ホテル日本閣殺人事件|経営者夫妻と夫の3人殺害、小林カウ・大貫光吉の死刑執行

公開日 2026年7月23日
最終更新 2026年8月28日
カテゴリー 1960年代 死刑

事件ステータス

発生年月日
1960年
都道府県
栃木県
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1961年2月、栃木県塩原温泉で行方不明となっていた旅館「ホテル日本閣」の経営者夫妻について、警察は殺人事件として捜査を本格化させた。捜査線上に浮かんだのは、日本閣の共同経営者を名乗っていた小林カウと、同ホテルで働いていた大貫光吉だった。

捜査の結果、1960年2月に生方ウメさん(48)が、同年12月31日に夫の生方鎌輔さん(53)が殺害されたとされた。さらに事件発覚後、1952年に死亡していたカウの夫・小林秀之助さんの死も殺人として立件される。最終的にカウは3人の殺害について死刑、大貫はホテル事件の2人の殺害について死刑、中村又一郎は秀之助さん殺害について懲役10年が確定した。

主な発生期間1952年10月、1960年2月・12月
ホテル事件の場所栃木県塩原町福渡・ホテル日本閣周辺
ホテル事件の被害者生方ウメさん(48)、生方鎌輔さん(53)
関連事件の被害者小林秀之助さん
主な被告人小林カウ、大貫光吉、中村又一郎
一審1963年3月18日、宇都宮地裁
控訴審1965年9月15日、東京高裁
上告審1966年7月14日、最高裁第一小法廷が上告棄却
確定刑小林カウ・大貫光吉=死刑、中村又一郎=懲役10年
死刑執行1970年6月11日、小林カウと大貫光吉
現在刑事手続は終了

最初に消えたのは経営者の妻・生方ウメさんだった

ホテル日本閣をめぐる一連の事件で、先に姿を消したのは生方鎌輔さんの妻・ウメさんだった。1960年2月、ウメさんがいなくなった後、日本閣の経営関係は大きく変化した。当時の報道を再検証した文春オンラインは、カウが旅館経営へ進出する意思を持ち、鎌輔さんと関係を深めていった経過を紹介している。

後の刑事裁判では、カウと鎌輔さん、大貫がウメさん殺害に関与したとされた。ここで鎌輔さんは、後に殺害される被害者である一方、妻ウメさんの事件では共謀者側に位置づけられた。二つの事件を一括して「経営者夫妻が同時に殺された」と理解すると、裁判で認定された役割関係が見えなくなる。

ウメさん殺害後、カウはホテル経営へ入り込んだ

ウメさんがいなくなった後、カウは鎌輔さんとの関係を基礎に、日本閣の経営へ深く関わるようになった。当時の日本閣は経営難と増改築の問題を抱えていた。カウにとって、ホテルの経営権や財産を得ることは大きな目的だったと、後の裁判で評価される。

一方で、鎌輔さんが生きている限り、ホテルの権利や財産を自由に処分できるわけではない。二人の関係は共同経営の形を取りながら、年末には鎌輔さん自身も殺害される展開へ進む。

1960年12月31日、今度は生方鎌輔さんが殺害された

1960年12月31日、鎌輔さんが姿を消した。後の捜査では、カウと大貫が鎌輔さんを殺害し、遺体を隠したとされた。年が明けても鎌輔さんの所在は分からず、旅館経営者夫妻がともに行方不明という状態が続いた。

1961年2月になると失踪は警察の本格捜査へ発展した。文春オンラインが紹介する当時の地元紙によれば、2月20日未明に大貫がまず窃盗容疑で逮捕され、その供述を受けて同日夕方、カウも殺人容疑で逮捕された。警察は翌21日から、鎌輔さんとウメさんの遺体が埋められたとされた場所の発掘を進めた。

大貫の供述から、ホテル内外に隠された遺体の捜索が始まった

大貫の供述は事件発覚の大きな転換点となった。捜査本部は、鎌輔さんの遺体が日本閣前の山林、ウメさんの遺体が日本閣新館の土台下に埋められたとの情報を得て発掘を開始した。失踪事件は、経営権をめぐる連続殺人として扱われるようになった。

ここで重要なのは、逮捕時点の「疑い」と最終的な裁判認定を分けることだ。事件発覚当初の新聞には捜査機関の見立てや供述段階の情報も多く含まれる。その後、カウ、大貫らは起訴され、複数年にわたる刑事裁判で各人の関与と刑が判断された。

捜査は9年前に死亡したカウの夫・秀之助さんへ広がった

日本閣事件の捜査中、警察にはカウの夫・小林秀之助さんの死亡に関する情報も寄せられた。秀之助さんは1952年に埼玉県熊谷市で死亡していたが、当時は殺人事件として立件されていなかった。

1961年3月、栃木県警と埼玉県警は秀之助さんの死亡経緯を改めて捜査した。後の裁判では、カウと元警察官の中村又一郎が秀之助さんを毒殺したという事件も審理対象に加わる。ホテル経営者夫妻2人だけでなく、時間も場所も異なる9年前の1件が同じ被告人の殺人事件として結びついた。

「3人殺害」と「ホテル日本閣で3人殺害」は同じではない

小林カウが最終的に3人の殺害について刑事責任を問われたことから、事件紹介では「ホテル日本閣事件で3人殺害」とまとめられる場合がある。しかし秀之助さんの死亡は1952年の熊谷で起きた別の事件であり、ホテル日本閣をめぐる直接の被害者は生方夫妻の2人となる。

刑事裁判では、秀之助さん事件と日本閣事件がカウの一連の殺人として扱われた。事件名の範囲と、起訴された犯罪事実の範囲を分けることで、「誰がどの事件で被害を受け、誰がどの犯罪に関与したと認定されたか」が明確になる。

1963年、一審はカウに死刑、大貫に無期懲役を言い渡した

1963年3月18日、宇都宮地裁は小林カウに死刑を言い渡した。一審は、生方夫妻の殺害に加え、秀之助さんの殺害でもカウの責任を認定した。

一方、大貫光吉については生方夫妻殺害への関与を認めながら、刑は無期懲役とした。中村又一郎については、秀之助さん殺害への共謀を認めるには証拠が足りないとして殺人罪では無罪とされた。これらの結論は控訴審で大きく変わる。

一審後は弁護側だけでなく検察側も控訴した

1963年の一審では、カウが死刑、大貫が無期懲役、中村が秀之助さん殺害について無罪という結論に分かれた。これに対して弁護側だけでなく検察側も控訴し、東京高裁では大貫の量刑と中村の殺人責任が改めて審理された。

その結果、控訴審は大貫を死刑へ引き上げ、中村についても一審の殺人無罪を覆した。最終的な刑を一審判決だけで説明すると、大貫を「無期懲役」、中村を「無罪」と誤って残すことになる。確定した結論は、1965年の控訴審判決と1966年の最高裁上告棄却まで追う必要がある。

1965年、東京高裁は大貫を無期から死刑へ変更した

1965年9月15日、東京高裁はカウの死刑を維持しただけでなく、大貫の無期懲役判決を破棄して死刑を言い渡した。大貫が報酬などを得て2人の殺害に実行段階から関与した責任を重く評価した結果だった。

また中村についても、一審の殺人無罪を破棄し、秀之助さんの殺害について共謀を認定して懲役10年とした。したがって、確定した刑は「カウだけ死刑」ではない。カウと大貫の2人が死刑、中村が懲役10年となった。

1966年7月14日、最高裁で2人の死刑と中村の懲役10年が確定した

3人はいずれも最高裁へ上告した。1966年7月14日、最高裁第一小法廷は上告を棄却し、カウと大貫の死刑、中村の懲役10年が確定した。

当時の読売新聞を引用する文春オンラインの記事は、カウについて「日本閣事件など3件の殺人事件の被告」として最高裁で刑が確定したと報じられたことを紹介している。ホテルの経営権をめぐる2件だけでなく、夫殺害を含む3人分の生命侵害が死刑判断の対象となった。

1970年6月11日、小林カウと大貫光吉の死刑が同日に執行された

死刑確定から約4年後の1970年6月11日、小林カウと大貫光吉の死刑が執行された。当時の報道では、執行場所は東京・小菅の刑務所とされる。カウは61歳、大貫は46歳だった。

カウは戦後に死刑を執行された女性として最初の人物となった。ただし「戦後最初に死刑が確定した女性」ではない。文春オンラインが当時の読売新聞を検証した記事では、カウは戦後3人目の女性死刑確定者で、実際の執行が最初だったと整理されている。

「戦後初の女性死刑囚」ではなく「戦後初の女性死刑執行」が正確

後年の紹介では、カウを「戦後初の女性死刑囚」と書く例がある。しかし死刑確定者という意味では、カウ以前に女性の死刑確定例が存在した。カウの事件で歴史的に特筆されるのは、戦後の日本で女性に対する死刑が実際に執行された最初の例だった点である。

法的な経過を正確に追うと、1963年の一審死刑、1965年の控訴審、1966年の上告棄却による確定、1970年の執行という段階がある。死刑判決、死刑確定、死刑執行はそれぞれ別の事実となる。

「悪女」「毒婦」という後世の呼称は判決上の事実ではない

小林カウは当時から刺激的な呼称で報じられ、その後の書籍や映画でも強烈な人物像が作られてきた。しかし「悪女」「毒婦」といった言葉は法律上の評価でも、裁判所が認定する罪名でもない。

事件を理解するうえで重要なのは、誰と関係を持ったかという評判より、財産・経営権をめぐり誰の殺害を企図し、誰を共犯へ引き入れ、裁判所がどの犯罪について有罪を認定したかという具体的な行為である。

3人の被告人は、同じ3件すべてに同じ立場で関与したわけではない

確定した事件関係を分けると、1952年の小林秀之助さん殺害ではカウと中村、1960年2月の生方ウメさん殺害ではカウ、大貫に加えて後に被害者となる鎌輔さん、同年12月の鎌輔さん殺害ではカウと大貫が中心となる。三つの殺人を一つの「連続殺人」として数えるだけでは、各被告人の責任範囲は見えにくい。

とりわけ鎌輔さんは、妻ウメさんの事件では加害側の共謀関係に位置づけられながら、年末にはカウと大貫に殺害された。この役割の変化が、日本閣の経営権をめぐる二つの殺人を理解するうえで重要となる。中村はホテルの生方夫妻殺害ではなく、9年前の秀之助さん殺害について有罪が確定した。

現在は3被告の刑事手続がすべて終了している

カウと大貫は1970年に死刑が執行され、中村についても懲役10年の有罪判決が確定した。3人について、これらの確定判決を覆す再審無罪などの司法判断は公表されていない。

ホテル日本閣殺人事件は、旅館経営をめぐる2人の殺害から捜査が始まり、9年前の夫殺害まで発覚し、控訴審で共犯者の量刑と別事件の有罪判断まで変わった事件だった。後世の人物評に寄りかからず裁判の流れを見ると、3件の殺人と3人の被告人の責任が異なる形で確定したことが核心となる。

参考資料・出典

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