1997年1月14日、東京都多摩市貝取1丁目65番地の道路にあるマンホール内から、30代女性の遺体が発見された。女性は前年2月、勤務先を出て同僚と別れたのを最後に行方が分からなくなっていた。
警視庁は、女性が失踪して間もない時期に殺害され、遺体をマンホール内へ隠された可能性が高いとみて特別捜査本部を設置した。捜査で強く注目されたのは、女性が行方不明になった直後の夜、現場のマンホール前に工事用バリケードを置き、ワゴン車を停めていた男性の目撃情報だった。事件から30年近くが過ぎた現在も、この男性や当時の現場周辺の動きについて情報提供が呼びかけられている。
| 遺体発見 | 1997年1月14日 |
|---|---|
| 発見場所 | 東京都多摩市貝取1丁目65番地のマンホール内 |
| 被害者 | 多摩市内居住の30代女性 |
| 失踪 | 1996年2月、勤務先を出て同僚と別れた後 |
| 遺体の状態 | 着衣あり、腐敗が進み死後数か月以上 |
| 捜査本部 | 多摩市貝取一丁目マンホール内失踪女性殺人・死体遺棄事件特別捜査本部 |
| 重要な目撃 | 1996年2月下旬の夜、工事用バリケード・ワゴン車・男性 |
| 担当 | 警視庁多摩中央警察署、捜査第一課 |
| 現在 | 公開捜査継続中 |
女性は1996年2月、勤務先を出て同僚と別れた後に姿を消した
警視庁によると、女性は東京都多摩市内に住んでいた。当時30代。1996年2月、勤務先を出て同僚と別れたのを最後に行方が分からなくなり、家族などから捜索願いが出されていた。
その後の足取りは警視庁の現行公開ページでは詳しく示されていない。確かなのは、勤務先を出た後に所在が分からなくなり、約10か月後、生活圏に近い多摩市内のマンホールから遺体で見つかったという流れだ。
約10か月後、マンホール内で発見――遺体は着衣のままだった
1997年1月14日、道路に埋設されたマンホール内から女性の遺体が発見された。現場は南北に走る鎌倉街道の西側、小田急多摩線と京王相模原線の高架の南側。警視庁の公開ページでは、当時営業していたスーパーマーケットの駐車場前の道路と説明されている。
遺体は着衣を付けた状態でマンホール内部に横たわっていた。腐敗は全体に進み、死後数か月以上が経過していると推定された。身元確認の結果、前年2月から行方不明になっていた女性と判明した。
失踪から間もない時期に殺害された可能性――特別捜査本部を設置
身元が分かると、警視庁は失踪直後の行動を洗い直した。女性が行方不明になってから間もない時期に殺害された可能性が濃厚とみて、事件を殺人・死体遺棄として捜査する特別捜査本部を設置した。
捜査の中心となったのは、失踪前後の交友関係と現場周辺の目撃情報だった。女性が誰と接触し、いつ現場付近へ運ばれたのか。マンホールへ遺体を入れるには蓋を開ける作業が必要になるため、夜間に周囲へ不自然な人や車がいなかったかが調べられた。
2月下旬の夜、マンホール前に工事用バリケードとワゴン車
警視庁が現在も最も具体的に示している目撃情報は、1996年2月下旬の夜の出来事だ。現場のマンホール前に工事用のバリケードが置かれ、そばにワゴン車が停車し、男性がいたという。
道路工事を装うような状態であれば、夜間にマンホールの蓋を開けていても周囲から不自然に見えにくい。警視庁は、この男性が事件について何らかの事情を知っている可能性があるとして、本人の情報や同じ状況を見た人からの連絡を求め続けている。
捜査が求めているのは、男1人の情報だけではない
公開捜査ページには、ほかにも複数の情報提供項目が挙げられている。被害女性とトラブルになっていた人物、事件について異常な関心を示した人物、1996年2月から3月ごろに現場周辺で不審な動きをしていた人物や車両などだ。
さらに、マンホールを開けている人物、大きな荷物を運んでいた人物についても情報を求めている。事件当時には意味が分からなかった光景でも、遺体遺棄の時期と照合できれば捜査上の手掛かりになるため、警視庁は幅広く当時の記憶を集めている。
マンホールという遺棄場所が、捜査の焦点そのものになった
現場は道路上のマンホールで、通常は下水道や設備の点検など特定の作業でしか開けない場所だった。遺体は地上から見えず、外からは内部の状態も分からない。発見まで約10か月かかったことから、遺棄場所の選択が長期間の発覚遅れにつながった。
一方で、マンホールの蓋を開けて遺体を入れるには人目につく作業が必要になる。そこで重要になったのが、工事用バリケード、ワゴン車、現場にいた男性という目撃情報だった。警視庁の現行ページでも、この場面が写真や地図と並ぶ主要な情報として残されている。
現場は鉄道高架と鎌倉街道に近い道路――人も車も通る場所だった
遺体が見つかった場所は、人里離れた山中ではない。鎌倉街道、小田急多摩線、京王相模原線の高架に近い道路上で、当時はスーパーマーケットの駐車場前でもあった。
人や車が通る生活道路のマンホールが遺棄場所に使われたことで、犯行時には周囲から見られる危険もあった。警視庁が「不審な車」「大きな荷物を運ぶ人」「マンホールを開ける人」の目撃を求めているのは、この現場条件と結び付いている。
長い時間が過ぎても、公開捜査ページから事件は消えていない
警視庁の公開捜査一覧では、2026年8月26日現在も本件が殺人事件の一つとして掲載されている。多摩中央警察署の案内ページにも「公開捜査中の事件」として残り、専用の情報提供フォームも運用されている。
警視庁が現在求めているのは、事件当時の小さな記憶だ。1996年2月下旬、現場で工事をしているように見えた男性やワゴン車を見た、周辺で大きな荷物を運ぶ人を見た、事件後に身近な人物の様子が変わった――そうした断片が、当時の行動を再構成する材料になる。
2010年の法改正後も、殺人事件として捜査は継続
1997年当時、殺人罪には公訴時効があった。その後、2010年の刑事訴訟法改正で、殺人など法定刑の上限が死刑である「人を死亡させた罪」の公訴時効が廃止された。改正時点で時効が完成していなかった過去事件にも適用される。
本件はその対象となり、時効によって捜査が終了する事件ではなくなった。女性が勤務先を出てから約30年。マンホール前に残った目撃情報を手掛かりに、多摩中央警察署と警視庁捜査第一課が現在も情報を受け付けている。
警視庁の公開ページには、当時の地図とマンホールの写真が残されている
警視庁は事件ページで、発見場所周辺の広域図と詳細図、現場周辺、遺体が見つかったマンホールの写真を公開している。文章だけでは分かりにくい現場の位置関係を示し、鎌倉街道、鉄道高架、当時の商業施設、道路上のマンホールがどの距離感にあったのかを現在も確認できるようにしている。
事件から長い年月が経過すると、建物の閉店や道路周辺の景観変化によって当時の記憶と現在の場所が結び付きにくくなる。警視庁が1997年当時の詳細図を残しているのは、当時その地域を通勤・通学・配送などで利用していた人が、自分の記憶と場所を照らし合わせられるようにするためでもある。
専用フォームと多摩中央署で、現在も事件情報を受け付けている
警視庁は本件専用の情報提供フォームを設け、多摩中央警察署でも情報を受け付けている。求められているのは犯人を直接見たという情報だけではない。事件当時の現場付近で工事をしているような男やワゴン車を見た、マンホール付近で不自然な作業をしていた、大きな荷物を運ぶ人物を見たといった断片的な記憶も対象になる。
1996年2月から30年近くが経過したことで、当時は重要だと思わず話さなかった出来事が、後になって意味を持つ可能性もある。警視庁は現在も事件名を公開捜査一覧から外しておらず、当時の記憶を掘り起こす形で捜査を継続している。
参考資料・出典
- 警視庁「多摩中央署管内 多摩市貝取一丁目マンホール内失踪女性殺人事件」
- 警視庁「公開捜査一覧(事件・罪種別)」
- 多摩中央警察署「情報を求めます」
- 警視庁「多摩市貝取一丁目マンホール内失踪女性殺人事件に関する情報提供」
- 法務省「公訴時効の改正について」
関連事件
この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。
