2024年5月24日夜、大津市の自宅で、保護司の新庄博志さん(当時60歳)は、担当していた保護観察対象者との面談を迎えた。2日後、家族がリビングで倒れている新庄さんを発見した。上半身には10カ所を超える刃物傷があり、死因は出血性ショックだった。
捜査線上に浮上したのは、新庄さんが更生を支えていた飯塚紘平だった。飯塚は事件4日後にナイフ所持で現行犯逮捕され、6月8日に殺人容疑で再逮捕。鑑定留置を経て起訴され、2026年3月2日、大津地裁は完全責任能力を認めて求刑通り無期懲役を言い渡した。被告側は同月6日付で控訴した。
| 事件発生 | 2024年5月24日夜 |
|---|---|
| 発見 | 2024年5月26日午後 |
| 場所 | 滋賀県大津市・新庄博志さん宅 |
| 被害者 | 新庄博志さん(60歳、保護司) |
| 被告人 | 飯塚紘平 |
| 殺人容疑で再逮捕 | 2024年6月8日 |
| 起訴 | 2024年11月18日 |
| 一審 | 2026年3月2日 大津地裁・無期懲役 |
| 上訴 | 被告側が2026年3月6日付で控訴 |
午後7時からの面談予定、その2日後に家族が発見した
新庄さんは5月24日午後7時から、自宅で飯塚と面談する予定だった。保護観察中の対象者と担当保護司が定期的に顔を合わせる通常の支援活動であり、飯塚は新庄さん宅のインターホンカメラにも写っていたとされる。
26日午後、親族がリビングで新庄さんを発見した。上半身には多数の刺し傷や切り傷があり、防御創も確認された。現場の状況から、警察は面識のある人物との面談中に襲撃された可能性を軸に、24日夜以降の訪問者と新庄さんの連絡履歴を追った。
殺人容疑での逮捕時に示された犯行時間は、24日午後7時ごろから26日午後4時ごろまでの間だった。飯塚との面談は24日午後7時に予定されており、捜査ではその約束と訪問状況が重要な手掛かりとなった。新庄さんの遺体が見つかるまで約2日あったため、県警は発見前の時間帯を一つずつ絞り込んでいった。
新庄さんは2006年から保護司として活動していた
新庄さんは飲食店を経営する一方、2006年から保護司として活動し、地域の更生保護に長く携わっていた。大津商工会議所やロータリークラブなど地域活動にも関わり、県更生保護事業協会の事務局長も務めていた。
保護司は法務大臣から委嘱される非常勤の国家公務員で、犯罪や非行をした人の立ち直りを地域で支える。保護観察官と協働し、生活や就労について面談しながら、保護観察所へ状況を報告する。報酬を得る職ではなく、地域の民間協力者によって制度が支えられてきた。
新庄さんは2018年から滋賀県更生保護事業協会の事務局長も務めた。2023年には、保護司だけで抱え込まず、福祉や教育など地域の機関と連携して支援する「滋賀KANAMEプロジェクト」の立ち上げにも関わった。対象者の保護観察が終わった後まで見据え、地域の中で支援をつなぐ活動を続けていた。
2019年のコンビニ強盗から続いた支援関係
飯塚は2018年10月、大津市内のコンビニで現金約2万円を奪ったとして強盗罪に問われた。大津地裁は2019年6月、懲役3年、保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡し、そのまま確定した。
飯塚の保護観察を担当したのが新庄さんだった。報道によると、2人は月2〜3回程度面談し、新庄さんは生活や就労を支えていた。事件が起きた2024年5月は、執行猶予期間の満了を同年7月に控えた時期でもあった。
2019年6月の判決は懲役3年、保護観察付き執行猶予5年で、保護観察期間は2024年7月9日までだった。事件は、その満了まで2カ月を切った時期に起きた。新庄さんは飯塚の就職が長続きしないことを周囲へ相談していたと報じられており、面談は形式的な接触ではなく、生活の立て直しを支える継続的な関係の中で行われていた。
4日後、リュックのナイフ所持で現行犯逮捕
5月28日夜、新庄さん宅周辺を警戒していた警察官が飯塚へ職務質問した。リュックサックからナイフが見つかり、正当な理由なく所持していたとして銃刀法違反容疑で現行犯逮捕された。飯塚は当時、ナイフについて山歩きのためだったという趣旨の説明をしていた。
滋賀県警は新庄さん宅のインターホン映像や面談予定、飯塚の事件前後の動きを調べ、6月8日に殺人容疑で再逮捕した。逮捕容疑は5月24日夜、新庄さん宅で上半身を刃物で複数回刺すなどして殺害したというものだった。逮捕段階で飯塚は容疑を否認していた。
最初の逮捕は殺人ではなく、ナイフ所持による銃刀法違反だった。そこから県警は、新庄さん宅を訪れる予定があったこと、事件当夜の映像、所持していた刃物、事件前後の行動を重ねて捜査した。殺人容疑で再逮捕された時点では飯塚は否認しており、後の公判で起訴内容を認めるまで認否は変化している。
4カ月を超える鑑定留置後、殺人などで起訴
大津地検は飯塚の刑事責任能力を調べるため鑑定留置を行った。当初の予定から延長され、4カ月を超える鑑定を経た後、2024年11月18日に殺人、公務執行妨害などの罪で起訴した。
保護司は非常勤の国家公務員として保護観察の職務を担う。起訴には殺人だけでなく公務執行妨害も含まれ、新庄さんが担当保護司として面談中だったという事件の性格が刑事手続にも現れた。
初公判で飯塚は起訴内容を認めた
2026年2月17日、大津地裁の裁判員裁判で初公判が開かれた。飯塚は起訴内容について「間違いありません」と認め、捜査段階の否認から認否を変えた。実行行為そのものより、犯行時にどこまで自分の行動を制御できたのかが大きな争点になった。
飯塚は法廷で「守護神様の声に従ってやりました」と述べた。弁護側は自閉スペクトラム症などの特性を挙げ、責任能力がなかったか、少なくとも心神耗弱だったとして有期刑を求めた。検察側は、精神障害によって判断・制御能力が失われた事件ではないと反論した。
検察側は、犯行前に現場付近を下見していたことなどを挙げ、行動には計画性があったと主張した。飯塚本人は被告人質問で、当時は大きな事件を起こすことを考えていた一方、現在は「人を殺した」と受け止めている趣旨を述べ、新庄さんの遺族へ謝罪した。公判では、犯行時の精神状態と、事件後に示した認識の変化の双方が審理された。
検察は「保護観察制度への報復」を動機として示した
検察側は、飯塚が保護観察や国の制度に不満を抱き、その感情を担当保護司の新庄さんへ向けたと主張した。犯行時にはナイフとおのを使い、新庄さんの胸や首などを繰り返し攻撃したとされる。
公判では、新庄さんが襲撃を受けながら飯塚を制止しようとした状況も示された。支援者と対象者という関係が崩れ、日常的な面談の場が殺害現場となった経過は、量刑判断でも重く扱われた。
新庄さんは襲撃を受けた最中も、飯塚に対して社会へ戻ることを考えるよう説得しようとしていたと公判で示された。被害者参加制度を利用した妻も法廷に立ち、これまで食事や会話を重ねてきた時間を振り返りながら、飯塚に事件と向き合うよう求めた。長く支援を続けた相手から殺害されたという関係性は、単なる面識のある者同士の事件とは異なる重みを持った。
完全責任能力を認め、求刑通り無期懲役
2026年3月2日、大津地裁は飯塚に完全責任能力があったと認定し、検察の求刑通り無期懲役を言い渡した。判決は、責任能力に影響する精神障害の存在を認めず、「守護神様」の声という説明についても、被告自身の思考から生じたものと評価した。
量刑では、強い殺意の下でナイフとおのを用いたこと、保護観察制度への不満を新庄さんへ向けたこと、更生を支えてきた被害者の信頼を利用したことなどが重視された。地裁は悪質性の高さについて無差別殺人と遜色がないと述べ、反省や更生の意欲についても厳しい評価を示した。
被告側は無期懲役判決を不服として控訴
飯塚側は3月6日付で控訴した。一審では起訴内容を認めながら責任能力を争っており、控訴審では大津地裁が採用した精神状態の評価や量刑判断が改めて審理対象となる。
控訴により、大津地裁の無期懲役判決は確定していない。2026年8月27日時点では、一審で認定された完全責任能力や量刑を含め、上級審での審理が残る状態にある。
事件後、保護司の「自宅面談」を含む安全対策が見直された
事件は保護司制度そのものにも影響を与えた。法務省によると、保護観察対象者が担当保護司を殺害した事案を受け、担当保護司の複数指名、保護観察官の直接関与の強化、自宅以外の面接場所の確保などが進められた。
2024年10月にまとめられた「持続可能な保護司制度の確立に向けた検討会」の報告書には、安全確保を含む78の施策が盛り込まれた。さらに2025年12月には保護司法等の改正法が成立・公布され、国が保護司の安全確保に必要な施策を講じる仕組みが法制度上も整備された。
法務省は事件後、全国の保護観察所を通じて保護司へ直接聞き取りを行い、対象者とのトラブルや活動上の不安を把握した。自宅面談への不安や家族から活動を反対されたとの声もあり、複数担当制の積極運用、保護観察官の直接関与、自宅以外で面談できる場所の確保が具体策として進められた。
法務省は2024年6月、全国50の保護観察所に対し、すべての保護司を対象として対象者とのトラブルや不安の有無を直接確認するよう通知した。約4万7000人が活動する制度で、個々の保護司が自宅や地域の施設で面談を担ってきた実態を踏まえ、安全上の懸念を組織的に把握する対応へ切り替えた。
新庄さんは生前、保護司の支援だけで完結させず、教育・福祉・雇用など地域の力をつなぐ仕組みを作ろうとしていた。事件後も滋賀KANAMEプロジェクトは関係者に引き継がれ、更生支援を続けながら支援者側の安全も確保するという二つの課題が残された。
新庄さんが担っていたのは、刑務所の外で生活する人を地域につなぎ直す役割だった。その支援の現場で起きた殺害は、個人の刑事事件にとどまらず、善意と地域活動に大きく依存してきた更生保護の安全設計を問い直す契機となった。
参考資料・出典
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