1980年8月19日午後9時8分ごろ、東京・新宿駅西口。発車を待っていた京王帝都電鉄の中野車庫行き路線バスに、火のついた新聞紙とガソリンが投げ込まれた。
車内には30人を超える乗客がいた。火は一気に広がり、6人が死亡。乗客13人と運転手の計14人が火傷などのけがを負った。
現場から離れようとした男は間もなく取り押さえられた。建設作業員だった丸山博文、当時38歳だった。
誰が火を放ったのかについて、大きな争いが残った事件ではない。
その後4年近く続いた裁判で問題になったのは、丸山がなぜガソリンを用意したのか、乗客を死亡させることを認識していたのか、そして犯行時にどこまで自分の行動を制御する能力が残されていたのかという点だった。
東京地裁は殺意を認定する一方、丸山について心神喪失ではなく心神耗弱だったと判断した。検察が死刑を求刑した事件で言い渡されたのは、無期懲役だった。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事件名 | 新宿西口バス放火事件 |
| 発生日 | 1980年8月19日 |
| 発生時刻 | 午後9時8分ごろ |
| 発生場所 | 東京都新宿区・新宿駅西口バスターミナル |
| 被害 | 6人死亡、14人負傷 |
| 被告人 | 丸山博文 |
| 主な罪 | 建造物等以外放火、殺人、殺人未遂 |
| 第一審 | 東京地裁・無期懲役 |
| 第一審判決 | 1984年4月24日 |
| 控訴審 | 東京高裁・双方の控訴を棄却 |
| 控訴審判決 | 1986年8月26日 |
| 確定刑 | 無期懲役 |
| その後 | 服役中の1997年に死亡 |
午後9時8分、発車待ちのバスに放たれた火
事件が起きたのは、新宿駅西口の京王百貨店前にあった20番バス停だった。
東京地裁判決によると、バスは中野車庫行きで、発車を待つ間に30人を超える客が乗車していた。車内灯はついており、乗降口も開いていた。
丸山は、ガソリン約3.8リットルを入れたバケツを右手に、火をつけた新聞紙を左手に持ってバスへ近づいた。
後部の降車口から火のついた新聞紙を車内へ投げ入れ、続けてその付近へガソリンをまいた。
車内は爆発的に炎上した。
最後部付近にいた3人は車内で死亡した。その後、病院へ搬送された3人も死亡し、死者は計6人となった。ほかに乗客13人と運転手が火傷、熱傷、骨折などのけがを負った。
判決が認定した被害は、「多数が負傷した」という抽象的なものではない。負傷者の中には治療に約6カ月を要するとされた人も複数いた。
放火後、丸山は中央分離帯の植え込みへ戻り、置いていた荷物を持って現場から離れようとした。しかし道路を渡った付近で通行人に取り押さえられた。
当初は犯行を否定し、髪が焦げていることについても別の理由を説明していた。
この犯行直後の行動は、のちの裁判で責任能力を判断する材料になった。
裁判では、丸山に殺意があったか、犯行時に現実を認識し自分の行動を制御する能力がどこまで残っていたかが検討された。
ガソリンは事件の4日前に購入されていた
事件当日に突然ガソリンを手に入れ、そのままバスへ向かったわけではなかった。
丸山は事件4日前の8月15日午後10時すぎ、新宿のガソリンスタンドで10リットルのガソリンを購入した。
その容器を毛布で包み、京王百貨店西側道路の中央分離帯にある植え込みへ隠した。
ここで裁判上の一つ目の問題が生じた。
丸山は公判で、ガソリンは以前働いていた工務店への手土産として購入したという趣旨の説明をした。一方、捜査段階には「火をつけて人を驚かせようと思った」とする供述も残されていた。
東京地裁は、工務店への手土産だったという説明を退けた。
ただし、検察側が主張したように、購入した時点ですでに「路線バスを燃やす」と具体的に決めていたとまでは認定しなかった。
判決が認めたのは、8月15日の時点では、どこかへ放火するためにガソリンを購入したものの、対象までは特定していなかったという事実だった。
この違いは小さくない。
ガソリンを4日前から用意していたことだけを見れば、事件全体が最初から綿密に計画されていたようにも見える。しかし判決は、ガソリンの準備と「乗客のいるバスへ放火する」という最終的な意思決定を分けて認定した。
その判断が、犯行動機や責任能力の検討にもつながっていく。
「世間に馬鹿にされた」という感覚が犯行へつながった
事件までの数日間、丸山は新宿や高尾周辺を行き来していた。
東京地裁判決では、丸山が通行人から言葉をかけられたこと、大声を出して注意されたこと、禁漁場所で釣りをして注意されたことなど、一連の出来事が検討された。
その中には客観的な裏付けが確認された出来事もあれば、丸山自身の受け止め方が大きく関係していた出来事もあった。
事件当日の夜には、新宿駅西口地下街のコインロッカーに預けていた荷物を取り出そうとした。しかし使用期限が過ぎていたため荷物は別の場所へ移され、ロッカーの鍵も交換されていた。
判決は、丸山がこの出来事についても「馬鹿にされた」と感じたと認定した。
その後、以前に経験した不快な出来事も思い出され、飲酒の影響も加わって、世間に対する憤りが急激に高まった。
そして中央分離帯に隠していたガソリンを使い、目の前を発着していた路線バスへ火を放つことを決めた。
東京地裁が認定した犯行動機は、特定の被害者への恨みではない。
自分を馬鹿にしていると感じた「世間」への憤りを晴らそうとしたことだった。
乗客と丸山の間に個人的な関係はなかった。
その夜、そのバスに乗り合わせていたというだけで、人々は事件に巻き込まれた。
丸山は乗客がいることを知っていたのか
裁判では、殺意の有無も大きな争点になった。
丸山は公判で、後部降車口から車内を見たものの乗客は見えず、人が乗っていないと思ったという趣旨の供述をした。
この供述が事実かどうかは、殺人の故意を認定するうえで重要な争点になった。
しかし東京地裁は、この説明を採用しなかった。
犯行時、バスには30人を超える乗客がいた。車内灯がつき、3カ所の乗降口が開いていた。丸山がガソリンをバケツへ移した植え込みからバスまでは20数メートルほどで、間を遮るものもなかった。
さらに丸山は、バケツを探し、ガソリンを移し、新聞紙に火をつけ、道路を渡ってバスへ近づくという一連の行動を取った。
放火後にはその場を離れ、取り押さえられた際には犯行を否定した。
東京地裁は、こうした犯行前後の行動などから、丸山には周囲を認識する能力があり、バスに多数の乗客がいることも認識していたと判断した。
約3.8リットルのガソリンを乗客のいるバス内部で炎上させれば、人が焼死することは予見できる。
そのため裁判所は、丸山には放火の故意だけでなく、乗客に対する殺意もあったと認定した。
ここまでは、丸山が自分の行為をまったく理解していなかったという判断とは相いれない。
それでも裁判は、完全な責任能力があったとも結論づけなかった。
次に問題になったのが、事件の判決を特徴づけることになる「責任能力」だった。
なぜ「心神喪失」ではなく「心神耗弱」だったのか
丸山の責任能力について、裁判では複数の精神鑑定が行われた。
鑑定結果や専門家の評価には違いもあったが、東京地裁が最終的に重視したのは、単に精神疾患の診断名があるかどうかではなかった。
判決は大きく三つの要素を検討した。
一つは、丸山の知的能力や精神的成熟の程度。
二つ目は、福祉関係者などから追跡・迫害されているという被害・追跡妄想。
三つ目が、犯行時の飲酒の影響だった。
飲酒について、東京地裁は重度の酩酊状態だったとは認めていない。
丸山は犯行の前後に、バケツを探す、ガソリンを移し替える、新聞紙へ火をつける、バスへ近づく、放火後に荷物を持ってその場を離れるなど、いくつもの行動を取っていた。
記憶も大部分が保たれていた。
このため裁判所は、善悪を判断してその判断に従って行動する能力が完全に失われていた=心神喪失という弁護側の主張を退けた。
一方で、責任能力に何の問題もなかったという検察側の見方も採用しなかった。
判決は、丸山に被害・追跡妄想が存在し、他人の言動を通常以上に「自分が馬鹿にされた」と受け取りやすい状態にあったと認定した。
そこへ飲酒の影響が加わり、世間への憤りが急激に高まった。
東京地裁は、この精神状態が犯行動機の形成と深く結びついており、丸山は犯行時、善悪を判断し、その判断に従って行動する能力が著しく低下していたと判断した。
完全に失われてはいない。
しかし正常な状態ともいえない。
それが「心神耗弱」という結論だった。
死刑ではなく無期懲役となった理由
検察は丸山に死刑を求刑した。
6人が死亡し、14人が負傷した結果について、裁判所も事件を極めて重大に評価した。
1984年4月24日の東京地裁判決は、犯行態様、被害の大きさ、遺族の処罰感情、公共交通機関の乗客を無差別に襲ったことなどを厳しく指摘した。
そのうえで判決は、法律上の減軽事由がなければ極刑で処断すべき事件だったという趣旨を明記した。
それでも主文は死刑ではなかった。
犯行時の丸山が心神耗弱状態にあったとの認定が、死刑を選択しなかった理由になった。
当時も刑法39条は、心神耗弱者の行為について刑を減軽することを定めていた。
東京地裁はこの法律上の減軽を適用し、丸山を無期懲役とした。
この判決を「精神状態が考慮されたから刑が軽くなった」とだけ理解すると、裁判所の判断の核心が見えにくい。
裁判所は、丸山に殺意がなかったとは判断していない。
バスに乗客がいることを認識し、死亡する危険を予見しながら放火したとして、裁判所は殺意を明確に認定した。
その一方で、殺意が存在したことと、その意思決定を行った時点の責任能力が著しく低下していたことは両立すると判断した。
新宿西口バス放火事件の裁判では、この二つが分けて判断された。
無期懲役の確定と、事件後も続いた被害
第一審判決後、検察側と弁護側の双方が控訴した。
東京高裁は1986年8月26日、一審の無期懲役判決を支持し、双方の控訴を棄却した。これによって無期懲役が確定した。
丸山は千葉刑務所で服役し、1997年に獄中で自死したことが後に伝えられた。
一方で、事件は刑事裁判の確定だけで終わったわけではない。
生存した被害者の中には長期間の治療を必要とした人がいた。
被害者の一人、杉原美津子は全身の約80%に熱傷を負いながら生還し、その後、自身の体験を手記として残した。事件から34年後には『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』を刊行し、事件後を生きた時間についても記録した。
事件発生から裁判をたどると、新宿西口バス放火事件には二つの事実が並んでいる。
一つは、多数の乗客がいるバスへガソリンをまき、6人の命を奪ったという犯行の重大さだった。
もう一つは、裁判所が殺意を認めながら、犯行時の責任能力は著しく低下していたと判断したことだった。
「なぜ死刑ではなかったのか」という疑問では、この責任能力判断が結論を分けた。
東京地裁が4年近い審理の末に分けて検討したのは、何をしたのか、何を認識していたのか、なぜその行動に至ったのか、そしてその時どこまで自分の行動を制御できたのかという問題だった。
その区別が、この事件の裁判を理解する手掛かりになった。
参考資料・出典
- 東京地方裁判所 昭和55年(合わ)354号判決(1984年4月24日) — 事件経過、犯行事実、殺意、精神鑑定、責任能力、量刑判断の主要資料。
- 国会会議録検索システム — 第93回国会 参議院社会労働委員会 第5号(1980年11月6日)。事件被害者への救済をめぐる国会審議。
- 国立国会図書館サーチ『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』 — 杉原美津子著、文藝春秋、2014年。
- 文藝春秋「杉原美津子×入江杏 喪失から甦生へ」 — 被害当事者による事件後の記録。
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