群馬2女性殺人事件|仮釈放中に農作業中の女性を相次ぎ殺害

公開日 2026年8月14日
最終更新 2026年8月14日
カテゴリー 1980年代 性犯罪 死刑 殺人事件

1981年10月と1982年7月、群馬県内で農作業をしていた56歳と79歳の女性が相次いで殺害された。最初の事件では性的暴行を受けた女性が口封じのために殺され、2件目では声を上げた女性が山林へ連れ込まれて首を絞められた。いずれも篠原徳次郎が実行したと認定された。

篠原は過去にも女性に対する性的暴行、殺人、死体遺棄で無期懲役となり、仮釈放中だった。警察は1件目の後に篠原を重要な捜査対象として監視していたが、一時的に姿を見失った間に2件目が発生した。1988年5月に死刑が確定し、1995年12月21日に東京拘置所で執行された。

事件名群馬2女性殺人事件
事件期間1981年10月2日、1982年7月3日
発生場所群馬県境町、宮城村周辺
被害農作業中の女性2人(56歳、79歳)が死亡
被告人篠原徳次郎(事件当時54歳)
現在の状況1988年5月20日に死刑確定、1995年12月21日に執行

無期懲役から仮釈放された後の生活

篠原には、本件以前から重大な犯罪歴があった。強盗致傷で懲役8年に処せられたほか、女性への性的暴行、殺人、死体遺棄などで無期懲役の判決を受けていた。その後に仮釈放され、地域で生活していた時期に2件の殺人を起こした。

仮釈放は刑の終了ではなく、一定の条件と監督のもとで社会生活へ戻る制度である。篠原の場合、過去の事件と同じく女性への性的な接近から殺害へ至る行為が繰り返されたことが、裁判で再犯性を判断する重要な要素となった。

事件当時、篠原は定職を失っていた。農作業をする女性を単独で見かけると接近し、人目が少ない場所や時間を利用した。被害者とは面識がなく、日常の仕事をしていたところを突然狙われた。2件は約9か月離れているが、被害者の状況と犯行後の口封じという点に共通性があった。

篠原が仮釈放された後、過去の刑はなお効力を持ち、社会内で再犯を防ぐことが期待されていた。ところが、女性が一人で作業する場所へ近づく行動を再び選んだ。過去の服役経験が犯行の抑止にならなかったことは、後の死刑判断で特に重く受け止められた。

境町で56歳女性に性的暴行を加え殺害

1981年10月2日、篠原は群馬県境町の畑で農作業をしていた56歳の女性を見つけ、性的暴行を加えようとした。周囲から音がしたため行為を途中でやめたが、女性にはすでに傷害を負わせていた。通報されれば自分が特定されると考え、犯行を隠すために殺害を決めた。

篠原は手拭いなどで女性の首を強く締め、さらに鋭利な小刀で胸部などを繰り返し刺した。性的な目的で近づいた後、被害者の生命より自分の発覚回避を優先し、口封じのために攻撃を重ねたと認定された。

女性は畑で通常の農作業をしていただけで、篠原との間にトラブルや接点はなかった。周囲から聞こえた物音が最初の暴行を止める契機になっても、篠原はその場を去らず、証拠を残さないために殺害へ進んだ。最高裁はこの経過を執拗で非道な犯行と評価した。

最初の現場では、被害者が性的暴行を受けた痕跡と、首を絞められ刃物で攻撃された状況が確認された。殺害方法が複数に及んだことから、篠原が被害者の死亡を確実にしようとしたと判断された。犯行を途中でやめる機会がありながら、発覚回避を優先した。

被害者は自宅や職場ではなく、日常的に利用する畑で襲われた。農地は開けているように見えても、作物や地形によって周囲から見えにくい場所があり、単独作業の時間帯には助けを呼びにくい。篠原はその状況を利用して接近した。

1件目の捜査で篠原が重要対象となる

警察は現場の状況、被害者の行動、周辺で目撃された人物などを調べ、過去に同種の性犯罪と殺人で服役していた篠原へ注目した。篠原は重要な捜査対象となり、警察官による監視と尾行が続けられた。

しかし、決定的な証拠を得るまで直ちに逮捕することはできなかった。過去の前科や不審な行動だけでは、本件の犯人と断定できないためである。警察は行動確認を続けながら、1件目と篠原を結び付ける証拠を集めていた。

この期間、篠原は自分が監視されている可能性を認識していたとみられる。それでも女性への接近をやめず、約9か月後に再び事件を起こした。後の控訴審では、警察が監視中に篠原を見失ったことを量刑上どう扱うかが弁護側から問題にされた。

警察の監視は、篠原の自由を直ちに奪う逮捕とは異なり、公共の場所で行動を確認しながら証拠を集めるものだった。捜査員が常に至近距離で追跡すれば警戒されるため、一定の距離を保つ必要もあり、その隙が2件目の発生につながった。

監視の間隙に79歳女性を山林へ連れ込む

1982年7月3日、篠原は群馬県宮城村周辺で農作業をしていた79歳の女性へ背後から声を掛けた。女性が驚いて大声を上げると、警察へ知られることを恐れ、女性を人目につきにくい山林へ引き込んだ。

篠原は手拭いなどで女性の首を絞め、窒息死させた。死亡後には遺体へ性的な行為を加えた。女性は高齢で、突然山林へ連れ込まれた状況から逃れることが難しかった。1件目と同様、篠原の接近に対して声を上げたことが、口封じの殺害へ結び付けられた。

当時、尾行していた警察官は、篠原が自転車を降りて山中へ入った際に短時間見失っていた。その間に2件目が起きた。篠原は帰宅途中に警察官から職務質問を受け、身柄を確保された。捜査は2件目の現場確認とともに、1件目との共通性を改めて検討する段階へ進んだ。

2件目の被害者が大声を上げたことに対し、篠原はその場を離れるのではなく、山林へ引き込んで殺害した。最初の事件から警察の捜査を意識していたため、通報されることへの恐れが強く、自己保身のために被害者の生命を奪う選択をしたと認定された。

2件目の現場が山林内だったことから、警察は篠原が入った場所と出てきた場所をたどり、被害者の発見位置や所持品を確認した。尾行の記録と現場鑑定が近い時間軸で結び付き、篠原の説明に不自然な点があることが明らかになった。

職務質問と取調べから2事件を立件

篠原が山林から戻った直後に職務質問を受けたことで、犯行時刻の行動、衣服や所持品、被害者との接触を確認できた。警察は現場の遺留物と篠原の説明を照合し、2件目の殺人について逮捕した。

その後、1件目についても捜査が進み、篠原の行動範囲、犯行方法、供述などから同一人物による事件と判断された。1件目では性的暴行による傷害と殺人、2件目では殺人が起訴対象となった。被害者が異なり、犯行の細部にも違いがあったが、女性へ接近し、発覚を恐れて首を絞めるという行動は共通していた。

捜査時には、過去の犯罪歴が強い先入観にならないよう、本件ごとの証拠が必要だった。一方、量刑段階では、無期懲役の仮釈放中に同種の事件を繰り返した事実が、改善可能性と社会内処遇の限界を判断する材料となった。

逮捕後の取調べでは、2件の発生場所と時間、篠原の移動、被害者への接近方法が確認された。篠原は一部の事実を争ったが、現場状況と行動記録から両事件への関与が認定された。警察の監視記録は、2件目の直前と直後の動きを示す資料となった。

計画性の乏しさを考慮しても死刑と判断

1983年12月、前橋地方裁判所は篠原に死刑を言い渡した。精神鑑定では爆発的な性格傾向や意思の弱さなどが指摘されたが、善悪を判断し行動を制御する能力は認められた。犯行は事前に被害者を選んで準備したものではなく、短絡的、衝動的な面があった。

弁護側は控訴審で、2件目は警察が尾行を続けていれば防げた可能性があると主張した。東京高等裁判所は、山中へ入った篠原を一時見失ったことを警察の重大な落ち度と評価することはできず、まして篠原本人の刑を軽くする事情にはならないとした。

1988年5月20日、最高裁は上告を棄却した。約9か月の間に落ち度のない女性2人を殺害したこと、1件目で性的暴行の発覚を防ぐため攻撃を重ねたこと、2件目で山林へ連れ込み殺害したこと、過去の無期懲役と仮釈放中の再犯を重視した。計画性が乏しく反省を示していたとしても、死刑はやむを得ないとされた。

最高裁は、被害者を事前に選んだ計画的犯行ではない点と、篠原が反省を述べていた点を有利な事情として検討した。それでも、2人を殺害した結果、犯行方法、過去の同種前科、仮釈放中の再犯を合わせると、無期懲役を再び選ぶ余地はないと結論付けた。

一審で指摘された人格傾向は、医学的な病気を理由に責任能力を否定するものではなかった。篠原は警察沙汰を避ける目的を理解し、被害者を人目のない場所へ移し、帰宅しようとしていたため、行動を選択する能力は保たれていたとされた。

被害者2人の年齢や生活状況は異なったが、いずれも農作業中に突然襲われた。篠原は被害者との人間関係や金銭トラブルから犯行に及んだのではなく、自身の性的欲求と発覚回避のために無関係の女性を選んだ。

死刑確定から7年後に執行

死刑確定後、篠原は東京拘置所に収容された。1995年12月21日、死刑が執行され、68歳で死亡した。最高裁判決から執行まで約7年7か月だった。

2件目が警察の監視中に起きたことから、捜査機関の対応も注目された。しかし刑事裁判では、監視の成否と篠原自身の責任は区別された。警察が一時的に姿を見失ったとしても、女性を山林へ連れ込み殺害した意思決定は篠原が行ったものであり、責任を軽減する理由にはならなかった。

事件の法的評価では、被害者数だけでなく、無期懲役後の仮釈放中だったこと、過去と共通する性的な動機、被害者の通報を防ぐための殺害が反復されたことが重く見られた。死刑執行により刑事手続は終結している。

執行時点で、篠原の有罪判決や死刑判決を変更する再審開始決定は出ていなかった。法的には1988年の最高裁判決で死刑が確定した状態のまま、1995年に刑が執行された。

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