八尾市コンクリート詰め女児遺体事件|岩本玲奈さん6歳で死亡、18年後発覚と懲役8年

公開日 2026年2月4日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
2006年
都道府県
大阪府
事件分類
強盗・監禁・暴行事件 / 死体遺棄事件

2025年2月、大阪府八尾市の集合住宅で、コンクリートに覆われた子どもの遺体が入った収納ケースが見つかった。DNA鑑定などで、遺体は岩本玲奈さんと確認された。玲奈さんは2006年末から2007年初めごろに6歳で死亡しており、発見まで約18年が経過していた。

叔父の飯森憲幸は、玲奈さんを大阪市平野区の自宅で殴ったり蹴ったりして外傷性ショックで死亡させたとして、傷害致死罪で起訴された。死亡後は遺体を収納ケースに入れ、コンクリートで覆って長期間隠し、2024年11月に八尾市の住宅へ運んだとして死体遺棄罪にも問われた。大阪地裁は2026年3月13日、懲役8年を言い渡し、その後判決は確定した。

死亡時期2006年12月下旬~2007年1月上旬ごろ
被害者岩本玲奈さん(当時6歳)
死亡場所大阪市平野区の飯森憲幸宅
死因外傷性ショック
遺体発見2025年2月・大阪府八尾市
被告人飯森憲幸
最初の逮捕2025年3月・死体遺棄容疑
殺人容疑で再逮捕2025年3月21日
起訴罪名傷害致死、死体遺棄
求刑懲役12年
判決2026年3月13日・大阪地裁、懲役8年
現在懲役8年が確定

玲奈さんは2000年生まれ、幼いころから親族宅で生活

時事通信によると、玲奈さんの出生届は2000年11月に八尾市へ提出された。2004年ごろ、母親が玲奈さんを実家へ預け、親族のもとで生活するようになった。

その後、母親が住み込みの仕事を始めるなどし、玲奈さんは親族間で養育される状態が続いた。裁判では、最終的に叔父の飯森が生活費を受け取りながら玲奈さんを引き取っていた経緯が明らかになった。

飯森は当時20代前半で、結婚や子育ての経験はなかった。弁護側は、父や姉から養育を事実上任され、十分な協力を得られなかったことが負担になったと説明した。

一方、判決は、周囲へ援助を求める余地まで失われていたわけではなく、暴力を避けられない状況ではなかったとした。養育負担の存在は認めつつ、6歳児への暴行を正当化する事情にはならないと評価した。

2004年、祖父の申し出を受けて住民票が削除

2004年6月、玲奈さんと暮らしていた祖父が八尾市へ「母親と玲奈が行方不明なので住民票を削除してほしい」と申し出た。市は同年9月、玲奈さんと母親の住民票を削除した。

市は後に、記録の保存期間が過ぎており、削除前にどの程度の居住実態調査を行ったか確認できないと説明した。住民票の削除手続自体については、当時の住民基本台帳法に沿って行ったとの立場を示している。

住民票削除と死亡事件の因果関係が裁判で認定されたわけではない

住民票が削除されたことで、玲奈さんは学校や行政の通常の名簿から把握されにくい状態になった。保育園や小学校に通った記録も残っていなかった。

ただし、住民票削除が直接暴行を引き起こした、あるいは市が事件を防げたと裁判所が認定したわけではない。行政から所在を追いにくい子どもが生まれる制度上の空白があったことと、飯森の傷害致死責任は別の問題として残った。

最後に公的な生存確認が残るのは2005年の病院受診

府警と八尾市によると、玲奈さんの生存が確認できた記録は2005年3月に八尾市内の病院を受診したのが最後だった。

その後、学校への就学記録や継続的な行政サービス利用の記録が見つからず、死亡した2006年末から2007年初めまでの生活状況は親族内の情報に大きく依存する状態となった。

義務教育年齢へ達しても通常の就学記録が確認できない子どもを、自治体がどの部署で追うかという仕組みは当時現在ほど整備されていなかった。総務省などが居所不明児童の把握強化を自治体へ通知したのは2015年で、玲奈さんの住民票削除から10年以上後だった。

時事通信の取材に対し専門家は、住民票部門と乳幼児・福祉部門の情報共有が十分でなかった可能性を指摘した。玲奈さんの事件は、家庭内の犯罪だけでなく、行政記録から外れた子どもの安否を誰が確認するかという問題も浮かび上がらせた。

飯森は母親から玲奈さんを引き取り同居

2026年の判決報道では、母親が住み込みの仕事をするようになり、飯森が母親から生活費を受け取る約束で玲奈さんを引き取ったとされる。

同居開始から約3か月で死亡事件が起きた。飯森は公判で、玲奈さんを普通に育てられると思っていたが、生活や養育へのストレスが増していったという趣旨の説明をした。

2006年末から2007年初め、説教中の暴行が死亡につながった

大阪地裁判決によると、飯森は玲奈さんが言うことを聞かないとして説教する中で怒りを募らせ、殴る、蹴るなどの暴行を加えた。

特に脇腹を強い力で蹴り、内臓を損傷させるなどした。玲奈さんは外傷性ショックで死亡した。裁判所は、小さな子どもが自力で身を守ることのできない状況で容赦ない攻撃を加えたと厳しく評価した。

毎日新聞の判決報道では、交際相手が制止する場面がありながら暴行を続け、内臓が損傷するほど強く脇腹を蹴ったことが指摘された。飯森は怒りを抑える能力を失っていたわけではなく、暴行を中止する選択が可能だったとされた。

殺意を認定した殺人罪ではなく、傷害の故意で加えた暴行から死亡結果が生じた傷害致死罪として処罰された。死亡結果が重大であっても、故意の内容によって適用される罪名は異なる。

殺人容疑で再逮捕されたが、最終的な起訴罪名は傷害致死

2025年3月21日、飯森は玲奈さんを死亡させた事件について殺人容疑で再逮捕された。捜査段階では、暴行の程度や死亡結果から殺意の有無も調べられた。

その後、検察が起訴した罪名は殺人ではなく傷害致死だった。刑事裁判で確定したのも傷害致死であり、「殺人容疑で再逮捕された」事実を「殺人罪で有罪になった」と置き換えることはできない。

死亡後、遺体を収納ケースに入れコンクリートで覆った

玲奈さんが死亡した後、遺体は金属製の収納ケースに入れられ、コンクリートで覆われた。こうして遺体は通常の外見から中身を確認できない状態となった。

飯森はその状態の遺体を長期間手元に置いた。葬儀や埋葬によって家族や社会が死亡を確認する機会はなく、玲奈さんが亡くなった事実そのものが約18年間外部へ明らかにならなかった。

コンクリートで覆うことで、遺体は外から確認できず、重い収納物のような状態になった。転居など生活環境が変わっても、そのケースを移動させながら死亡の事実を隠し続けた。

判決は、遺体を弔う機会を長期にわたり奪った点だけでなく、一連の事実を発覚させないための保身的な行為だったことを死体遺棄の悪質性として評価した。

約18年間、死亡を公表せず遺体を隠した

大阪地裁は、遺体をコンクリートで覆ったまま長期間隠した行為について、死体の尊厳を深く害し、弔う機会を失わせたと非難した。

長期隠匿によって事件の発覚も遅れた。死亡直後に発見されていれば残っていた可能性のある身体所見や生活記録も、18年という時間によって大きく失われた。

2024年11月、コンクリート詰めの遺体を八尾市へ移動

判決によると、飯森は2024年11月12日ごろ、コンクリート詰めにした玲奈さんの遺体を、父親が住んでいた八尾市内の集合住宅の一室へ運んだ。

長く保管していた場所の事情が変わり、遺体を移す必要が生じたことが発覚への転機となった。2025年2月、住宅の片付けなどの過程で重い収納ケースが残されていることが確認され、内部から遺体が見つかった。

2024年11月の移動時、コンクリートで固めた遺体は台車を使って運び、父親が暮らす八尾市の住宅の押し入れに置いたと起訴された。

翌年2月に住宅からコンクリート詰めの遺体が見つかったことで、2000年代半ばから途切れていた玲奈さんの記録と、18年間隠されてきた死亡事実が初めてつながった。

DNA鑑定で18年前に姿を消した玲奈さんと判明

発見された遺体は長期間コンクリート内部にあったため、外見だけで身元を確認することはできなかった。警察はDNA鑑定などを行い、飯森の姉の娘である岩本玲奈さんと特定した。

死亡時の年齢は6歳。行政記録上も長期間所在が確認されていなかった子どもの死亡が、約18年を経て初めて刑事事件として表面化した。

死体遺棄で逮捕後、死亡経緯の捜査へ

飯森らはまず、遺体を隠した死体遺棄の疑いで捜査対象となった。身元が判明すると、警察は2006年末から2007年初めに玲奈さんがどこで誰と生活し、どのように死亡したかを調べた。

古い事件だったため、当時の診療記録、親族の供述、遺体の鑑定、飯森自身の説明などを組み合わせる捜査となった。

遺体発見直後は死亡時期も身元も確定しておらず、警察はDNA鑑定で親族関係を確認しながら当時の生活歴をさかのぼった。2005年の病院受診記録が見つかったことは、少なくともその時点まで玲奈さんが生存していたことを示す資料になった。

18年前の出来事を立証するには、残された物証だけでなく、当時同居していた人物の供述が重要になる。飯森が捜査に詳細な説明をしたことは、判決でも量刑上の有利な事情として考慮された。

2026年2月の初公判で起訴内容を認めた

2026年2月26日、大阪地裁の裁判員裁判が始まり、飯森は傷害致死と死体遺棄の起訴内容について「間違いありません」と認めた。

犯人性を争う裁判ではなく、暴行の悪質性、養育を引き受けた経緯、死亡後の隠匿、反省の程度をどのように量刑へ反映するかが中心となった。

弁護側は「養育を押し付けられた面」を主張

弁護側は、飯森には親権者としての法的養育義務がなく、姉や父親らから事実上養育を任された面があったこと、日常的に虐待を続けていた事件ではないことなどを挙げた。

その上で懲役4年以下が相当と主張した。養育の負担や周囲の支援不足が、暴行の責任をなくすのかではなく、量刑上どの程度酌むべき事情になるかが争われた。

被告人質問で飯森は、玲奈さんを引き取った当初は普通に育てられると思っていたが、思うようにいかないことが重なりストレスをためたという趣旨を述べた。玲奈さんに対しては、つらく痛かったと思うとして謝罪した。

裁判所は反省の言葉と捜査協力を考慮したが、それによって暴行や長期の遺体隠匿が軽い行為になるとはしなかった。犯行態様の重さと犯行後の情状をそれぞれ量刑へ反映した。

検察は懲役12年を求刑

検察側は、6歳の玲奈さんへ強い暴行を加えて死亡させたことに加え、遺体をコンクリート詰めにして長期間隠した行為を重く評価し、懲役12年を求刑した。

子どもが保護を求めることのできる大人によって生命を奪われ、その後も死亡さえ社会に知らされなかった点を重大な情状として主張した。

大阪地裁「容赦ない攻撃」「非情な犯行」

2026年3月13日、大阪地裁の伊藤寛樹裁判長は飯森に懲役8年を言い渡した。判決は、玲奈さんの内臓を損傷させるほどの暴行を加えたことを重く捉えた。

一方、暴行は説教中に怒りを募らせた末の衝動的な部類で、遺体発見後は捜査へ詳細な説明をし、公判でも反省を述べていることなどを量刑上考慮した。

18年の遺体隠匿も独立して厳しく非難

判決は、コンクリートで遺体を覆い続けたことで、玲奈さんを通常に弔う機会を奪い、事件を長期間隠したことを重く非難した。

傷害致死と死体遺棄は別の犯罪だが、本件では死亡直後の隠匿が18年後の発見まで連続しており、事件全体の悪質性を考える重要な事情になった。

懲役8年が確定

判決後、懲役8年は確定したと2026年春以降の報道で確認されている。2026年8月現在、飯森の刑事責任についての法的結論は傷害致死と死体遺棄による懲役8年である。

玲奈さんの事件は、6歳児への暴行と遺体隠匿だけでなく、住民票削除後に行政から存在を把握されにくくなった子どもをどう確認するかという課題も残した。ただし、その制度上の問題と飯森個人の刑事責任は別々に検証されるべき事柄である。

参考資料・出典

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