1981年6月17日午前11時35分ごろ、東京都江東区森下2丁目の商店街で、川俣軍司(当時29歳)が柳刃包丁を手に通行人を次々と襲った。長野るみ子さん(27歳)と長女・統子ちゃん(3歳)、長男・博明ちゃん(1歳)、二本松美代子さん(33歳)の4人が死亡し、さらに女性2人が負傷した。
川俣はその後、別の女性を人質にして近くの中華料理店へ立てこもり、約7時間後に逮捕された。裁判では犯行そのものよりも、覚醒剤使用と幻覚妄想状態が責任能力へどこまで影響したかが最大の争点となった。東京地裁は心神喪失ではなく心神耗弱と認定し、1982年12月23日に無期懲役を言い渡した。
| 発生日 | 1981年6月17日午前11時35分ごろ |
|---|---|
| 場所 | 東京都江東区森下2丁目の商店街 |
| 被告人 | 川俣軍司(当時29歳) |
| 死亡 | 4人 |
| 死亡した被害者 | 長野るみ子さん、統子ちゃん、博明ちゃん、二本松美代子さん |
| 路上での負傷 | 女性2人 |
| その後 | 女性を人質に中華料理店へ立てこもり |
| 立てこもり | 約7時間 |
| 主要争点 | 覚醒剤使用・幻覚妄想状態と責任能力 |
| 判決 | 1982年12月23日・東京地裁、無期懲役 |
ベビーカーを押す母親と幼い子ども2人が最初に襲われた
当時の新聞報道によると、川俣は喫茶店前の歩道で、長野るみ子さんと3歳の統子ちゃん、ベビーカーに乗っていた1歳の博明ちゃんを柳刃包丁で次々に刺した。母子3人は死亡した。
川俣はそのまま歩道を進み、二本松美代子さんも刺して死亡させた。短い距離を移動しながら、面識のない通行人が連続して襲われる展開となった。
さらに女性2人を負傷させた後、人質を取った
当時報道では、母子3人が襲われた場所から西へ進んだ川俣が二本松さんを刺し、その先でも高齢女性や別の女性へ刃物を向けたとされる。数十メートルほどの歩道上で被害が連続した。
人質となった女性は、川俣と面識のない通行人だった。川俣は包丁を突き付けて中華料理店へ入り、店の奥へ移動した。最初の殺傷から立てこもりまでが短時間につながったため、警察は負傷者の救護と人質救出を同時に進める必要があった。
4人を殺害した後も攻撃は止まらず、通行中の女性2人が包丁で負傷した。社会安全研究財団の研究は、通りすがりの女性や幼児を次々に襲い、4人を死亡させ、2人に傷害を負わせた事件として整理している。
さらに川俣は別の女性を人質にし、近くの中華料理店へ入った。同研究は、人質となった女性にも傷害を負わせたと記している。一般に「4人死亡・2人負傷」と紹介されることが多いが、これは路上で殺傷された6人を指し、人質女性への被害は別に存在した。
約7時間、中華料理店で立てこもり
店内では、川俣が自分を陥れた『黒幕』がいるという趣旨の発言や、電波を送られているという内容を口にしたと当時報道は伝えている。警察は要求を聞きながら時間をかけて説得を続けた。
この言動は、後の精神鑑定で検討された妄想状態とも関係する資料になった。ただし、立てこもり時の異常な発言だけで心神耗弱が決まったのではなく、犯行前からの生活歴、覚醒剤使用、事件時の行動全体が鑑定対象になった。
川俣は人質女性を連れて店内へ入り、警察の説得に応じず長時間立てこもった。当時報道では、以前の勤務先関係者や実在する著名人の名前を挙げて呼び出すよう求めるなど、現実との結びつきが乏しい要求を繰り返した。
事件は路上の連続殺傷から人質立てこもりへ移り、周辺には多数の警察官や報道陣が集まった。最終的に警察が身柄を確保し、川俣は逮捕された。
直接のきっかけは、仕事と生活の行き詰まりだった
川俣はすし職人などとして働いた経験があったが、職場を転々としていた。事件直前にも就職をめぐる問題を抱え、採用されなかったことなどへの不満を強めていたと当時報道は伝えている。
ただし、裁判は「就職を断られて腹を立てた」という説明だけで事件を理解しなかった。川俣には長年の性格傾向、被害的な考え、覚醒剤使用が重なり、犯行時には精神障害の影響が強く表れていたと鑑定された。
血液と尿から覚醒剤が検出された
事件後、川俣の血液や尿から覚醒剤が検出されたと当時報道されている。覚醒剤使用は、犯行時の精神状態を考える上で重要な事実となった。
しかし、刑事裁判で問われたのは「覚醒剤を使っていたか」だけではない。薬物の影響によって、善悪を判断する能力や、その判断に従って行動を抑制する能力がどの程度失われていたのかが責任能力の問題となった。
捜査段階と公判で、精神状態が繰り返し検討された
事件後の責任能力評価では、覚醒剤中毒だけでなく川俣の長期的な人格傾向や被害的な思考も調べられた。公判では弁護側が心神喪失を主張したため、裁判所も専門家による鑑定を行い、責任能力の程度を改めて検討した。
精神鑑定資料を収録した『日本の精神鑑定』にも「深川の通り魔事件」が収められている。結論は、幻覚・妄想に強く影響されていたものの、行為の善悪を理解する力と行動を制御する力が完全に失われていたわけではないという方向だった。
鑑定は「幻覚妄想状態」を認めた
社会安全研究財団の研究は、東京地裁判決の判断を、異常性格を基盤とする心因性妄想に覚醒剤使用の影響が加わって生じた幻覚妄想状態と整理している。
つまり、単純な酩酊や一時的な興奮として扱われたのではない。元からの人格・性格傾向、精神的な負荷、薬物の影響が重なった結果、犯行時の判断能力と行動制御能力が著しく低下していたと評価された。
弁護側は心神喪失による無罪を主張
公判では、川俣が犯行時に刑事責任を負える状態だったかが争われた。弁護側は、幻覚妄想状態の程度が重く、心神喪失として無罪にすべきだと主張したと当時報道は伝えている。
裁判所は精神鑑定を実施し、行為の意味を理解し、自分の行動を制御する能力が完全に失われていたかを検討した。結論は、能力は著しく低下していたが完全には失われていないというものだった。
心神喪失ではなく、心神耗弱
刑法39条では、心神喪失者の行為は罰しない一方、心神耗弱者の行為は刑を減軽する。両者の違いは、責任能力が失われていたのか、著しく低下していたのかにある。
東京地裁は川俣を後者と判断した。4人を殺害した事実が軽く評価されたのではなく、本来の犯罪結果を前提にした上で、犯行時の責任能力が限定されていたため法律上の減軽が必要になった。
検察も死刑ではなく無期懲役を求刑
4人死亡という結果から、責任能力に問題がなければ死刑が現実的に検討される事件だった。ところが鑑定が心神耗弱の方向を示したため、検察側も刑法39条による必要的減軽を前提に論告を組み立てた。
無期懲役求刑は『被害が軽い』との評価ではない。死刑に相当し得る重大な結果を認めながら、責任能力が著しく低下していた以上、法律上そのまま死刑を選べないという構造だった。
当時報道では、精神鑑定で心神耗弱とする結論が示された後、検察側も1982年10月の論告で無期懲役を求刑した。4人が死亡した無差別殺傷事件でありながら、死刑求刑には進まなかった。
責任能力が完全に認められる事件なら、被害者4人という結果は死刑選択が問題となる重大な事情になる。川俣の裁判では、まさにその前提となる責任能力の程度が量刑の上限を左右した。
1982年12月23日、東京地裁が無期懲役
判決は、川俣の精神状態を『異常性格を基盤とする心因性妄想に覚醒剤使用の影響が加わって生じた幻覚妄想状態』と評価したと後年の研究は整理している。
同時に、責任能力が完全に失われていたとの弁護側主張は退けた。川俣には自分の行為が持つ意味を理解する能力が一定程度残っており、そのため無罪ではなく有罪、ただし刑を減軽する心神耗弱という結論になった。
東京地裁は1982年12月23日、川俣に無期懲役を言い渡した。社会安全研究財団の研究は、この事件を「心神耗弱が認められた事例」として取り上げ、死刑を減軽して無期懲役とした判決として整理している。
判決は、犯行の結果や態様が極めて重大であることを前提にしながらも、精神障害による責任能力の著しい低下を法的に無視できないとした。
控訴せず、一審の無期懲役が確定
当時の事件記録や佐木隆三のノンフィクションでは、川俣は一審判決後に控訴せず、無期懲役が確定したとされる。最高裁まで争われた事件ではない。
したがって、「最高裁が心神耗弱を認めた事件」ではない。責任能力と無期懲役を判断した中心は東京地裁であり、その判決を不服として上級審へ進まなかったため確定した。
深川事件は保安処分論争にも利用された
事件当時、日本では刑法全面改正と、刑事責任能力が限定された精神障害者への保安処分制度を設けるかが議論されていた。前年の新宿西口バス放火事件と深川事件が続いたことで、制度新設を求める議論は勢いを増した。
一方、法社会学研究は、重大事件を根拠に精神障害者全体を危険視する『野放し論』への警戒も強かったと記録している。個別事件の責任能力判断を、そのまま精神医療政策全体の危険性評価へ広げることへの反論が存在した。
1980年の新宿西口バス放火事件に続き、1981年に深川通り魔事件が起きると、精神障害のある犯罪者を刑罰とは別に拘束・治療する「保安処分」制度をめぐる議論が再び強まった。
J-STAGE掲載の法社会学研究は、当時の法務大臣が両事件を背景に刑法全面改正と保安処分新設の必要性を強調した一方、精神障害者全体を危険視する議論への批判も強かったと記録している。
精神障害や覚醒剤使用を、暴力性と一般化しない
この事件で心神耗弱が認定されたのは、川俣本人について、犯行時の具体的な精神状態を二度の鑑定などから判断した結果である。精神障害がある人や薬物依存の経験者が一般に暴力的であるという判断ではない。
裁判所が検討したのは、事件当時の川俣の幻覚・妄想、性格傾向、覚醒剤の影響、行動のまとまり方を個別に評価した責任能力だった。事件の重大性と刑法39条の適用は別々に検討され、その結果として無期懲役が選択された。
責任能力は、犯罪をしたかどうかとは別の段階で判断される。川俣が4人を殺害し、複数人を負傷させた事実自体は争いの中心ではなく、その行為についてどこまで完全な刑事責任を負わせられるかが問題だった。
心神耗弱が認められると刑法上は刑を減軽しなければならない。結果が重大だから責任能力の低下を無視することも、精神状態に問題があるから被害結果を軽視することもできない。その二つを同時に扱ったことが、深川事件の裁判の核心だった。
4人死亡という結果と、無期懲役が両立した理由
深川事件が現在も責任能力の議論で引用されるのは、被害の大きさと量刑だけを見れば理解しにくい結論だからだ。4人が死亡し、複数人が負傷し、さらに人質立てこもりまで続いた。
それでも刑法は、犯行時に責任能力が著しく低下していた者について刑を減軽するよう定めている。東京地裁は被害結果を軽視したのではなく、重大な結果を認定した上で心神耗弱という法的評価を加え、死刑ではなく無期懲役とした。
参考資料・出典
- 社会安全研究財団「薬物乱用と刑事責任能力」
- J-STAGE「保安処分をめぐる注意識」
- 国立国会図書館サーチ『日本の精神鑑定―重要事件25の鑑定書と解説1936-1994』
- CiNii Books 佐木隆三『深川通り魔殺人事件』
- 筑波大学リポジトリ「犯罪事件報道の通時的分析」
- 朝日新聞 1981年6月17日夕刊・1982年12月23日夕刊
- 読売新聞 1981年6月18日朝刊・1982年12月24日朝刊
- 毎日新聞 1982年10月22日夕刊・12月23日夕刊
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