新宿タワマン刺殺事件|平澤俊乃さんを待ち伏せした和久井学被告に懲役15年

公開日 2026年6月14日
最終更新 2026年8月14日

2024年5月8日午前、東京都新宿区西新宿のタワーマンション敷地内で、飲食店を経営していた平澤俊乃さん(当時25歳)が、和久井学被告(当時51歳)に刃物で繰り返し刺されて死亡した。和久井は前夜から現場付近で待ち、平澤さんが現れると襲いかかった。

2人の間には多額の金銭をめぐる争いがあり、和久井は過去にも平澤さんへの接近を繰り返してストーカー規制法違反で逮捕され、警察から接近禁止命令を受けていた。東京地裁は2025年7月、殺人などの罪で和久井に懲役15年を言い渡した

事件名新宿タワマン刺殺事件
発生日2024年5月8日
発生場所東京都新宿区西新宿
被害者平澤俊乃さん(当時25歳)
被告和久井学
判決懲役15年

西新宿のマンション前で起きた襲撃

5月8日午前3時すぎ、タワーマンションの敷地内で女性が刺されているとの110番通報があった。警察官が到着すると、平澤さんは血を流して倒れており、現場には和久井がいた。平澤さんは病院へ搬送されたが、首や腹部などに多数の刺し傷があり、死亡が確認された。

和久井は果物ナイフ2本を用意し、前日の夜からマンション周辺に滞在していた。平澤さんが建物から出てきたところを見つけて追いかけ、逃げようとする相手を路上で襲った。刺し傷は少なくとも十数か所に及び、短時間のうちに攻撃が繰り返された。

現場は新宿駅から近い高層住宅街で、周辺には防犯カメラが多かった。警視庁は映像、凶器、和久井の所持品を押収し、待ち伏せの開始時刻や襲撃までの動きを確認した。

司法解剖では、傷の位置と深さから、刃物が生命維持に重要な部位へ繰り返し向けられたことが確認された。現場には攻撃の途中で移動した血痕があり、平澤さんが逃げようとした経路も映像と一致した。通報者や目撃者の証言は、和久井が一方的に追いかけ、周囲の制止よりも攻撃を優先した状況を示した。

事件時刻が未明だったことから、警察は和久井が平澤さんの勤務や帰宅の時間を知り、出入りを狙った可能性を調べた。住宅の管理記録も確認された。

店の客として始まった関係と多額の送金

和久井は平澤さんが勤務していた店の客として知り合い、その後、店の営業や将来の約束をめぐって金銭を渡すようになった。和久井側は、車やオートバイを売却して得た金を含め、約1600万円を平澤さんへ渡したと説明していた。

平澤さん側は、金銭は店での飲食や前払いに伴うもので、結婚を約束して受け取ったものではないと主張していた。両者の認識は大きく食い違い、返金を求める連絡が続くようになった。金銭の性質については、刑事裁判でも犯行動機を理解するうえで重要な事情となった。

ただし、多額の金銭を渡した事実は、相手の行動を拘束したり、接近禁止命令に反して待ち伏せしたりする理由にはならない。事件では、金銭問題と、和久井が取った継続的な接近行動を分けて確認する必要があった。

和久井は金銭を渡すために所有していた車両を売却したと説明し、その損失感を強く訴えていた。平澤さん側の店では、支払いが営業上の利用代金や前払いとして扱われた経緯があり、双方で同じ金銭に異なる意味を与えていた。警察や裁判所は、返金の民事上の当否ではなく、和久井がその不満をどのように待ち伏せと殺害へ結び付けたかを検討した。

接近の反復とストーカー規制法による対応

平澤さんは2021年ごろから、和久井が店や自宅周辺へ来ることについて警察へ相談していた。警察は口頭注意を行ったが、接近は止まらず、2022年にはストーカー規制法違反の疑いで逮捕された。

逮捕後、和久井には平澤さんへの接近や連絡を禁じる命令が出された。命令の期間中は大きな接触が確認されなかったものの、和久井は金銭を返してもらえていないとの不満を抱き続けた。民事上の回収手続ではなく、本人への直接接触を図る考えを残していた。

平澤さんは住居を変えるなどして生活を続けていた。事件当時、過去の命令は終了していたが、警察には以前の相談と逮捕歴が記録されていた。事件後には、規制命令が終わった後も危険が続く事案への支援のあり方が改めて検討された。

過去の逮捕時には、和久井が平澤さんの住居や店へ近づき、連絡を求める行動が記録されていた。接近禁止命令は一定期間の行為を制限する制度であり、本人の感情や執着そのものを消すものではない。事件後の検証では、命令終了後も金銭問題への固執が残る場合に、被害者側の転居先や勤務先をどこまで守れるかが論点となった。

前夜からの待ち伏せと凶器の準備

和久井は事件前日、自宅から刃物を持ち出し、夜のうちに西新宿へ向かった。マンション付近で長時間待機し、平澤さんが出てくる時刻を見計らっていた。偶然出会ったのではなく、対象者の住居付近で待つ行動が続いていた。

捜査では、2本のナイフを準備していたこと、現場へ向かうまでの移動、待機時間が確認された。和久井は平澤さんと話すつもりだったとも述べたが、刃物を複数持参し、逃げる相手を追って攻撃した経過は、殺意と計画性を判断する材料になった。

平澤さんが抵抗しながら逃げようとした形跡も、現場の血痕や防犯カメラから確認された。攻撃は一度で終わらず、倒れた後も続いたとされ、救命が困難になるほどの傷を負わせた。

和久井が現場へ到着してから襲撃までには長い待機時間があり、偶然会って感情的になったとの説明とは整合しにくかった。携帯電話の位置情報や防犯映像は、マンション周辺を離れずに平澤さんを待っていた状況を示した。2本の刃物は、一方が使えなくなった場合にも攻撃を続けられる準備と評価され、裁判では計画性を認定する重要な根拠となった。

長時間の待機中に和久井が送った連絡や立ち寄り先も調べられた。犯行を思いとどまる外的事情がないまま目的地にとどまったことが、準備性の評価を補った。

防犯カメラと供述から確認された経過

警視庁は現場周辺とマンションの防犯カメラを集め、和久井が前夜から付近にいたこと、平澤さんを見つけて追跡したことを時系列で整理した。押収された刃物には血液が付着し、犯行との結び付きに争いはなかった。

和久井は逮捕後、金を返してもらえず恨んでいたとの趣旨を供述した。一方で、殺すつもりはなかった、話をするために行ったとも述べ、殺意や計画性の程度について争う姿勢を示した。

捜査機関は、凶器の準備、待ち伏せ、攻撃部位と回数、犯行後の言動を総合し、強い殺意に基づく殺人として起訴した。金銭の経緯は動機の背景として扱われたが、被害者に対する攻撃を正当化する事情とはされなかった。

捜査では、和久井が事件前にどのような言葉を検索し、知人へ何を話していたかも調べられた。本人の供述には、話し合いが目的だったとする部分と、返金されないことへの恨みを述べる部分があった。裁判所は供述の表現だけでなく、刃物の携帯、待ち伏せ、攻撃回数という行動を優先し、少なくとも現場で強い殺意を持っていたと判断した。

和久井が現場で確保されたため、犯人性自体に大きな争いはなかった。裁判の中心は、なぜ刃物を持って待ったのか、攻撃開始時にどの程度確定した殺意があったかという内心を、行動から判断する点にあった。

平澤さんの端末も解析され、事件直前に和久井との約束や合意がなかったことが確認された。待ち伏せは被害者の呼び出しに応じたものではなかった。

殺意と計画性が争われた裁判

東京地裁の裁判員裁判で、弁護側は突発的な犯行であり、強固な殺意や高度な計画性はなかったと主張した。検察側は、凶器を準備して長時間待ち伏せし、首や腹部を繰り返し刺したことから、確定的な殺意があったと論告した。

裁判所は、金銭をめぐる不満を抱いていたことに加え、複数の刃物を持って現場へ行き、平澤さんの逃走を追って攻撃した経過を重視した。計画性は認めた一方、事前に犯行の細部まで決めていたとまではいえないと評価した。

2025年7月14日、東京地裁は和久井に懲役15年を言い渡した。求刑は懲役17年だった。判決は、過去の警察対応を受けても接触を断てず、被害者の生命を奪った結果を重く評価した。

被害者参加制度を通じ、遺族からは平澤さんの日常や事件後の影響が伝えられた。和久井側は金銭を失った経緯を量刑上の事情として述べたが、裁判所は、返還を求める法的手段があるなかで相手の生命を奪ったことを軽減事情とはしなかった。求刑より2年短い判決となったのは、完全に周到な殺害計画とまでは認定しなかったためであり、犯行結果の重大性は明確に評価された。

懲役15年判決と事件後の検証

判決後、事件はストーカー被害者の安全確保と、金銭トラブルを理由に接近を続ける人物への対応を考える事例となった。接近禁止命令には期間があり、命令終了後の危険度をどのように評価し、相談者との連絡を保つかが課題として残った。

警視庁は、過去に逮捕や禁止命令があった事案について、被害者の状況変化と加害者側の執着を継続的に確認する運用を検討した。平澤さんが警察へ相談し、転居などの対応を取っていたにもかかわらず、住居を突き止められた経過も検証対象となった。

和久井に対する一審判決は懲役15年である。刑事裁判では金銭の返還請求そのものではなく、待ち伏せと殺害行為に対する責任が判断された。

一審判決が示した刑期は、有期懲役の範囲で殺意、準備、動機、被告の前歴などを総合した結果である。事件を単に「貢いだ金をめぐる争い」と表現すると、過去の接近行為や被害者が拒絶していた事実が見えにくくなる。記録上は、警察相談と禁止命令を経ても対象への執着が続き、勤務・居住場所を突き止めて待ち伏せしたストーカー型の殺人として理解する必要がある。

遺族への謝罪や賠償の状況も量刑資料となったが、失われた生命を回復することはできない。判決は被害者側の金銭管理を裁くものではなかった。