名古屋アベック殺人事件|野村昭善さん・末松須弥代さん殺害、一審死刑を無期へ変えた控訴審

公開日 2026年2月4日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1988年
都道府県
愛知県
事件分類
少年犯罪 / 性犯罪 / 殺人事件

1996年12月16日、名古屋高裁は一審で死刑を言い渡されていた被告人の刑を破棄し、無期懲役を選んだ。事件はその8年余り前、1988年2月23日未明に名古屋市の大高緑地で始まっている。理容師の野村昭善さん(19)と理容師見習いの末松須弥代さん(20)が、17歳から20歳の若者6人に襲われた。

2人は金品を奪われ、末松さんは性的被害も受けた。さらに車で長時間連れ回された後、野村さんは愛知県長久手町、末松さんは三重県大山田村で殺害され、遺体を埋められた。一審は6人に死刑から不定期刑まで異なる刑を言い渡したが、控訴審は単に「少年だから」と死刑を避けたわけではない。殺人に至る経過、集団の未成熟さ、個々の共謀時期、更生可能性を分けて検討した。

事件発生1988年2月23日〜25日
主な発生場所名古屋市大高緑地、愛知県長久手町、三重県大山田村
被害者野村昭善さん(19)、末松須弥代さん(20)
被告人17〜20歳の男女6人
一審1989年6月28日、名古屋地裁
一審の刑死刑1人、無期懲役1人、懲役17年1人、懲役13年1人、不定期刑5〜10年2人
控訴審1996年12月16日、名古屋高裁
主な変更死刑→無期懲役、懲役17年→13年

事件は大高緑地だけで始まったのではなかった

6人は2月23日未明、名古屋市中区のテレビ塔付近で合流した。高裁判決によると、当時この周辺に集まる若者は「噴水族」「テレビ塔族」などと呼ばれていた。6人は遊ぶ金などを得る目的で、深夜に車内にいる男女を狙って金品を奪うことを決めた。

大高緑地へ行く前にも、名古屋港の金城ふ頭付近などで別の男女を狙った。最初の一組は逃げ出して派出所へ助けを求めたため未遂に終わったが、次の一組からは金品を奪い、負傷させた。数時間のうちに対象を変えながら犯行を続けた末、野村さんと末松さんの車を見つけた。

最初の襲撃では、20歳の男性と17歳の女性が乗る車を狙ったが、2人が車を発進させ、追跡を振り切って派出所へ逃げ込んだため金品を奪えなかった。約1時間後、別の25歳男性と19歳女性を襲い、男性から現金8万6000円を奪うなどし、2人にけがを負わせた。それでも6人は犯行をやめず、大高緑地へ向かった。

大高緑地で野村さんと末松さんが襲われた

1988年2月23日午前4時半ごろ、6人は大高緑地の駐車場にいた2人を襲った。木刀や鉄パイプなどを用いて暴行し、金品を奪ったうえ、末松さんに性的暴行を加えた。車のナンバープレートをテープで隠すなど、強盗を発覚しにくくする準備もしていた。

被害者2人と加害者側に事前の面識はなかった。標的になった理由は、深夜の公園に車を止めていた若い男女だったからにすぎない。高裁は、大高緑地までの複数の強盗について、短時間のうちに連続し、凶器や車を用いた計画的な犯行だったと評価している。

強盗を隠すため、2人を解放しない選択が続いた

6人は大高緑地で金品を奪った後も、野村さんと末松さんを解放しなかった。2人を車に乗せたまま各地へ移動し、拘束状態を続ける。強盗や性的暴行の発覚を恐れたことが、当初の金品目的の犯罪をさらに重大な段階へ進めた。

高裁判決が重視したのは、最初から2人を殺すために大高緑地へ向かった事件ではないという経過でもある。強盗は準備されたものだったが、殺人は被害者を連れ回す中で処罰を免れようとして持ち上がり、集団内の話し合いと同調を経て実行に移された。

野村昭善さんは2月24日、長久手町で殺害された

2月24日午前2時半すぎ、名古屋市熱田区の飲食店駐車場で、中心となっていた被告人が2人を殺害して遺体を埋める案を示し、4人が順次賛同した。高裁はこの時点で、野村さんと末松さんを殺害する5人の共謀が成立したと認定した。

同日午前4時半ごろ、野村さんは愛知県長久手町の墓地で殺害された。犯行の発覚を免れるための殺人だった。一方、後から合流した別の被告人について、高裁はこの野村さん殺害の共謀に参加したとまでは認めなかった。この認定が後に一人の刑を変更する重要な理由となる。

末松須弥代さん殺害の共謀には、後から加わった被告人も参加した

野村さんの殺害後も、末松さんは解放されなかった。2月24日夜、名古屋市内で新たに合流した被告人が、末松さんの殺害と2人の遺体遺棄の共謀に加わった。

翌25日午前3時ごろ、末松さんは三重県阿山郡大山田村の山林で殺害された。その後、野村さんと末松さんの遺体は同じ地域に掘られた穴へ埋められた。高裁判決は、男性被害者の殺害と女性被害者の殺害で、共謀に参加した人物と時点を同じものとして扱っていない。

野村さんと末松さんは、ともに理容の仕事を目指していた

野村さんは中学校卒業後に理容学校で学び、理容師免許を取得していた。将来は父親の理容業を継ぐ予定だった。末松さんは働きながら定時制高校を卒業し、理容店で見習いをしながら通信教育を受け、理容師免許試験に向けて準備していた。

2人は同じ理容店で働き、交際は双方の家族にも知られていた。高裁は量刑理由の中で、それぞれが仕事と将来の生活を築こうとしていたことにも触れ、何の関係もなかった若者集団の金品目的の襲撃によって二人の人生が奪われた結果を重く評価した。

逮捕後、6人はそれぞれ異なる刑事責任を問われた

2人が行方不明になった4日後の2月27日、愛知県警は関係者5人を逮捕し、翌28日までに6人の身柄を確保した。遺体も三重県内から発見される。被告人は犯行時17歳から20歳で、5人が少年、1人が20歳だった。

一連の犯行には、強盗未遂、強盗致傷、性的暴行、殺人、死体遺棄など複数の行為が含まれた。6人全員が最初から最後まで同じ役割を担ったわけではなく、誰がどの犯罪の共謀に入り、誰が実行行為を担ったかが個別に整理された。

一審は19歳だった被告人に死刑を言い渡した

1989年6月28日、名古屋地裁は、犯行を主導し野村さんと末松さんの殺害を実行した当時19歳の被告人に死刑を言い渡した。ほかの5人には、無期懲役、懲役17年、懲役13年、懲役5年以上10年以下の不定期刑2人という判決だった。

死刑を言い渡された被告人は犯行時19歳だった。当時の少年法でも18歳未満には死刑を科せなかったが、18歳以上の少年を一律に死刑対象から外す規定ではなかった。したがって控訴審の問題は、少年であることだけで死刑が違法かではなく、この事件の具体的な情状を総合して死刑がやむを得ないかにあった。

一審で懲役17年だった被告人については、弁護側だけでなく検察側も量刑を争った。弁護側は追随的な立場や更生の可能性を挙げて減刑を求め、検察側は関与が積極的であり無期懲役が相当だと主張した。高裁は双方の主張をそのまま採るのではなく、まず野村さん殺害の共謀成立そのものを証拠から見直した。

死刑判決を受けた被告人についても、弁護側は犯行時の未成熟さや矯正可能性を強調し、検察側は首謀者としての役割と二人を殺害した結果から死刑維持を求めた。高裁判決は、犯罪の重大性と少年期の事情のどちらか一方だけで結論を出さず、両者を量刑要素として並べて検討している。

控訴審は「集団の未成熟さ」と殺人に至る経過を検討した

名古屋高裁は犯行の重大性を軽く評価しなかった。2人が殺害された結果、金品目的から始まった犯行の身勝手さ、被害者や遺族の受けた被害を厳しく指摘し、死刑を選ぶことにも相当の根拠があると述べている。

その一方で、殺人と死体遺棄は、綿密に準備された殺人計画を別々の機会に繰り返した事件とは性質が異なると判断した。17歳から20歳の若者が集団内で互いに影響し、強盗から約45時間の拘束が続く中で事態を解決できないまま犯行を拡大させたという未成熟さを量刑上の事情として考慮した。

一審死刑を無期懲役へ変更した理由

死刑判決を受けた被告人は一連の犯行を提案し、集団を事実上主導し、2人の殺害も実行した。高裁も首謀者的な立場と責任の重さを明確に認めている。それでも、粗暴犯罪の前科前歴がなく、著しい性格偏奇が指摘されていなかったこと、控訴審までの間に反省が深まったことなどから、矯正可能性が残されていると評価した。

さらに高裁は、2人の殺害を当初から確定的に決め、周到な謀議と準備のもとで冷静に遂行した事案ではない点を考慮した。最終的に「無期懲役をもって、矯正による罪の償いを長期にわたり続けさせる余地がある」として、一審の死刑部分を破棄し無期懲役とした。

もう一人は、野村さん殺害の共謀を認めず17年から13年へ

1996年の高裁判決には、死刑から無期懲役への変更とは別の重要な事実認定がある。一審で懲役17年を言い渡された被告人について、高裁は野村さんを殺害する共謀に加わったとは認められないと判断し、その部分を無罪とした。

この被告人は、野村さん殺害後に末松さんの殺害と2人の遺体遺棄の共謀へ加わり、末松さん殺害の現場にも同行していた。高裁は残る犯罪の責任を重く評価しつつ、野村さん殺害への関与を除外したうえで懲役13年を言い渡した。

1996年の高裁判決後、上告は行われなかった

名古屋高裁判決は1996年12月16日に言い渡された。死刑を無期懲役へ変更された被告人、懲役13年となった被告人について、その後に上告は行われず、控訴審の刑が確定した。

この事件の控訴審は、「少年だから死刑を避けた」という一文では捉えられない。高裁は犯行の重大性を認めたうえで、殺人の計画性がどの段階で生じたのか、集団内で誰がどの共謀に加わったのか、19歳だった首謀者に矯正可能性が残るかを個別に検討し、一審とは異なる結論を出している。

参考資料・出典

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