不動産会社連続強盗殺人事件|山野静二郎が取引先2人から5100万円を奪い死刑確定、87歳で病死

公開日 2026年3月5日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1982年
都道府県
大阪府
事件分類
強盗・監禁・暴行事件 / 殺人事件
最終刑・処分
死刑

1982年3月、大阪府と滋賀県で、同じ不動産会社の社長と総務部長が4日間のうちに相次いで殺害された。山野静二郎は架空の不動産取引を持ちかけて2人を呼び出し、最初の事件で額面3000万円の小切手、2件目で現金2100万円を奪ったとして強盗殺人などに問われた。

大阪地裁は1985年に死刑を言い渡し、大阪高裁、最高裁もこれを維持した。死刑確定後も刑は執行されず、山野は大阪拘置所に収容されたまま2026年3月3日に87歳で死亡した。法務省発表による死因は多臓器不全だった。

事件名不動産会社連続強盗殺人事件
発生1982年3月21日・25日
主な発生地大阪府豊中市、滋賀県内
被害者芋野守さん(39)・高雄慶郎さん(56)
被告山野静二郎
被害2人死亡/額面3000万円の小切手・現金2100万円
一審1985年7月22日 大阪地裁・死刑
控訴審1989年10月11日 大阪高裁・控訴棄却
上告審1996年10月25日 最高裁第二小法廷・上告棄却
その後大阪拘置所に収容。2026年3月3日、87歳で死亡

資金繰りに窮した不動産会社経営者が取引先を標的にした

山野は大阪府内で不動産会社を経営していたが、事件当時は会社の資金繰りに行き詰まっていた。確定判決は、この金銭難を背景に、取引関係を利用して相手を呼び出し、多額の資金を奪う計画へ進んだと認定している。

標的となったのは、取引先だった不動産会社「ダイケン企業」の関係者だった。互いに面識があり、不動産取引の話を持ちかければ不自然ではない関係だったことが、被害者を人目の少ない場所へ誘い出すために利用された。

3月21日|芋野守さんを豊中市の事務所へ呼び出す

最初の事件は1982年3月21日午後0時20分ごろに起きた。山野は架空の不動産取引を持ちかけ、ダイケン企業社長の芋野守さん(当時39歳)を豊中市内にあった自分の会社事務所へ呼び出した。芋野さんは取引の手付金として、額面3000万円の小切手を持参していた。

判決によれば、山野は事務所内で芋野さんの後頭部を金属バットで殴り、さらに麻縄で首を絞めて窒息死させた。その後、小切手を奪い、遺体を車で大阪府豊能郡豊能町の山林まで運び、土中に埋めて発見を免れようとした。

奪った3000万円の小切手を同じ会社の高雄慶郎さんに現金化させる

最初の殺害後、山野が直面したのは、奪った小切手を現金へ換える必要だった。山野はダイケン企業の総務部長だった高雄慶郎さん(当時56歳)に小切手の現金化を依頼した。高雄さんは、芋野さんと同じ会社の幹部であり、山野と取引上の接点を持つ人物だった。

この過程で山野は、さらに高雄さんが持つ資金を奪う計画へ進んだ。最初の事件から4日しかたっておらず、芋野さんの失踪が表面化するなかで、同じ会社の幹部が次の被害者となった。

3月25日|滋賀県で高雄慶郎さんを殺害し2100万円を奪う

3月25日午前10時20分ごろ、山野は高雄さんを滋賀県内の分譲用別荘地へ誘い出した。確定判決は、ここでも金属バットで数回殴るなどして高雄さんを殺害し、手付金として持参させた現金2100万円を奪ったと認定した。

遺体は別荘地内に埋められた。2件を合わせると、奪われた金品は額面3000万円の小切手と現金2100万円で計5100万円に達する。いずれも取引を装って相手を呼び出し、殺害後に遺体を隠すという手順が取られていた。

一審の大阪地裁は1985年に死刑を選択

山野は強盗殺人、死体遺棄などの罪で起訴された。公判では犯行の計画性や殺意などが争われたが、大阪地裁は1985年7月22日、2人の生命を金銭目的で奪った結果と、犯行後の遺体隠蔽を重く評価し、死刑を言い渡した。

被害者はいずれも、山野との取引関係を前提に呼び出しに応じていた。金品を得るためにその信頼関係を利用したこと、1件目の直後に同じ会社の別の幹部を狙ったことは、量刑判断でも重要な事情となった。

大阪高裁も死刑を維持|1989年10月11日に控訴棄却

山野側は控訴したが、大阪高裁は1989年10月11日に控訴を棄却した。当時の判決報道は、芋野さんを金属バットで殴って首を絞め、小切手を奪ったこと、高雄さんからは2100万円を奪ったことなど、一審の認定を維持したと伝えている。

控訴審でも、会社の資金難を解消するために二つの強盗殺人を連続して実行した責任は極めて重いと判断された。山野はさらに最高裁へ上告し、量刑などを争った。

1996年10月25日、最高裁が上告を棄却

最高裁第二小法廷は1996年10月25日、山野の上告を棄却した。これにより死刑判決は維持され、その後の手続きを経て死刑が確定した。事件発生から最高裁判決まで約14年半が経過していた。

死刑確定後、山野は大阪拘置所に収容された。刑の執行には至らず、長期にわたって死刑確定者として収容が続いた。

2026年3月3日|大阪拘置所から搬送後に87歳で死亡

法務省によると、山野は2026年3月2日、収容先の大阪拘置所で朝食後に腹痛を訴え、腸閉塞の疑いで病院へ救急搬送された。翌3日午後1時50分ごろ、死亡が確認された。死因は多臓器不全と発表された。

死亡時87歳。1982年の事件から44年近く、最高裁の上告棄却から約29年が経過していた。刑の執行前に本人が死亡したため、山野に対する死刑執行は行われなかった。

2件を結ぶのは「取引への信用」を利用した金銭目的

この事件の特徴は、見知らぬ相手を無差別に襲ったものではなく、事業上のつながりを利用して被害者を呼び出した点にある。最初の被害者が持参した小切手を奪い、その現金化に関わった同じ会社の幹部を4日後に殺害したことで、二つの事件が一つの金銭目的の流れとして結び付いた。

裁判では、資金繰りの悪化という背景があったとしても、相手の生命を奪って事業資金を得ようとした動機に酌量の余地は乏しいとされた。2人が死亡し、遺体まで埋められた結果の重大性が、各審で死刑を維持する判断につながった。

最初の殺害後も通常の取引を装い、2件目へつながった

芋野さんを殺害した時点で、山野が手にしたのは現金ではなく額面3000万円の小切手だった。小切手を利用可能な資金に換えるには、発行元や取引先との接点を保つ必要がある。山野は芋野さんの会社との関係を切らず、高雄さんに現金化を依頼した。最初の事件を隠しながら、同じ会社の人物と接触を続けていたことになる。

高雄さんに小切手を現金化させた後、山野はさらに2100万円を持参させる形で滋賀県へ誘い出した。裁判で認定された二つの犯行は、それぞれ独立して偶然発生したものではない。最初の殺害で得た小切手、その処理に関わった高雄さん、追加の現金という流れが連続していた。

2人の遺体を別々の場所へ埋め、失踪に見せかけようとした

芋野さんの遺体は大阪府豊能町の山林へ運ばれ、高雄さんの遺体も滋賀県内の別荘地に埋められた。犯行現場に遺体を残さず、離れた場所へ運んで土中に隠した行動は、金品を奪った後の発覚防止まで見込んだものだった。

会社の社長と幹部が数日のうちに相次いで姿を消すという異常な状況の中で、捜査は2人の取引関係や金の流れを追った。山野と被害会社との取引、小切手の処理、被害者の足取りが結び付けられ、二つの事件は同一人物による連続強盗殺人として立件された。

死刑判断では2人の死亡、利欲目的、周到な隠蔽が重視された

量刑では、死亡した被害者が2人であることに加え、事業上の信用を利用して呼び出したこと、金属バットや絞頸によって殺害したこと、遺体を埋めて隠したことが重く評価された。最初の事件から4日後に次の被害者を狙った点も、犯行を思いとどまる機会がありながら再び殺害へ進んだ事情として重大だった。

山野の会社が資金難にあったことは犯行の背景ではあるが、裁判所はそれを死刑を回避させる事情とはしなかった。金を得るために取引先2人の生命を奪い、合計5100万円相当を得た結果の重大性から、一審以降、結論は死刑で一貫した。

死刑確定後は長期収容となり、執行されないまま死亡

1996年の上告棄却後、山野は大阪拘置所で死刑確定者として収容された。2026年3月の死亡まで約29年半にわたり刑の執行には至らなかった。法務省の発表では、死亡前日の朝食後に腹痛を訴え、その日の午後に腸閉塞の疑いで外部病院へ搬送されている。

翌3日に多臓器不全で死亡し、死刑確定者のまま生涯を終えた。事件当時43歳だった山野は87歳になっていた。二つの殺人の刑事責任は死刑判決として確定していたが、その刑が実際に執行されることはなかった。

事件発生から最高裁まで14年超|長期化した審理

事件が起きた1982年から一審判決までは約3年、控訴審判決まではさらに4年余り、最高裁の上告棄却まではそこから約7年を要した。重大事件では、犯行の事実認定だけでなく、殺害の計画性、金銭目的、供述の信用性、死刑を選択することの相当性が各審で検討されるため、確定まで長期間を要することがある。

山野事件でも、第一審の死刑判決がそのまま直ちに確定したわけではない。大阪高裁で控訴審が行われ、さらに最高裁で上告審が続いた。その結果として1996年に死刑が維持され、事件発生から14年以上を経て刑事裁判の結論が確定した。

被害額5100万円より重かった、2人の生命を奪った結果

事件は「5100万円を奪った事件」として整理されることが多いが、裁判で最も重く扱われたのは財産的被害の大きさだけではない。取引先の社長と総務部長という2人を、金を得る目的で別々に呼び出し、殺害した結果そのものが刑事責任の中心だった。

金品の額は利欲目的の強さや計画性を示す事情の一つであり、遺体を埋めた行為は犯行後の隠蔽を示した。これらを総合して、一審から最高裁まで死刑が維持された。山野が2026年に病死した後も、司法判断として残るのは、この2件について確定した強盗殺人・死体遺棄の有罪判断である。

参考資料・出典

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