土浦連続殺傷事件|「死刑になるため」2人を殺害、指名手配中の再犯と死刑執行

公開日 2026年3月10日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
2008年
都道府県
茨城県
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

2008年3月23日午前11時すぎ、JR荒川沖駅の自由通路周辺で、両手に刃物を持った男が通行人を次々と襲った。会社員の山上高広さん(27)が死亡し、警戒中の警察官を含む7人が負傷した。

男は4日前、土浦市内で三浦芳一さん(72)を刺殺した容疑で指名手配されていた金川真大(当時24歳)だった。前日には自ら110番し、警察を挑発する言葉まで残していた。それでも駅での第2の犯行を防げなかった。

水戸地裁が後に認定した動機は、被害者への恨みや金銭目的ではない。金川は「死刑によって確実に死ぬ」ため、多数の人を殺す計画を約2カ月かけて準備していた。2009年に死刑判決を受け、自ら控訴を取り下げ、2013年2月21日に死刑が執行された。

事件名土浦連続殺傷事件、土浦連続通り魔事件
発生日2008年3月19日、3月23日
場所茨城県土浦市、JR荒川沖駅周辺
死亡者三浦芳一さん(72)、山上高広さん(27)
負傷者7人
被告人金川真大(犯行当時24歳)
主な罪殺人、殺人未遂、銃刀法違反など
一審2009年12月18日 水戸地裁・死刑
控訴弁護人が控訴後、本人が2009年12月28日に取下げ
死刑確定2010年1月5日
死刑執行2013年2月21日 東京拘置所

「自殺する」から「死刑になるために殺す」へ変わった

水戸地裁判決によると、金川は高校時代から「死にたい」と口にすることがあり、高校卒業後は進学も就職もせず、自宅でテレビゲームを中心とする生活を送っていた。2008年1月ごろ、つまらない毎日を終わらせたいとして具体的に自殺を考えた。

しかし、自分で命を絶つ方法では苦痛を受けるだけで確実に死ねない可能性があると考え、自殺をやめた。代わりに選んだのが、できるだけ多くの人を殺害して死刑判決を受けるという方法だった。

約2カ月かけ、刃物と変装用の服、40万円を用意した

犯行は思いつきではなかった。金川は1月上旬ごろから約2カ月かけて計画を練り、文化包丁とサバイバルナイフを購入して切れ味を確かめた。逃走時に外見を変えるためのスーツなども準備した。

さらに潜伏資金として預金残高のほぼ全額に当たる約40万円を引き出した。当初の標的には同居する妹、自分が通った学校の生徒や教員、インターネット上でトラブルになった相手などを想定し、その後は各地を移動しながら人を殺す計画だった。

妹が不在、小学校には人がいたため最初の計画を変更

金川は3月18日に犯行を始めるつもりだったが、妹がすでに外出していたため翌日に延期した。19日朝も妹が不在だったため、刃物や変装用品を持って母校の小学校へ向かった。

ところが学校では行事があり、校門付近に複数の大人がいた。すぐ捕まれば大量殺人を実行できないと考え、学校での犯行を断念する。そこで「相手は誰でもよい」として、住宅街で一人の住民を狙うことにした。

空気入れを借りた三浦芳一さんを背後から襲った

3月19日午前、金川は民家を訪ね、自転車がパンクしたので空気入れを貸してほしいと頼んだ。最初の家は留守だったため、近くの三浦芳一さん宅のインターホンを押した。

三浦さんは求めに応じて空気入れを貸した。金川は空気を入れるふりをして返し、三浦さんが物置へ戻そうとして背を向けたところを文化包丁で襲った。三浦さんと金川に面識はなく、三浦さんは偶然その場で選ばれた被害者だった。

自転車を現場に残し、秋葉原で丸刈りにして潜伏

三浦さんを殺害した後、金川は自転車を現場付近へ残したまま逃走した。返り血が付いたことに気づいて一度自宅へ戻って着替え、電車で東京・秋葉原へ移動した。

理髪店で髪を丸刈りにし、電気店のトイレで準備していたスーツへ着替えた。ホテルには偽名で宿泊し、3月21日までゲームをするなどして過ごした。警察は現場に残された自転車などから金川を特定し、公開手配へ進んだ。

1人だけでは死刑にならないと焦り、次の大量殺傷を計画

金川は指名手配されたことを知り、逮捕されれば三浦さん1人の殺害だけで終わり、死刑にならないのではないかと焦った。21日夕方ごろから、再び人を殺す方法を考え始めた。

22日には、ひたち野うしく駅から荒川沖駅まで歩き、通行人を襲う機会を探したが、標的にできそうな人を見つけられず断念した。同日、荒川沖駅周辺から110番し、早く捕まえてみろという趣旨の言葉で警察を挑発している。

警察は約170人態勢で警戒していた

茨城県警は第1事件後に捜査本部を設置し、二次被害のおそれがあるとして態勢を増強した。国会での警察庁説明によると、第2事件が起きた23日には約170人が捜査や警戒に当たり、駅、列車、自宅周辺、立ち寄り先として想定された施設などへ人員を配置していた。

荒川沖駅にも私服捜査員が配置されていた。前日に金川本人から電話があり、常磐線沿線を移動している可能性も把握していたため、駅は警戒対象の一つだった。

それでも荒川沖駅で8人が襲われた

3月23日午前、金川は文化包丁とサバイバルナイフを隠し持ってホテルを出て、荒川沖駅へ向かった。駅に着くとゴム手袋をはめ、両手に刃物を持って自由通路を走りながら通行人を次々に襲った。

山上高広さんが死亡し、7人が負傷した。負傷者の中には金川を警戒していた警察官も含まれていた。指名手配中の人物が警戒下の駅へ現れ、複数人を襲うまで確保できなかったことは、警察対応の重大な検証点となった。

8人を襲った後、無人の交番から「私が犯人です」と電話した

金川は8人を襲った後、その場で警察官に取り押さえられたのではない。荒川沖駅西口から約300メートル離れた交番へ移動し、無人だった交番から土浦署へ「私が犯人です」と電話した。駆け付けた警察官が、三浦さん殺害事件の指名手配容疑で逮捕した。

逮捕時も文化包丁とサバイバルナイフを所持していたが、警察官が到着すると包丁を投げ出し、抵抗しなかった。判決要旨では、駅の通路で多数を襲った後、近くの玩具店でもさらに客らを殺害することまで事前の計画に含まれていたとされる。

警察庁も「被害拡大を防げなかった」反省を国会で説明

事件後、国会では警察の対応が取り上げられた。警察庁の担当者は、かなり広い範囲へ捜査員を配置していた一方、結果として荒川沖駅に現れた金川を見逃し、次々と被害が生じたことを認めた。

茨城県警本部長も、県民の治安への信頼を失わせる結果であり、反省すべき点があったとの認識を示したと説明されている。警察庁は事件後、凶悪事件では犯人検挙だけでなく、二次被害防止と市民の安全確保を最重点にするよう各都道府県警へ指導した。

刑事裁判では責任能力と「死刑を望む者への死刑」が争点に

金川は起訴された事実関係自体を大きく争わなかった。裁判で焦点となったのは、犯行当時に完全な刑事責任能力があったか、そして本人が死刑を望んでいる事件で死刑を選択することが妥当かという点だった。

弁護側は、死刑を望む被告人へ死刑を言い渡せば本人の目的を実現させることになるとして、無期懲役によって生涯をかけて償わせるべきだと主張した。若年で前科がないことや、更生の可能性も量刑事情として挙げた。

水戸地裁は「死刑願望は軽くする事情ではなく、重くする事情」と判断

2009年12月18日、水戸地裁は金川に死刑を言い渡した。判決は、死刑になるため他人の生命を奪うという動機について、被告人の希望どおりになるから刑を軽くするという考え方を採らなかった。

むしろ、自分の死刑願望を達成する手段として無関係の人々を殺害した発想は強い非難に値し、量刑を重くする事情だと評価した。約2カ月前から準備した計画性、2人の死亡と7人の負傷、被害者が偶然標的にされた無差別性も重視された。

三浦さんと山上さんの人生を、死刑願望の手段にした

判決は被害者についても具体的に触れている。三浦芳一さんは退職後に平穏な生活を送り、見知らぬ金川に空気入れを貸そうとしたところを襲われた。山上高広さんは仕事に励み、周囲から信頼されていた27歳の会社員だった。

2人に金川を殺害へ向かわせる事情はなかった。駅で負傷した7人も、たまたまその場所にいただけだった。裁判所は、この無関係な人々の生命や身体を自分の目的のために利用した点を、事件の重い特徴として捉えた。

前科がなく、父親が被害者へ計1000万円を支払った事情も検討された

量刑判断では金川に有利な事情も検討された。犯行当時24歳で前科がなく、父親が一部の被害者に総額1000万円を支払っていた。弁護側は、犯罪傾向が固定しておらず、死刑願望も将来消える可能性があるとして死刑回避を求めた。

しかし水戸地裁は、被害者への謝罪の言葉がなく、勾留中にも問題行動があり、法廷で机を倒して制裁裁判を受けたことなどを挙げ、反省の態度が見られないと評価した。被害弁償や前科がないことも、2人死亡・7人負傷という結果と計画性を踏まえれば死刑を回避させる事情にはならないと判断した。

弁護人が控訴したが、本人が10日後に取り下げた

死刑判決後、弁護人は即日控訴した。しかし金川本人は2009年12月28日、控訴を取り下げる手続きを取った。死刑判決を避けるための上級審審理を、自ら終わらせる選択だった。

2010年1月5日、死刑判決は確定した。最高裁まで争って死刑が確定したのではなく、本人の控訴取下げによって一審判決が確定した点は、事件の司法手続を理解するうえで重要である。

2013年2月21日、東京拘置所で死刑執行

法務省は2013年2月21日、金川を含む3人の死刑を執行したと公表した。金川は東京拘置所で刑を執行され、29歳で死亡した。

事件発生から約5年。金川が当初から求めていた「死刑」は最終的に現実となった。しかし刑事裁判が認定したのは、その願望を満たすために2人の生命を奪い、7人を負傷させたこと自体が、刑を軽くするどころか強い非難に値するという点だった。

参考資料・出典

関連事件

同じテーマの書籍を探す

この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。