又吉建男指名手配事件|比嘉正雄警部・拝根正吉警部補殺害容疑、36年続く公開捜査

公開日 2026年6月22日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1990年
都道府県
沖縄県
事件分類
未解決事件 / 殺人事件
事件状況
未解決

1990年11月23日深夜、沖縄市で暴力団抗争の警戒に当たっていた沖縄県警の警察官2人が銃撃され、死亡した。比嘉正雄警部(当時43)と拝根正吉警部補(当時42)。2人は私服で捜査車両に乗り、3代目旭琉会系組織の拠点近くを警戒していた。

沖縄県警は又吉建男を殺人事件の被疑者として全国指名手配し、警察庁も重要指名手配被疑者に指定している。又吉は1949年10月13日生まれ、身長約172センチ。2026年8月時点でも手配は解除されていない。過去には「死亡した可能性が高い」とする捜査関係者の見方も報じられたが、死亡確認は公表されておらず、警察の扱いは現在も「所在不明の被疑者」である。

発生1990年11月23日深夜
場所沖縄県沖縄市
被害者比嘉正雄警部(43)、拝根正吉警部補(42)
事件背景旭琉会の分裂に伴う第六次暴力団対立抗争
手配被疑者又吉建男
生年月日1949年10月13日
身長約172cm
手配容疑殺人
現在警察庁指定重要指名手配・沖縄県警が情報提供を継続
沖縄県警ページ2026年7月6日更新

1990年、沖縄の暴力団は内部対立から二つの勢力に分裂した

沖縄県警の暴力団史によると、3代目旭琉会では組織運営方針をめぐる対立が続き、絶縁処分となった理事長が1990年10月に「沖縄旭琉会」を結成した。これを機に両団体の対立が激化し、「第六次抗争」と呼ばれる銃撃事件の連鎖へ発展した。

県警は、この抗争で警戒中の警察官2人だけでなく、アルバイト中の定時制高校生1人も拳銃で殺害されたと記録している。暴力団員同士だけに被害が限定されず、一般市民と警察官まで巻き込んだ点が、第六次抗争の大きな特徴だった。

比嘉正雄警部と拝根正吉警部補は、抗争を止める側にいた

亡くなった比嘉警部と拝根警部補は、暴力団抗争を警戒する任務に就いていた。沖縄テレビや琉球新報の追悼報道では、2人は私服で捜査車両に乗務し、沖縄市胡屋にあった3代目旭琉会錦一家の隠れアジト付近で待機していたとされる。

2人は暴力団の一員ではなく、その対立を監視する警察官だった。それにもかかわらず、対立組織の構成員と誤認されて銃撃されたと報じられている。抗争が、標的を正確に識別する段階さえ失った状況にあったことを示す事件だった。

事件後、実行に関わった人物の一人が捜査線に浮上した

琉球新報が事件30年に合わせて報じた捜査回顧では、目撃者情報などから、後に服役することになる人物が早い段階で捜査線に浮上した。その人物への捜査を進める中で、県警は犯行を指示した人物がいるとみて又吉の関与を追うようになったという。

同紙によると、県警は又吉を一度任意同行し、事情を聴いた。又吉は関与を否定し、その翌日に姿を消した。ここから、長期間にわたる追跡捜査が始まった。又吉については逮捕も公判も行われていないため、犯行への関与は現在も「警察が殺人容疑で追っている」という法的段階にある。

実行に関わった一人が立件されても、又吉本人への司法判断はない

事件30年時の琉球新報は、実行に関わった人物の一人が殺人罪などで立件され、受刑していると報じた。これに対し、又吉は犯行を指示した人物として捜査線に浮上したとされるものの、身柄が確保されないまま逃走が続いた。

共犯とされた人物に有罪判決が出ていることと、又吉本人の刑事責任が確定していることは別である。又吉に対する公判は開かれておらず、本人の関与について裁判所が有罪認定を行った事実もない。現在の正確な表現は、警察が殺人容疑で重要指名手配している「被疑者」となる。

県警は県外へ追跡班を送り、関西方面まで足取りを追った

県警は刑事部から捜査員を選抜し、追跡班を編成した。琉球新報の取材では、本土の暴力団関係先へも捜査員を送り、又吉が関西地方に潜伏していた時期には逃走に使用した車両や高速道路の利用履歴まで追ったとされる。

又吉が単独で完全に孤立して逃げたとは限らず、県外組織の援助を受けていたと県警関係者はみていた。追跡が長期化した背景には、暴力団組織を介した潜伏支援の存在があったと報じられている。

最後に具体的な足取りが確認されたのは2000年10月の京都だった

琉球新報によると、県警が最後に具体的な足取りを確認したのは2000年10月。又吉は京都府内の病院を他人名義の保険証で受診していたとされる。検査では、がんが脊髄へ転移した末期症状が確認されたという。

この病状から、捜査関係者の間では又吉が既に死亡している可能性が高いとの見方が強まった。2018年や2020年には、死亡した可能性を前提に書類送検を検討しているとの報道も出た。だが、遺体や身元を確定する資料が得られたとの公表はなく、手配は継続された。

「死亡説がある」ことと「死亡が確認された」ことは別

又吉事件で最も誤解しやすい点の一つが現在の身分だ。病状や長期間の音信不通から死亡説は繰り返し報じられている。旭琉会幹部が「今は生きていないだろう」と取材に答えた例もある。

しかし2026年の警察庁重要指名手配ページには、又吉が76歳の殺人被疑者として掲載されている。沖縄県警の手配ページも2026年7月6日に更新され、似た人物を見掛けた場合の通報を求めている。警察が死亡確認を発表していない以上、死亡説を確定事実へ置き換えることはできない。

公訴時効が成立した事件としては扱われていない

1990年の事件でありながら現在も殺人容疑の指名手配が続いていることから、「すでに時効ではないのか」という疑問が生じやすい。刑事訴訟法には、共犯者への公訴提起や国外滞在などに伴う公訴時効の停止に関する規定がある。

さらに2010年の法改正では、人を死亡させた罪のうち死刑に当たる罪について公訴時効が廃止され、施行時に時効が完成していなかった事件にも新しい規定が適用される経過措置が置かれた。又吉について警察が現在も殺人容疑で公開手配を続けている以上、少なくとも「時効成立で捜査終了した事件」ではない。

県内の対立抗争は第一次から第六次まで253回に及んだ

沖縄県警の公表資料は、1961年の第一次抗争から1990年の第六次抗争までに、県内で対立抗争が253回発生し、20人が死亡、114人が負傷したとまとめている。第六次抗争では、警戒中の警察官2人に加え、アルバイト中の定時制高校生1人も拳銃で殺害された。

この数字は比嘉警部・拝根警部補の事件だけの被害数ではなく、長年続いた県内暴力団抗争全体の集計である。個別事件と抗争全体の数字を混同すると、被害規模や事件経過が分からなくなるため、切り分けて見る必要がある。

第六次抗争後、県警は220人を検挙し、拳銃42丁を押収した

沖縄県警は第六次抗争を受け、暴力団への大規模な取締りを進めた。県警の公表資料によると、首領11人、幹部88人を含む220人の被疑者を検挙・隔離し、延べ522カ所を捜索。拳銃42丁を含む5452点を押収した。

抗争そのものは鎮静化へ向かったが、比嘉警部と拝根警部補の殺害事件では又吉の身柄が確保されなかった。暴力団対策としての「抗争終結」と、個別の殺人事件の「被疑者検挙」は別の問題として残った。

分裂した二つの組織は2011年に一本化したが、手配事件は残った

沖縄県警によると、第六次抗争で分裂していた四代目旭琉会と沖縄旭琉会は、抗争から21年余りを経た2011年11月に一本化し、「旭琉會」と改称した。組織間の対立構造そのものは大きく変化したことになる。

それでも1990年11月23日の警察官2人殺害事件は終結しなかった。暴力団組織の再編や抗争の鎮静化は、逃走中の被疑者に対する捜査を消滅させるものではない。又吉の公開手配が現在まで続く理由は、組織史と個別の刑事事件が別に残っているからだ。

2018年、沖縄署に2人の慰霊碑が建立された

事件から28年となった2018年11月、沖縄警察署の敷地内に比嘉警部と拝根警部補の慰霊碑が建立された。沖縄県警の『50年の歩み』によると、警友会や暴力団追放県民会議などの浄財で建立され、暴力団壊滅への対決姿勢を後世へ伝える趣旨が碑文に刻まれている。

県警は事件の節目ごとに慰霊式を開き、2人の殉職を追悼してきた。被害者を「警察官2人」という人数だけで扱わず、比嘉正雄さんと拝根正吉さんの名前を残す行為でもある。

2026年も、又吉建男は警察庁指定重要指名手配被疑者

警察庁の重要指名手配ページは、又吉の容疑を「殺人」とし、身長を約172センチと掲載している。沖縄県警も「平成2年、沖縄市において警察官2名を殺害した」事件の手配被疑者として情報提供を求めている。

事件発生から36年近くが経過した2026年8月も、逮捕、死亡確認、手配解除の公表はない。又吉の行方が分からない限り、刑事裁判で又吉本人の関与を審理することもできない。確定しているのは、比嘉警部と拝根警部補が抗争警戒中に殺害されたこと、そして警察が又吉をその殺人事件の被疑者として追い続けていることだ。

参考資料・出典

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