1988年3月18日午後7時40分ごろ、名古屋市中川区のアパートに帰宅した夫は、室内から赤ん坊の泣き声を聞いた。部屋では、第一子の出産予定日を過ぎていた守屋美津子さん(当時27歳)が倒れており、腹部から取り出された男児が生きていた。
美津子さんは電気コードで首を圧迫されて死亡していた。財布はなくなり、室内には犯人の行動をうかがわせる特異な痕跡が残されていた。愛知県警は延べ約4万人の捜査員を投入したものの、逮捕には至らず、事件は2003年に公訴時効を迎えた。
| 発生日 | 1988年3月18日 |
|---|---|
| 発見時刻 | 同日午後7時40分ごろ |
| 場所 | 名古屋市中川区富田町のアパート |
| 被害者 | 守屋美津子さん(当時27歳) |
| 死因 | 電気コードによる頸部圧迫で窒息死と報じられている |
| 男児 | 体外へ取り出された状態で発見され、生存 |
| 主な手掛かり | 事件当日にアパートを訪れた30歳前後の男、室内の状況、なくなった財布 |
| 捜査 | 愛知県警が延べ約4万人の捜査員を投入 |
| 逮捕・起訴 | なし |
| 公訴時効 | 2003年3月18日に完成 |
帰宅した夫が聞いた、赤ん坊の泣き声
美津子さんは夫と2人で暮らし、第一子の出産を目前にしていた。事件当日は友人が自宅を訪れており、夕方までは普段の生活が続いていた。夫が帰宅したのは午後7時40分ごろ。玄関を開けたあと、室内から聞こえたのは生まれたばかりの男児の泣き声だった。
美津子さんはすでに死亡していたが、男児には生命反応があり、病院へ搬送されて助かった。母親が殺害された現場で、出産直後の子どもだけが生き残った。この事実が、事件を広く知られるものにした。
首には電気コード、室内からは財布がなくなっていた
美津子さんの死因は、電気コードで首を圧迫されたことによる窒息死とされる。腹部は切開され、胎児が体外へ取り出されていた。後年の報道では、電話機の受話器とキーホルダーが腹部に置かれていたことも伝えられている。
さらに、美津子さんの財布がなくなっていた。中には現金数千円が入っていたとされる。現金の持ち去り、腹部切開、室内に残された物――現場には性質の異なる要素が重なっており、単純な金品目的だけでは説明しきれない状況だった。
午後3時すぎ、「ナカムラさん」を訪ねた男
事件当日の午後3時すぎ、同じアパートの1階を30歳前後の男が訪ねていた。男は住人に「ナカムラさん宅を知らないか」と尋ね、知らないと答えられると立ち去ったという。後年の資料では、丸顔だったことなども伝えられている。
この男は捜査で重要な目撃情報の一つとなったが、身元は分からなかった。事件当日のアパートに見慣れない人物がいたという事実は残ったものの、その後の捜査を逮捕へ結びつける手掛かりにはならなかった。
友人の滞在中、玄関のドアノブが動いた
同じころ、美津子さん宅には女性の友人が来ていた。文春オンラインが紹介した資料によると、友人の滞在中に玄関のドアノブを回すような動きがあった。ドアは施錠されていたため、誰かが室内へ入ることはなかったという。
その後、美津子さんは友人を見送るため一緒に外へ出た。部屋を離れた短い時間、玄関は施錠されていなかったとされる。捜査では、この間に何者かが室内へ入り、美津子さんが戻るのを待った可能性も検討された。
腹部の切開から広がった「医療知識」の捜査線
胎児が取り出され、へその緒が切られていたことから、捜査では刃物の扱いや出産に関する知識を持つ人物も視野に入れられた。こうした経緯から、後に「医療関係者が犯人ではないか」という説が広く知られるようになった。
ただ、捜査が医療関係者だけに絞られたわけではない。現場の状況から生まれた一つの捜査線であり、目撃された男の情報や被害者の交友関係、周辺の不審者など、幅広い確認作業が続けられた。
受話器とキーホルダーは、何を意味していたのか
現場に残された電話機の受話器とキーホルダーは、この事件を語る際にたびたび取り上げられてきた。日常的な生活用品が、殺害現場では説明のつかない形で置かれていたためだ。
捜査では犯行の動機や人物像を探る材料になったが、意味を解く供述は得られなかった。何らかの意図があったのか、それともその場の行動だったのか。事件の背景を読み解く鍵になりそうでありながら、最後まで答えは出なかった。
延べ約4万人の捜査でも、人物像を一人に絞れなかった
愛知県警は周辺住民への聞き込み、事件当日の目撃情報の確認、被害者の交友関係や生活圏の洗い出しなどを続けた。投入された捜査員は延べ約4万人に上ったとされる。午後3時すぎに現れた男、友人が聞いたドアノブの音、財布の持ち去り、腹部切開の手口など、捜査線は複数に広がった。
一方で、それぞれの手掛かりを同じ人物へ結びつける材料が乏しかった。目撃情報から身元へたどり着けず、被害者周辺からも逮捕に直結する人物は浮かばない。現場の特徴は多かったが、容疑者を一人に絞るための情報が欠けた状態が続いた。
2003年の時効前に報じられた捜査側の振り返りでは、被害者との明確な人間関係から容疑者を絞るタイプの事件ではなく、捜査範囲が広がったことが難しさの一因として挙げられている。見知らぬ人物による犯行も含めて対象が広がれば、聞き込みや照合作業の量は一気に増える。
生き残った男児と、事件後の家族
救命された男児は治療を受け、その後成長した。後年の報道では、父親が息子を育て、1990年代末には2人でハワイへ移ったと伝えられている。
美津子さんを失った家族にとって、事件は捜査の対象であると同時に生活そのものを変える出来事だった。男児が生き延びたことは事件の重要な事実だが、その後の人生は被害者家族の私生活でもある。公に伝えられているのは、父子が新たな生活へ移ったところまでだ。
15年間の捜査を経て、2003年に公訴時効
当時、殺人罪の公訴時効は15年だった。事件から15年後の2003年3月18日、被疑者が逮捕されないまま時効が完成した。刑事裁判が開かれることはなく、捜査で集められた多数の情報も、犯人の特定には結びつかなかった。
時効直前まで警察は情報提供を求め、海外逃亡などによって時効の進行が止まる事情がないかも確認するとしていた。しかし、訴追へつながる人物は現れず、事件は法的な期限を迎えた。
その後、殺人罪の時効制度は大きく変わった
公訴時効制度は事件後に改正された。2004年成立の改正法では、死刑に当たる罪の時効が15年から25年へ延長され、2010年には人を死亡させた罪のうち死刑に当たるものについて公訴時効そのものが廃止された。
ただし、名古屋の事件は2003年の時点ですでに時効が完成していた。法務省が示す2010年改正法の経過規定では、施行時に公訴時効が完成している罪に新しい規定は適用されない。現在の制度で見れば時効のない殺人事件だが、本件の刑事訴追は2003年に期限を迎えたままである。
残されたのは、事件当日の断片だった
午後3時すぎに「ナカムラさん」を訪ねた男。友人の滞在中に動いた玄関のドアノブ。短時間の無施錠。なくなった財布。そして、室内に残された受話器とキーホルダー。捜査はそれぞれをつなぎ合わせようとしたが、一人の人物へ収束することはなかった。
1988年3月18日、美津子さんは自宅で命を奪われ、生まれたばかりの男児は生き延びた。事件から38年以上が過ぎた2026年も、誰が部屋へ入り、なぜこの犯行に及んだのかは分かっていない。15年間にわたる大規模捜査と、その後の時効制度改正まで含めて、この事件は未解明のまま残っている。
参考資料・出典
- デイリー新潮「妊婦の腹が切り裂かれ、中に受話器とキーホルダーが…」
- デイリー新潮「名古屋妊婦切り裂き事件はなぜ未解決のまま時効を迎えたのか」
- 文春オンライン「名古屋のアパートで発見されたのは『腹を割かれた27歳の妊婦』」
- 文春オンライン「捜査でわかった『3つのこと』」
- 文春オンライン「犯人と胎児は…」
- 法務省「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」
- 法務省「刑事訴訟法における公訴時効に関する改正」
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