1997年10月30日夜、大阪府堺市の住宅で、67歳の男性と65歳の妻が複数人に拘束された。犯行を計画した江東恒は、夫婦に財産関係の書類を書かせた後、共犯者を帰し、自ら2人を殺害した。翌日、遺体を河内長野市の休耕田へ運び、重機で埋めようとしたところを土地所有者に発見された。
江東は夫婦とカラオケを通じて知り合っていた。借金を抱える中、夫婦が資産を持つと考え、現金だけでなく不動産の処分に使える書類まで得ようとした。裁判では殺意と責任能力が争われたが、一審・控訴審はいずれも死刑。最高裁第一小法廷は2006年9月7日に上告を棄却し、死刑が確定した。
| 事件名 | 堺夫婦殺人事件 |
|---|---|
| 発生日 | 1997年10月30日~31日 |
| 発生場所 | 大阪府堺市/遺体遺棄場所は河内長野市 |
| 被害 | 67歳男性と65歳女性の夫婦が死亡 |
| 被告人 | 江東恒(事件当時55歳) |
| 一審 | 2001年3月22日、大阪地裁堺支部・死刑 |
| 控訴審 | 2003年1月20日、大阪高裁・控訴棄却 |
| 上告審 | 2006年9月7日、最高裁第一小法廷・上告棄却 |
| 現在 | 死刑確定 |
震災後に堺へ移った夫婦とカラオケで知り合った
被害者夫婦は阪神・淡路大震災で被災した後、兵庫県から堺市へ移って生活していた。夫は石綿製品関係の事業を営んでいた。江東と夫婦の間に長年の親族関係や事業上の結び付きがあったわけではなく、カラオケを通じて知り合った関係だった。
江東は金融会社などに数百万円の借金を抱え、金銭を必要としていた。交流の中で夫婦に資産があると見込み、自宅の現金を奪うだけでなく、土地や山林などを後から処分できるよう、委任状や借用証書を作らせる計画を立てた。
最初の計画は来客で中止された
江東は実弟らを誘い、包丁などを用意して被害者宅へ向かったことがあった。しかし訪問時に来客がいたため実行を断念した。犯行そのものを諦めたのではなく、別の日に実行できるよう準備を続けた。
この段階の行為は後に強盗予備として起訴された。最初の計画が偶然中止された後も対象を変えず、改めて人を集めている。裁判所は、犯行がその場の感情で始まったのではなく、財産を奪う目的で準備されていたことを示す事情として評価した。
10月30日夜、3人を伴って夫婦宅へ入った
10月30日午後8時ごろ、江東は知人ら3人を伴って夫婦宅を訪れた。夫婦は顔見知りの江東を室内へ入れたが、江東の合図で共犯者らが襲いかかり、2人はロープや粘着テープなどで拘束された。
江東らは現金を探し、妻には財産処分に利用できる委任状や借用証書を書かせた。単にその場にあった現金を持ち去るだけでなく、夫婦の不動産や権利関係を犯行後も利用しようとした点に、この強盗計画の特徴があった。
共犯者を帰した後、江東が2人を殺害
財物や書類を確保した後、江東は共犯者3人を先に帰した。夫婦のもとに一人で残り、拘束された2人の首を絞めるなどして窒息死させたと認定された。
公判で江東は殺意を争ったが、夫婦が抵抗できない状態になった後に共犯者を退出させ、自分だけが残って殺害し、さらに遺体を隠そうとした一連の行動が検討された。大阪高裁は確定的な殺意を認め、一審判断を維持した。
奪ったのは現金約15万円と権利証など
犯行で実際に奪われた現金は約15万円だった。このほか山林の権利証などが持ち去られた。江東が事前に期待したほどの現金は得られなかったが、夫婦に作成させた書類と権利証を使えば、犯行後にも財産を換価できると考えていた。
2人を生存させれば、警察への通報だけでなく、書類の無効化や財産処分の阻止を受ける。裁判では、財産取得と殺害後の隠蔽が切り離された行為ではなく、計画全体の中で連続していたと判断された。
翌日、休耕田へ遺体を運んだ
10月31日、江東は夫婦の遺体を車で河内長野市内の休耕田へ運んだ。遺体を地中へ埋めるためパワーショベルを使おうとしたところ、土地の所有者に見つかった。
不審に思った所有者から警察へ通報が入り、遺体遺棄が発覚した。犯行から長期間が経過する前に捜査が始まり、江東は逮捕された。遺体の処理を自ら進めていたことも、犯行後の隠蔽行為として裁判で認定された。
共犯者の一部は事件後も逃走した
江東とともに強盗計画へ加わった者たちの刑事責任は、江東と同一ではなかった。夫婦の拘束や財物奪取に関与した一方、殺害そのものは江東が共犯者を帰した後に行ったと認定されたためである。
共犯者の一人は事件後、長期間所在が分からない状態が続いたが、約7年後に警察へ出頭したと報じられた。別の共犯者もその後逮捕されている。複数人が関与した強盗計画のうち、誰がどの段階まで加わったかが個別に問われた。
裁判では殺意と責任能力を争った
江東は強盗計画への関与を全面的に否定したわけではないが、夫婦を殺害する意思や殺害方法などを争った。控訴審では、犯行当時の精神状態を理由に責任能力も争点となった。
しかし裁判所は、標的選定、事前準備、共犯者の確保、夫婦の拘束、書類作成、殺害、遺体遺棄までの行動を検討し、責任能力に問題はなく、殺害についても刑事責任を負うと判断した。
一審・控訴審とも死刑
大阪地裁堺支部は2001年3月22日、江東に死刑を言い渡した。借金を背景に、知人夫婦の財産を狙って計画的に強盗へ入り、無抵抗の2人を殺害した結果が重く評価された。
江東側は控訴したが、大阪高裁は2003年1月20日に控訴を棄却した。犯行を主導し、最終的な殺害を自ら実行した役割は大きく、死刑が重過ぎるとはいえないとされた。
2006年、最高裁が上告を棄却
最高裁第一小法廷は2006年9月7日、江東側の上告を棄却した。事件番号は平成15年(あ)第504号。最高裁は被害者が2人に及ぶこと、財産目的の計画性、犯行態様、江東の主導的立場などを踏まえ、死刑を維持した。
これにより江東の死刑が確定した。事件は、顔見知りとして自宅へ入れる関係を利用し、現金だけでなく将来の財産処分まで視野に入れた強盗計画が、2人の殺害と遺体隠蔽に至ったものだった。
夫婦の資産を実際以上に大きく見積もっていた
江東が被害者夫婦を狙った背景には、夫婦が相当の資産を持つという見込みがあった。自宅に多額の現金があるだけでなく、不動産や山林の権利を動かせばさらに金銭を得られると考えたため、強盗計画には最初から書類作成まで含まれていた。
しかし実際に得た現金は約15万円にとどまった。期待した金額との差が大きかったにもかかわらず、江東は犯行を中断せず、作成させた委任状や借用証書、権利証などを持ち去った。財産の現物だけでなく、後から換価する手段まで奪おうとしていた。
強盗予備と本件犯行は別の日に行われた
最初に実弟らと被害者宅へ向かった際は、来客があったため侵入・拘束に進まなかった。この日は実行を見送ったが、凶器を用意し、被害者を脅して財産を奪う準備をしていたとして強盗予備罪が成立するとされた。
その後、江東は別の3人を集め直して10月30日の犯行へ進んだ。一度失敗した計画を改めて実行していることから、裁判では犯行が短時間の思いつきではなく、一定期間をかけて準備されたものとみられた。
殺害の共同責任は、強盗への参加と分けて判断された
夫婦宅へ入ったのは江東一人ではなかったが、殺害時には共犯者を退去させていた。したがって、共犯者全員について夫婦殺害の意思がどこまで共有されていたかは、強盗への関与とは別に検討された。
江東自身については、夫婦の拘束後に現場へ残り、2人を死亡させ、翌日には遺体を運んで埋めようとした一連の行動が認定された。この主導性が、他の関与者との刑事責任の違いを生んだ。
弁護側は自白の信用性も争った
上告審までの公判では、江東側は捜査段階の供述についても争った。取調べの過程に問題があったとして、自白の任意性や信用性を否定し、殺害部分の認定を崩そうとした。
裁判所は、供述だけに依存せず、凶器や遺体遺棄に関する客観的状況、共犯者の供述、書類作成、事件翌日の行動などを総合した。自白の任意性を疑わせる事情はないとされ、江東が夫婦を殺害したとの判断は維持された。
死刑判断では2人の生命と計画性が重視された
死刑を選択するかどうかについて、裁判所は被害者数だけで機械的に判断したわけではない。金銭目的で知人夫婦を標的にし、複数人を集め、拘束後に書類を書かせ、最後に殺害した計画の内容が評価された。
さらに、夫婦はいずれも抵抗が困難な状態で殺害され、事件後には遺体を重機で埋めようとしていた。江東に有利な事情も検討されたが、最高裁は刑事責任が極めて重いとして死刑を維持した。
参考資料・出典
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