名古屋女子大生誘拐殺人事件|戸谷早百合さんを広告で誘い出し、最高裁が木村修治の死刑を維持

公開日 2026年2月3日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1980年
都道府県
愛知県
事件分類
性犯罪 / 殺人事件 / 誘拐・拉致事件
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1980年12月、名古屋市の大学生・戸谷早百合さん(当時22歳)が、家庭教師を依頼するという電話で誘い出された。家族のもとにはその後も身代金を求める連絡が続いたが、最高裁判決によれば、戸谷さんは誘い出された当日にすでに殺害されていた。木村修治が求めた身代金は3000万円だった。

木村は借金返済のため身代金目的の誘拐を計画し、戸谷さんが新聞に出していた家庭教師のアルバイト広告を利用したと認定された。名古屋地裁は1982年に死刑、名古屋高裁は控訴を棄却。最高裁も1987年7月9日に上告を棄却し、死刑が確定した。

事件発生1980年12月2日
被害者戸谷早百合さん(当時22歳、大学生)
被告人木村修治
身代金要求3000万円
主な罪名身代金目的拐取、拐取者身代金要求、殺人、死体遺棄
一審1982年3月23日、名古屋地裁が死刑
控訴審1983年1月26日、名古屋高裁が控訴棄却
上告審1987年7月9日、最高裁が上告棄却
死刑執行1995年12月21日

家庭教師を求める新聞広告が誘い出しに使われた

戸谷さんは家庭教師の仕事を探すため、新聞にアルバイト広告を出していた。木村はそこに記載された連絡先へ接触し、家庭教師を依頼するように装って戸谷さんを呼び出した。最高裁判決は、女性を誘拐して身代金を得る計画の一環として、この広告が利用されたと認定している。

求人やアルバイトの連絡を装った接触だったため、戸谷さんにとっては仕事の依頼として応じる理由があった。木村は偶然出会った相手を狙ったのではなく、あらかじめ身代金目的の誘拐を考え、その対象を探す中で広告を利用した。

最高裁が認定した動機は借金返済のための金銭目的

最高裁判決によれば、木村は愛人との生活や競輪・競馬などによって生じた借金を抱えていた。その返済資金を得るため、女性を誘拐し、家族から身代金を取る計画を立てた。裁判所はこの動機を金銭欲に基づくものと評価し、量刑上酌むべき事情はないとした。

事件について「借金があった」という背景だけを示すと、犯行が突発的に生じたようにも読める。しかし確定判決が重視したのは、借金を返す手段として誘拐と身代金要求を選び、対象者への接触方法まで準備した計画性だった。

戸谷早百合さんは誘い出された当日に殺害された

木村は1980年12月2日、戸谷さんを誘い出して車に乗せ、あらかじめ用意した縄を使って殺害したと認定された。遺体は木曽川へ遺棄された。殺害後も木村は犯行を終えず、戸谷さんが生存しているかのように家族へ連絡し、身代金を要求し続けた。

ここで重要なのは、誘拐、殺害、身代金要求が同時に起きたわけではない点である。戸谷さんの生命がすでに奪われている一方、家族はその事実を知らされないまま、娘を取り戻すための対応を迫られた。

殺害後も3000万円の身代金要求が続いた

木村は戸谷さんの家族に対し、複数回にわたって3000万円の身代金を要求した。警察は12月下旬に公開捜査へ切り替え、事件は広く報道されるようになった。木村は翌1981年1月に逮捕されたが、この時点では戸谷さんの遺体はまだ発見されていなかった。

遺体が見つかったのは1981年5月である。誘拐事件として始まった捜査が、逮捕後も遺体捜索と殺人事件の立証へ続いたことになる。事件発生、身代金要求、公開捜査、逮捕、遺体発見はそれぞれ時点が異なる。

起訴されたのは誘拐だけではなく殺人・死体遺棄まで

木村は、身代金目的拐取、拐取者身代金要求、殺人、死体遺棄などの罪で裁かれた。最高裁の判例情報でも、これらの罪名が一連の事件として示されている。身代金を取るために誘拐し、被害者を殺害し、遺体を遺棄したうえで要求を続けた全経過が刑事責任の対象となった。

身代金目的拐取は被害者を連れ去った行為、拐取者身代金要求はその被害者を利用して金銭を要求した行為を指す。殺人や死体遺棄とは別の犯罪類型であり、本件の罪名が複数に及ぶ理由でもある。

名古屋地裁は1982年に死刑を選択

名古屋地裁は1982年3月23日、木村に死刑を言い渡した。弁護側は量刑の重さなどを争って控訴したが、名古屋高裁は1983年1月26日に控訴を棄却した。事件発生から一審まで約1年4か月、控訴審判決まで約2年1か月が経過している。

被害者は1人だったが、裁判所は被害者数だけで量刑を決めていない。身代金目的で計画された誘拐、殺害の準備、殺害後も続けた金銭要求、遺体遺棄などを一体として評価し、極刑が相当と判断した。

最高裁では死刑制度の合憲性や量刑も争われた

木村側は最高裁で、死刑制度に関する憲法上の主張や、事実認定・量刑について争った。最高裁第一小法廷は1987年7月9日、上告を棄却した。判決は犯行の計画性、金銭目的の動機、殺害と身代金要求の態様、被害結果などを挙げ、死刑を維持した。

最高裁は、木村に反省の態度があることや、重大な前科が多数あったわけではないことなども考慮した。それでもなお、犯行全体の性質と結果から死刑を是認せざるを得ないと判断している。量刑判断は不利な事情だけを列挙したものではなかった。

死刑は「上告取下げ」ではなく最高裁判決で確定

この事件では、一審死刑判決の後に控訴審、上告審まで審理が続いた。最高裁が上告を棄却したことで死刑が確定している。被告人が控訴や上告を取り下げて一審判決を確定させた事件とは、手続の経過が異なる。

「一審で死刑になった」と「死刑が確定した」は同じ意味ではない。本件では1982年3月の一審判決から、1987年7月の最高裁判決まで5年以上があり、その間に上級審が事実認定と量刑を審査した。

木村修治は死刑確定後に手記を残した

木村は死刑確定後、自身の生い立ちや事件を振り返る手記を残し、のちに書籍として刊行された。こうした手記は、本人がどのように自己を語ったかを知る資料にはなるが、裁判所が認定した事実と同じ位置づけではない。事件経過を確定事実として記述する際は、判決と区別する必要がある。

一方、死刑確定後の被告人が長期間にわたり自らの人生や犯行を文章化した点は、事件後の記録として残っている。裁判資料と本人の手記は、それぞれ異なる性格の資料として読むべきものだ。

1995年12月21日に死刑執行

木村の死刑は1995年12月21日に執行された。1980年12月の事件発生から約15年、1987年7月の死刑確定から約8年5か月後だった。刑の執行によって木村本人に対する刑事手続は終了している。

名古屋女子大生誘拐殺人事件を特徴づけるのは、家庭教師広告を利用した誘い出し、殺害後も続いた身代金要求、そして最高裁まで争われた量刑判断である。戸谷早百合さんが殺害された事実と、家族がその死を知らないまま身代金要求に対応させられた経過は、分けずに捉える必要がある。

戸谷さんの死亡を知らない家族が要求に対応した

身代金誘拐では、被害者本人だけでなく家族も犯罪の直接的な影響を受ける。本件では戸谷さんがすでに殺害されていた一方、家族はその事実を知らされないまま、娘が戻る可能性を信じて身代金要求への対応を迫られた。

最高裁が量刑で重視したのも、単に殺人が1件という数字ではない。誘拐のための準備、殺害、遺体遺棄、その後も続けた身代金要求までを一連の行為として捉え、被害者と家族の双方に及んだ結果を評価した。

遺体発見は逮捕より約3か月半後だった

木村は1981年1月に逮捕されたが、戸谷さんの遺体が発見されたのは同年5月5日だった。被疑者の身柄を確保した時点で事件の全容が明らかになったわけではなく、捜査はその後も遺体の所在や殺害・遺棄の状況を確認する作業へ続いた。

誘拐事件では被害者の安全確保が最優先となるが、本件では公開捜査の段階でも戸谷さんの死亡は家族にも社会にも分からなかった。殺害後に身代金要求を続けた行為が、捜査と家族の認識をさらに複雑にした。

最高裁は有利な事情も挙げたうえで死刑を是認

最高裁判決は、木村について反省の態度が見られることや、前科関係など本人に有利となり得る事情にも触れている。それでも、金銭目的で女性を選び、計画的に誘拐・殺害し、遺体を遺棄したうえで身代金要求を続けた行為の重大性が上回ると判断した。

死刑事件の判決理由を理解するには、不利な事情だけを集めるのでは足りない。裁判所が被告人に有利な事情も検討したうえで、それでも極刑を選択した理由を見ることで、量刑判断の構造が分かる。

参考資料・出典

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