1926年8月20日未明、千葉県香取郡久賀村高津原の一帯で、短時間のうちに殺人、放火、巡査への襲撃が続いた。中心にいたのは、荷馬車引きをしていた岩淵熊次郎(35)だった。
熊次郎は吉沢ケイさん(27)と岩井長松さん(49)を殺害して山林へ逃げ込み、その後も捜索中の河野昱太郎巡査(24)が死亡した。警察と消防組が大規模な捜索を続けても身柄を確保できず、逃走は42日間に及ぶ。
この事件が後世まで「鬼熊事件」と呼ばれる背景には、犯行そのものだけでなく、新聞が逃走中の熊次郎を連日大きく扱ったことがある。「神出鬼没」の逃亡者として人物像が膨らみ、事件は大正末期の大規模なメディア現象へ変わっていった。
| 事件名 | 鬼熊事件 |
|---|---|
| 発生 | 1926年8月20日未明 |
| 主な場所 | 千葉県香取郡久賀村周辺 |
| 逃走者 | 岩淵熊次郎(35) |
| 死亡者 | 吉沢ケイさん、岩井長松さん、河野昱太郎巡査 |
| その他の被害 | 吉沢さんの祖母、消防組員2人、山越信司巡査らが負傷 |
| 主な行為 | 殺人、放火、警察官襲撃など |
| 逃走期間 | 42日間 |
| 死亡 | 1926年9月30日 |
| 刑事裁判 | 一連の事件では身柄確保前に死亡し、裁判に至らず |
8月20日午前0時半ごろ、吉沢ケイさんが襲われた
発端となったのは、久賀村高津原にあった居酒屋「上州屋」周辺だった。当時の捜査資料を基にした記録では、熊次郎は午前0時半ごろ、以前から関係のあった吉沢ケイさんを店から外へ連れ出し、殴打したうえで薪などを使って襲った。
ケイさんは死亡し、止めに入った68歳の祖母も重傷を負った。熊次郎とケイさんの関係は約4年続いていたが、ケイさんには別の若い交際相手がいたとされ、この関係をめぐる対立が事件直前まで続いていた。
放火、消防組員への襲撃、駐在所から軍刀を奪う
熊次郎はそのまま現場を離れ、菅沢種雄さん宅へ向かって火を放った。消火に来た消防組員2人が熊次郎に鍬で襲われ、負傷している。短時間のうちに、殺人から放火、救助に入った者への攻撃へと行動が拡大した。
さらに、向後国松巡査が現場へ出て無人となっていた駐在所へ入り、備え付けの軍刀を持ち出した。警察官が捜索へ動き始めた時点で、熊次郎は刃物を携えたまま村内を移動していた。
岩井長松さんを軍刀で殺害、巡査とも格闘した
午前3時ごろ、熊次郎は岩井長松さん(49)と遭遇し、駐在所から持ち出した軍刀で襲って殺害した。事件発生から数時間のうちに、死亡者は2人となった。
午前4時ごろには山越信司巡査(35)と出会い、軍刀で頭部を切りつけて格闘になった。熊次郎は巡査の指をかむなどして抵抗し、追跡を振り切って山林へ逃げ込む。この時点で、2人死亡、複数人負傷、放火という重大事件になっていた。
事件の2日前に釈放されていた熊次郎
事件は突然始まったように見えるが、熊次郎とケイさんの間では以前から衝突が起きていた。1926年7月、熊次郎は包丁を持ってケイさんを脅したとして逮捕され、八日市場裁判所で懲役3カ月、執行猶予3年の判決を受けた。
熊次郎が釈放されたのは8月18日。事件のわずか2日前だった。翌19日夜、ケイさんの新たな交際相手とみられる男性を目にしたことが感情を決定的に悪化させたと、当時の警察記録は整理している。
約166平方キロの捜索範囲が、逃走を長期化させた
熊次郎が逃げ込んだ周辺には、旧来の馬の放牧地を含む広大な原野や林が広がっていた。警察資料では捜索範囲は約166平方キロに及び、住宅もまばらだったとされる。
現在のような無線通信や車両による即時連携はなく、連絡の多くは徒歩や自転車に頼った。熊次郎は土地勘を生かして林や集落の間を移動し、捜索隊が到着する前に姿を消すことを繰り返した。
数百人規模から数千人規模へ膨らんだ捜索
8月27日には警察官と消防組員を合わせた大規模な捜索が行われ、9月1日には警察官約280人に加え、消防組員約3000人が動員されたと記録されている。県警察部長の指揮下で広い範囲を包囲したが、熊次郎を捕らえることはできなかった。
捜索規模が大きくなるほど、熊次郎の動向は新聞の一面を飾るようになった。発見情報が出るたびに人員が動き、実際には別人だったという例もあった。事件は捜査と報道が同時に過熱する状態へ入っていく。
新聞が「殺人鬼」から「鬼熊」へ呼び名を変えた
逃走初期の新聞では「殺人鬼熊次郎」などと書かれていたが、やがて「鬼熊」という短い呼び名が定着した。千葉県内の新聞では8月下旬から「出没自在の鬼熊」といった見出しが現れ、全国紙も追随した。
本名より呼称が前面に出たことで、熊次郎は現実の逃走者であると同時に、新聞上のキャラクターのように扱われていった。「神出鬼没」という表現も繰り返され、逃亡の経過そのものが日々のニュースになった。
住民の一部は熊次郎に食べ物を渡していた
捜索が長引いた理由には、地形や警察側の通信事情だけでなく、地域社会との関係もあった。後年の記録では、熊次郎が農家などから食べ物を得ていたことや、住民の一部が積極的に通報しなかったことが伝えられている。
新聞報道が熊次郎を反権力的な人物として面白がる空気を作り、地域では「来たら飯を食わせる」と語る者まで現れた。3人が死亡する事件でありながら、逃走者への奇妙な親近感が一部で生まれたことは、この事件特有の社会現象だった。
9月11日、河野昱太郎巡査が捜索中に死亡
逃走から3週間ほどたった9月11日夜、五木田家付近で熊次郎を見つけたのが河野昱太郎巡査(24)だった。河野巡査は追跡したが、熊次郎が振るった大鎌で首を切られ、死亡した。
これにより、一連の事件で確認できる死亡者は吉沢ケイさん、岩井長松さん、河野昱太郎巡査の3人となった。警察官が捜索中に命を落としたことで、捜査当局の警戒はさらに強まり、河野巡査を支援するための募金も行われた。
逃走劇は映画や歌にまでなり、事件の実像から離れていった
熊次郎の逃走は、新聞記事だけにとどまらなかった。事件を題材にした歌や映画が作られ、海外紙でも取り上げられたと当時の記録に残る。新聞社は伝書鳩まで使って速報を競い、熊次郎の出没情報は娯楽的な熱狂を帯びていった。
一方で、実際には3人が死亡し、複数人が負傷している。報道が作った「神出鬼没の鬼熊」という像と、殺人や放火、警察官襲撃を伴う事件の実態との間には大きな隔たりがあった。
新聞社は伝書鳩まで使い、発見情報を競って送った
当時は電話網が現在ほど整っておらず、現場から速報を送ること自体が難しかった。それでも各紙は記者を現地へ送り、伝書鳩まで使って熊次郎の目撃情報や捜索の動きを本社へ届けた。逃走事件は、報道各社の速報競争そのものを加速させた。
目撃談の中には誤認も多く、熊次郎が現れたという情報で捜索隊が移動しても空振りに終わることが繰り返された。こうした情報の錯綜が「どこにでも現れ、すぐ消える」という人物像をさらに強め、実際の捜査経過以上に神秘化された側面があった。
警察は9月28日、捜索の重点を変えた
大規模な山狩りを続けても成果が出ない中、警察は9月28日ごろから捜索方法を転換した。広い地域を一斉に探すだけでなく、熊次郎が食料や援助を求めて接触しそうな人物や場所を意識した警戒へ比重を移した。
ところが、そのころ熊次郎はすでに地域の有力者や知人らと接触し、投降や自殺について話していた。数千人を投入した正面からの捜索とは別の場所で、逃走の終わりに向けた動きが進んでいたことになる。
9月下旬、熊次郎は自ら死ぬ意向を周囲へ漏らしていた
9月18日には米や鶏を盗み、翌19日には農家で鶏飯を食べたとされる。その後も逃走を続けたが、9月25日ごろからは知人らに自殺する意向を語るようになった。
地域の有力者らは熊次郎に投降を勧め、新聞記者の坂本斉一も本人と接触している。熊次郎は9月28日に首を切るなど自殺を図ったが、その場では死亡しなかった。最終局面には、逃走を助けたり自殺を助長したりした周囲の人物も関わっていた。
9月30日、家族の墓の近くで瀕死の状態で見つかった
逃走42日目の9月30日早朝、熊次郎は家族の墓の近くで瀕死の状態で発見された。兄の家へ運ばれたものの、正午前に死亡した。首には刃物による傷があり、毒物を摂取していたとみられている。
後の調査では、親族らがストリキニーネを用意し、熊次郎が口にできる形で渡した経緯も明らかになった。単独で逃げ続け、最後に一人で自殺したという単純な結末ではなく、終盤には周囲の者の援助が介在していた。
事件発生から42日間、警察は熊次郎を一度も逮捕できなかった
8月20日の連続襲撃から9月30日の死亡まで、熊次郎は警察の包囲を何度も抜けた。捜索中に巡査が死亡し、大規模な山狩りが繰り返されたにもかかわらず、最後まで逮捕には至っていない。事件の「42日間」は、単なる潜伏期間ではなく、捜索側にも新たな被害が生じた逃走期間だった。
一連の事件は刑事裁判による事実認定を受けていない
熊次郎は一連の殺人、放火、警察官襲撃について逮捕・起訴される前に死亡した。そのため、これらの行為について刑事裁判で有罪判決が出たわけではない。
現在伝わる具体的な経過は、警察の捜査記録、当時の新聞、後年の取材資料を照合して復元されたものになる。事件前の脅迫については裁判を受けていたが、8月20日以降の一連の事件は司法判断に到達しなかった。
参考資料・出典
- 文春オンライン「『熊次郎出た!』老若男女が“鬼熊”に熱狂した大正末期の42日間」
- 文春オンライン「『鬼熊が来たらメシでも食わせてやれ』なぜ人々は殺人犯をかくまったのか」
- コトバンク「岩淵熊次郎」
- CiNii Research「世紀の鬼熊遂に自殺す」
- CiNii Research「坂口安吾『残酷な遊戯』論―鬼熊事件との関連について―」
関連事件
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