群馬2女性殺人事件|仮釈放中に2人を殺害、篠原徳次郎の死刑確定と執行

公開日 2026年8月14日
最終更新 2026年8月28日
カテゴリー 1980年代 性犯罪 死刑 殺人事件

事件ステータス

発生年月日
1981年
都道府県
群馬県
事件分類
性犯罪 / 殺人事件
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1981年10月2日と1982年7月3日、群馬県内で農作業をしていた女性2人が相次いで殺害された。被害者は光山さださん(56)と阿久沢タキさん(79)。2件の殺人で死刑となった篠原徳次郎は、過去の女性殺害事件で無期懲役となった後に仮釈放されており、その期間中に再び重大事件を起こした。

最高裁第二小法廷は1988年5月20日、一、二審の死刑判断を維持して篠原の上告を棄却した。死刑確定から約7年半後の1995年12月21日、篠原に対する刑が執行された。

事件名群馬2女性殺人事件
発生日1981年10月2日/1982年7月3日
発生場所群馬県佐波郡境町(当時)/勢多郡宮城村(当時)
被害者光山さださん(56)、阿久沢タキさん(79)
被告人篠原徳次郎
前歴1959年の女性殺害事件で無期懲役、1976年に仮釈放
上告審1988年5月20日、最高裁第二小法廷が上告棄却
確定刑死刑
執行1995年12月21日

無期懲役で服役した後、1976年に仮釈放されていた

篠原には、今回の2事件より前にも女性を殺害した前歴があった。1988年の最高裁判決を報じた当時の新聞記事によると、1959年に若い女性を襲って殺害し、無期懲役判決を受けて服役した後、1976年に仮釈放されていた。

それから約5年後、篠原は再び女性を対象とする事件を起こした。後の量刑判断では、短期間に2人の生命を奪ったことだけでなく、無期懲役からの仮釈放中だったことも重い事情となった。

1981年10月、桑畑で作業していた光山さださんを殺害

最初の事件は1981年10月2日、当時の群馬県佐波郡境町で起きた。光山さださんは桑畑で農作業をしていたところを篠原に襲われた。

一、二審判決を伝えた当時報道では、篠原は光山さんに性的暴行を加えた後、手ぬぐいで首を絞め、小刀で刺して殺害したとされる。農作業中だった光山さんと篠原の間に、犯行を招くような事情は認められていない。

9か月後、除草作業中の阿久沢タキさんも殺害された

2件目は1982年7月3日、当時の群馬県勢多郡宮城村で発生した。阿久沢タキさんは畑で除草作業をしており、篠原は阿久沢さんを手ぬぐいで絞めて窒息死させた。

2つの殺人は約9か月の間隔で起きている。被害者はいずれも農作業中の女性で、最高裁はこの短い期間に落ち度のない2人を殺害した結果を極めて重大と評価した。

2人の殺害が立件され、一・二審はいずれも死刑を選択

捜査の結果、篠原は2人を殺害した事件で起訴された。前橋地裁は死刑を言い渡し、控訴審の東京高裁もその判断を維持したため、弁護側は最高裁に上告した。

上告審で中心となったのは、すでに下級審が認定した犯行の重大性を踏まえても死刑が重すぎるかどうかという量刑判断だった。最高裁第二小法廷は、篠原に有利な事情を考慮しても極刑を回避できる事件ではないと判断した。

最高裁は「わずか9か月間に女性2人を殺害」と重視した

1988年5月20日、最高裁第二小法廷は篠原の上告を棄却した。当時の判決報道では、最高裁は「わずか九か月間」に2人を殺害した点、被害者に落ち度がなかった点、犯行の動機に酌量の余地がない点を挙げ、一、二審の死刑判決を支持した。

さらに、篠原は過去の殺人事件で無期懲役となり、仮釈放後に今回の犯行に及んでいる。刑罰を受け社会復帰した経歴がありながら再び2人の生命を奪ったという事実は、刑事責任の重さを判断するうえで大きな意味を持った。

1988年に死刑確定、1995年12月21日に執行

最高裁の上告棄却によって死刑が確定した後、篠原は約7年半にわたり確定死刑囚として拘置された。アムネスティ・インターナショナルの記録では、篠原徳次郎は68歳だった1995年12月21日に、木村修治、平田直人とともに死刑を執行された。

事件発生からみると、最初の殺害から約14年後、2件目から約13年後の執行だった。群馬県内で短期間に起きた2件の殺人は、無期懲役から仮釈放された人物による再犯という経緯を含め、最高裁まで死刑の当否が審理された事件となった。

1件目の後、篠原は捜査対象として監視されていた

後年の死刑事件記録では、光山さん殺害後、警察は篠原を重要な捜査対象として監視・尾行していたとされる。ところが1982年7月3日、監視が途切れた時間帯に篠原は外出し、阿久沢さんが殺害された。2件目は、最初の事件の捜査が続く最中に起きたことになる。

同資料では、篠原は2件目の犯行後、帰宅途中に尾行中の警察官から職務質問を受け、その後逮捕されたとされる。短期間に似た状況で女性2人が殺害されたことから、2事件を一体として捜査・公判が進んだ。

前橋地裁の死刑判決から東京高裁、最高裁へ

篠原には1983年12月16日、前橋地裁で死刑判決が言い渡された。1985年1月17日、東京高裁は控訴を棄却して一審の死刑を維持し、篠原側は上告した。

最高裁での判断は1988年5月20日だった。第一審判決から約4年5か月を経て上告が棄却され、死刑が確定した。当時報道は、この年に最高裁で死刑が確定した5人目の被告だったと伝えている。

量刑では過去の無期懲役と仮釈放後の再犯も重く見られた

今回の2事件だけを切り離しても、約9か月の間に2人が死亡した結果は重大だった。そこに、篠原が過去の女性殺害事件で無期懲役を受け、約17年間の服役を経て仮釈放された後の犯行だったという事情が重なった。

裁判では、犯行時の精神状態や計画性など篠原側に有利となり得る事情も審理されたが、下級審から最高裁まで死刑判断は変わらなかった。仮釈放によって社会生活へ戻った後に再び生命を奪う犯罪を重ねた経過が、最終的な量刑判断の背景にあった。

参考資料・出典

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