2003年12月14日昼、埼玉県入間市の住宅街にある暴力団事務所で、同じ組織に属する幹部5人が拳銃で相次いで射殺された。実行したのは住吉会系の暴力団幹部だった山本開一で、犯行直後に警察へ自首した。
山本は、組織内の対立が深まる中で自分に対する殺害計画があると聞き、先に相手側を殺害することを決めたとされた。最高裁は2008年4月24日、5人を射殺した態様を「計画的かつ残虐」と評価し、死刑を維持した。山本は死刑確定後の2010年1月2日、東京拘置所で肝がんのため62歳で死亡した。
| 事件名 | 入間市暴力団組員5人射殺事件 |
|---|---|
| 発生日 | 2003年12月14日 |
| 発生場所 | 埼玉県入間市の暴力団事務所 |
| 被害 | 同一組織の幹部ら男性5人が死亡 |
| 被告 | 山本開一 |
| 判決 | 死刑確定 |
| その後 | 2010年1月2日、東京拘置所で病死 |
組織内の対立から浮上した「自分が殺される」という情報
山本は中学卒業後まもなく暴力団の世界に入り、長年にわたって組織活動を続けていた。事件当時は同じ上部組織に属する別の組長らとの関係が悪化し、自身の立場や組織運営をめぐる不満を強めていた。さらに、自分を殺害する計画が持ち上がっているとの情報を聞き、危険が迫っていると受け止めた。
裁判で弁護側は、この殺害計画の存在と切迫性を重視し、山本が先制しなければ自分が殺される状況だったと主張した。最高裁は、仮にその計画が実在していたとしても、警察へ保護を求めるなど適法な方法で危険を回避すべきであり、拳銃で先に相手を射殺する選択は正当化できないとした。
幹部会合に拳銃を持って向かった山本開一
犯行当日、山本は入間市内の暴力団事務所で幹部らが集まる機会を狙って現場へ向かった。複数の相手を対象とすることを前提に銃器を携え、事務所内に入ると、会合に参加していた幹部らへ次々と発砲した。
この事件は、その場で口論が激化して偶発的に一発が放たれたものではない。最高裁は、5人に対して連続して発砲した経過を重視し、犯行には明確な計画性があったと認定した。白昼の住宅街で実弾が使われたことも、周辺住民に大きな危険と不安を与えた事情として量刑判断に含まれた。
山本が狙ったのは、対立関係にあった一人だけではなかった。幹部らが同じ事務所に集まる場面を選び、複数人を一度に射殺する形で犯行を実行している。結果として5人の生命が奪われ、現場となった事務所だけでなく、周辺一帯が銃撃事件の現場となった。
5人を相次いで射殺した犯行態様
被害者は同じ暴力団組織に属する幹部ら5人だった。山本は所持していた拳銃で次々と発砲し、5人全員を死亡させた。最高裁判決は、被害者数だけでなく、犯行の準備、発砲の継続、住宅街にある事務所で実行された点を併せて、罪質を極めて重いものと評価している。
被害者側との間に暴力的な対立があったことは、事件の背景として審理された。しかし、相手側の属性や組織内部の事情によって生命を奪う行為が軽く扱われることはない。最高裁は、5人の人命が奪われた結果と遺族の処罰感情も踏まえ、死刑を回避する事情にはならないと判断した。
最高裁は、被害者側が山本を襲撃しようとしていたという事情についても検討した。しかし、そこから直ちに山本の行為が防御的なものになるとはしなかった。危険を感じていたとしても、警察への相談や退避といった手段を取らず、自ら拳銃を持って会合の場へ出向き、5人を死亡させた点に大きな違いがあるとされた。
犯行直後に自首し、事実関係を認めた
山本は犯行後、逃亡を続けることなく警察へ出頭した。その後も自分が5人を撃った事実を一貫して認めており、自首と供述態度は山本に有利な情状として裁判でも考慮された。
一方で、自首は5人を殺害した後の行動である。裁判所は、犯行前に武器を用意し、複数の幹部が集まる場へ赴き、計画に沿って発砲した重大性と比較すると、自首や事実を認めたことをもって刑事責任を大きく減じることはできないとした。
前科と長年の暴力団活動も量刑判断の対象に
最高裁判決は、山本が中学卒業後から長期間にわたり暴力団員として活動してきた経歴にも触れている。過去には殺人未遂などで懲役4年となったものを含め、粗暴犯を中心とする相当数の前科があった。
こうした経歴は、それだけで死刑を導く事情ではないが、事件の動機や行動選択を評価する中で規範意識の状態を判断する材料となった。自分が危険にさらされていると考えた際、法的な保護を求めるのではなく、相手を先に射殺する方法を選んだ点が厳しく評価された。
一審では、犯行の計画性、被害者が5人に及ぶ結果、拳銃を使った攻撃の危険性、山本の前科・生活歴などが量刑判断の材料となった。弁護側は、殺害計画への恐怖や自首などを重視して死刑回避を求めたが、裁判所はそれらを考慮しても責任は重大だと判断した。
さいたま地裁の死刑判決から最高裁へ
さいたま地裁は2005年9月8日、山本に死刑を言い渡した。東京高裁も2006年9月28日に一審の量刑を維持し、弁護側は最高裁へ上告した。上告審では死刑制度に関する憲法上の主張のほか、事実認定や量刑が争われた。
最高裁第一小法廷は2008年4月24日、上告を棄却した。上告審では、死刑制度に関する憲法上の主張や量刑不当などが示されたが、最高裁は原判決を破棄すべき事情はないと判断した。判決は、5人を拳銃で射殺した犯行が計画的かつ残虐であること、被害結果が極めて重大であること、地域社会への影響、山本の前科などを挙げ、自首や事実を認めている事情を考慮しても死刑はやむを得ないと結論付けた。
死刑判決が確定したのは、事件から約4年4か月後だった。犯行直後から実行行為そのものを否認していた事件ではなく、争点は主として、組織内の対立が動機に与えた影響や、自首をどこまで有利に評価するか、そして5人を殺害した結果に対して死刑が相当かという量刑面に集約された。
死刑確定後、執行されないまま病死
死刑確定後、山本は東京拘置所に収容された。2010年1月2日、肝がんのため62歳で死亡したことが記録されている。したがって、この事件で山本に死刑が執行された事実はない。
刑事裁判としては2008年の最高裁上告棄却によって死刑が確定し、その後は執行前の拘置中に死亡したという経過になる。5人が死亡した銃撃と、山本が主張した先制攻撃の必要性を裁判所がどのように評価したかが、この事件の司法判断の中心だった。
5人射殺事件として残った司法判断
最高裁判決が示したのは、暴力団同士の内部対立や相手側からの危険が背景にあっても、私的な武力行使で先制して複数人を殺害することは許されないという判断だった。相手から生命を狙われていたとの主張は背景事情として扱われたが、5人を計画的に射殺した行為の違法性や責任を打ち消すものとは認められなかった。
山本は犯行後に自首し、事実も認め続けた。それでも死刑が維持されたのは、被害者数、拳銃による計画的な実行、住宅街への危険、過去の暴力事件の前科などを総合した結果である。刑の執行には至らず、死刑確定から約1年8か月後に拘置所で病死した。
三審を通じて維持された死刑判断
一審のさいたま地裁が死刑を言い渡したのは2005年9月8日で、事件から約1年9か月後だった。東京高裁は2006年9月28日に控訴を棄却し、死刑を維持した。さらに最高裁第一小法廷が2008年4月24日に上告を棄却したことで、山本の死刑判決は確定した。
最高裁は、山本が犯行後に自首し、一貫して事実関係を認めていたことを明示的に考慮している。一方で、5人という被害結果、拳銃を準備して幹部会合へ向かった計画性、白昼の住宅街で発砲した危険性、遺族の処罰感情、殺人未遂を含む前科などを総合すると、有利な情状を踏まえても刑を軽くすることはできないと判断した。
判決では、山本が中学卒業後まもなく暴力団に入り、その後の大部分を組織の中で過ごしてきた経歴にも触れられた。これは所属そのものを処罰する趣旨ではなく、暴力的な対立に直面した際に、法的手段ではなく拳銃による殺害を選んだ経緯と、過去の粗暴犯前科を含めて再犯性・規範意識を評価する材料とされた。
参考資料・出典
- 最高裁判所「平成18(あ)2339 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件」
- 最高裁判所「平成20年4月24日判決」全文PDF
- 関西大学法学論集「最高裁において永山事件第一次上告審判決以降令和4年末までに確定した死刑判決一覧」
- 日本民主法律家協会掲載資料「山本開一死刑囚死去」
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