日野町事件は、1984年12月、滋賀県蒲生郡日野町で酒店を経営する69歳の女性が殺害され、手提げ金庫が奪われた強盗殺人事件である。現在も再審公判の日程は決まっておらず、無罪判決はまだ言い渡されていない。ただし、阪原さんに再審無罪が言い渡されることは確実な情勢となっている。
- 酒店を経営する女性が殺害され、金庫が奪われた経緯
- 事件から3年以上後に阪原弘さんが逮捕された理由
- 直接的な物的証拠がないまま無期懲役となった裁判
- 阪原さんが虚偽の自白を強要されたと訴えた経緯
- 引当捜査の写真とネガから判明した記録上の問題
- 本人の死後、遺族が再審開始を確定させるまでの経過
- 検察が有罪立証を断念した後の現在の状況
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事件名 | 日野町事件、日野町強盗殺人事件 |
| 事件発生 | 1984年12月28日夜から翌29日未明ごろ |
| 発生場所 | 滋賀県蒲生郡日野町 |
| 被害者 | 立ち飲み酒店を経営していた女性(当時69歳) |
| 被害状況 | 女性が殺害され、店の手提げ金庫が奪われた |
| 遺体発見 | 1985年1月18日、日野町内の宅地造成地 |
| 金庫発見 | 1985年4月28日、日野町内の山中 |
| 逮捕された人物 | 阪原弘さん |
| 逮捕時の年齢 | 53歳 |
| 被害者との関係 | 酒店の常連客 |
| 逮捕 | 1988年3月12日 |
| 起訴罪名 | 強盗殺人 |
| 犯行の認否 | 取調べで自白した後に撤回し、公判では一貫して無罪を主張 |
| 一審判決 | 1995年6月30日、大津地裁が無期懲役 |
| 控訴審判決 | 1997年5月30日、大阪高裁が控訴棄却 |
| 上告審 | 2000年9月27日、最高裁が上告棄却 |
| 刑の確定 | 2000年10月、無期懲役が確定 |
| 阪原さんの死亡 | 2011年3月18日、服役中に75歳で病死 |
| 第2次再審請求 | 2012年3月30日、遺族が申し立て |
| 再審開始決定 | 2018年7月11日、大津地裁 |
| 即時抗告審 | 2023年2月27日、大阪高裁が検察側の即時抗告を棄却 |
| 再審開始確定 | 2026年2月24日、最高裁が検察側の特別抗告を棄却 |
| 検察側の方針 | 再審公判で有罪主張と新たな有罪立証を行わない |
| 現在の状況 | 再審公判の準備中。無罪判決が言い渡される見通し |
1984年12月28日、酒店経営の女性が行方不明に
被害女性は、滋賀県日野町で立ち飲みができる酒店を経営していた。1984年12月28日夜、女性は営業中だった店から姿を消す。店内には人が争った可能性を示す状況があり、女性が自ら店を離れたとは考えにくい状態だった。
さらに、店内に置かれていた女性所有の手提げ金庫もなくなっていた。警察は女性の行方を捜すとともに、事件へ巻き込まれた可能性を調べた。
翌年1月、宅地造成地で遺体を発見
1985年1月18日、日野町内の宅地造成地にある草むらで、行方不明になっていた女性の遺体が発見された。女性は首を圧迫されて死亡したと判断され、警察は殺人事件として捜査する。遺体は酒店から離れた場所へ運ばれ、遺棄されたとみられた。
しかし、女性を店から連れ出した人物や、遺体を運んだ車両を直接目撃した証人は確認されなかった。
山中から被害者の手提げ金庫を発見
遺体発見から約3カ月後の1985年4月28日、日野町内の山中で手提げ金庫が発見された。金庫は被害女性が所有していたもので、警察は金品を奪う目的の強盗殺人事件と判断する。遺体と金庫は異なる場所に捨てられており、犯人が日野町周辺の地理を知っていた可能性が考えられた。
一方、金庫から犯人を直接特定できる指紋や、阪原さんとの関係を示す決定的な物証は得られていない。
阪原弘さんは酒店の常連客だった
阪原弘さんは、被害女性の酒店でコップ酒を飲むことがあった常連客だった。店内から阪原さんの指紋が見つかりましたが、日常的に店を利用していたため、指紋が存在すること自体は不自然ではない。警察は1985年9月、阪原さんから任意で事情を聴いた。
阪原さんは事件への関与を否定し、妻も、事件当夜は知人宅で酒を飲んで宿泊していたと説明した。この段階では逮捕に至らず、捜査は長期化する。
事件から3年以上後、再び取調べを受ける
事件から3年以上が経過した1988年3月9日、警察は阪原さんを再び任意同行した。阪原さんは早朝から夜遅くまで、連日にわたって取調べを受ける。取調べの途中から、阪原さんは女性の殺害や金庫の遺棄を認める供述を始めた。
3月12日、警察は阪原さんを強盗殺人容疑で逮捕する。その後、遺体と金庫の発見場所を案内させる引当捜査が行われ、自白調書や実況見分調書が作成された。
阪原さんは自白を強要されたと主張
阪原さんは起訴後、取調べで話した内容は事実ではないとして、自白を撤回した。警察官から暴行を受けたほか、犯行を認めなければ娘の嫁ぎ先を混乱させるという趣旨の脅しを受けたと訴えている。阪原さんは、娘や家族への影響を恐れ、捜査員が求める筋書きへ話を合わせたと説明した。
取調べの録音・録画はなく、実際にどのようなやり取りが行われたのかを客観的に確認できる記録は残されていない。再審開始決定は、自白の信用性だけでなく、任意に行われたものかについても合理的な疑いが残ると判断した。
犯行と阪原さんを結ぶ直接証拠はなかった
阪原さんの裁判には、殺害の場面を見た目撃者や、犯行を記録した映像はなかった。阪原さんが被害者の遺体や金庫へ触れたことを示す指紋、血痕、DNA型なども確認されていない。被害女性から金銭を奪う明確な動機も、十分には立証されなかった。
そのため、検察側の立証では、自白に加え、店内の指紋、事件当夜の目撃証言、アリバイ説明などの間接事実が用いられた。特に重要視されたのが、阪原さんが遺体と金庫の発見場所を、捜査員から教えられずに案内できたとする引当捜査である。
遺体と金庫の場所を自発的に案内したとされた
捜査機関は、阪原さんが自ら道順を指示し、遺体と金庫が発見された場所へ警察官を案内したと記録した。犯人しか知らない場所へ自発的に案内したのであれば、自白の信用性を強く裏付ける事情となる。確定判決でも、この引当捜査は阪原さんと犯行を結び付ける重要な根拠として扱われた。
しかし、第2次再審請求で開示された写真のネガなどにより、実況見分調書の記録方法へ重大な疑問が生じる。
帰り道の写真が行きの写真として使われていた
実況見分調書には、阪原さんが金庫の発見場所へ向かいながら、順番に道を案内したように見える写真が貼られていた。ところが、開示されたネガフィルムを撮影順に確認すると、現場から戻る際に撮影された写真が、向かう途中の写真として使われていたことが判明する。写真は撮影された順番とは逆に並べられ、阪原さんが自ら目的地へ案内したような構成になっていた。
現場で阪原さんが道順を指示したことを裏付ける写真も十分ではなかった。再審開始を認めた裁判所は、警察官の誘導なしに阪原さんが場所を案内したという捜査結果の信用性が大きく揺らいだと判断した。
遺体の状態と自白内容にも矛盾
阪原さんの自白では、女性の遺体を運び、特定の向きで草むらへ置いたとされていた。しかし、遺体に現れていた死斑の位置について、弁護側の専門家は、自白どおりの姿勢で遺体が置かれていたとは考えにくいと指摘した。殺害方法、遺体の運搬方法、遺棄時の姿勢などにも、客観的な状況と合わない部分があった。
自白には、犯人しか知り得ない秘密の暴露が確認できず、供述内容の変遷も多くあった。再審開始決定は、新旧の証拠を総合すれば、自白を事実認定の基礎とすることは困難だとしている。
1995年、大津地裁が無期懲役判決
1995年6月30日、大津地裁は阪原さんに無期懲役を言い渡した。一審は、自白調書について、信用性が高いとはいえない部分があると指摘している。その一方、店内に残された指紋、事件当夜の目撃証言、アリバイに関する説明などの状況証拠を総合し、阪原さんを犯人と認定した。
阪原さん側は、指紋は常連客として店を利用した際に付いたものであり、目撃証言やアリバイ捜査にも問題があると主張した。判決後、阪原さんは大阪高裁へ控訴する。
控訴審は自白の根幹部分を信用
1997年5月30日、大阪高裁は阪原さん側の控訴を棄却した。大阪高裁は、一審が重視した状況証拠だけでは、有罪を認定するには十分ではないと判断している。その一方、阪原さんの自白について、犯行の基本的な根幹部分には信用性があると評価した。
一審と控訴審では、有罪認定の中心となる証拠の評価が大きく異なっていた。それでも有罪という結論は維持され、2000年9月27日、最高裁が上告を棄却する。同年10月、阪原さんの無期懲役判決が確定した。
服役中も無実を訴え第1次再審請求
阪原さんは刑務所へ収容された後も、事件には関与していないと訴え続けた。2001年11月、大津地裁へ第1次再審請求を申し立てる。弁護側は、自白の任意性と信用性、目撃証言、指紋、アリバイなど、確定判決が有罪の根拠とした証拠を改めて争った。
しかし、2006年3月、大津地裁は再審請求を棄却する。阪原さん側は大阪高裁へ即時抗告しましたが、実体的な結論が出る前に体調が悪化した。
2011年、無実を認められないまま服役中に病死
2011年3月18日、阪原弘さんは服役中に病死した。75歳だった。本人の死亡により、第1次再審請求の即時抗告審は同月30日に終了している。阪原さんは逮捕から約23年間、家族のもとへ戻ることができなかった。
死亡時にも、強盗殺人罪で無期懲役が確定した受刑者という法的立場のままだった。遺族は、阪原さんの無念と名誉を回復するため、新たな再審請求を決意する。
遺族が第2次再審請求を申し立てる
2012年3月30日、阪原さんの長男ら遺族が大津地裁へ第2次再審請求を申し立てた。刑事訴訟法では、有罪判決を受けた本人が死亡した後も、配偶者や直系親族などが再審を請求できる。死後再審は、死亡した本人を釈放するためではなく、誤った有罪判決を取り消し、名誉を回復するための手続きである。
第2次再審請求では、裁判所の証拠開示に関する働きかけによって、引当捜査の写真とネガ、アリバイ捜査資料などが開示された。これらの中から、確定判決の証拠評価を揺るがす資料が見つかる。
2018年、大津地裁が再審開始を決定
2018年7月11日、大津地裁は阪原さんの再審開始を決定した。決定は、新たに開示された証拠と確定審の証拠を総合して検討している。その結果、確定判決が認定した状況証拠は動揺し、阪原さんを犯人と推認する力が大きく低下したと判断した。
自白にも客観的事実と合わない点があり、信用性を認めることはできないとしている。さらに、警察官の暴行や脅迫によって自白した可能性についても、合理的な疑いが残ると判断した。検察側は決定を不服として、大阪高裁へ即時抗告する。
2023年、大阪高裁も再審開始を支持
検察側の即時抗告審は、約4年7カ月にわたり大阪高裁で審理された。2023年2月27日、大阪高裁は検察側の即時抗告を棄却し、大津地裁の再審開始決定を維持した。大阪高裁は、引当捜査の写真やネガ、遺体の死斑に関する鑑定、アリバイ捜査資料などを新証拠として評価する。
阪原さんが犯人しか知らない場所を自発的に案内したという評価や、自白の基本的な部分を信用できるとした確定判決へ疑いが生じたと判断した。検察側は再び不服を申し立て、最高裁へ特別抗告する。
再審開始決定から確定まで約7年7カ月
大津地裁が再審開始を決定したのは2018年7月だった。しかし、検察側の即時抗告と特別抗告により、開始決定が確定しない状態が長期間続く。遺族は、本人が死亡しているにもかかわらず、名誉回復がさらに遅れているとして、速やかな判断を求めた。
大津地裁の決定から最高裁の判断までに要した期間は、約7年7カ月である。この長期化は、再審開始決定に対する検察官の不服申立てを制限すべきかという制度議論にも影響を与えた。
2026年2月、最高裁で再審開始が確定
2026年2月24日、最高裁第二小法廷は、検察側の特別抗告を棄却した。最高裁は、大阪高裁の判断に誤りがあるとは認められないとして、再審開始を維持する。これにより、阪原さんの第2次再審請求について、裁判をやり直すことが正式に決まった。
死刑または無期懲役が確定した戦後の重大事件で、本人の死亡後に遺族の請求による再審開始が確定した初の事例とみられている。再審公判は、最初の有罪判決を言い渡した大津地裁で行われる。
検察が有罪主張と新たな立証を行わない方針
2026年6月19日、大津地検は再審公判で阪原さんの有罪を主張しない方針を明らかにした。有罪を立証するための新たな証拠提出や証人尋問も行わないとしている。検察が有罪立証を行わなければ、裁判所が阪原さんへ無罪を言い渡すことは確実である。
一方、大津地検は阪原さんが無実であると積極的に認め、無罪を求める方針までは表明していない。弁護団は、検察側にも無罪を主張し、誤った有罪判決へ至った原因を明らかにするよう求めている。
弁護団は未開示証拠の全面開示を要求
阪原さんの無罪が確実となった後も、弁護団は捜査資料や捜査員の備忘録などの追加開示を求めている。目的は無罪判決を得ることだけではなく、なぜ阪原さんが犯人とされ、23年間も身柄を拘束されたのかを明らかにすることである。検察側は、再審公判を迅速に進める必要があるとして、追加の証拠開示には否定的な考えを示している。
2026年7月14日に開かれた4回目の三者協議でも、証拠開示と検察側の主張方法が協議された。同日時点で、再審公判の具体的な日程は決まっていない。
再審開始と無罪確定は異なる
再審開始が確定したことで、従来の有罪判決を見直す裁判が開かれる。しかし、再審開始決定だけで無期懲役判決が法的に取り消されるわけではない。大津地裁の再審公判で無罪判決が言い渡され、上訴されずに確定した段階で、阪原さんの有罪判決は正式に効力を失う。
検察側が有罪立証を行わないため、無罪判決が出る見通しは極めて高い状況である。現在の正確な法的状況は、再審開始が確定し、無罪判決を待っている段階である。
阪原弘さんをすでに「無罪確定」とは書けない
報道では、検察の有罪立証断念を受けて「無罪確定へ」と表現されている。これは、今後の再審公判で無罪となることが確実な情勢であるという意味である。現時点で再審無罪判決がすでに言い渡され、確定したという意味ではない。
また、再審開始決定は阪原さんを真犯人とする証拠へ重大な疑いがあると判断しましたが、実際に女性を殺害した人物を特定したものでもない。
被害女性を殺害した人物は特定されていない
日野町事件では、酒店を営んでいた69歳の女性が殺害され、金庫が奪われた。阪原さんの犯人性へ合理的な疑いが認められ、検察も再審公判で有罪を主張しない方針である。一方、阪原さん以外の人物が真犯人として逮捕、起訴された事実はない。
女性を誰が、どのような経緯で殺害したのかは、現在も明らかになっていない。阪原さんの名誉回復と、被害女性の殺害事件の真相解明は、別々に残された課題である。
証拠開示が再審開始の決め手になった
引当捜査の写真とネガは、確定審では弁護側へ十分に開示されていなかった。第2次再審請求で開示され、撮影順序を検証したことで、実況見分調書の不自然な構成が明らかになる。アリバイ捜査や目撃証言に関する資料も、確定判決の評価を見直す材料となった。
検察が保有する証拠には、被告人に不利なものだけでなく、無罪の可能性を示す資料も含まれる場合がある。本事件は、再審請求における証拠開示を、担当裁判所や検察官の判断だけに委ねない制度の必要性を示した。
日野町事件の主な時系列
- 1984年12月28日夜:酒店経営の69歳女性が行方不明となる
- 1985年1月18日:日野町内の宅地造成地で女性の遺体を発見
- 4月28日:日野町内の山中で被害者の手提げ金庫を発見
- 1985年9月:警察が阪原弘さんから任意で事情聴取
- 1988年3月9日:警察が阪原さんへの連日の取調べを開始
- 3月12日:強盗殺人容疑で阪原さんを逮捕
- 4月:強盗殺人罪で起訴
- 1995年6月30日:大津地裁が無期懲役判決
- 1997年5月30日:大阪高裁が控訴を棄却
- 2000年9月27日:最高裁が上告を棄却
- 2000年10月:無期懲役判決が確定
- 2001年11月:阪原さんが第1次再審請求
- 2006年3月:大津地裁が第1次再審請求を棄却
- 2011年3月18日:阪原さんが服役中に75歳で病死
- 2012年3月30日:遺族が第2次再審請求
- 2018年7月11日:大津地裁が再審開始を決定
- 2023年2月27日:大阪高裁が検察側の即時抗告を棄却
- 2026年2月24日:最高裁が特別抗告を棄却し、再審開始が確定
- 6月19日:大津地検が有罪主張と新たな有罪立証を行わない方針を表明
- 7月14日:大津地裁で4回目の三者協議。再審公判の日程は決まらず
- 現在:再審公判の準備中で、無罪判決が言い渡される見通し
現在の状況|再審無罪判決を待つ段階
阪原弘さんの再審開始は、2026年2月24日に最高裁で確定した。大津地検は同年6月、再審公判で有罪を主張せず、新たな有罪立証もしない方針を決めている。そのため、大津地裁の再審公判では無罪判決が言い渡される見通しである。
一方、弁護側と検察側の間では、追加の証拠開示や、検察が積極的に無罪を主張するかをめぐる意見の違いが残っている。現在も初公判の日程は決まっておらず、阪原さんの無罪はまだ法的に確定していない。現在は、本人の死から15年以上を経て、遺族が再審無罪判決による名誉回復を待っている段階である。
日野町事件が残したもの
日野町事件では、酒店経営の女性が殺害され、手提げ金庫が奪われた。事件から3年以上後、常連客だった阪原弘さんが長時間の取調べを受け、自白したとして逮捕される。阪原さんは自白を撤回し、暴行や家族への脅迫によって虚偽の供述をさせられたと訴えた。
直接的な物的証拠がない中で無期懲役となり、23年間にわたって身柄を拘束された末、服役中に亡くなる。遺族による第2次再審請求では、検察が保管していた写真のネガなどから、確定判決を支えた引当捜査の信用性が崩れた。2018年に大津地裁、2023年に大阪高裁が再審を認め、2026年に最高裁で開始決定が確定する。
検察は再審公判で有罪立証を行わない方針を決めましたが、再審開始までに長い年月を要し、阪原さん本人は結果を知ることができなかった。本事件は、密室の取調べ、虚偽自白、捜査記録の正確性、未開示証拠、検察による不服申立てで再審救済が長期化する問題を示している。
阪原さんの名誉回復が進む一方、69歳の女性を殺害した人物は特定されておらず、事件の真相は現在も残されたままである。
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