金嬉老事件|2人射殺から寸又峡の人質籠城、無期懲役と韓国移送後まで

公開日 2026年9月26日
最終更新 2026年8月31日

事件ステータス

都道府県
静岡県
事件分類
強盗・監禁・暴行事件 / 殺人事件

1968年2月20日、金嬉老は静岡県内で男性2人をライフル銃で射殺した後、寸又峡温泉の旅館へ逃げ込み、宿泊客らを人質にして籠城した。警察と報道陣が旅館周辺へ集まり、金自身も取材や電話を通じて在日韓国・朝鮮人への差別を訴えた。

金は2月24日に逮捕され、1975年に無期懲役が確定した。刑務所で約24年を過ごした後、1999年に仮釈放され韓国へ移送されたが、翌年には交際女性をめぐる脅迫・監禁・放火事件で再び逮捕された。2010年、韓国で死亡している。

事件の基本情報

発生日1968年2月20日
場所静岡県清水市周辺、寸又峡温泉
被害男性2人死亡
被告人金嬉老
立てこもり寸又峡の旅館で宿泊客らを人質
逮捕1968年2月24日
判決無期懲役
確定1975年、最高裁で上告棄却
その後1999年仮釈放・韓国移送、2010年死去

発端は金銭トラブルで、男性2人が射殺された

事件の発端には、金と暴力団関係者との金銭をめぐる対立があった。1968年2月20日、金は静岡県内で男性2人をライフル銃で射殺し、銃や弾薬、爆発物を持ったまま逃走した。

最初の2人射殺と、その後の寸又峡での政治的・社会的な主張は時系列上分かれている。籠城中に民族差別への抗議が前面に出た一方、殺人事件の直接の発端には具体的な金銭トラブルがあった。

寸又峡の旅館で宿泊客らを人質に取り、警察と対峙した

金は山間部の寸又峡温泉にある旅館へ入り、宿泊客や従業員らを人質にして籠城した。周囲には多数の警察官が配置され、テレビ・新聞の報道陣も殺到した。

金は取材陣を通じて自らの主張を発信し、警察との交渉も報道され続けた。現在の立てこもり事件と比べ、報道陣が現場へ近接していたこと自体が当時の報道環境を示している。

籠城中、民族差別と警察官の発言への謝罪を要求した

金は在日韓国・朝鮮人に対する差別や、過去の警察官による差別的発言を問題にし、警察側の謝罪を要求した。警察幹部の謝罪がテレビで放送されるなど、殺人・人質事件の交渉と差別問題が同じ報道空間で扱われた。

この主張によって金を支持する知識人や文化人も現れたが、刑事裁判では差別問題とは別に、2人射殺、監禁、爆発物関係など具体的な犯罪事実が審理された。

4日後、報道陣に紛れた捜査員が接近して逮捕した

籠城は2月24日まで続いた。金の要求に応じた謝罪放送の後、警察は身柄確保に動き、報道関係者に紛れて接近した捜査員らが金を取り押さえた。人質は解放され、長時間の立てこもりは終結した。

事件は、犯罪者がマスメディアを利用して主張を発信した早い事例としても語られる。現場中継が捜査や人質の安全に与える影響は、その後の事件報道でも繰り返し問題となった。

静岡地裁の無期懲役が、1975年に最高裁で確定した

1972年6月、静岡地裁は金に無期懲役を言い渡した。弁護側は控訴し、検察側も量刑や差別問題の扱いを争い、最終的に最高裁まで審理が続いた。

1975年に一審の無期懲役が確定した。2人が死亡し多数の人質を取った事件だったが、死刑判決ではなく無期懲役が最終刑となった。

刑務所で約24年を過ごし、1999年に仮釈放され韓国へ移った

無期懲役確定後、金は約24年間を刑務所で過ごした。1968年の逮捕から1999年の仮釈放までは約31年に及ぶが、その期間には判決確定前の未決勾留と裁判期間も含まれる。

1999年、金は仮釈放され韓国へ移送された。無罪になったのではなく、無期懲役受刑者として仮釈放された後、日本を離れたという法的経過である。

韓国移住後、脅迫・監禁と放火を伴う事件で再び逮捕された

韓国では、金を日本で民族差別と闘った人物として歓迎する動きがあった。しかし2000年、交際していた既婚女性をめぐるトラブルから、その夫を竹やりで脅して監禁し、住居に放火する事件を起こして逮捕された。

日本での1968年の射殺・籠城事件と、韓国移住後の事件は別の刑事事件であり、使用された手段も異なる。金はその後も韓国で生活し、2010年3月に釜山で死亡した。

報道陣が旅館内へ入り、金がカメラの前で主張する異例の状況が続いた

寸又峡の現場では、テレビや新聞の記者が金へ接触し、取材内容が連日報道された。金は報道機関を通じて自らの要求や差別体験を語り、立てこもり事件そのものが社会問題を発信する舞台にもなった。

現在の人質事件では犯人に捜査状況を知らせないため中継を抑制することがあるが、当時は現場取材と警察交渉の距離が非常に近かった。逮捕時に捜査員が報道陣へ紛れたのも、この特殊な環境を利用したものだった。

裁判では民族差別の背景も語られたが、殺人の有罪認定は維持された

一審判決は金が在日韓国・朝鮮人として受けた差別経験にも触れたとされる。しかし、差別経験が存在したことによって2人射殺や人質監禁の刑事責任が消えるわけではなく、無期懲役の有罪判決となった。

弁護側と検察側の双方が上級審で争ったが、最終的に一審の無期懲役が維持された。社会的背景を量刑事情として考慮することと、犯罪成立を認めることは両立した。

2010年に釜山で死亡し、波乱の人物史が終わった

韓国で再び刑事事件を起こした後も、金は日本での差別体験や寸又峡事件について取材を受けることがあった。韓国社会での評価も一様ではなく、英雄視する見方と、殺人・人質事件の加害者として批判する見方が併存した。

2010年3月、金は釜山で死亡した。1968年の射殺事件から40年以上に及ぶ人物史は、日本での無期懲役、仮釈放、韓国移住後の再犯まで続いた。

参考資料・出典

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