所で執行された。60歳だった。同日には東京拘置所でも別の死刑確定者2人の刑が執行された。

事件発生から執行まで約16年。勤務先への不正を隠すための資金不足から始まり、窃盗、詐欺、銃器の調達、夫婦殺害へと犯罪が拡大した経過が、裁判で一つの流れとして認定された。

夫婦殺害の前月には、鍵を複製するため女性を眠らせた

瀬川らの犯罪は、1991年5月7日の強盗殺人だけでは終わらない。1991年4月、金沢市内のアパートで女性に睡眠薬を飲ませて眠らせ、キーホルダーを盗み、鍵を複製して悪用した事件も起訴された。

さらに詐欺3件なども併せて審理された。資金繰りが悪化するたびに別の財産犯罪へ手を広げ、最終的に拳銃を持って住宅へ侵入する強盗殺人へ至った経過が、瀬川の量刑判断に影響した。

共犯者が拳銃を用意し、瀬川が引き金を引いた

共犯者は元暴力団幹部で、拳銃を入手できる人脈を持っていた。瀬川が標的と金銭情報を示し、共犯者が銃器を準備することで、計画は実行可能な段階へ進んだ。

実際の犯行では瀬川が拳銃を使用して社長夫妻を射殺したと認定された。共犯者は従犯にとどまると主張したが、裁判所は強盗殺人の共同正犯として責任を認めた。ただし、計画を持ちかけ、自ら銃撃した瀬川との役割差が量刑に反映された。

一審で争われたのは、共犯者との量刑差だけではなかった

検察側は、瀬川が自己の資金不足と不正を隠すために犯罪を重ね、最終的に夫婦二人を殺害したとして死刑を求刑した。富山地裁は、手形の処理資金という身勝手な目的、事前準備、拳銃使用、被害者2人という結果を重く評価した。

一方、共犯者には無期懲役が言い渡された。控訴審で瀬川側は、同じ事件で二人の刑に大きな差があることなどを主張した。しかし高裁は、瀬川が犯行を発案・主導し、実行行為でも中心的役割を果たしたことを理由に死刑を維持した。

最高裁は「主導的立場」を重視した

最高裁第三小法廷は2001年1月30日、瀬川の上告を棄却した。判断では、犯行が計画的で強い殺意に基づいていたこと、無防備な夫婦を急襲したこと、瀬川が主導的立場にあったことが重視された。

瀬川が犯行を認め、減刑を求めていた事情を考慮しても、二人を死亡させた結果と犯行態様から死刑はやむを得ないとされた。これに対し、共犯者は無期懲役が確定した。

2007年8月23日は3人の死刑が執行された

瀬川の死刑が執行された2007年8月23日には、東京拘置所でも竹澤一二三、岩本義雄の刑が執行された。瀬川は名古屋拘置所で執行され、60歳だった。

当時、法務省は執行そのものを公表したが、現在のように執行対象者の氏名を公表する運用ではなかった。後の報道や関係資料によって、同日の執行対象者として瀬川の氏名が確認されている。

参考資料・出典

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